第七部 第一話 悠馬、視察という名目/着陸
7部は割と心穏やか、、、なはず。
ヒースロー空港は、いつも通りだった。
早朝のロビー。
行き交う人の足取りは速く、誰も他人に興味を持たない。
それが、普通だ。
搭乗ゲート前で、ノアがパスポートを確認している。
「兄さん、持った?」
「持ってる」
「航空券」
「ある」
「……本当に?」
「三回目だぞ」
ノアは、少しだけ笑った。
最近、こういう確認が増えた気がする。
過保護というより、落ち着かない様子。
理由は分かっている。
ーー日本、だからだ。
でも、それを口にするほど、自分は整理できていない。
搭乗案内が流れ、列に並ぶ。
ビジネスクラス。仕事としての移動。
特別な感慨はない。
はず、だった。
座席に腰を下ろした瞬間、なぜか、呼吸が一拍ずれた。
「……?」
自分でも理由が分からない。
ノアが、隣の席に座る。
「兄さん」
「何だ」
「日本、楽しみ?」
即答できなかった。
考えたことが、なかったからだ。
「……仕事だ」
そう答えると、ノアはそれ以上、何も聞かなかった。
機体が動き出す。
滑走路。加速。
浮く。
地面が離れた瞬間、胸の奥で、何かが一緒に切れた気がした。
ーーー五歳。
その数字だけが、ふと浮かぶ。
思い出ではない。情景でもない。
ただ、区切りとしての数字。
眠ろうとして、眠れなかった。
資料を開いて、文字を追う。
ホテル事業。
日本市場。
立地条件。
論理は、すんなり頭に入る。
だから余計に、違和感が残る。
ノアは、途中で眠った。
機内の灯りが落ち、静かになる。
その静けさの中で、自分だけが起きている感覚。
ーーーここまでは、いつもと同じだ。
長距離移動。
睡眠不足。
慣れている。
なのに。
到着アナウンスが流れた瞬間、胸が少しだけ、ざわついた。
成田空港。
その言葉を聞いて、初めて実感する。
ーーー本当に、来た。
入国審査。
列に並ぶ。
係員の日本語が、耳に入る。
理解できる。意味も、ニュアンスも。
だが、それが当たり前だったことに、今さら気づく。
パスポートを返され、一歩進む。
足裏に伝わる床の感触が、なぜか、少し柔らかく感じた。
空港の匂い。
消毒液。
コーヒー。
人。
記憶と一致するものは、何もない。
なのに。
「……落ち着くな」
気づいたら、そう呟いていた。
ノアが、驚いた顔でこちらを見る。
「え?」
「いや」
自分でも、理由が分からない。
落ち着く、という表現は、正確ではない。
正確に言うなら。
”警戒する必要がない”
誰も、こちらを値踏みしていない。
名前も、
肩書きも、
関係ない。
通り過ぎる人間にとって、自分はただの一人だ。
それが、異様だった。
荷物を受け取り、出口へ向かう。
ノアが、周囲を見回している。
「……なんか」
「人、多いな」
「普通だ」
「そうだけど」
ノアは、少し困ったように笑った。
「誰も、俺たちのこと、見てない」
その言葉に、胸の奥が、微かに鳴った。
外に出る。
湿った空気。夏の終わり。
肌にまとわりつく感じが、妙に生々しい。
車に乗り込む。
エンジン音。日本語のナビ。
走り出した瞬間、窓の外の景色が流れる。
看板。
建物。
道路。
どれも、知らないはずなのに。
「……」
不思議な感覚だった。
懐かしい、ではない。
帰ってきた、でもない。
ただ。
『説明しなくていい場所』
それが、胸の奥に、静かに広がっていく。
ノアが、小さく言った。
「兄さん」
「何だ」
「……ここ」
一拍。
「兄さんが普通に歩いてるの、変な感じしない?」
考える。
そして、正直に答えた。
「……少し」
なぜか、それだけで、ノアは安心したようだった。
車は、高速に乗る。
視察は、これからだ。
仕事も、山ほどある。
でも。
この場所は、少なくとも今は、自分を”評価しない”。
その事実だけが、はっきりしていた。
ーーー行ってみないと、分からない。
出発前に感じた違和感は、着陸して、
別の形に変わっていた。
名前の付かない、静かな感覚。
それが、日本だった。
感想をいただけると嬉しいです。
※一応完結分までは完了してますので都度載せる予定です。
よろしければ見てください。
AIアシスト作品です。
僕はまだ、ただの学生だったはずなのに。
気づいたら、伯爵家と組織と、大人たちの胃を一手に引き受けていた。
これは「有能すぎたせいで詰んだ男」の話。




