第5話 動き出すものたち、知らぬ姫
魔界城の中庭は、今日も静かだった。
私はリリアと一緒に、柔らかい芝生の上を歩いている。
……正確には、歩こうとしている。
「セ、セラフィナ様、ゆっくりですよ……!」
「だいじょぶ」
そう言った瞬間、周囲の魔族たちが一斉に息をのんだ。
「い、今の……」
「姫君が……歩かれた……!」
(そんなに驚くこと?)
クロウ・フェルゼンは、少し離れた位置から私を見守っている。
剣に手をかけ、周囲を警戒する姿はいつも通り――
でも、視線だけは、必ず私を追っていた。
(クロウ、厳しい顔…)
私がにこっと笑うと、
彼は一瞬だけ目を伏せる。
(?)
よくわからないけど、
最近のクロウは、少し変だ。
「セラフィナ様、あまり目を合わせてはいけません……!」
リリアが慌てて、私の前に立つ。
「その…みんな、ドキドキしてしまうので……」
(どきどき?)
首をかしげていると、
城の奥から、父――魔王が現れた。
「ここにいたか、セラフィナ」
「ぱぱ!」
抱き上げられると、
周囲の緊張が、少しだけ和らぐ。
「……近頃、城の外が騒がしい」
「そうなの?」
「人間界だ」
その言葉に、クロウの空気が変わった。
「噂は、もう届いている」
父は、低く告げる。
「――魔王の娘が、目覚めたとな」
(めをさましたって、またそれ)
私は父の肩に顔をうずめる。
(人間界……)
なんとなく、
あまりよくないものの気がした。
* * *
人間界・王都。
城門の前に、三人の男が並んでいた。
勇者。
王子。
そして、王国騎士団の精鋭。
「目的は、確認だ」
王子が言う。
「魔王の娘の存在を、この目で確かめる」
「……接触は慎重にな」
勇者は、剣の柄に手を置いた。
「噂通りなら、
下手に近づけば――」
「わかっている」
だが、その声には、
抑えきれない期待が混じっていた。
――世界一の美貌。
――理性を揺るがす存在。
彼らはまだ知らない。
その存在が、
三歳の少女だということも。
そして。
彼女が、
戦う意思も、支配する野望も持たず、
ただ――生きているだけだということも。
* * *
魔界。
セラフィナは、城の窓辺で、外を見ていた。
赤い瞳に映るのは、
遠く広がる闇の大地。
(外が騒がしい)
なぜだか、胸が少しだけ、きゅっとする。
「……りりあ」
「はい?」
「なにか、はじまるの?」
リリアは一瞬、言葉に詰まり、
それから、優しく微笑んだ。
「……大丈夫ですよ、セラフィナ様」
「私たちが、いますから」
その背後で、
クロウ・フェルゼンは、静かに剣を握りしめる。
(来るなら――俺を越えていけ)
誰よりも近くで、
誰よりも強く。
魔王の娘を守ると、
改めて心に誓いながら。
――こうして。
何も知らない姫を中心に、
世界は、確実に動き始めていた。




