第4話 揺れる心、揺れる人間界
――クロウ・フェルゼンは、自覚していた。
自分が、危険な状態にあることを。
(直視するな)
何度も言い聞かせている。
魔王陛下の命令でもあり、
そして何より――自分自身を守るためだ。
それでも。
廊下の向こうから、小さな足音が聞こえた瞬間、
クロウの意識は、否応なくそちらへ引き寄せられる。
「……」
白いドレス。
柔らかな髪。
そして、赤い瞳。
――三歳の、魔王の娘。
(見るな)
そう思ったのに、視線は逸らせなかった。
(……なんだ、これは)
胸の奥が、締めつけられる。
守りたい、触れてはいけない、近づくな。
相反する感情が、一度に押し寄せる。
「くろう?」
その声だけで、心臓が跳ねた。
(名前を、呼ばれただけだ)
それだけなのに。
クロウは膝をつき、剣の柄を強く握る。
(……俺は、近衛だ)
守る存在であって、
想う存在ではない。
だが、彼女が通り過ぎるその一瞬。
胸の奥で、確かに何かが――芽生えた。
(……駄目だ)
クロウ・フェルゼンは、
その感情に、剣を突き立てるように押し殺した。
魔王の娘を、
誰よりも近くで守る剣として。
それ以上の存在になることは、
決して許されない。
――そのはずだった。
* * *
同じ頃、人間界。
王都の奥深く、静かな会議室で、
重苦しい空気が流れていた。
「……魔界に、異変がある」
そう切り出したのは、王国騎士団長。
「魔王の娘が、成長したとの噂です」
「成長?」
若い王子が眉をひそめる。
「ええ。
ただし――普通の成長ではない」
一枚の報告書が、机に置かれる。
『直視禁止』
『理性喪失の恐れあり』
『魔族間で混乱』
「……美貌、か」
勇者は、低く呟いた。
「魔王の娘が……?」
「恐れられる存在のはずだろう」
「ですが」
騎士団長は、はっきりと言った。
「現在、魔界は彼女を中心に回っている」
沈黙が落ちる。
「放置すべきではないな」
王子が、静かに立ち上がった。
「――会ってみたい」
その言葉に、勇者が目を細める。
「……危険だぞ」
「だからこそだ」
誰も気づいていなかった。
その言葉に、
すでに“惹かれている”色が混じっていたことに。
* * *
魔界。
セラフィナは、何も知らずに笑っている。
小さな手で、リリアの指を握り、
クロウの背中を見上げながら。
その笑顔が、
剣を、王を、勇者を――
世界を、静かに狂わせ始めていることを。




