第39話 選ばせぬ世界と、選ぶ覚悟
社交界デビューから三日。
魔界城・円卓会議室。
魔王ルシウス・ノワールの前には、五通の正式書簡が並ぶ。
ヴァルディア王国。
アルセリア王国。
ルミナール王国。
クラーク王国。
そして中央聖域評議会。
すべてが――
セラフィナ・ノワールとの婚姻、または同盟強化を求める内容。
「……包囲網か」
低い声。
側近が告げる。
「拒めば外交亀裂は避けられません」
「受ければ、王女殿下は事実上の政治駒となります」
ルシウスの瞳が暗く揺れる。
「娘は、物ではない」
だが世界は違う。
“選ばせる”形をとりながら、
実際は逃げ道を削る。
静かな戦争が、始まっていた。
* * *
同時刻――
魔界外縁・深層森域。
本来なら静かなはずの領域。
だが今。
空気が歪んでいた。
黒い紋様が地面に刻まれ、
禍々しい魔法陣が脈打つ。
その周囲に立つのは――
黒衣の集団。
闇の勢力。
「準備は整った」
一人が囁く。
「核は、近い」
「王女は必ず来る」
魔法陣が脈打つたび、
封じられていた魔獣たちが苦悶する。
強制的に狂わされていく。
「暴走ではない」
「誘導だ」
低い笑い。
「王女の魔力に反応させろ」
「恐怖と怒りを引き出せ」
空が裂けるような咆哮。
魔獣が、目を赤く染めた。
* * *
魔界城・庭園。
セラフィナは、夜の風を感じていた。
胸の奥がざわつく。
「……来る」
背後にクロウ。
「姫君?」
その瞬間。
遠くから衝撃音。
地面が震える。
伝令が駆け込む。
「外縁森域にて異常魔力反応!」
「魔獣複数、強制覚醒!」
ルシウスも現れる。
「……自然暴走ではないな」
「はい」
クロウが即座に答える。
「魔法的干渉の痕跡があります」
セラフィナの瞳が鋭くなる。
「私を呼んでる」
静かな確信。
クロウは一歩前へ出る。
「私が先行いたします」
ルシウスが低く言う。
「無理はするな」
「はい、パパ」
セラフィナは微笑む。
「暴走もしない」
魔力が、静かに灯る。
揺れない。
制御された輝き。
* * *
外縁森域。
魔獣が咆哮する。
その背後、木々の間に黒衣の影。
「来たな」
空気が変わる。
セラフィナが降り立つ。
夜の中、紅い瞳が光る。
魔獣たちが一斉に反応する。
引き寄せられる。
「やっぱり」
小さく呟く。
「私を餌にしてる」
クロウが剣を抜く。
「お下がりください」
「いや、また誰かを傷つけたくない」
魔力が広がる。
だが――制御は完璧。
魔獣の動きを“止める”。
拘束する。
闇の者たちがざわめく。
「……制御している?」
「七年前とは違う」
セラフィナの声が森に響く。
「出てきなよ」
黒衣の一人が姿を現す。
「王女」
「成長したな…」
「あなたたちが、世界を動かしてるの?」
「違う」
影は笑う。
「世界は、勝手に動く」
「我々は少し背を押すだけだ」
魔獣がさらに暴れる。
クロウが斬り伏せる。
セラフィナが魔力で鎮める。
完璧な連携。
闇の者は目を細める。
「なるほど」
「騎士と並ぶ王女か」
その瞬間。
地面の魔法陣がさらに発光。
大規模爆発。
森が裂ける。
セラフィナの魔力が反応する。
強く、膨れ上がる。
だが。
彼女は、止めた。
静かに。
深く息を吸い。
「私は、選ぶ」
光が広がる。
闇の術式を上書きする。
魔法陣が砕ける。
黒衣の者たちが退く。
「今日はここまでだ」
「だが」
「婚姻も、戦争も、誤解も」
「すべて、お前を中心に回る」
「止められるか?」
影が消える。
静寂。
魔獣は沈黙。
森は崩壊しかけているが、最悪は防いだ。
クロウが振り返る。
「……お怪我は」
「ない」
セラフィナは静かに答える。
「でも」
夜空を見る。
「ちょっと疲れた」
クロウは一瞬、言葉を失った。
「……ちょっと疲れた」
その一言が、戦場より重い。
七年前。
力を暴走させ、震えていた少女。
今は違う。
完璧に制御し、森を守った。
それでも――
「姫君」
クロウがそっと歩み寄る。
「無理をなさっている」
「してないよ」
セラフィナは笑う。
強い王女の顔で。
けれど。
その指先は、わずかに震えていた。
「暴走もしてないし」
「誰も死なせてない」
「ちゃんと、できた」
自分に言い聞かせるように。
クロウはマントを外し、そっと彼女の肩に掛ける。
「……十分です」
「十分、強い」
その声は騎士ではなく、ただの男の声だった。
セラフィナは一瞬だけ目を閉じる。
温もり。
安心。
でも。
「ねえ、クロウ」
小さく呟く。
「さっきの言葉」
『婚姻も、戦争も、誤解も――』
「あれ、本当だと思う?」
クロウは沈黙する。
否定できない。
婚姻書簡。
仕組まれた暴走。
タイミングが出来すぎている。
「……はい」
正直な答え。
セラフィナは空を見上げる。
黒い夜。
「私が選ぶって言った途端に、これだもんね」
笑う。
少しだけ、妖艶に。
「焦ってるのかな」
「誰かが」
クロウの瞳が鋭くなる。
「本格的に動き始めた、ということです」
「王子たちも、勇者も、まだ何も知らない」
「だが」
「この暴走が人間界に伝われば」
セラフィナが言葉を継ぐ。
「“魔界が不穏”って噂が広がる」
「婚姻で抑え込むべきだ、って話になる」
静かな理解。
彼女はもう、ただの少女ではない。
王女だ。
「……うん」
小さく息を吐く。
「やっぱり、疲れるね」
今度は弱さを隠さない声。
クロウの胸が締め付けられる。
「お戻りになりましょう」
「今日は、もう十分です」
セラフィナは少し考えて。
そして。
「……手、貸して」
一瞬、時が止まる。
「戦闘で疲れただけだから」
「勘違いしないでよ?」
わざとらしく言う。
クロウは微かに笑う。
「承知しました」
そっと手を取る。
細い指。
温かい。
強いはずの王女が、今だけは寄りかかる。
「ねえ」
歩きながら、セラフィナが呟く。
「もし全部が、私を中心に回るなら」
「私、止められるかな」
クロウは即答する。
「一人では、無理です」
セラフィナが少し驚いた顔をする。
「ですが」
クロウの声は低く、揺れない。
「あなたは一人ではない」
「私は、隣に立つと誓いました」
「何度でも」
セラフィナの唇が、ほんの少し柔らぐ。
「……ずるいなあ」
「そういうの」
「好きになっちゃうじゃん」
言ってから、はっとする。
沈黙。
夜風。
クロウの心臓が大きく鳴る。
「姫君、それは」
「冗談」
即答。
でも。
耳が赤い。
クロウは深く息を吸う。
(今は、まだ)
(世界が先だ)
だが確実に、距離は変わっている。
その頃――
崩れた魔法陣の残骸の中。
黒い小さな結晶が、まだ脈打っていた。
闇の勢力の残した“種”。
それは静かに魔力を吸収している。
次はもっと大きく。
もっと誤解を生む形で。
嵐は終わっていない。
そして。
人間界へ向けて、最初の報告書が飛ぶ。
――魔界外縁にて大規模魔力異常発生。
真実は、まだ届かない。




