第34話 初めての躓きと忍び寄る影
訓練場。
午前の空気は澄んでいるのに、
セラフィナの胸の中だけが、少し重かった。
「……もう一回」
木剣を握る手に、力が入る。
「姫君」
クロウが制止する。
「本日は、ここまでに――」
「まだ、できる」
言葉は強いのに、足元がわずかに揺れた。
「……昨日より、ちゃんと振れると思ったのに」
剣を構える。
踏み込み。
――空振り。
体勢が崩れ、石床に膝をついた。
「……っ」
「姫君!」
クロウがすぐに駆け寄ろうとして、止まる。
自分で立つ、と言っていたのを思い出したからだ。
セラフィナは、歯を食いしばりながら立ち上がる。
「……やっぱり」
小さく、呟く。
「向いてないのかな、私」
「そんなことはございません」
即答だった。
「ですが」
クロウは、あえて続ける。
「剣は、結果がすぐに出ません」
「特に、恐怖を知っている者ほど」
セラフィナは、木剣を見つめる。
(怖いのに)
(向き合うって、決めたのに)
「……できないのが、悔しい」
声が、少し掠れた。
クロウは、一歩だけ近づく。
「それは」
「“前に進んでいる証”です」
セラフィナは、顔を上げた。
「できなかったことを」
「悔しいと思えるのは」
「逃げていないからです」
一瞬。
涙が出そうになって、慌てて瞬きをする。
「……今日は、剣やめる」
「承知しました」
「魔法も……ちょっと、怖い」
「それも、当然です」
クロウは、柔らかく続けた。
「ですが」
「恐怖は、“失敗した日”ほど強くなります」
「そして」
「越えた日は、必ず来ます」
セラフィナは、何も言わずにうなずいた。
* * *
その夜。
魔界城の高塔。
結界の外縁。
「……ほう」
低い声が、闇に溶ける。
黒衣の男が、魔導望遠具を下ろした。
「やはり、反応が不安定だ」
隣に立つ影が問う。
「目標は?」
「魔王の娘だ」
即答。
「制御に問題を抱えた、巨大な魔力」
「しかも、まだ未成熟」
男は、薄く笑った。
「……美しい」
「そして、危うい」
「最も、奪いやすい時期だ」
「動きますか?」
「いや」
首を振る。
「今は、“観る”だけでいい」
「彼女自身が」
「自分の力を、恐れ続ける限り」
「勝手に、隙は生まれる」
闇が、風に揺れる。
「――その時を、待つ」
* * *
同じ頃。
セラフィナは、自室のベッドに腰掛けていた。
剣で擦れた手のひらを、じっと見る。
(できなかった)
(怖かった)
(悔しかった)
でも。
(……やめたい、とは思ってない)
扉の外に、気配。
「姫君」
クロウの声。
「温かい飲み物を、お持ちしました」
「……入って」
珍しく、即答した。
クロウは、静かにカップを差し出す。
「今日は、失敗ばっかだった」
セラフィナは、ぽつりと言う。
「はい」
否定しない。
「でも」
クロウは、まっすぐ見つめた。
「姫君は、本日」
「一度も、逃げておられません」
セラフィナは、カップを握りしめる。
「……明日も」
少しだけ、声が弱い。
「怖くなると思う」
「はい」
「失敗も、すると思う」
「はい」
「それでも」
顔を上げる。
「来てくれる?」
クロウは、迷わなかった。
「当然です」
深く、静かに。
「姫君が歩みを止める日も」
「前に進む日も」
「私は、そこにおります」
セラフィナは、ふっと笑った。
「……じゃあ」
「明日も、がんばる」
その背後。
窓の外で、夜風が揺れる。
まだ、誰も気づかない。
この姫を狙う視線が、
すでに世界のどこかで――動き始めていることを。




