08 基盤は立つための大切さ
「今日はね、陽芽さんにあるものを書いてもらいたいんだ」
「あるもの?」
陽芽が書きたい物語を想像の中で固められたようなので、この日、月影は次のステップの準備を進めることにした。
テーブルの上に置いた紙には、点字で『プロット』と記載してある。また、各種欄も用意してあるのは、陽芽と一緒に増やしていくためだ。
他人の力で用意されているものに、学び、という価値はないに等しい。
創作においては、その人にとって必要なものを重視すべきだと月影は考えている。
ふと気づけば、陽芽は手の動くままに、紙を指でなぞっていた。
小さな指の表面は優しくも、くぼみのある文字を素早くも正確にたどっている。
「……プロット?」
「そう、今日はプロットについて伝えようと思うんだ」
プロット、と聞いて嫌に思う人、苦手な人はいるだろう。また、プロットが無ければ創作ができない人もいるほどに、創作の中では奥が深いものだと言える。
「……難しい、もの」
「やっぱり、プロットって聞くだけだとそう思うよね」
陽芽は恐らく、深く考えているタイプだろう。
どちらかと言えば、月影は安心している方だ。
プロットを頭の中で組み立てているから、文字として、紙に書き写したりしたくないと考える人も存在するくらいなのだから。
月影は陽芽の不安をぬぐうように、震える手でペンを持った。
文字は書けるものの、未だにおぼつかないその手で。
「そうだな。……それじゃあ、プロットじゃなくて、設定を考えてみようか」
「設定を?」
「うん。タイトル、テーマやコンセプト、舞台、キャラクターの名刺とかね」
プロットから、書く人も中にはいるだろう。
それはキャラクターや舞台、ジャンルを一貫できる人がする神業に等しい。
月影は裏にした紙に点字器を重ねて、右からくぼみを打ち込んでいく。
紙を表にすれば、小さな指先が左から表面を撫でる。
撫でた指先が文字をたどれば、ゆっくりと口は開かれていく。
「文字を、書くための準備。物語を、書きたい、陽芽さんを導きたい、エゴだよ」
「……そういうのは口にしなくてもいいんだよ」
「えへへ、口にしたかった」
陽芽はわざと、その部分だけを読んだようだ。
設定やプロットに必要となる、タイトルやジャンル、視点なども記載してあるのだから。
ふと気づけば、陽芽は既に記載した欄を埋めていくように、点字で文字を打っている。
月影自身、見よう見まねで点字を打ってこそいたが、陽芽の手さばきを見ると差は一目瞭然だった、
陽芽と比べているつもりはないが、できることなら対等にはなりたいものだろう。
「設定も大事だけど、キリを考えて、キャラクターの形を印象付けるまで書けたらプロットを本格的に触れようか」
「はい」
陽芽は楽しそうだった。
まるで自分の想像が動き出しているかのように、彼女の手は活き活きとしている。
そんな陽芽を見ていると、ペンを手放した過去の自分を辛く思えてしまう。
壊れてしまった両親を見て、幼い頃から天才だった月影は、何もかもどうでもよくなってしまったから。
結局のところ、放浪して好きなものからも逃げていたのに、こうして書くことに戻ってきてしまっているのだ。
置いてきたはずの後悔を、気持ちは覚えていたのだろう。
月影はふと思いだした過去に首を振り、今を見た。
今目の前で、真剣に物事に取り組む陽芽の姿を。
陽芽が書き進めて少し経った頃、その手は動きを止めた。
「月影、書けたよ。……月影?」
「え、ああ、ごめん。少し考え事をしていただけだよ」
「……無理は、駄目だよ」
陽芽は心配そうに言って、その手のひらを額に当ててきた。
ひんやりとした、その小さな手を。
「心配してくれてありがとう。俺は大丈夫だから」
「嘘は、駄目」
「陽芽さんに嘘はつかないよ」
「うん」
純粋に信じる陽芽、心の痛む音が月影には聞こえていた。
月影はごまかすように路線を戻すのだ。
陽芽が乗ってくれると信用を置いているからこそ、行動を誘導しているのかもしれない。
「こほん。本題に戻ろうか」
「うん」
「今書いてもらった設定とかを踏まえて、書きたい物語の経路を書き出してもらいたいんだ」
プロットという言い方をしていないが、紐を解けば本質はプロットである。
本能は不思議なことに、難しい言葉になると深く考えがちだ。だが、それを身近なものに置き換えられる想像力や経験、捕らわれない考え方で見方は変わるだろう。
例で挙げるのなら……丸いオブジェクトを見た時、影をオブジェクトの一部として捉えるのなら、三日月や半月が浮かんでくるはずだ。
とはいえ、窺うように月影の方を見ている陽芽は察しているのだろう。
「プロット、書く?」
「言ってしまうならそうだね。それでも、プロットとしてではなく、起承転結や序破急の構成の詳細を考えるって思ってみようか」
「幕構成として、見る?」
小首をかしげる陽芽に対して、月影は小さな手の甲に指を添えて、そうだよ、と伝えるように指先を動かした。
プロットは大事だ。それは、基盤ともなる物語にブレが生じないようにする保険としても必須だろう。
プロットはあくまで、線がズレないようにする為や、起きる瞬間の見せ方や回収を先に工夫して形づける……つまりは魅せ方を書くために使うことだって可能なのだから。
その考えが嫌であれば、安定性を意識するためと思うべきだろう。
最後まで思いついたところで、道中に安心の「あ」の字がなければ、離脱されてもおかしくないのだから。
安心に関しては、その人の積み重ねた経験にもよるので一概にも確信はないが。
「まあ、簡単に言うならね、陽芽さんは書きたい物語を知っているよね?」
「うん」
「でもそれは読み手や見る人は知らないわけだ。構成は伝えるためではなく、あくまで自分が知っている情報を如何にまとめて、それをどう見せて伝えたいか仕分けするためにも知っておいて損はないよ」
陽芽は少し悩んだ様子を見せこそしたが、書こうとしてくれた。
覗くように見れば、主人公の出会い方や、サブキャラクターがどこでどのように出現するのか書かれている。
あくまで骨組みを書いているようで、肉付けは恐らく見せてくれないだろう。
実際、陽芽は月影が覗き込んでいるのを知ってか、見せたくないように紙を手で覆い隠すのだから。
「陽芽さん、無理やり見るつもりはないから安心して大丈夫だよ」
「月影、たまに嘘つく」
「あはは。それは言えてるかもね」
とはいえ、陽芽がやる気になってくれたのは嬉しいものだろう。
陽芽が悩みつつも、背で語るように真剣に書いてくれてはいるので、これ以上水を差すのもいかがなものか。と月影は思いつつも、少しお喋りをしてしまうのだ。
「あとね、それを書くのはメモみたいなものだよ。その通りに書く必要はないし、途中で何かを加えたいと思ったら補正が効くからね。先を見れている人の権利だよ」
「月影、何個も未来、見てる」
「見てないから」
陽芽は幼い発言が未だに多々あり、月影は常々驚かされっぱなしだ。
ふと気づけば、先ほどまで動いていた陽芽の手は止まっていた。
「月影、質問したい」
「どうしたの?」
「月影は、ここまで考えていたの?」
今まで流れから察するに、月影が陽芽に教えた時から、プロットを教えるまで考えていたのか聞いてきているのだろう。
ここで濁してしまえば、今までの経緯は説明がつかない。
説明をしたところで、説明では意味がない。
陽芽の着目点は実に、意表をついており、経験したことを実践できていると言えるだろう。
素朴な質問だからこそ、月影は広く考えてしまう。
相手の性格を読んだうえで質問したのなら、陽芽に対する教えだと置き換えるべきなのかもしれない。
陽芽は月影の沈黙が長かったせいか、少し不安そうな顔をしてみせていた。
そんな陽芽を安心させるように、一つ呼吸を置く。
「そうだね。プロットとして見るなら、考えていたよ」
「月影、もったいない」
「ぐいぐい来るね。まあ、教えるにしても順序あってこそで、次の教えにどう影響するか、捉え方を自分が思っている通りに誘導したいなら、スムーズであるべきことに間違いはないからね」
陽芽は月影の話を聞いてか、最初は悩んでいたのが嘘のように、今ではさらに楽しそうに想像を文字へと置き換えている。
打つ速度が正確なのを見るに、頭の中で道筋はできていたのだろう。
実際、プロットを小分けにして考えるのも有効な手だ。
序破急で例えるなら、序なら序で、破なら破で、急なら急で……その個別に分けて流れを書くことだって立派なプロットだ。
序の先が思い浮かばない、なら破を書いてみることで、序からでは見えていなかった道筋が見えてくることもあるのだから。言ってしまえば、目標がなかった場所に目標を作り、そこに至るまでの道を敷く作業に等しい。
また全体を見たいのなら、全体の構成で大雑把にまとめておくのも手である。
月影自身、陽芽が触れてこないので教えていないが、敢えて段階別に書く手法を取っているのだから。
一つ一つの完成度を高め、最後には全体でバランスをとる……それができるのはプロットありきだろう。
文章や模型を直接作ったところで、判断する材料がそれしかなければ、完成度を確かめるのは難しいはずだ。
脳の整理をしていた時、陽芽が見上げるように見てきていることに気が付いた。
瞳を閉じていて幼くも愛らしい表情なのに、それでいてどこか大人びているその顔で。
「月影も、書きたい?」
「書きたくなったかもしれない」
陽芽が楽しそうにしているのを見て、書きたくない、とは思いきれなかった。
月影はペンを持てば未だに震える。だけど、気持ちに触れることの恐怖よりも、燃える想いに後押しされたい気分なのだから。
(俺は、とんでもない子に出会ったのかもしれないな)
伝えることも大切だ。
大切ではあるが、自分らしい形を忘れないように。
瞳を閉じているのが陽芽らしさであるのなら、瞳を開いたとしても彼女の才能はさらに開花するだろう。
「陽芽さん、俺も書いているものがある、って言ったら」
「月影も、一緒に書く」
「知ってる」
「えへへ。我儘、聞いてくれて、ありがとう」
「陽芽さんの我儘のおかげで、俺は前を向けそうだよ」
崩れてしまった地の上に、陽芽と伝え合う今が柱を立ててくれたのかもしれない。
静かな光に照らされながら、二人は背中合わせの距離で、紙に音を響かせた。
二人を繋いでいるのは文章か、それとも――。




