07 伝えること、視点はズレないように
月影は陽芽と一緒に、本や書物に囲まれた部屋――書斎に来ていた。
中央に鎮座する椅子に座る陽芽の横で、月影は寄り添うようにして見守っている。
未だにペンを持つことがままならない自分の不甲斐なさを、押し殺すようにして。
陽芽の前に広がるテーブルには、様々なペンや点字器、文字の書かれた紙が存在している。
「陽芽さんはどうしたい?」
どうしたい。その言葉には、人によって多くの言葉が含まれてしまう。
相手を助けたい、相手を導きたい、自分の思考を整理する……考えればキリがないほど、一つの言葉にしては重みが違うだろう。
そんな言葉を口にした月影は、陽芽への驚きを隠せないでいるのだが。
現在、月影は陽芽に文章を書かせている。
文章と言っても、陽芽が今思う気持ちを文字に写させているだけにすぎない。
それでも月影が驚きを隠せないのは、陽芽の書く文章が正確だからだ。
正確でありながら、点字からペンで書く文字……二つの文章を同じくしながら、綺麗に書き出している。
相手を思いやる気持ちが無ければ、同じ文章を二通りで書くなどできないだろう。
陽芽のさり気ない気遣いの優しさに、月影は驚きを隠せないのだ。
あくまで文章を書いてもらっているだけであり、それ以外の助言は一切していない。
「……書きたい」
本来なら足りない言葉だが、確かな思いが詰まっているなら審議もいらないだろう。
陽芽と居始めてから、月影は陽芽の少ない世界に詰まっている気持ちを知り始めているから。
陽芽の口から聞けた言葉に、月影は微笑みを一つこぼした。
「そう思えてもらえたのは俺も嬉しいよ」
文章。それは小説を書く上では基礎的なものであり、書くには欠かせないもの。
文章は基本が絶対に正しいわけではなく、時に崩し、時に意味を隠すように書くことが大切と言える。
それを口にせず、陽芽の思うように書かせた。
書かせた結果に得たものは、書きたい、という陽芽の口から一番聞きたかった言葉だ。
触れたいのに、触れられなかったそれを、陽芽自らが望んでくれた。
月影は口元を緩めつつも、拳をしっかりと握った。
「読んでもいいかな?」
「うん。月影に、読んでほしい」
陽芽は年齢的に幼くないのに、言葉は少ない。
それでも書かれている文章には……たくさんの世界が広がっていた。
書き終えた文章の紙を手に持ち、軽く目を通したが、驚き以外の言葉が出てこない。
陽芽が自身の気持ちに押さえ込んでいたのであれば、きっと苦しかっただろう。
共感できるのは、両親、家族、その大きな代償を含む言葉だ。
強い言葉を使えば誰だって反応する。だが、本来幸せとも取れる言葉なのに、陽芽の文章から綴られるそれは、描いた夢そのものだと察することができる。
一つだけ、月影は聞きたくなってしまった。
「陽芽さん。陽芽さんは、どのように書いたかな?」
「どのように?」
一番ずるい質問を投げかけている。
どのように。文章で言ってしまえば、何通りにも受け取れる文だ。
ペンで書いたのか、点字器で書いたのか……はたまた、気持ちをどのように込めたか、何を思い描いて書いたか、例を上げればキリがないほどに。
伝えることが欠けている文章には、本質が存在しない場合がある。だからこそ、月影は聞いてみたのだ。
陽芽の文章を読んだ月影自身、ブレない想いを文章から受け取っている。
あくまで読み手が受け取っただけである。だからこそ、筆者自身の思いを聞いているのだ。
陽芽は少し悩んだ様子を見せた。
悩んだ様子を見せこそしたが、不思議そうにしつつもゆっくりと口を開く。
「私の、思ったことを書いた」
「……それだけ、かい?」
やはり、陽芽はためらう様子をみせた。
陽芽が自分を表に出すのが苦手だと知った上で聞いたのだから、無理もない話だろう。
月影は陽芽を追いつめないように、再度、陽芽の書いた文章へと視線を落とす。
陽芽は動きで察したらしく、姿勢を正している。
「言ってしまうとね、陽芽さんの文章はとてもしっかりしているよ」
「しっかり?」
「うん。ブレが無くて、一貫している……陽芽さんの見てきた視点は何よりも強い武器なんだよ。いや、輝く宝石、とでも言っておこうか」
己の持つ意味では、武器という言葉も正しいが、この場では似合わないだろう。
不釣り合いな文だと、その時その時の雰囲気を崩しかねないのだから。
「視点がブレないのは大前提だよ。でもね、簡単そうに見えて、無意識のうちにブレてしまう人もいるんだ。だから、感じる視点を大事にしながらもブレないのは上手だよ」
お世辞を言っているわけではない。
月影自身、陽芽の文章には宝石のような輝き、漏れ出した光を見つけてしまった。
だからその光を命と言って、輝かせたいと思ってしまうのだ。
幅広い考えを巡らせたとしても、陽芽の持つ文章を見つけるのは不可能と理解しているからだろう。
「褒められる、嬉しい」
「ならよかった」
陽芽はまるで初めて褒められたかのように、すごく嬉しそうな笑みを浮かべていた。
普通の笑みならまだしも、その笑みは幼く無邪気なほどに光っている。
褒めた側とはいえ、陽芽の笑みが眩しくてむず痒さを感じそうだ。
ふと気づけば、その手は照れ隠しをするように、置いておいたマグカップに触れ、陽芽に渡していた。
「月影、ありがとう」
「まあ、適度な休憩も大事だからね」
陽芽が二通りの文章を休憩も無しに書いて、すでに三時間以上は経過している。
陽芽は手渡されたマグカップを手に持ち、口に含んでいた。
今では陽芽の些細なお世話であれば慣れたものである。
月影も軽く休憩しつつ、そっと話を進めた。
「それだけか、って尋ねたのには他にも理由があるんだよ」
「月影、イオに似て、論理者」
イオと比べられるのは困ったものであるが、小説の面では受け入れざるを得ないだろう。
「陽芽さんはきっと、どのような物語を書きたいか、明確に決まりつつあるよね」
陽芽は静かにうなずいていた。
最初に陽芽と会った頃なら、自分を隠すように、警戒しながら振舞っていただろう。
それでも今はこうして、やりたいことを自ら思うようになってくれているだけでなく、仕草で表してくれているのだ。
見えていないから……今では言い訳、とでも取れるほどに陽芽は成長している。
「その物語を誰かに届けるには、文章だけで行うためにはどうすればいいと思う?」
「だれか……。見えていないよ。だから、わからない」
陽芽は表情にほんの少し、陰りを見せた。
「見えていなくてもいいんだよ」
月影は息を吐くように言葉を口にした。
未だに羽織っている古びたコートも相まって、人によっては自分に酔っている男に見えるだろう。
「見えていなくてもいい。だけどね、その見えない先には人がいる、他人が存在していることを認識している必要があるんだよ」
「前に言っていた、伝える……他人。月影、でも、いいの?」
「もちろんだよ」
他人、という存在が読んでいるのを前提で話をしているのだ。
陽芽の身近で言えば、イオでもいい、月影でもいい、読んでくれる人がいるのを知っているのが前提である。
陽芽が認識してくれているので、伝える意味を言葉にした。
「そんな人たちがいる中で、どうしたら伝えることができるのかが大事なんだよ」
「伝える……月影が、やってくれたこと」
「そうだね。説明、教える、伝える……その三つは聞けば同じようだけど、性質が全く異なるんだよ」
三つの意味は解釈次第、人によっては様々な意見があるだろう。
それでも月影は、しっかりと分けて考えている。
説明はそれが持つ意味をただ、そのままに相手へと届ける意味だ。
教えるは、相手を学ばせること、次の世代へとバトンを受け渡していく意味だ。
伝える。それは、交流や関係、ほんの些細なことでもいい、キッカケとなる羽をもつ意味だと月影はとらえている。
三つの中で言ってしまえば、伝える、というのは相手の立場を理解していなければ成り立たないので、とても難しいと言えるだろう。
説明や教えるに関しては、言ってしまえば言葉や文字にすれば終わりなのだから。
「でもね、俺は陽芽さんが伝えることを文章で表せるって思っているんだ。俺がここで助言してしまえばそれまでだけど、きっと陽芽さんは自分で何を、相手に伝えたいのか考えられるはずだよ」
月影自身、言葉が足りていないのは自覚している。
とはいえ、言葉足らずなだけではない。何も教えるだけが正解ではなく、自分で考えて行動して答えを探すのも大切だと……ある意味では、伝えることを隠喩しているからだろう。
ふと気づけば、陽芽は月影の方をじっと見てから、うなずいた。
「頑張ってみる」
「うん。陽芽さんならできるよ、絶対に」
陽芽の伝える力がなければ、月影はこうして陽芽に小説を書くように勧めなかっただろう。
陽芽は気づいていないが、その体では大きすぎるほどに綺麗な宝石を持った逸材だ。
少し気を抜いたのもあり、ほっとしたように月影は息を吐き出した。
その時、小さな手が軽く月影の服を掴んでいる。
小さな手で、頑張って離さないように掴んで、静かに見上げてくるのだ。
その瞳は未だに開く前兆がないのに、眩しさを感じさせてくる。
幼くも、無邪気なその顔は、月影にとって一番効くのだ。
「今を伝えたい、だから、努力してみる」
「……陽芽さんは、十分に頑張ってるよ」
「えへへ、月影に、頭撫でてもらってる」
この日、月影は初めて、陽芽の頭をその手の平で触れていた。
「本当に頑張るのは――俺の方だよ」
陽芽の甘い微笑みに、口から出した言葉は宙に舞っていた。




