06 聞いたことよりも、学びを得る大切さ
陽芽に文章を……想像したものを自由に書く、ということを課して数日が経った頃。
月影は、陽芽とイオと一緒にキッチンに立っていた。
キッチンのあるその部屋は設備が充実しており、むしろ足りないものが不明な方だ。
「陽芽様、月影さん、準備は整っております」
とイオは言って、調理器具や材料の置かれたテーブルを見せるように横に移動している。
ボウルに泡立て器、卵や牛乳、グラニュー糖など、必要なものが一式揃えられている。
中には本格的な機器が存在しているのもあり、月影は困惑を隠せなかった。
ふと気づけば、イオは手慣れたように、陽芽にエプロンを着せている。
陽芽が見えていないから身の回りのお世話を困らない程度にしているようで、イオの優しさが今の陽芽を形づけているのかもしれない。
「月影さん、普段よりも嬉しそうですね」
「イオ、そうなの?」
「そうですよ、陽芽様」
「そう言われると、むず痒いかな」
月影は実際、嬉しくない理由がないのだ。
このキッチンに立っている理由が、陽芽の要望であるのだから。
珍しいことに陽芽の方から、料理をしてみたい、と申し出があったのだ。
願ってもいないことであり、月影にとって幸せの一つだった。
イオに聞いていた陽芽の様子だと、見えていない、見ないようにしているからこそ、物事に自分から興味を持つことがなかったらしい。
陽芽が自分から物事に興味を持ったのもあるが、やりたい、と陽芽の思ったことを一緒にできるのなら光栄だろう。
月影自身、最初にイオではなく、自分に言われたのは驚きこそあった。だけど、こうしてイオと、陽芽の三人でキッチンに立っている。
陽芽に告げ口をされたので頬は熱を覚えこそしているが、嬉しいものは嬉しいのだ。
「陽芽さんのおかげだよ」
「私、月影を笑顔にできてるの?」
「ええ、十分に出来ていますよ。陽芽様」
「えへへ。イオも、嬉しい?」
「とても嬉しいですよ。陽芽様が自ら、こうして物事に取り組んでくださるのですから」
「……月影と、イオの、おかげ……」
陽芽は恥ずかしそうにぼそぼそと言うものだから、少し距離を取っていた月影はうまく聞き取れなかった。
首をかしげると、イオが微笑んでいる。
月影はこれ以上熱を帯びる前に、目の前の光景に再度意識を割いた。
「えっと、陽芽さんはプリンを作りたいでいいんだよね?」
「うん」
改めて確認すれば、陽芽は嬉しそうにうなずいた。
イオは陽芽の髪の毛をさり気なく整えてから、月影の耳元に囁きを一つ落としてくる。
「手筈は全て整えてあります。私がやり方を教えますので……月影さんが、陽芽様に伝えていただいてもよろしいでしょうか?」
「俺の考え、読んでる?」
イオの察する力に、さすがに月影は動揺を隠せなかった。
ただ口元を緩ませたように見てくるイオの考えを理解するのは、不可能に近いだろう。
月影自身、驚きこそある。だが、陽芽のやる気を無下にしないように、やり通したい決意は同じだ。
月影は料理に関しては疎いが、幸い教えさえあれば器用にこなせる実力が備わっている。
「深入りは無謀、って感じかな」
「話が早いようで」
「月影、イオと何を話しているの?」
「あ、ごめん。待たせていたよね、今から作ろうか」
「うん」
陽芽が楽しそうにうなずくものだから、月影も楽しみが増えるというものだ。
陽芽の感情がよく表に出るようになったのと同じく、月影もまた人間らしく、自分らしく成長している。だからこそ、陽芽のやる気に鼓舞されているのだろう。
「では、始めていきましょうか」
「はい」
「陽芽さん、手に触れるからね」
「うん。月影なら、いいよ」
最初の頃の警戒は見る影もなく、そこには重ねられる手を受け入れる陽芽の姿があった。
それからと言うもの、月影は陽芽をエスコートするように、卵を一緒に割ったり、ボウルにグラニュー糖を入れて卵と混ぜたりをした。
一人でやるのではなく、二人で一つをやっているから不器用さこそあるが、着実に形へと持っていけているのだ。
綺麗に卵が割れていること、よく混ざっていること、それらを陽芽に伝える度に、陽芽は月影の顔がある斜め後ろを見ては笑みを浮かべている。
慣れてしまうと忘れてしまう、初心の大切さを思いだす……それほどまでに、陽芽の無邪気さが眩しかった。
キッチンに差し込む白い光が、一緒にプリン作りに挑戦する月影と陽芽の輪郭を、見守るように柔く照らしている。
しばらくして目の前のテーブルに、専用の容器の中で出来上がった、甘く広がる優しい色合いを持ったプリンが時を待っていた。
月影は陽芽と合い向かいになるように椅子に座り、お互いの前に置かれたプリンへと視線を向ける。
本来なら、冷えて出来上がったプリンをすぐさま陽芽と食べたいところだ。だけど月影は欲を抑えて、自分のエゴが動くままに口を開いた。
「作ってみて、どうだった?」
陽芽は驚いたように、月影の方を見ている。
その間に静かに立っているイオは、ただ微笑ましそうに俯瞰しているだけだ。
作った。というのはこの場にいる誰しもが理解しているが、陽芽に聞きたいのはそうではない。
陽芽が何を感じ、どう思ったのか……体験したことでしか知りえないものを、月影は尋ねてみたのだ。
「……楽しかった。目で見てないのに、触れて、動いて、楽しかった」
「そっか、よかったよ」
陽芽に多くを教える必要はなかったのだろう。
陽芽は不安定でこそあるが、その答えを持っており、宝石を確かに持っているのだから。
――自分にしか持ちえないもの。
傍からすれば、それは宝石のようで、その人しか持ちえない孤高の刃だ。
「陽芽さん、少しだけ助言をしておこうか」
「うん」
「その楽しかった、っていうのを具体的に書けるようになれば、文章の中にリアリティを含ませることができるようになるよ」
「……リアリティは、大事?」
「絶対、ではないね」
「絶対じゃない?」
「そうだよ。リアリティがあれば共感は得やすいけど、食べやすくするのは難しくなる。だけど、その文章すらも磨けると、って陽芽さんになら思ってしまうんだ」
期待を向けこそしたが、陽芽はどこか嬉しそうだった。
月影自身、未だにペンをまともに持てない。それでも、自分の失敗や成功を伝えるために、こうして陽芽を文章から描く世界に導いたのだ。
聞いただけよりも……自分で経験したこと、学んだことは、何にも代えられない貴重な一ページだろう。
「月影、嫌いじゃない」
「それはどうも」
「だから、もっと、月影、教えて」
ほんわかとした笑みを浮かべながら陽芽が言うものだから、思わぬ息は喉を焼くようだった。
目を軽く逸らせば、イオと目が合って微笑ましい視線を向けられるものだから、気持ちの逃げ道はないに等しいのだろう。
そしてさり気なくイオが手で合図を送ってくるので、月影は席を立ちあがった。
陽芽が小首をかしげている中、月影はゆっくりと横に立つ。
「陽芽さん、いつだって教えるよ。でも、その前に今は作ったプリンを食べようか」
「うん。月影、食べさせてくれる?」
「わかってて言ってるなら、小さな妖精さんだよ」
陽芽の目の前に置かれていたスプーンを手に取り、容器を手に持ってプリンを掬う。
ゆっくりと小さな口を開けている陽芽に、プリンが載ったスプーンを運ぶ。
ぱくっ、と口が閉じられると、するりとスプーンは抜けた。
陽芽は上品に咀嚼してから、まったりとした柔らかな笑顔をこぼしている。
差し込む光よりも眩しい笑みは、一緒に作った月影に刺さるものがあるのだ。
「おいしい」
「……なんだか、俺も口の中が甘いような……」
「ふふっ、あらあら」
「月影も、食べる、っん。……イオ?」
イオが謎に微笑んだのもあるが……見えなくても大事なものがあるのだと、月影は改めて気づかされた。
逸らしていれば気づけなかった、それに。




