04 文字の壁を超えて伝える相手がいる
陽芽が小さな夢を持ってくれたのもあり、月影は自分の持っている知識をまとめつつ教えることにした。
いわば創作論を教えるようなものだろう。
創作論であるが、理想だけを述べる感想ではなく、しっかりと伝えるものだ。
「陽芽さん、まずは何を書いてみたい、とかあったりする?」
「……決まってない」
「そうだよね。いきなり聞かれても困るよね」
「月影は、寄り添ってくれる」
「うん。俺は、陽芽さんがちゃんと書けるまで見守っているから。手だって、差し伸べるから」
月影は自然と陽芽の小さな手を握り、ゆっくりと陽芽の顔の位置まで持ち上げていた。
心こそ完全には開いていないかもしれない。だが、離したくない、と言わんばかりに小さな手には力が入っている。
(……さて、どう教えたものか)
イオから聞いた情報にはなるが、陽芽はかつて飛び級したこともあり、世間では天才少女と呼ばれていたらしい。
しかし世間の知らぬうちに、少女の名前は時に忘れられ、いつの日か暗闇に自分を置いてきてしまったようだ。
イオから聞いただけにすぎないが、少女――陽芽自身がどうして瞳を閉ざすことになったのか、それを知る機会が来ることはあるのだろうか。
それよりも大事なのは、陽芽が天才であるということだ。
天才や才能……自身の持つ本当の実力を知らないからこそ、突然の隙間で落ちてしまう可能性だってある。
だからこそ月影は、陽芽が慢心しないように教える、伝えていく決断をした。
「少しずつでも書いて、肌に合うジャンルや、作品の感覚を掴んでいくのもいいかもしれないね」
「……月影が、決めてもいいよ」
謙虚に自分の意見を吞み込んでしまっている陽芽に、月影は自然と腰を下ろしていた。
陽芽は月影の位置、自分の手が下がって気づいたのか、見上げるように月影の方を向いている。
陽芽はきっと自分の世界を認めていない、否定しているのかもしれない。
微かに震えた声が耳を撫でたから、月影はただ自然と首を振っていた。
「それは良くない。作品、それは自分で決めてこそ完成するものだし、頼ったものに百の完成はないからね」
「でも、私、月影に頼ってる」
「――物は言いようだよ。俺はあくまで、文章を書ききれるまでの方法しか伝えるつもりはない。基礎は紡がれてきたもの一部であって、自分らしさを足すことで作品はその人にしかないオリジナルになるんだよ。たとえ人工知能を使ったとしたら、それは共同制作みたいなものだからね」
作品を読むのは読み手だ。
その読み手が何を求めているのか、伝えてほしいのか、それを汲み取ることだって読まれることには必要な武器になる。
陽芽には、伝える相手がいる大切な志を理解してもらいたいと思っている。
書きたいものを決めるのも重要だが、基礎を固めてからでも遅くはないだろう。
基礎のある引き出しの多さは、想像力の広さを意味するのだから。
月影はただ陽芽に、小説、文章を好きになってほしいのだ。
「答えや知恵だけを渡す真似はしない。一緒にしっかりと、書けるようにしてみようか」
「月影……うん」
陽芽は無邪気に微笑み、うなずいた。
陽芽は自室の椅子に座っていて、光に照らされてお嬢様らしさはあるのに、結局は無邪気な子どもだろう。
「確認になるけど、文字を書いたり、点字を書いたりは――」
「失礼します。月影さん、ご安心を。すでに点字器の準備、陽芽様が文字を書けるのは確認済みでございます」
「い、イオさん!?」
ノックをされると同時に、イオが姿を見せた。
点字を打ったり、文字を書いたりするための道具が一式揃えられ、カートに載って運ばれてきたのだ。
そんなイオの様子に、呆れたため息が一つこぼされる。
「イオ、月影を怖がらせないで」
「申し訳ございません、陽芽様。これも使用人の仕事の一つですので悪しからず」
イオは淡々としているが、できる仕事人というものだろう。
バケモノメイドの本性を見た可能性を呑み込んで、月影は溜まった息を吐きだした。
ふと気づけば、イオは音も立てずに月影との間合いを詰めている。
そして囁くように、そっと口を開く。
「月影さん、教えるのはいいですが……陽芽様は目を開きませんよ。彼女に、どう具体的に教えるつもりでしょうか?」
「大丈夫。俺に任せてもらえないかな」
「左様ですか。私は知っていますし、心配はありませんので」
イオの『知っている』は恐らく月影のことを指しているのだろう。
指しているかもしれないが、今は首をかしげて待っている陽芽に着目した。
話の前に、基礎を伝えるのは当然だ。
基礎の中に唯一、彼女が知らない、人がいることを伝えるための方法が存在しているから。
「陽芽さん、バルコニーに出てみようか」
「うん」
陽芽は嬉しそうだった。
本に囲まれている部屋とはいえ、彼女の見えていない世界に答えはないからなのだろう。
陽芽の部屋が屋敷の二階に位置していたのもあって、正面窓の隣にバルコニーに出るドアはある。
陽芽の体が冷えないように気を付けながら、月影は陽芽の手を取ってバルコニーに出た。
バルコニーに出れば、陽芽と散歩した庭の全貌が視界いっぱいに広がっている。
地平線に遮られこそしているが、一日で行ける範囲だけを見れば、十二分な広さを有しているのだろう。
「太陽光の降り注ぐ庭、陽芽さんと遊んだ井戸や、一緒に歩いた小道や川沿いが輝いて見えるよ」
「小道、木があった場所。川沿い、小さなお花さんが咲いていた場所」
「うん。そうだね」
陽芽とバルコニーの柵に近づき、広がる世界を体で感じる。
陽芽は閉ざした世界の答えを知っている。だからこそ、見ていない世界にある答えを気づかせたいと思ったのだ。
月影の予想通りであれば、陽芽の持つ想像力は常人よりも優れている。
ぼんやりとしていた想像が埋まるパズルのように形になって、明快で分かりやすいものになるように。
だけどそれだけでは仇になって、本質を忘れかねないのだ。
「陽芽さんが今描いた想像は、確かに凄いと思うよ」
「え……月影、わかるの?」
「そうかも。だけど、その想像だけに捕らわれると、文章で伝えるべき相手のことを忘れかねないんだ」
「……相手……っ」
陽芽は、はっとしたように軽くうなずいた。
文章を一人で書く『だけ』なら、気にする必要はないだろう。
だが陽芽に書いてもらう文章は、人目に触れるものになる宝石の輝きを秘めている。
自分の中でどれだけ想像できていたとしても、それを文章にして伝える相手がいることを疎かにしていれば、伝わるものも伝わらなくなってしまうのだ。
さり気なく、近くで見守っているイオから悪意の籠った視線を飛ばされているが、仕方ないものだろう。
イオは陽芽を守るために遠ざけていたかもしれないが、月影は敢えて踏み入ることにしたのだから。
ふと気づけば、古びたコートの裾を小さな手がぎゅっと握ってきている。
瞳を瞑っているのに、その見上げてくる表情は不安の積もった暗いものだと理解できた。
「世界を……見ないといけないの……」
その声は震えていた。
怖い、不安、暗い感情そのものを吐き出しているように。
陽芽は恐らくだが、幼い頃に瞳を閉ざした理由が身近にあったのだろう。
幼い頃ともなれば月影も共感できるものはあり、無理をさせたくない気持ちはある。
それでも自分が壊れないように、また一歩を進める日が来るのなら、夢を見た今が後押しになってほしいのだ。
言ってしまえば……自転車に乗れない幼い子が、どうしたら、自転車に乗れるようになるのか。
「何度でも言うけど、無理に見る必要はないよ。自分が見たくなったなら、その瞼をあげて見ればいいんだから」
「月影……」
「誰かが言って治るなら苦労はないし、いずれは操り人形のように従って自分を無くすからね」
自分で考え、伝えて、答えを見つける。それを失ってしまった文章に、心は存在しない。
本気になるから、悔しがれるし、後悔だってする。だけど、それ以上に学べることや、嬉しさや楽しさ、まだ見ぬワクワクだって眠っているのだから。
横から差し込む光の柱が、そっと月影を照らした。
見えていない陽芽の中でも、希望のように輝いて見えるほどに。
「最後に決めたのは自分だ、って言えるようになるのが実際はいいよ。そうすれば、悪意ある声や、受け取るべき答えの声を判別できるからね」
「月影は強い」
「強くないよ。ただ、陽芽さんよりも長く生きているから、自然と身についただけさ」
月影は話を戻すように、息を吸った。
「そうだな。……仮に、自分たちが物語の人物だとしたら、読むべき人に何を伝えたいのか考えてみてほしいな」
「……月影の、創作論みたい」
「難しい言葉、よく知ってるね」
「えへへ」
先ほどまで暗かったのが嘘のように、陽芽は笑みを浮かべた。
創作論はその人の持つ、創作における基礎みたいなものだ。
それを陽芽が察しているのも、何かの縁だと月影は受け取っておいた。
「文章を説明にするだけじゃ伝わらない。そして今、陽芽さんに届いたように……それが、伝えたい相手のもとに届いていることになるんだよ」
「伝えたい相手。……伝えたい、相手」
陽芽は何を思ったのか、言葉を反復してから、うっすらと笑みを浮かべた。
お互いに笑みを浮かべる回数が増えたのもあって、会話に花が咲くのは嬉しいものだろう。
「陽芽さんはとても立派だよ。でも、慢心は駄目だからね」
「うん」
「よかった。それじゃあ、書きたいものが決まってきたら……独りよがりの先にある、想像力の話を次はしようか」
「想像」
「陽芽さんは既に高い質はあるけど、微塵の隙もないほどに仕上げたいからね」
「月影、優しい」
「……照れるな」
優しい、その言葉を嫌がるのは、偽善している時だけだった。
(世界が、眩しいな)
想像に重ねるものの話をできたらな、と隣で楽しそうにバルコニーから庭の方を見ている陽芽を見ながら、月影は思うのだった。




