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02 会話は自然的にするべし

 イオがその場を去ってから、沈黙が続いていた。

 陽芽はやはりというか、月影を警戒しているようで、座っている椅子から立ち上がる仕草も見せずに、ただ凛としている。


 月影はそんな陽芽を見ながら、陽芽の近くに……床にありがたく座らせてもらっているのだが。


(……気まずい。何か、キッカケは)


 陽芽と居ることには問題ないのだ。


 月影自身、人と居る時間が二十代に入る前からなくなっていたのもあり、人の温かさをしみじみと感じているのもあるだろう。

 とはいえ会話をしていない今は、流石に気まずさが込み上げてくるものだ。


 気配りをしてなのか、少し前にイオがドアの隙間からメモの書かれた紙を流してくれていた。


 陽芽は年齢的に高校一年生のようで、瞳を閉じてから通信教育、イオの家庭教師で勉強を補っているタイプらしい。

 好きなもの等に関しては一切書かれていなかったが、思考を蜘蛛の巣にように巡らせることができる月影にとっては、一つの輝く石を拾ったのも同然である。


「……陽芽さん、本、好きなの?」


 初対面の会話、ともなればコミュニケーションから図るべきだろう。

 会話をするにしても、まずは相手の好きなもの、もしくは気になるもので注意を惹くのが効果的である。


 その中で月影は、陽芽の部屋にあった本棚に目を付けたのだ。


 陽芽の部屋には迷うことなく、星の数ほど本が置かれている。


 遠目からではあるがタイトルだけを見たところ、点字、普通の文字、外の文字など、文字に関するものは全て滞在していると言ってもいい。


 陽芽の趣味ではなく、親の趣味で置かれているのであれば失言になりかねない。とはいえ、賭けだからこそ月影は自信があったのだ。

 無謀な賭けとは違う、確かな意味のある答え。


「うん」


 陽芽は喉を鳴らすように、うなずいた。


 声を出さないのを見るに警戒されているのは言わずもがな、姿勢を崩すつもりはないようだ。

 警戒されるのは仕方ないが、会話をしたい月影としては少々困るものでもある。


 ゆったりと揺れる茶髪の前髪、陽芽の仕草を視界に伝えてくれるのは救いだろう。

 陽芽が瞳を閉じているからこそ、些細な仕草にも目を配れば、理解できるものだってある。


 ふと月影は思っておきながら、改めて陽芽をしっかりと見た。

 艶めきのある茶髪のロングヘアーからなる、後ろ髪の編み込み。

 整えられたまつ毛に、もっちりとしていそうな頬。


(もしかして、イオさんが今までは話し相手だったけど、それ以外は……)


 陽芽を見たところで、と思うかもしれない。

 だが月影にとっては些細なその情報が、気を配るための世界を広げていく。

 最初の話から考えて、陽芽はイオと居る時も瞳を閉じているのだろう。


 そして陽芽の容姿を気遣ってくれているのは紛れもなくイオだ。


 イオが居ない時、つまりは彼女が仕事をしている際は何をして陽芽が過ごしていたかで考えるべきだったのだろう。


 質問を変えるために、月影はそっと息を吸った。


「触れることは、好き?」


 陽芽は反応するように、口角を柔く上げた。

 まるで天使と勘違いしそうになるほどに、その微笑みは白い優しさに包まれている。


 軽く小首をかしげるようにうなずくのもあって、好きである、と体で表現してくれているのだ。


「それは、本だから?」

「うん。でも、小説がいい」


 陽芽は本の中でも、小説が好きなようだ。

 予想通りといえばいいのか、陽芽は月影と似て、触れることへの好奇心はあると踏み切っていいだろう。


 少しでも陽芽との会話を切り開けたのは進歩である。


 会話を自然にしようとするからこそ難しい。だが、相手と自分の落ちどころを探して、会話へと持っていくのも自然的と言えるだろう。


「小説は、好き。……月影は、馬鹿にしない?」


 陽芽は何かを恐れているのだろう。

 月影が陽芽のそれを知るには程遠い位置にいるとしても、否定をするのはあり得ないと断言できる。

 否定ばかりをして、窮屈な世界ほど退屈なものはないと知っているおかげだろう。


「馬鹿にする理由はないよ」

「よかった」


 柔く笑みを浮かべてくれる陽芽は、少しずつだが、それでいて確実に言葉を口にしてくれている。


 人は誰しも、自分の好きを話せるのなら、口にしたいものだろう。

 相手に知ってほしい、少しでも自分を知ってもらいたい……そんなエゴを、人間誰しも少なからず持っているものだから。


 陽芽はまだ心を開いていないかもしれないが、少しだけ踏み切ってみた。


「あのさ、答えたくなかったら答えなくていいんだ。陽芽さんは、どうして本に触れるのが好きなの?」

「えっと、それは……」


 陽芽は困った様子を見せている。

 視線をそらすようにうつむいては、月影の方をちらちらと覗き込んでいた。

 陽芽の暗闇に映っているものは不明だが、月影の存在を認識しているのだろう。


 より存在を認識してもらいたい、というのは欲張りだと月影はよく理解していた。なのに、陽芽に自己紹介をするように、気づけば口にしていたのだ。


「……俺は本から、いや、訳あって小説から離れているんだ」

「どうして、それを話すの?」

「どうしてなのかな。陽芽さんに、俺を知ってもらいたい、って思ったからじゃないかな」


 自分勝手なのは承知の上だ。

 月影自身、相手を知るために、まずは自分をあらわにする選択をとったに過ぎない。

 その選択が今後の道を変えるものだとすれば、道のなかった場所に道ができるものだろう。


「本音を言えば、自分が離れているから、小説を好きだという陽芽さんが気になったにすぎないよ」

「そうなの? 変な人」


 微笑みを浮かべるだけで、陽芽は『感情』の素振りを一切見せていない。


 とはいえ、陽芽の中で「きもい」から「変な人」に進化を遂げたと思えば安いものだろう。


 答えたくなければそれでいい、と思っていた時だった。


「……私は、書かれている文字を、読めない」


 優しく染み渡る声色が月影の耳を撫でる。


「だけど、だけど……触れて得る文字、聞く言葉、イオの読み聞かせが好き」

「読み聞かせ?」

「うん。イオはね、私が読めない、感じられる文字のある小説をよく読んでくれるの」

「優しい人なんだね」

「イオは優しいよ」


 陽芽の言葉から察するに、陽芽は感覚で書かれている文字……点字以外の文字も読めているのだろう。

 一種の才能と呼べそうだが、ぼんやりと視界の隙間から文字が見えていたりするのかもしれない。


 そしてイオが読んでくれることで、ぼやけていた世界は空想から、確信へと変わっているのかもしれない。


 優しい。その言葉に、何度も救われた人もいれば、安心した人もいて、怯えた生きる意味に答えをくれたのかもしれない。


 そんな人がいてくれたなら、と月影は思いかけたが、そっと首を振った。

 首を振ったところで、彼女には見えていないから……。


 月影の少し変わった様子を察してか、陽芽が息を飲み込んだ様子を見せたが、月影はついぞ気づかなかった。


「きっと、陽芽さんの中に届くその声が、見えない世界を広げてくれて……光が灯されていくんだろうね」

「……月影は、馬鹿にしないの?」

「何度も言わせないでもらおうかな。俺は相手を馬鹿にしないし、否定もしない。間違いを正すことをしても、その人がその人らしくあることを否定したら、後には何も残らないからね」

「……大人」


 月影は自然と息を飲み込んでいた。

 見ていた陽芽の表情に、柔らかな光がこぼれた気がしたからだ。

 実際、陽芽は微笑みをこぼしていただろう。


(俺は大人になれなかった、夢を諦めた人間なんだけどな)


 大人という言葉に、月影は嫌気を覚えていた。それでも、陽芽から言われた言葉には、少なからず幸せを覚えた。


 見惚れたり、言葉が続かなかったりしたせいか、陽芽は首をかしげている。

 言葉を選ぶように、月影は軽く喉を鳴らした。


 息を吸ってから、思い切って聞いてみたくなったのだ。


「陽芽さんは、その手で本を書いてみたい?」


 陽芽は考える素振りこそしたが、静かに首を振った。

 明らかに避けるような前ぶりがあったからこそ、深入りしてはいけない領域だと察することができる。


 とはいえ会話を進めたいのもあって、違う観点で聞いてみた。

 読み聞かせという、彼女が好きだと答えてくれた意味があるから。


「そっか。それじゃあ、触れること――すなわち、想像することは好き?」

「うん。好き」


 短い言葉なのに、頬を緩ませながらうなずく陽芽は楽しそうだった。

 太ももの上に重ねていた小さな手が動いて、自然と胸元で両手を重ねているのだから。


 陽芽の答えに、月影も思わず頬を緩ませた。


(俺は、陽芽さんに重ねてるだけだよな……夢を)


 夢。大きなものは過去に全て捨てて、目を逸らしてしまったはずだ。

 逸らしていたのに、陽芽に夢を持たせたいと、どうしても思ってしまった。


 夢をもたせてほしい、とイオに頼まれたからではなく、月影自身の気持ちが前に出ているからだ。


 月影がそっと背伸びをすれば、陽芽がピクリと震えた。

 やはりというか、未だに警戒はしているのだろう。


 陽芽に手を出す気がないと、月影がいくら思ったとしても、年齢が離れている……ましてや異性であるのだから仕方ないのかもしれない。


「陽芽さん、ずっと部屋にいてもあれだし、気晴らしに外に出る?」


 想像することが好きであるのならば、感じたことを伝えれば彼女はより外の世界に興味を示してくれるだろう。

 そして、夢を持つキッカケがあるかもしれない。


「外に、出てもいいの?」

「……怖い?」

「怖くない。私、子どもじゃない」

「強がらなくてもいいからね」

「強がりじゃない」


 少しずつでも会話をしてくれる陽芽に嬉しさを覚えるあたり、月影も生きていてよかったと実感できるものだ。

 陽芽がうなずいたのを見てから、月影はしっかりと立ち上がった。


 外の世界……陽芽の見えない世界に答えがある、それを一緒に探すために。

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