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01 始まりの鐘は鳴る

「……ここは」


 小さな鐘の音が耳を撫でる中、月影(つきかげ)は目を覚ました。

 久しぶりのベッドの感触に、まどろみの離れない意識。


「おはようございます。お目覚めでしょうか? 身支度の準備をお願いします」

「……準備? そうか」


 くっきりと形を捉え始めた月影の視界に、女性の姿が入り込んでくる。


 穏やかながらも、赤みを帯びた茶色の瞳に、銀髪ショートの彼女――イオ。

 メイド姿の彼女に、ある用件でこの屋敷に誘われたことを月影は思い出した。


(……とりあえず着替えよう)

「話が早いようで助かります」


 彼女の本名は不明だ。それでも、恩があることに変わりはない。

 月影はベッドから降りて、窓から明かりが差し込む中、身支度した上から古びたコートを羽織った。


 着替えを終えてから、イオを先頭に月影は別の部屋に案内されている。


 幾千も続く、先の見えない廊下。

 昨日から無償で住まわせてもらえるようになったとはいえ、改めて見ても驚きしかないものだ。


 イオは通ってきたドアとは違う、花の模様が彫られた木製ドアの前で立ち止まった。


「失礼します。イオです。お会いさせたい方をお連れいたしました」


 イオは丁寧な口調で述べて、そっとドアを開けた。


 ドアが開けられた瞬間、思わず月影は息を飲み込んだ。

 覗く部屋から見える、窓辺付近の椅子に座る少女に。


 背にした窓から差し込む光は、艶のある長い茶髪を優しく照らしている。

 後ろで結ばれている編み込みヘアーが、そっと揺れる髪の隙間から姿をみせていた。


 整った目鼻立ちに、柔らかいお餅のような白い肌。


 そして特徴的な――世界を見ない、閉ざした瞳。おっとりとしているのに、どこか幼いまま、そんな印象を直感に与えてくるのだ。


 またキャロルのような落ちついた上品な服装が、お嬢様だと思わせるのにも関わらず、少女の今とは正反対の世界を見せてくる。


 見惚れることが久しくなかったが、知らずと瞳を閉ざしている少女を凝視していた。


 ――瞼を閉じている。それは故意的なものだと、ふと月影は感じた。


 イオに押されて部屋に入れば、閉じられるドアが音を立てた。


陽芽(ひめ)様、ここは私がご紹介させていただきます」


 イオから『陽芽』と呼ばれた少女は、静かにうなずいた。

 外見ばかりに見惚れていて気付かなかったが、陽芽と呼ばれた子は低身長でこそあるものの、雰囲気的には高校生くらいの年齢だろう。


「月影さん、彼女は綾野(あやの)陽芽(ひめ)と言います。この屋敷に住まう娘様であり……今は目を閉ざしておりますが、根は良い子なお方でございます」

「……イオ」


 陽芽は不服だったのか、嫌々そうに彼女の名前を呼んだ。

 一般的に考えれば初対面の相手に対して、彼女の現状を間接的にも伝えたのだから不満の一つもあるだろう。


 表情一つ変えないイオを理解しているのか、陽芽は呆れともとれる不服そうな表情を浮かばせている。


 陽芽は目を閉ざしたままだが、月影の方をしっかりと見てきた。


「……ご紹介にあずかりました、綾野陽芽です」

「俺は月影と言います、よろしくお願いします」

「……月影」


 陽芽は何か思うことがあるのか、ぼそっと呟いた。

 月影自身、唐突なことに気後れしているのもあり、イオを含めて陽芽の受け応えに動揺を隠せないでいる。


 表情にこそ出さないが、動揺はしているのだ。


 ふと気づけばイオが陽芽の横に凛と立っていた。

 知らぬ様子で、イオはゆっくりと口を開く。


「月影さんには、今日から陽芽様のお相手をしていただきたいのです」

「えっ!? 俺がこの子の相手?」

「――イオ、私は聞いてない」


 月影の動揺をよそに、怒り混じりの声を上げたのは陽芽だ。

 陽芽もイオの発言を知らなかったのか、イオの方を見ては真剣な気持ちを向けている。


 イオは陽芽の視線まで腰を下げ、その小さな手を優しく包んでいた。


「陽芽様。私自身の仕事のせいで、陽芽様をどうしても一人にしている時間が多かったのですよ」

「……私は、イオが近くにいてくれれば」


 月影はふと理解した。


 陽芽が幼いながらも凛とした様子でいたのは、イオのおかげなのだと。

 イオからここまで来る際に聞いたが、本来の家主……陽芽の両親は訳あって別居しているらしく、月影が来るまでは二人で過ごしていたらしい。


 イオの考えは不明だが、恐らく陽芽の寂しい時間を埋めさせる予定で誘ったのではないだろうか。


 月影が考えていた時、濁された言葉は宙に舞った。


「陽芽様、初めてお会いした方に対しても失礼を承知で申させていただきますが……月影さんはきっと、陽芽様が今を、歩むべき道と向き合える真摯な方であることは必然であります」


 月影はイオの言葉に、目を見開いた。

 初めて聞いた言葉ならまだしも……月影自身、少なからずその言葉に覚えがあったのだから。


 月影が困惑している中、陽芽も不意を突かれているようだ。


 イオは柔く包み込んでいた陽芽の手を放し、ゆっくりと月影の方に振り向く。

 ごく自然な動作でありながら、水面に舞い落ちた花びらのように波紋を広がらせるイオを、この先見ることがない存在だと月影は認識した。


 認識という、そんな一途な人間性に触れる裏返しなのかもしれない。


「そして月影さん。私ができなかった、陽芽様の遊び相手……夢になってあげてほしいのですよ」

「俺が、この子の夢……?」


 月影はそっと表情を曇らせた。

 夢。そんな大層な存在に、自分自身がなれるはずないと、幼いころに知ってしまっているから。


 不完全で、途切れてしまった、焼き焦げた写真の断片があるように。


 それでも内から湧き上がる想いに、初めての意思で挨拶をするべきなのではないかと悟っているのも事実だ。


 勘違いでもいい。

 間違っていてもいい。


 過去からの泣き声が花になる日が来るのなら、託してみたいと、変わりつつある何かが芽生えそうになっていたから。


 月影自身、錆びてしまったナイフこそあるが、その手に持つ武器はあるのだ。


 イオの言葉に、夢を重ねられてしまった自分に、月影はぎゅっと拳を握りしめた。


「どうして、無言で、近寄るの……」


 陽芽はゆっくりと歩む月影を感じてか、おどおどした様子で喉を鳴らしている。

 お人形のように凛としているにも関わらず、陽芽は何かを見ないようにしているのか、その瞳を開けようとしない。

 それは彼女が、陽芽がまぎれもなく人の意思を持った証だろう。


 人間誰しも、嫌なものからは目を逸らしたくなるものだ。


「綾野さ――」

「……いやだ」

「え?」


 陽芽は月影を嫌っているのか、名字で呼んだ瞬間拒絶した。


 初対面とはいえ、引かれるのは心身に来るものだろう。


 口元を手で隠しながら横目で見てくるイオは、明らかに知っている様子を見せている。

 陽芽は静かに、近づいた月影を見上げた。見上げた、というよりも、声の鳴る方に目線を合わせたが正しいだろう。


 たとえ暗闇であっても、聞こえる声は愛情と言えるのだから。


「名字は、いや」

「そう、なんだね」

「うん。だから、陽芽、名前がいい」


 この子は我儘な子だ、と月影は思ったが口にはせず、そっと受け止めるだけにした。

 名前で呼ぶ……偽名を使っている月影が言えた口ではないが、縮まる距離があると言えるだろう。


 月影は初めて微笑みをこぼしてから、視界に陽芽を限りなく入れる。


「改めて、陽芽さん。俺は月影……イオさんの為ってわけじゃないが、この後から、俺は君を知りたいんだ。よろしく」

「……私を、知りたい……」


 そっとうなずいておく。

 月影は、昨日イオに連れてこられた……拾われたばかりだ。だが、陽芽に似たものを感じたからこそ、自分なら救えると悟ったのかもしれない。


「私は――」


 陽芽はどこか息が詰まったように、声を押し殺している。

 押し殺している葛藤なのか、はたまた寂しさからくるものなのかは不明だ。だけど今の月影の気持ちは、ただ陽芽を知るために、受け止めることを意識している。


 うん、と声を柔く出せば、陽芽は両手を重ねるようにして太ももに置いた。


「陽芽。私の名前。でも、世界見たくない」

「答えたくないなら答えなくてもいいんだけど、それが瞳を閉ざしている理由?」

「理由じゃない。でも、見たくない」

「うん。なら、今はそれでいいと思うよ。瞳を開けたくなったら、開けてみればいい。でもこれだけは言える、故意に閉ざした世界に答えはないよ」

「……なんか、きもい」


 何気に辛辣な陽芽に、月影は苦笑した。

 きもい、という最低な印象こそ持たれた可能性はあるが、月影の考えが変わることはないと言える。


 裏を返せば、その人を知らないからこそ『きもい』という印象を感じるわけであり、共に過ごす、共にいる時間が増えれば見えないものが見えてくるのだから。


 他人という誰かに逐一否定感情を抱いて生きづらい生活を送るよりも、明日を見る今の時間が幸せと思えるべきだ。


 月影は陽芽の言葉を受け止め、陽芽との今後の付き合い方を考える。そんな、今が楽しいのかもしれない、と心が鳴っているのだ。


 ふと気づけば、イオが陽芽の横にもう一度立ち、軽く咳払いをした。


「月影さん、陽芽様の身の回りのお世話は見ておりますので、ご用件があればいつでもお申し付けください。それと、月影さんの今後の生活、衣食住は陽芽様次第で確約させていただきますので」

「……イオ。私は、イオの言葉、信じる」

「どうやら、心配は要らないようですね」


 静かに笑って見せるイオだが、月影からすれば心臓に悪いものだ。

 放浪している月影に落ち度はあったとしても、久しぶりの食事を含め、人と話す機会は大事にしていきたいと言える。


 イオは謝りを入れてから、部屋を後にしていた。


「……イオさん、出て行ったけど、この後どうしようか?」

「……知らない」


 イオが出ていった瞬間、陽芽は明らかに警戒している。

 普通に考えれば、見知らぬ人との合間に仲裁がいたのにいなくなったのだから、気が変わるというものだろう。


 月影は苦笑しながらも、陽芽の近くの床に腰をかけるのだった。


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