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思い出の『潮風食堂』Ⅲ  作者: 南瀬匡躬


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∞第四話 夢に見た青春時代の蜃気楼ー卯の花ー

 潮風商店街の南側には大きな産業道路と都市型の高速道路が通っている。その横を海岸線に沿って千葉方面に向かう電車が走る。もともとは輸入資材の貨物列車を走らせるために、巨大倉庫街や工業地帯を縫って走る線路だったのだが、旅客営業線への転用とともに公園や遊園地、見本市会場、スタジアムなどの集客施設が次々とオープンして、みるみる重要路線へと変化した。


 公園とは逆の山側の出口からその立体交差の道路を越えて、葛西駅方面へと歩く男女がいた。見た目は二十代だ。

「卯の花って風流だよな」とやつれた顔の男女が潮風食堂の店頭に置いてあるボードのランチメニューに目をやる。

『GW特別メニュー 特製幕の内御膳と卯の花添えのサラダ』

 物流拠点へと変貌したこの葛西臨海地区には、風流さなど見当たらない。救いとしては、葛西海浜公園が砂浜を残して、野鳥の住処を守っていることである。

「卯の花って、もともとは四月の花っていう意味の白い小さな花よね」

「ああ、あの家にも植わっていたよ」

 彼のその言葉に小さな笑みを浮かべると「そうね」と寂し気に頷く女性。

「こんにちは」

 彼の言葉に「いらっしゃいませ」といつものように零香は銀盆を抱えて出迎える。

「二人」と指も添えて人数を伝える男性。

「テーブルと小上がり、どちらでも」と案内する零香。


 見れば男性は片手に求人チラシを持っていた。赤い丸印がついているものは、物流管理倉庫の事務所スタッフ募集の欄だった。

 そのカップルらしき二人は少し何らかの重荷を背負っている風にも見えた。時折、笑顔の合間に見せるけだるい表情は、疲れとは違う心労の気配を零香に感じさせた。

「GW特別メニューの幕の内御膳と卯の花添え和風サラダを二つ」

 そう言ってパタンとメニュー帖を閉じる男性。

 厨房の奥で「幕の内二つと卯の花サラダ二つね」と一色が復唱した。それに合わせるかのように零香はお茶を二人の前に置いた。

「仕事見つかるかしら?」

 女性の不安そうな顔に男性は「何とかなるさ」と自信なさげな表情で天井を見上げた。

「私が不甲斐ないばかりに……」

 女性は申し訳なさそうにうつむいた。

「いや母さんが悪いよ。ばあちゃんとの間でクッション材になってくれないと君が潰れちまう。東京育ちの君にあんな試練を突き付けるなんてさ。働き手の人間在っての店だよ。『百万遍鳳凰館ひゃくまんべんほうおうかん』自体にどれほどの意味があるっていうんだ。老舗とか格式とか、そんなものくそくらえだ」

 男性は力みながらも寂しそうに眼を閉じる。まるで遅れてきた反抗期のように感じる。

 その様子を調理しながら見つめていた一色。どうやら何か思うところがありそうだ。

「すみません。聞こえちゃったもんで、『百万遍鳳凰館』のご関係の方なんですね」と一色は盛り付けをしながら厨房から話しかける。

「ええ、僕の実家なんです。以前、お泊りいただいていたとか?」

「はい、まだ京阪三条が川沿いにあった頃に桜の季節に泊まらせていただきました。路面電車が無理やり駅に入ってくるような不思議な駅でしたねえ、旅館の前の風景は」と懐かしそうに話す一色。

「ああ京阪京津線がまだ地下化される前のお話ですね」と笑う男性。

「そうそう、そこの近くの銅像の前で友人と待ち合わせをしていたんですが、なんて言って伝えればいいのかわからなかったら、あの旅館の女将さんが『()()()()()()で、たいがいの京都人には通じますよって、お友達にもそうお伝えしはればよろしいかと』と教えてくれたんですよ。帯のところにべっこう櫛を差した上品な年輩の女性でした」

「ああ、それは僕の祖母ですね。いつも帯の隙間にべっこう櫛を差して着崩れを防いてました」

「はあ、あの櫛にそんな意味があったのですね、昔ながらの和装の知恵ですね」

「はい」

「いまはもうべっこうを実質的に売り買いできないので、べっこう櫛の代わりに扇子や印籠を挟んでいる方をたまに見かけます。もちろん祖母の持っていたべっこうはすごく大きかったので、いま中古で買ってもすごい値段になると思いますよ。車一台買えますね」

「時代も変わりましたね」

「はい。ウミガメ自体の取引が禁止されているので、加工品のべっこう細工もそれに倣うように流通できない状態になっています。昔は縁日などで安価で購入できた時があったとお年寄りたちから聞かされます。おっしゃる通り時代なのでしょう」



 しばらくして出された幕の内御膳、その添え書きを見て男性は驚く。添え書きは筆ペンのようなもので半紙に書かれている。

『もち米の筍ご飯<おこわ>、煮込み田楽のかぼちゃ添え<おでん>、ねぎとにんにくの炒め物<ひともじ・にもじ>、小鮎の甘露煮の茗荷添え<水の花>、くこん粕の饅頭<おくもじ>、海老と油揚げといくらを載せたちらし寿司<すもじ>、大学芋<おさつ>、卯の花<おから>、ほうれん草と鰹節の和え物<おかか>、お麩のみそ汁<おみおつけ>』

「大将、これって宮中の女房言葉にょうぼうことばがカッコで添えられているのには何か意味があるのですか?」

「おお、お客さん、女房言葉にょうぼうことばをご存じで?」

「ええ、室町期の宮中で使われた宮中にふさわしい上品な言い回しをするために、『お』や『もじ』をつけたもので、江戸期には将軍家の侍女などに伝わり、その後町人や民衆へと広まった言葉ですよね」

「さすがです。昔お世話になった料理人から教わったおもてなし術で、この季節のこのメニューにだけ添えているものなんですよ」と一色。いわば恩師へのオマージュ的な毛筆のお品書きということだ。

 これらの品々は潮風食堂にしては珍しい和食の一品物をそろえた漆塗りの箱膳だった。

「でもお昼から、こんな丁寧なお料理がこの値段でいただけるのですね」と驚く彼。

 彼だけではない、連れの女性の方もこのお品書きを読んで、思うことがあるように、

「ここに来ていろいろ聞ければよかった」とボソッと言う。どうやら関東人には馴染みの薄い室町期の宮中言葉が悩みの原因のようだ。


 二人はその上品な和膳を少量ずつ口に入れてかみしめる。ほんのりと春の味、そして初夏の味も入る。

不思議なほどに風味豊かな味わいが口の中に広がっている。なによりこの料理に驚いたのは、男性の方だった。彼はこの味つけに覚えがあるのだ。


「大将は腕が確かな料理人なんですね。どこかで経験が?」

「経験っていうほどじゃないんですけど、ちょっとお手伝いをした割烹旅館がありましてね」

「へえ、かなりの有名店かと存じます。そして懐かしい味もします」

 彼のその言葉に一色は意味ありげな笑みを浮かべる。まだ何らかの秘め事を隠し持っている風にも零香は感じている。


 軽い世間話の後で一色は、おぼろ豆腐を黒蜜と一緒に提供する。

 男性は「おや?」とやはりこのデザートにも覚えがあるようだ。

 だがこの黒蜜を食べ終わるころには、男性も女性も旅の疲れなのかウトウトとし始める。小上がりの一番奥の壁際で特に邪魔になる場所でもないので、一色も零香もブランケットをかけてやるとそのままにしておいた。



 意識がうたたね気分の若い二人はなぜか同じ夢を見ている。袴に上衣や唐衣からぎぬを羽織った姿の古代のお姫様だ。

「わらわは櫛稲田姫命くしいなだひめのみこと。この近くの潮風御厨神明社でアマテラスと一緒に合祀されている出雲の姫じゃ。わらわの夫はスサノオノミコト。三貴神として扱われるアマテラスの弟神ていしん。その夢の使いとしてわらわが選ばれた。そう汝らの住まいの近く、京都八坂神社にも館を持つ、その主じゃ。汝らが困り果てている俗世の習慣にはわらわも看過できぬ。きっと八百万の神々は汝らの良き行く末にひとすじの光を授けるであろう」

 そう恋の女神でもある櫛稲田姫は、ヤマタノオロチ退治の際にスサノオノミコトの懐に櫛に変化へんげし身を潜めたことでも有名。そして彼女のあまりの美しさにスサノオは「やくもたつ いづもやへがき つまごみに やへがきつくる そのやへがきを」と詠んだ。このころは枕ことばなど成立していないと考える学者も多く、つまり多くの雲のまにまに隠された幾重にも垣根に囲まれた家を建てて、美人な奥さんを他人にさらすことなく大切に住まわせた、という枕ことばと思われる単語がそのまま情景描写を示している歌の意味が面白い。通常は枕ことばに意味はない。そして妻、妃である女神を大切に扱ったスサノオの性格が伝わる歌だ。



 一方で一色の方はどこかに連絡をしている。店から出た暖簾の向こうで、古いメモ帳を引っ張りだして、その番号にかけたのだ。最近は使っていない番号らしく、メモリー機能には入っていないため、携帯電話の電話帳機能を使わずに番号を直接プッシュしている。


 一色の連絡から三時間ほどが過ぎたころだ。零香は緑茶のサーバーにお茶葉ちゃっぱを入れている時だった。ひとりの四十代ほどの品の良い女性が店の扉を開けた。いつの間にか一色は店の前には『休憩中』の札をぶら下げておいたので他の客は入ってこない。『商売っ気のない人』とほほ笑む零香。


 フレアのロングスカートに春物のセーター合わせ、アンサンブルの上着を重ねた格好で、どうやら着の身着のままでやってきた様子が窺える。お辞儀の所作から上品な教育を受けた人と一目でわかる。

 栗毛色の髪をかき上げながらお辞儀をしたその女性は一色の知人のようだ。

「お久しぶり、一色君」

「久しぶりだね、実花ちゃん」

 二人は笑顔で顔を向き合わす。そして無言のまま一色はホールの奥でスヤスヤと眠る若い二人を指さした。

 すると実花は無言でうなずいた後で、

「確かにうちの息子の卯月章太郎と婚約者で若女将候補の朝桐由紀子さんです」という。

「連絡ありがとうね。今は便利ね。新幹線で二時間ちょっとで東京についちゃうんだもの。着の身着のままに飛び乗ってきたわ」と実花。そして安堵の念を吐き出すように「ありがとう」と付け足した。

「女将修業があまりにつらくて飛び出しちゃったのよ。お義母さんの指導が行き過ぎて耐えられなかったみたい。私の時代とは違って、今の若い人には理不尽に見えるみたいよ」

「なるほど。よくある話だな。ここ数年で古い価値観は学校教育や世間、職場からずいぶんと消し飛んだからな。でも料亭や旅館、割烹などはまだまだ古いしきたりがここかしこに残っている。下手すりゃ、女人禁制の厨房とかを持つところも未だにあるよな。時代錯誤もいいところだけど、ゲン担ぎの面でたち切れない部分もわからなくはない。科学的な根拠と過去からの言い伝えという先人の知恵との葛藤だな。そういうところは一概に白黒の判断を出しづらい」

 一色は同調しながらも、今の時代の実情も否定をしない言い方で話す。

「なんとなく分かるわ」と実花。そのまま目線を給茶マシンの方に向ける。

 もう一人の存在にようやく気付いたようで、実花はそこにいる零香にお辞儀をした。

「ごめんなさい。ご挨拶が後になってしまって。一色君の調理専門学校時代の同級生で卯月実花っていいます。旧姓の時は可部実花っていいました。いまは京都の旅館にお嫁に行って、そこに寝ている章太郎の母親でもあります」

「あ、私は一色さんの妻で青砥零香といいます。旧姓は伊豆零香っていいます」

「いず?」と聞き覚えのある苗字に反応する実花。

 すると一色が「こほん」と軽い咳払いをしてから意味ありげに眉を動かして、「伊豆海暉いずあまきの妹なんだ」というと、「ええっ? 伊豆海暉君の?」と懐かしそうに笑う。

「兄をご存じで?」

「ご存じも何も私、伊豆君に振られちゃった女よ」と笑う実花。

「ええ、兄貴。こんな美人を振ったんですか?」

「うん、ばっさりと。そしてさっぱりと」と笑い、「いい思い出だわ」という。

「伊豆君はお元気?」という実花に、一色は「いや、数年前の大雨の時にあのあたりに土砂崩れがあってさあ」というと皆まで聞かずに顔色を変えた。彼女はすべてを察したように、少し残念そうな顔をにじませて「そうだったの……」という。万事を悟った感じだ。

「それで一色君が……」と実花が言ってから、それを打ち消すように、

「ううん、兄貴が生きているころから一色さんを好きで猛アタックしちゃいました。その頃は全然相手にされてなくて、その様子を見ては、兄貴は笑い転げてましたけど」と零香。

「そっか。じゃあ伊豆君も天国で安心だね」と実花。

「いや、こんな美しい実花さんを振ったことを天国で後悔していますよ」と笑いながら返す零香。


 そこで意味深な深呼吸をして一色が再び述べる。

「一応さ。あいつの名誉のために言っておくね。実花さんの告白に海暉は一週間悩みました。なぜならクラスメートの卯月福也くんが入学時から可部実花ちゃんを大好きだったのを知っていたからです。海暉は毎晩のように我が家に来ては、一色、どうしたらいい? と毎日同じ質問をしていました、とさ」

 しゃべり終わると肩をすくめる一色。

 実花と零香は懐かしそうな表情で聞きながらも少し俯いた。


「兄らしいですね」と零香。

「ほんとに。伊豆君らしいわ」と実花。

 そして「どちらも傷つけないようにする方法を探して、一色君に知恵を拝借していたのね」と初恋の人を慕うあの頃の気持ちが実花の胸に湧いていた。

「ねえ、零香さん。こんど彼のお墓参りに行く時は、私にも知らせてくれる。もし時間が合えばご一緒させて」と実花。

「はい。もちろんです」

 一色は神棚の隅に飾った海暉のフライパンを見つめてふっとほほ笑んでいた。


 そこで「ううん」と目覚める章太郎。そして母親の姿に驚きびくっとする。

「母さんどうしてここに?」

「さあてね。あんたこっちで就職するん? 結構東京の企業はハードル高いで。簡単にあんたの経歴では合格できひんよ」とちょっと優越感の目でいう。生まれ故郷、土地勘を持つ彼女のアドバイスだ。

「……」

 もちろん無言の章太郎だ。

「葛西のおばあちゃんに泣きつこうとしたんやろ? それで腹ごしらえに途中の道すがらこの食堂に入ったって感じやねえ。どや、図星やろ?」と不敵な笑みを浮かべる実花。

「ああ、うん」と章太郎。ばつの悪い返事だ。

「ここはな。私の専門学校時代の同級生の経営する店なんや。おまけに私が嫁に入る前に、うちの厨房を手伝ってくれていた人でもあるんよ。だから当然お父さんの同級生でもあるんやで」と笑う。

「それで母さんがいるのか……。それにあのお品書き、どっかで見た記憶があった。ゲンさんがうちの厨房にいたころ作っていた習字紙のやつ」


「そうそう、ゲンさんは俺と相棒の海暉っていう男の恩人でもあるんだよ。卯月君の家に遊びに行ったときにお手伝いをしてさ、メニューや添え物の彩を教えてくれた人なんだ」と笑う一色。


「こっちで働くのも、家に残るのも、決めるのはあんたや。どないするのかを私から言うつもりはないわ。そやけど、こっちに来たらお父さんはきっと悲しむで。もちろん若女将として由紀子ちゃんが家にいるのなら、少しだけ大女将に私からも今風にしてもらうようにお願いしてみるわ。私のような苦労はあなたたちにはさせたくはないさかいな」と実花が優しく手を差し伸べることを約束した。

「はい」と章太郎と由紀子。

「今は若いからつらいことも多いでしょう。でもいずれあなたにもわかるときが来るわ。大女将がなぜ執拗に同じところでうるさく小言めいたことをいうのかを。それを二人でかみしめあえる時が来るまで頑張りましょうよ、ねえ」と言う実花の柔らかなまなざしは世の中の厳しさを知った瞳だった。そして何も知らずに卯月家に嫁いで、若女将という肩書のもとでがむしゃらに仕事をしてきた若き日の自分を、いまの由紀子に重ねている柔らかな眼差しでもあった。


 実花に肩を抱かれながら何度も丁寧にお辞儀をして去っていった章太郎と由紀子。やさしく手を振って見送る一色と零香。なぜか一色はその陰に、ほほ笑む海暉の姿も見えた気がした。


 その夜、零香は久しぶりに夢を見た。隣ではすやすやと寝息を立てている一色がいる。

「零香」と朦朧体の中で彼女を呼ぶ声。

「ん?」と零香は目を擦る。

 零香は一色に呼ばれたのかと思い「はい」と返事をする。

 すると少し青みがかった霊のような人型の光に、海暉が揺らめいて座っていた。まるで電子立体映像のように。

「おにいちゃん!」

「久しぶり」と頭をかいて笑う海暉。

「またお化けになって出てきたな」とあきれ顔の零香。明晰夢めいせきむを使った陰陽道の術だ。この伊豆家特有の術のおかげで海暉は、現世の零香と交信ができるのだ。

「彼女、幸せそうだったな」と満足そうな笑顔の海暉。

「やっぱり見ていたか」と笑う零香。

「そりゃ、青春時代の学校のマドンナが来ればね」と照れた風の笑顔。

「そうね。お子さん、跡継ぎに恵まれてはいたけど問題は多そう。でも考えようによってはそれもまた楽しく人生をこなしているって事実でもあるわね」

「卯月はさ、純粋に実花ちゃんが大好きで入学式の時からそれを相談されていたんだ。それを横取りは出来なかったんだ。しかも今となっては、現実を見れば自分よりも卯月と一緒になって本当によかったって思うよ」と嬉しさをかみしめている海暉。

「本当にお兄ちゃんと一色さんは馬鹿が付くくらい人がいいのよね」とあきれ顔の零香。

 そして彼女は「でもそんなところがお兄ちゃんらしいし、一色さんを好きになった理由でもあるんだ」と付け加える。

「まあな。自分も一色もあまり要領の良い方ではないよな」と頭をかく海暉。

「もしお兄ちゃんが、卯月さんの気持ちを知らずに実花さんの愛を受け入れていたら私の義姉になっていたのかな?」

「さあね。過去の現象に『たられば』はないよ。運命はタイミングと人間関係、それにチャンスがそろわなければ作動しない。そんなところかな? 然るに自分と実花ちゃんの間には恋愛のご縁はなかったってことさ」

「そっか」と笑う零香。そして「久しぶりに見た実花さんはどうでしたか?」と素直に意見を求める。

「相変わらず美しかったね。フライパンをここに持ってきてくれて、そして我が家の菫と紫陽花の株分けして、店先に植えてくれてありがとうな。依り代があったおかげで京都に行ったあの子の幸せそうな笑顔が見れて安心したよ。じゃあお休み」

「うん」

 零香は今更ながら一色が海暉のことを親友と思っていることに改めて納得した。謎の友情関係と感じていたのだが、青春時代の二人を取り巻く環境の中で、まじめに正直に生きていた実兄の海暉と夫の一色の姿勢のようなものを垣間見たような気がした彼女だった。

                                         了





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