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思い出の『潮風食堂』Ⅲ  作者: 南瀬匡躬


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∞第一話 雨のクリスマス・イヴとステディリング-ホールケーキ-

 ここは東京の端に位置する葛西。その一画葛西臨海公園の駅に近い商店街。

 東京駅構内では少々離れた場所にある地下深いプラットホームから千葉方面の臨海地区を行き先にする電車に乗って十分ちょっと。世界的に有名な夢の国の遊園地の隣にある観覧車の見える海の公園の駅だ。そこから徒歩十分ほどの店、「潮風食堂」で毎回始まる小さな小さなファンタジー群像劇。それは想い出が作られたり、想い出と再開したり、想い出を聞いたりという少しだけ人々の心の琴線に触れる奇跡で紡がれるお食事処なのである。


 その夢の国の最寄り駅、舞浜駅の一個手前の駅。葛西の潮風食堂は商店街の一角に位置する、ごくありふれた、そして小ざっぱりした町のキッチンである。和洋折衷の定食屋。そのメニューは懐かしさや飾らない家庭の雰囲気を出しながらもどこか上品に仕上がっている。


 外観はごくありふれた食堂。内装はナチュラルでウッディ、貼り紙一つ無い木目基調のシンプルさに出会える。小上がり座席にある時計がらの座布団と衝立ついたて、そして店奥にある神棚が主だって目に入るものだ。食器と調理道具を除けば、客の目に触れる場所には、物がほとんどない。心底、質素とかシンプルという言葉がよく似合う店だ。


『潮風葛西丸』と白抜きで記された藍染めの前掛けと大漁旗のデザインされたTシャツ、黒のゴム長で厨房に立つ店主の名前は青砥一色あおといしき。今から五年前、彼は親の食堂を譲り受け、今の場所に店舗を移転させた。もともとは船宿だったが、今、船の仕事はごく近い岸辺の沿岸漁で、店の分だけを調達する程度の漁師業のみである。本業は既に食堂だ。


 さて話の本筋に移ろう。

 小雨のぱらつく中、何故かサンタクロースの格好をした全身赤づくしの青年が足早に商店街に向かって歩いていた。その彼の手には細長い小箱。受け取って間もない真新しいリボンを結んだジュエリーショップの包み紙の箱が握られていた。本日は小雨の降るクリスマス・イヴ。


 バイト帰りの青年は着替える間もなく、そのままに予約していた宝飾店で比較的リーズナブルな宝飾品を購入して、愛する彼女の待つ場所に向かっていた。世間一般でそれはそう値の張る物ではないが、彼の収入からすれば、とても高価な買い物だ。


 臨時のバイトで現金日払いの好条件。金策工面に毎月余裕のない彼には渡りに船の好条件の仕事だった。


 クリスマスの食事とプレゼント、ささやかながら彼女への日頃出来ないお礼が現実味をおびたのだ。いつもならデートとは言えない、家での食事。しかも遅くまで彼女を待たせて、その彼女が自ら炊事をしてくれる。そう、行き届いた手料理で夕飯を用意してくれるような健気な彼女である。

 思いがけず日頃からの彼女への恩返しが出来ると分かったときの、このバイト料は彼にとっても何よりのクリスマス・プレゼントだったことは言うまでもない。


 あと少しで商店街という歩道を急いでいた彼。前方から雨合羽の原付バイクがすれ違う。運悪く、彼の横の水たまりの上を通過した。


 バシャバシャと原付バイクは水たまりの上で水はねをさせて彼の横を通り過ぎた。

「わっ」

 彼は慌てて跳ねあげの滴から身を翻してそれを除けた。

「ふう」

 運転していた中年女性は自分が跳ね上げたことすら気付かないまま通り過ぎたようだ。

 だが次の瞬間に彼は驚いた。

 あのプレゼントらしき小箱に泥水の跳ねた痕が茶色く包装紙いっぱいについていたのだ。





「ああ今日はもう一本つけてもらおうかな、一色」

 その時、同じ頃合いに潮風食堂では常連の男性が店主青砥一色に熱燗のおかわりを求めていた。

「いいんですか? 娘さん、常葉ちゃんに小言を言われても知りませんよ」

「あいつもだんだんとウチのヤツに似てきたよなあ。喜ぶべきか、悲しむべきか」と肩をすくめる常連の男性。近所で酒屋を営む商店街会長の松戸だ。

「あはは。会長も愛娘にはタジタジだね」

 一色はそう言いながら徳利を松戸のテーブルに届ける。


 今日は十二月二十四日クリスマス・イブ。シュガーベイブの大ファンである一色はこの日も達郎さんの「クリスマス・イヴ」を朝からかけまくりである。おまけに今夜は小雨の降るクリスマス・イヴ。なんともこの曲が似合う夜だ。


「おい一色。いくら何でもエンドレスで達郎さんは飽きるぞ」と松戸が真っ赤な顔で手酌酒がてら呟く。

「こればかりは会長の言うことといえども、素直にきくことは出来ませんよ。今日は達郎「クリスマスイヴ」って決めてますんで。どうせ店内のBGMをラジオに変えたところで、達郎とマライヤ、ワム! の連続だからね。あえて今日はCDはエンドレスなんです」

「はあ、百恵ちゃん、聴きたいなあ」

「うちに帰って聴いて下さい」

「今日の一色は冷たいねえ」

 ぼやきながら猪口のお酒をぐいっとひと飲みする松戸。

「ははは」

 厨房の奥で洗い物を拭き始めた一色は松戸をやり負かして上機嫌だ。


 そんなどうでも良い会話をしていると一人の大学生風の女性が店に入ってきた。

 カワイらしいウサギがデザインされたヘアピンで束ねた髪を肩から前に流している。前髪のあがった額には美人の象徴である柳眉が際立つ。竹久夢二の美人画から抜け出てきたようなこの女性は、大きめのショールで首元から上半身を絡ませて暖かそうである。

「いらっしゃいませ」と一色の妻、零香がお茶を盆にのせてカウンターに座った彼女の横に行く。今日は縞柄の和服でお茶を運んでいる。

「あ、あの田端睦月(たばたむつき)と言います。大塚玄武(おおつかげんぶ)くんの恋人です。彼にこの店で待っていて、と伝言を受けたので待たせてもらって良いですか?」と言った。

「ああ、玄武君の彼女か、いいよ。いつも話で惚気られているよ」と一色。

「やだもう」と少し赤面の睦月。



「誰?」と松戸。

「彼氏のほうの玄武君は近所に住む苦学生ですよ。今どきの若者は感心な子が多くてね。神田お茶の水の明神大学商学部に通っている十条さんのアパートに住む下宿生ですよ」

「ああ、十条荘の」と松戸は納得した。そして「今どき風呂なしのアパートで下宿しているんだ。偉いね」と加えた。


「そうなんですよ。彼、緊縮財政の毎日ですけど、大学の学科の成績は入学以来主席をキープし続けているんです」と彼のことを自慢げに話す幸せそうな彼女。

「感心な若者だ。クリスマスデートだからって、何も高いお金を出して高級店に行かなくたって、自分たちの身の丈でデートすれば良いんですよ」と納得して松戸も言う。

「彼は特別な日だけウチの店に来てくれるのね。だから今日はバイト代が入って君にご馳走したいんじゃないかな、折角のクリスマスだからね」と微笑む一色。その表情を見て零香も優しい顔で頷く。


 そんな会話をしていると厨房側の窓ガラスをコンコンと小さく叩く音がした。一色が窓に視線を移すとその当人大塚玄武が済まなそうに身を伏せて、一色に拝のポーズを向けている。


 一色は何か訳ありと感じて機転を利かせ、その場で小芝居を演じた。

「ああ、なんか風が強くなったかな。ちょっと表のノボリを見てくるよ」

 一部始終を見ていた零香は『役者よねえ』と小声で言うと分かった風に頷いた。

 店の引き戸をガラガラと開けて、暖簾を潜り外に出る。


 左手に向きを変えるとそっと店の中から見えない角度でサンタクロースの玄武に声をかける一色。

「なんだ? その格好」

「バイト帰りに直接この格好で帰ってきたんで」というと一色は「似合っているよ」と笑う。

「いや、そうじゃ無くて困ったことがおきたの。一色さん」と少し険しい表情の玄武。結構なやつれ具合の顔に彼の深刻さが窺える。


「なにいつもの豆腐メンタルに負荷がかかったのかい?」

 心配性な彼の性格を知っている一色は、平静を装って普通に話す。


「クリスマスプレゼントなんですけど……」

 一色の言葉に合わせて彼が相変わらずの深刻そうな顔のまま手に持っていた箱を見せる。包装紙にリボンのついた包み紙の小箱だ。だが残念なことに、その箱は全体的に泥跳ねしたシミ汚れになっていた。



「酷い汚れだな。どした、この箱?」

「ここに来る途中で原付バイクに水はねされて。この店の少し前でポケットを確かめたらこの有様でした。すれ違いざまに結構な量の泥水がこっちに向かってきたので除けきれなかったのかと」

「ううん」

 一色は腕組みをして静かに目を閉じた。きっと玄武のことだ。普段から節約して、ようやく彼女に尽くせる機会を得たのだろうと察していた。その実体がこのプレゼントなのだ。彼女を喜ばせたい一心で。


「そのままとりあえず、彼女を待たせていてもまずいので後で考えよう。大丈夫、オレに任せてよ」と一色。その箱を預かると彼は玄武の背中を押して店の中に入った。


「お待たせ!」

 玄武は睦月に笑顔を見せる。

「ちょうど今、表に出たらバッタリさ」と一色。

「ああ、この青年か。たまにお酒を買いに来てくれるね。君は十条荘だったのか」と見覚えのある顔に合点がいった感じの松戸。


「ああ、酒屋のご主人。はい、明神大学の大塚玄武と言います」

 ぺこりと頭を下げると松戸は自分の熱燗をサラのお猪口に注いで渡す。この店は猪口を二三個テーブルの隅の薬味置のトレイに置いている。

「ほい。身体があったまるよ」

 サンタクロースの格好の彼は「かー、浸みるなあ」と気持ちよさそうに熱燗を味わった。


「玄武、その格好はなに?」とクスクス笑う睦月。箸が転がるだけでも笑える年頃の彼女だ。


「さて何処の誰かという謎も解けたし、家に帰って奥さんとしみじみするか」と松戸。

「ここにお代は置いたよ、メリークリスマス!」とテーブルを指さして立ち上がるとそのまま外に出て行った。

「ありがとうございました。メリークリスマス!」

 零香は松戸の置いた伝票の脇のお代を握ってレジに運ぶ。そのまま伝票差しに伝票も収めた。



 松戸を見送ったところで、一色は冷蔵庫からと銀トレイに載った白い塊を取り出す。

「これはさ、今日の二人にオレとウチのヤツからのプレゼント」

 そう言ってホールケーキをケーキナイフで切り分けてくれた。イチゴと白桃、キウイが載ったホイップクリームの白いケーキである。

「わあ、ありがとう!」

 玄武は喜んで、頭を下げる。

 睦月は「ありがとうございます」と丁寧な礼を述べる。

「これを誰が作ったんですか?」

 睦月の言葉に「私なの」と嬉しそうに笑う零香。

「お代を頂かないので、お客さんではなく近所の親しい人だけにメニューではない差し入れとして、毎年出しているのよ」

「玄武、私、来年も玄武とここのケーキ食べに来たいわ」と睦月。

「もちろん」

 サンタの着ぐるみの彼はそっと隣に座る若き乙女の肩を抱きしめる。そして楽しそうに談笑の中でケーキを頬張っていた。


 そう、ケーキを食べた満足と温かい店内でぬくぬくとしていたせいか、ほんの数分、若いカップルはカウンター席で寄り添い合うようにうとうとしていた。


 夢の中の玄武は、心地よいまどろみに現実感のない世界が見えている。

「さっきはスミマセンでした。身内に大切なものを届ける途中で、横の歩道にいたあなたに気付かずに大変なご無礼を」

 見れば、さっきの赤いスクーターの女性が申し訳なさそうに玄武に頭を下げる。そして「ほんのお詫びです」というと颯爽と原付バイクに跨がって去って行った。


「えっ?」


 驚いて目を覚ます玄武。するとカウンターテーブルの上、そこには真っ(さら)な包装紙にくるまったさっきのステディリングの箱が置いてあった。

「あれ?」

 眠い目を擦って身体を起こした玄武に、一色は「どうしたの?」と不思議な顔。

「えっ?」と言ってから「一色さん、包装紙を新しくしてくれたの?」と訊ねる玄武。

「いや、さっき預かったままで……あれ、ないな」と言ってポケットをガサゴソと探す一色に、玄武は「ここにあります」と箱を手に取ってみせる。

「あれオレ返したっけ?」と一色。


「一色さんじゃないの?」

 玄武の言葉に「いや、オレ預かっただけで……」と言葉を返す一色。

「ううん」

 その横で目を擦りながらつられるように起きた睦月。

「あれ? その箱の包みって、この間私が素敵って言っていたジュエリーショップのヤツよね」

「うん、睦月へのクリスマス・プレゼントなんだけど……」と途中まで言いかけた玄武の言葉を遮るように睦月は「開けて良い?」と訊ねる。妙に嬉しそうだ。

 ノリに押されて「いいよ」と返事の彼。

 瞬時に包みを剥がし箱を開ける睦月。箱の中にはハートを模ったステディリングが柔らかなクッション材に載って光っていた。

「うわあ」

 そう言って目頭を熱くした睦月。

「このためにクリスマスの最中にバイトを入れてたの?」

「うん。少し、持ち金が足りなくてさ。日払いの割の良いバイトがあって、サンタの姿でプラカードを持って七時まで立っていれば良いって仕事でさ。これなら食事代と指輪の両方をプレゼントできるとふんで駅前で八時間立っていたんだ」

 何の気なしに言った睦月のハートのステディリングへの憧れを彼は覚えていて、その小さな夢はイヴのサンタクロースが現実にして運んでくれた。何よりも彼にムリをさせてしまった睦月はその申し訳なさと彼の優しさに涙したのである。

「ごめんね。ありがとう」

 彼女は両手で後生大事にその指輪を握りしめて「大切にするね」と言った。その潤んだ瞳にピュアな心が透けて見える。


 玄武の中ではドロはねの件など、どこかに消え失せて二人の間には確実な信頼が芽生えていた。


 そして「私もね、プレゼントがあるの」と紙袋をトートバッグから取り出す睦月。

 それは長い長い手編みのマフラーだった。綺麗な白地にストライブの青が眩しいデザインだ。

「これをオレに?」

「うん、最近ちょっと夜なべして寝不足気味。だから少しうとうとしたみたい」と可愛く舌を出す睦月。

そして彼女はサンタクロースの襟元にグルグルとそのマフラーを当ててみる。

「うん。ピッタリだった。良かった」と微笑む。

「ありがとう、オレも大事にするよ。このプレゼント」

「うん」

 健気な恋人ほど男心をくすぐるのはいつの時代でも一緒だ。何も出来ない自分にもこんな素敵な理解者がいると思うと玄武は幸せの具現化とはこういう事なのか、とほんのり思い始めていた。


「若いっていいねえ」と一色。

「あらら、おじさんを感動させちゃったみたい」とクスクス笑う零香。


「おふたりさん。二人の世界に入っていただくのも結構ですが、うちも商売なんでね。ご注文をもらっても良いですか」と笑ってふざけ口調の一色。

「あ、そうだった。クリスマススペシャルディナーをコースで二人分お願いします」

「はい、かしこまりました」

 一色はそういうと零香に軽いウインクで揚げ物の肉の用意を促す。

 零香は「はいはいフライドチキンね」と銀の冷蔵庫の扉を開けると、タレに浸した肉をトレイに載せて一色に渡す。

「いつもはファストフードがご馳走なのに、今日は大奮発ね」

「ごめんね。貧困の日常はだめかな?」と弱々しく聞き返す玄武。

「ううん。玄武となら地味でも貧素でもいいよ。がんばっている姿が凜々しいもんね」と腕を絡める彼女。


 一色は窓の外を見た。

「ねえ、零香。見て。いつの間にか雪に変わっているよ、雨が」

 零香も一色の横に並ぶと窓の外を見る。

「まあ本当ね。歌の文句通りの空模様ねえ」と頷いた。


 明日は葛西の商店街にも雪が積もるのは必至だ。

 目の前の恋人たちの間には信頼という名の雪が静かに降り積もり根雪となって、今日の日をカテに未来へと歩いて行くのだろう。一色は少しだけこの二人には希望の光が注ぎ込んでいると感じた夜だった。


    了





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