ほこたて~矛盾した二人の普通じゃない日常~
夕方の現場には、いつものように鉄と土の匂いが漂っていた。
昼間は暑すぎて、人間に恨みがあるのか?と問いただしたくなるほどの太陽が、今はゆっくり沈んでいく。その照り返しが鉄骨に赤い影を落とした。
仕事場でもある、鉄筋コンクリートで出来た壊れかけの家を見つめる。
もうこんな古臭い建物を、世界は歓迎しないそうだ。車や人が科学の力で空を飛べる時代。家は、科学の力で空に建てられる。
だから、地震の危険がある地面に作られた家などいらぬ、と。
そうした古い建物を壊すのが、土木作業員の主な仕事だ。
どんどんなくなっていく古いものに対して、一抹の寂しさを感じるのは、この仕事をしているからだろうか?
光の中で、黒田海斗は手にしたスコップを片付け、ふぅ、と息を吐いた。
今日の仕事はここまでだ。タイムカードを押しに行き、ロッカーへと向かい自分の荷物を取る。
そして、いつも通り休憩所へと足を進めた。
「おっ。お疲れーぃ、海斗っ。今日もお前の彼女、迎えに来るんだろ?」
休憩所からちょうど出てきた同僚が、ニヤニヤしながら声をかけてくる。
その様子を見て、海斗は心底うんざりした。
「またそれかよ。いい加減やめてくれって」
「いやだってよ。あーんな可愛い子が、わーざわざ車で現場まで来るんだぞ?」
「それだけだろ」
「いやいや、誰だって彼女だと思うだろ。ただの友達か?んなわけあるかいっ!」
アハハと笑う同僚に海斗は苦笑すらせず、休憩所の外にある簡易喫煙所――灰皿の横で、懐から取り出した煙草を咥えた。
こんなこともあるが、それでもこの現場は海斗にとって心地良い。
目の上にある大きなひっかき傷に、睨むような目つき、百九十二センチの身長と、土木仕事で鍛えられた筋肉。あまり動かない表情筋。
そんな風貌をだけを見て海斗のことを判断し、逃げ出す奴らが実に多い。
だが、目のひっかき傷は小さい頃に飼い猫にやられただけ。海斗が猫を構いすぎたのが原因だ。
それ以来、海斗は猫が苦手になった。
睨む気はない。身長差の関係でかがむと顔が近づいてしまい、威圧的になるだけだ。
身長は遺伝だ。両親は二人とも百八十センチはある。
ちなみに今実家で飼っている犬だって大型犬だ……まぁ、これは関係ないが。
筋肉は昔は空手部で、今は仕事柄、自然とついただけだ。
今も空手は大好きだ。試合もちゃんと録画して見る。そして時には、素晴らしい試合に拍手をしながら、号泣することもある。
表情筋は……仕方ないだろう。人に恐れられる人生を送ってきて、コミュニケーションなど育つはずがない。
……別にコミュ障というわけではない。断じて。
そんな生い立ちで風貌の海斗。
だがこの現場の人間は、そんな海斗を優しく迎えてくれた。それどころか、海斗よりもつらい人生を送っている猛者までいるくらいだ。
それに今、海斗の真横にあるこの灰皿。
機械の煙草が主流となっている今、昔の紙の煙草を好む海斗のためだけに上司が設置してくれた。
優しくて、とても温かい職場なのだ。
だから、あの女がここに来るのは本当にやめてほしいと思う。自分の大切な居場所が壊される危険がある。
しかしそうも言ってられないのが人生だ。
海斗は心の中でそう思いながら、咥えていた煙草に火をつける。
火が煙草の先端についた音。吸い込んだ時に短くなっていく煙草の音。肺の中に煙が溜まっていく感覚。
これが好きだ。やっと一息ついたという気持ちになる。
などと思っていた、その時だった。
聞きなれた車のタイヤの音がどんどん近づいてくる。そして、思った通りの車が現場の端で止まった。
車のドアが開き……
予想通り、そこから一人の女が降りてきた。
小さい顔に可愛らしい顔立ち。
海斗とは違って小さめの身長で、茶色の巻いた髪が柔らかく風になびく。
白のフリルがついたワンピースがとても似合う、まるでお金持ちのお嬢様のような雰囲気と佇まいの美少女。
高屋敷紗奈。こいつが噂の女だ。
「お!来た来た!おーい紗奈ちゃん!海斗はここだぜ!」
同僚が大きく手を振る。デレデレの顔を隠さずに、紗奈に気づいてもらおうとする同僚に対して、紗奈は貴方のおかげで気づきましたと言わんばかりに、優しく微笑む。
そして、まっすぐにこちらに向かって歩いてきた。
「うふふ、いつもありがとうございます」
「いやいや!紗奈ちゃんに会えて嬉しいよ俺は……っかー!本当に羨ましいな海斗っ!」
「だからちげーって」
紗奈は関係について、否定しないし肯定もしない。ただにこりと笑ってかわすだけだ。
それが余計に現場で誤解を生んでいる。勘弁してくれ、と思うが紗奈はやめないだろう。
――そう、この女。この状況を楽しんでいるのだ。
海斗の困っている姿を見るのが心底好きらしい紗奈は、こうやって地味な嫌がらせをしてくる。
頼むからやめてくれ、と一度言ったところ、紗奈は口の端をこれでもかと引き上げた。そして決してやめなかった。むしろ過激化した。
それ以来、海斗は黙って耐えることにしたのだ。
紗奈に弱みを見せてははいけない。態度すら見せてはいけない。
お嬢様?アイドル?何万年に一人の美少女?
違う。この女は性格がねじ曲がった、究極のサディストなのだ。
そんな紗奈が彼女?冗談じゃない。
海斗が好きなのはもっと……
海斗に怯えず、温かく包み込んでくれるような、心の優しい女性だ。
海斗の気持ちとは裏腹に、紗奈は天使のような微笑みを携えて、海斗をじっと見あげる。
「お疲れさま。お仕事終わった?」
「見りゃわかんだろ。今から帰るところだよ」
「じゃあちょうど良かった。一緒に行きましょう」
紗奈の言葉に海斗の眉毛がピクリと動いた。
なるほど。今日は嫌がらせ目的ではない、と。
同僚たちの視線を背中に感じながら、彼は煙草の煙とともに息を大きく吐く。
そして、灰皿に煙草を押しつけて火を消し、首を横にかしげてコキコキと鳴らした。
「じゃあ、そんなわけなんでお先に失礼します」
「おう!おつかれーっ!」
「うふふ、お疲れ様です」
「お疲れさま!紗奈ちゃんまた来てねっ!」
海斗はペコリと小さく頭を下げたのち、無表情のまま歩き出す。
紗奈はくすりと笑って同僚を正面にし頭を下げ、すぐに海斗に続いた。
海斗は紗奈の車にたどり着くと、ドアをぶっきらぼうに開けて助手席に乗り込んだ。紗奈はそれを見て運転席に乗り込む。
……シートベルトをちゃんとして、と。
ふと横を見ると、紗奈の天使のような微笑みが意地悪な笑みに変わっていた。
「ぷくくくっ。安全が大事、だもんねっ」
「うるせぇ。早く出せ」
そんな海斗に、紗奈は『その巨体で安全とか似合わなーい』と笑いながらシートベルトをし、車を走らせる。
海斗は外の風景が次々と変わっていくのを、自分の顔が映る窓から見ていた。
長いようで短い時間。車がしばし走り続けたあと、海斗はいつものように聞いた。
「ターゲットは?」
「成瀬信也。元議員。いまは裏で金集めてる」
「また腐った議員か」
道を示すカーナビが、紗奈の操作によって一人の男の顔を映しだした。
年齢は七十代後半あたりと見た。海斗が言うのもなんだが、実に悪人面をしている。
紗奈がそんな海斗を横目で見て、すぐにカーナビを元のものへと切りかえた。
「いいなぁ、お金持ち。一度でいいからこんな人と豪華なディナーを味わってみたいものだわ。貸し切りのクルージングもいいわよね」
「やめとけ。お前、イケメンじゃないと我慢できずに手が出るだろ」
「確かに。こんなブサイクなおじいちゃんじゃ萌えないわねっ。お金持ちのイケメンに会いたーいっ」
「そういう奴が現れたら、俺が代わりに殺しておく。そいつの将来がかわいそうだ」
海斗の言葉に紗奈はまた『ぷくくっ』と、独特な笑い声を出す。
「出た出た『慈悲の男』さん。変な称号よねぇ」
「お前の『最狂の女』に比べたらマシだ」
紗奈は前を見ながら海斗を思い切り指さした。その顔には、はっきりと『不愉快』と書いている。
「それ。私も気に入っていないのよ。もっと可愛い名前にしてくれないかしら?そうね、こう、ローズとかついていると素敵よね」
「趣味悪」
「うっさい」
こうして軽口を叩く分には良い女だと思う。だがそれだけだ。それ以上の感情は決して持たない、いや、正確に言えば持てない。
紗奈は海斗の相棒。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
それは紗奈も同じだろう。海斗は紗奈の好みとは正反対で、まったく当てはまらない。
……それとも、これは友情というんだろうか?
ふと同僚の言葉を思い出した。
人生で『友』と呼べる者が今までいなかった。三十一歳という数字が海斗の心に突き刺さる。
初めての友達が、こんなトンデモ女だというのは非常に不服だが、昔の自分から見たら贅沢すぎる悩みだ。
「任務遂行は今日の夜。場所はターゲットの豪華なお屋敷。口止めも含めて全て殺せとのことよ」
「またか。嫌になるな」
「そう?今からワクワクしちゃうっ。どんな声で鳴いてくれるのかしら?」
うんざりした海斗は、窓の外に集中することにした。
そこにはあらゆる人がいる。小さな子供から老人まで、実に様々な人が自分が主役の人生を彩っている。
一瞬で無くなることもあるとは、誰も思わずに……
海斗は煙草を咥える。火をつけるのは禁止されているのでそれだけだ。
車に匂いがつくからではない。それならば喜んで火をつける。
理由がちゃんとあるのだ。
それを裏付けるかのように、車の裏ではなにかが移動する音が聞こえた。
カチャリというたくさんの機械が転がる音が……
夕食を適当に止めた車の中で食べ、ターゲットの豪邸まで向かう。
紗奈は自身のバイト先であるコンビニで買った、賞味期限ぎりぎりのサンドイッチ。海斗は手作り弁当だ。
紗奈はウサギのように食べながら、海斗渾身の出来であるデコ弁を笑う。
笑いながら『私にも作ってって言ってるじゃない』とのたまう紗奈を、いつも通り断固拒否した。
現在の時刻は、ちょうど日付が変わった深夜。二人は、監視カメラに入らないギリギリの場所に立っている。
車の後ろから出した紗奈の腰についたホルスターには、あらゆる形状の銃やよくわからない道具。
指には、紗奈の手に似合うデザインの指輪がいくつか。
紗奈が使う道具は、全て自身で制作したというのだから驚きだ。
対して海斗の武器は自身の体だ。
威力を数倍もはね上げるプロテクターを、手や足、胴にカチリと音を立ててはめると、普段とは違う気持ちに切り替わる。
鍛えた体が一番良い。
昔も今も海斗が一番信頼している、唯一無二の武器だ。
「さて、と。準備はいい?」
「ああ」
海斗が煙草を消したのを確認した紗奈が、スマホのような装置を起動すると、電子音が一瞬鳴り、その後なにもなかったかのようにまた静寂が訪れた。
だが変化は起きている。
それを証明するかのように、紗奈は堂々と正面から歩いていく。
幾重も張り巡らされているはずの警報機は鳴らない。
紗奈の足音一つ立てない優雅な行進を、ただ見守るだけの存在になっていた。
「……ん」
紗奈の合図で、後ろからついてきた海斗が屋敷の正面の扉を開くと、そこには黒のスーツを着た男が十数名ほど立っていた。
「こんばんはぁーっ。成瀬様のお宅でよろしかったでしょうか?本人はご在宅ですか?」
紗奈が重苦しい雰囲気に似合わない可愛らしい声で、目の前の男たちに聞く。
警報機の音を耳にしていない男たちが『なにが起きている?』と驚き、紗奈が首を傾げる。そんな微妙な時間が流れる。
ややあって――
ハッと目を覚ました男たちは、一斉に銃をこちらに向けた。
「侵入者だっ!」
声が響いたのは一拍置いたあと。その頃には紗奈はとっくに走り出していた。
銃声が響く中、紗奈の指輪がキィンッと光り、次々と武器を無力化していく。
紗奈が立ち止まったとき、男たちは再び驚きで動けずにいた。その一瞬のスキをつき海斗が全員を倒していく。
『殺せ』との命令だ。確実に仕留めていく。
倒し損ねはいないかと辺りを確認する海斗の目に、銃弾をまるでお手玉のようにもてあそぶ、そんな紗奈の姿が見えた。
そして――
「いやんっ。手が滑っちゃった」
弾が一瞬で紗奈の周りに浮く。そのまま海斗へ向けて紗奈の指が向けられると、弾が一斉に放たれた。
「あぶねぇっ!」
拳で何発か砕きながらも、なんとか全てかわす海斗。
その後ろで人のうめき声と、倒れる音が聞こえた。
海斗がそちらを見ると、黒いスーツを着た男たちが倒れており、その場に赤黒い染みを作っていた。
「……毎回言わせてもらうが、一言あってもいいんじゃないか?」
「あら、ここは戦場よ?めんどくさいやりとりはナシで」
にっこりと微笑む紗奈を海斗は睨みつけるが、海斗の圧は紗奈には効かない。むしろ、その圧をかけるくらい嫌がることに快感を覚えているらしい。
実に迷惑だ。
紗奈は満面の笑みのまま、こちらに向けている指をクイクイと動かす。
先ほど紗奈の銃弾に倒れた男たちの中の一人が、紗奈の元へ引きずられていき、床には血の跡がついた。
――紗奈のつけている指輪の力だ。
小さなダイヤがついた、実に女性らしい指輪に見えるが、その能力は見た通り。高速で飛ぶ銃弾を自由に操ったり、人間だってこうして動かせる。
「お兄さんは、私の好みの顔だったので生かしておきました。さぁっ、お礼にご主人様と他の人たちの配置、それから数と金庫の場所を教えてちょーだいっ」
「どさくさに紛れて金を盗もうとするな。金庫の場所は俺たちの仕事じゃねぇ」
運ばれた男は仰向けのまま、頭の上でしゃがむ紗奈を睨んでいる。出された答えは『殺せ』だ。
そんな男を見て紗奈の口の端が上がった。そして男に近づく。まるでキスをするかのような近さだ。
「私……お兄さんみたいな人、大好きなの」
そこまで見て、海斗はため息をつきながら目をそらし、辺りの探索に入った。
やたらと大きい玄関にはいくつか観葉植物があり、壁には古そうな絵画、真正面奥には小さい和室があり、その横には奥へと続く廊下がある。
現代には合わない実に古いデザインの家だ。
海斗は今流行のデジタルな家よりも、こちらのほうが好みだ。
……そんなことはどうでも良いか。
今の騒ぎを聞いて、豪邸内がドタバタしている。足音は……ざっと五十人といったところか。
その中で、守られるように囲まれている人物がいる。それがおそらくターゲットだろう。場所は……この足音の遠さだと六階か?
どの階も、全員が部屋の中にとどまり続けている。これは紗奈の仕業だ。
そんな紗奈のほうを見ると、実に楽しそうに男と『遊んで』いる。内容は……言いたくもない。
なんらかの映像だったら、モザイクが間違いなく入るだろう。このサディストが。
「もういいだろう。行くぞ」
呆れる海斗の声は紗奈には届かないし、届いてもやめない。紗奈が白の服を好むのは、こうして赤黒く染め上げたいからだ。
響く男の叫び声が、豪邸内にいる者たちに、さぞ恐怖をあおっていることだろう。
「……ったく」
つきあってられん、と海斗は奥へと進む。
紗奈によって開かないはずのドアを、腕のプロテクターを作動させて開けて、そこで待ち構える男たちを次々と倒していく。
人体の壊しかたはわかっている。だから海斗はなるべく一撃ですむように動いた。
紗奈のようにもてあそぶ趣味などないからな。
そう心の中で呟いて。
一階を制圧して、念入りに部屋の中を確認。それを終えると階段を登る。
銃弾や機械銃のビーム、トラップなどが乱雑に向かってくるが、全て手につけたプロテクターが、いや、海斗の拳が壊していく。
「やっぱ、アナログはいいよな」
二階も無事制圧。同じように海斗は全ての部屋を確認し、階段を登っていく。
海斗は思う。
戦闘中に聞こえる『化物』という言葉は良い。
だが『来るな』や『助けて』はダメだろう。仕事は最期までしっかりとまっとうすべきだ。
そうして迎えた最上階である六階は、奥に一大きな扉があるだけ。
この階だけ不思議な造りだ。なんらかの秘密がありますと言っているようなものだが、ここまでたどり着ける者もなかなかいないのだろう。
そう思いながら、両開きの扉を開けたその時――
「今だっ!」
しゃがれた声を合図に、海斗にまぶしい光が向かってくる。
「くっ!」
それは人の背丈ほどの光線だった。浴びれば一瞬で全てがなくなるだろう。
避けようとした海斗だったが、まぶしさに思わず目を閉じてしまった。
「がああああっ!」
響き渡る悲鳴。
光線はそのまま進み続け、やがて家の壁に当たった。轟音が鳴る。
扉は壊れたものの、家自体は最先端の技術で作られたもののようだ。これくらいでは壊れない。
「どうだ!?死んだか?侵入者めっ!」
土煙でなにも見えないと、しゃがれた声が言っている。
周りにいる護衛もそれは同じで、煙がなくなり視界が良くなるまで動かない。
やがて視界が晴れていき……
しゃがれた声の男は、服のひとかけらが床に落ちているだけのその場所を見て、ニヤリと黄色い歯を見せた。
「ははははっ!ワシを殺しに来た小僧がっ!どの組織の人間か知らぬが、ワシを侮りすぎたな!」
しゃがれた声の男――成瀬は周りの護衛を手で思いきり押した。
「さぁっ!全て処理せい!なにもなかったようにするんじゃ!早くせんかっ!」
「りょうかーいっ」
「――!?――」
成瀬の叫びに似た命令に答えたのは、その場所には似合わない可愛らしい声だった。
声がした方を振り向くと、成瀬が先程まで座っていた専用の豪華なソファに、一人の女が座っていた。
テーブルにある高級マスカットを一つ口に運んで、実に美味しそうな表情を見せる。
「なっ、なっ、なっ、なっ……!」
驚く成瀬を見て、そこにいた人物――紗奈は、ぺろりとマスカットを持っていた指を煽情的に舐める。
そして、赤く染まった白いワンピースのポケットから一枚の紙を取り出し、それを全員に見せつけるように掲げる。
「警察暗部【処分課】の者です。成瀬信也、貴方の処分状です。無駄な抵抗はやめてください」
「しょ、処分課だとっ?遠い昔に消えた組織のはずでは!?」
一歩後ずさる成瀬が、足を取られてその場に尻もちをつく。そんな成瀬を守るように護衛たちが前に出て、紗奈に銃を向けた。
紗奈は気にせず、もう一粒マスカットを取って口に運ぶ。
「大人しくしてないと、こわぁーいお兄さんが来ちゃいますよ」
「……お前よりはマシだ」
聞こえてきた男の声に驚いた成瀬は、壊れた扉のほうを向く。
そこには血と煤だらけの、作業用ツナギを着ている男――無傷の海斗がいた。
「盾にするならもっと良いものよこせっ」
そう言って海斗は、先ほどまで紗奈が『遊んでいた』男を地面に放り投げる。
ほぼ人の形をしていない『それ』が着ている服が、床に落ちていたものと同じだと、その時成瀬は気づいた。
おかしいおかしいっ!
あの光線を受けて無傷なわけがない!あれは自慢の最高傑作だ!
「小僧がっ!もう一度食らえっ!」
成瀬は慌てて起き上がり、後ろで煙を吐いている光線を出す大砲の後ろに回り込む。
そして発射のスイッチを押して――
「………………?」
なにも起こらない。思わず何度もスイッチを押し……叩くように押してもなにも言わない。
「家は好みだったんだけどな。そんなデジタルを部屋に入れたら、全てがぶち壊しだよ」
いつの間にか護衛をすべて倒していた海斗が、成瀬を見て、はぁ……と、大きなため息をついている。
「うるさいうるさいうるさいっ!死ね死ね死ねええええっ!」
何度も何度もスイッチを叩く。だが結果は変わらない。
それを見て紗奈が、楽しそうに声援をあげだした。
「がんばっておじいちゃんっ!たくさん抵抗してみせてねっ!」
「最狂の女だな、ホント」
海斗がぽつりと呟きながら成瀬に向かって歩いていく。成瀬はそこから逃げ……また足を取られて床を舐める。
「ほっ!欲しいものを言え!雇ってやる!暗部など古い部署に身を置くよりずっと良い待遇にしてやろう!なにが欲しい!?金か!?物か!?女か!?なんでも言え!なんでも用意してやる!だからだからだからだからワシはまだ死にたくな――」
大きななにかが床に落ちる音と、一瞬の静寂。
「……あーあ。そういうところ本当に嫌い。なにが慈悲の男よ」
「うるせぇ」
海斗の一撃により、成瀬はその生涯を終えたのだった――
「チーム『ほこたて』。無事戻りました」
「うん、お疲れさま」
強固ガラスが周りを彩る大きな部屋。
そこにある机に座る二人の上司、舘池コアラの前に、二人は立って報告していた。
『処分』の仕事から夜が明けて次の日だ。いや、日付が変わってからの仕事だったから、正確には同じ日か。
……などと考えていると、海斗の横で紗奈がぶーぶーと文句を言いだした。
「たてさぁん。このチーム名やめましょうよ。可愛くないです」
「そうかな?二人にピッタリだと思うけど」
海斗と紗奈。二人で見合わせ、すぐに舘池のほうを向いて、同時に言った。
「全然」
「あははっ!二人をコンビにしてよかったよっ。海斗が矛で、紗奈が盾。矛盾コンビ。デコボココンビ。うん、いいねっ」
「どれも可愛くないぃ」
まだ文句を言いそうな紗奈見て、海斗は大きなため息をついた。このままでは、いつまで経っても報告が終わらない。
「屋敷の人間はすべて処分しました。それから報告書にも書きましたが、裏金や不正の証拠も全て回収済みです」
「お疲れ様、海斗」
「私も頑張りましたよぉ。報告書……は、めんどくさいからやりませんけど」
――そう。海斗が一人で報告書を書いた。だからこの時間になったのだ。
ちなみに紗奈はその間、現場で奇跡的に虫の息だった者と『楽しい会話』をして、色々と情報を引き出した。
そのせいで増える報告書の枚数。整理が本当に、ほんっとうに大変だった。
海斗は一見コワモテで誰もが恐れるが、真面目でしっかり者。
紗奈は一見美少女で誰もが振り向くが、だらしがなく滅茶苦茶なことをする。
「本当に正反対な二人だよね。でもね、そういう二人のほうが相性が良いらしいよ。光と影。白と黒」
「……なんの話ですか?舘池さん」
海斗の質問に舘池は意味ありげに笑い、二人をまじまじと見つめる。
そして、楽しそうに言葉を口にした。
「二人は恋人とか夫婦とか、そんな噂が絶えないんだよ。どうだい?本当にそうなってみるのは?」
また海斗と紗奈は同時にお互いの顔を見た。
「無理です」
「この男とは絶対ヤダ」
二人が同時に拒否の言葉を言うと、舘池はまた楽しそうに笑った。
相棒、あっても友情だ。それ以上はない。絶対にない。
もし、恋愛感情など持つようなら、自分で自分を殺そうと思う。
そう思いながら海斗は窓の外を見た。
今日の仕事が休みで良かった。このあとゆっくり眠れる。
紗奈はこれから大学に行ってバイトだろう。
紗奈は海斗より八歳も若く、今二十三歳だ。
若さと体力が羨ましいと思いつつ、懐から煙草を取り出して火をつける。
仕事のあとの煙草は最高だ。煙を吸い込み……
「ふぁーあ……っ」
あくびと同時に出た煙は、空気にまぎれて消えていった。




