線量計を持つ男(演劇脚本)
◆はじめに
東日本大震災の原発事故により避難を余儀なくされた男二人のコミカルな会話が、やがて深層へと向かう劇です。まだ放射線量に敏感だった頃の物語です。
◆キャスト
男A
男B
娘
曲・開幕
ある公園。ベンチとゴミ箱が置かれている。 ベンチに座り、ひとりぼんやりしているB。リュックを背負い、首から線量計を提げたAが登場。あちこちを計測し、おもむろに手帳に記録し始める。
曲、フェードアウト
A ……東南の角・0.6……道路沿い・0.5……0.9、やっぱり排水口付近は線量が高いなぁ ……1.5、吹きだまりの落ち葉は、危険だ……北西の角・0.4…… (やがてBの足元を測り、 はじめてそこにBがいることに気づく) あっ、失礼しました。
B やぁ、熱心ですね、相変わらず。どうですか? 今日の塩梅は?
A いやぁ、あまり大きな変動はありません……ありませんが、相変わらず高いですなぁ、このあたりは。
Bうなずく。
A とくに、吹きだまってるところとか、排水口付近は、やっぱりだめです。(そちらを指差す)
B やっぱりそうですか……じゃあ、あそこ。あそこなんかどうです?
A えっ、どこですか?
B あそこです。あの、木の影になって、ちょっと薄暗くなっているところ。いや、前から気になってまして……。
A なんですか? 何か気になりますか?
B いゃ、「ホットスポット」ってあるじゃないですか。なにかにおうんです。
A においますか?
B えぇ、においます。
A そんなに、においますか。
二人はそちらへ移動する。
A (鼻でにおいをかぐ)なにかにおいますか。
B、Aを冷めた目で見、引く。
A (Bを見て)いや、ちょっとした冗談です。イヤだなぁ、真に受けないで下さい。
B いや、真に受けたわけではありません。ただちょっと、わたしとは、笑いのツボが違うなぁと思っただけです。
A (照れ笑い) いま、測りますから。( 計測する) 0.4 まぁまぁですね。
B それほどでもなかったですね。(納得) 隣の町では、町内会が、先週から除染を始めたそうです。なかなか行政が動いてくれなくて、町の人たち、しびれを切らしたんでしょうねぇ。でも、廃棄物置き場に困ってしまって、 結局公園の一角に埋めることにしたそうです。
A 除染自体も大変だし、その後に出たものの処置も困ってしまいますよねぇ。よそに移すか、そこに埋めるか……どちらも難しい問題だ。
B ホントに困ったものです……ところであなた、どうして毎日毎日、放射線量を計ってるんですか?
A なんですか? わたし、何かいけないことしましたか? 他人の敷地には入ってませんけど。
B いや、いけないとはいってません。……ただ、どうしてそんなに熱心に計測できるのかなぁ。毎日毎日、よく続くなぁって……ちょっと思ったんです。
A それほど熱心というわけでもありません。なんですか? わたしのしてることは、無駄に見えますか?
B いや、無駄とは言わないけれど……もう数値に、たいした変化はないでしょう。
A そうなんです。そこがまさに困ったところでして。
B 何か困りましたか?
A あなた、困りませんか?
B なんですか? そんなに困りますか?
A 困るじゃないですか。……だって、こんなに毎日毎日一生懸命計っても、ほとんど数値が変わらない……。
B ……変わらない……あぁ、そういうこと。
A やっとわかってくれました? 変わらない怖さが。
B やっとわかりました。あなたの怖さが。(後ずさる)
A いゃ、私は怖くないですよ。いたって穏やかです。
B ……そう……ですね。
A 家内の多少の愚痴も、笑顔で洗い流します。
B 洗い流しますか……
A はい?
B だから、洗い流すんでしょう?
A なにか、いけませんか?
B ……それは、「受け流す」じゃないですか?
A あぁ、そうでした。「受け流す」です。
B ですよね。ちょっとびっくりしました……それで、奥さんの愚痴を、笑顔で受け流すんですね。
A ハイ、きれいさっぱり受け流します。
B きれいさっぱりですか……
A ……なにか……あなた。わたしに言いたいことでもあるんですか?
B なんですか? 言いたいことですか?
A はい、言いたいことです……わたしに、文句とか、抗議とか、そういったたぐいの、あまり聞きたくない言葉です。
B 聞きたくない言葉、ですか?
A ハイ。聞きたくない言葉です……このところ、聞きたくないことばがたくさんありました。「想定外」しかり、「直ちに身体に影響が出る値ではございません」しかり、「ヒマワリ」しかり。
B ……「ヒマワリ」が、なにかしましたか?
A えぇ、私を心配させ、そしてがっかりさせました。
B ずいぶん罪なヒマワリですね。
A えぇ、ヒマワリは罪を犯しました。
B ……そうですか、罪ですか。
A わたしはハムスターを飼っているのですが……
B いきなりハムスターですか?
A はい、ハムスターです……いけませんか?
B (首を横に振る)いけなくは、ないんですけど、その話、長くなります? 座っていいですか?
A、うなずく。B、座る。
A 私、ハムスターを飼ってるんですけど、そのエサは、ヒマワリの種なんですね。
B あぁ、ヒマワリの種。
A そう、ヒマワリの種。それで、わたしは、エサには気を遣ってたんです。たとえペットであろうとも、家族の一員として、できるだけ健康に留意したものにしよう! って。
B はぁ……
A それで、うちのハムスターのえさは、これまで国産のものにしていたのです。多少高くても。
B なるほど。
A でも、放射性物質に汚染されてしまったじゃないですか。
B そうですね。
A それで、うちのハムスターにやるえさに困ってしまったんです。
B なるほど。
A 外国産のものは、生産や輸入の段階で、どんな農薬が使われているかわからないし……。
B そうですね。「ポストハーベスト」ってやつですね。
A そうです……でも、今、こんなことになってしまって。
B はい。
A ヒマワリの種一つに、思い悩んでいるんです。
B はい。
A 国産にすべきか。外国産にすべきか。
B あぁ。
A 事は、命にかかわる問題ですから。
B まぁ。
A 簡単には決められないんです。
B そう……ですね。
A ハムスターでも。
B ……
A ヒマワリでも。
B ……(首をかしげる)
A ……あれ……いま、たかがハムスターじゃないか、とか、
B (?)
A たかがヒマワリごときにって思いませんでした?
Bいえ、思ってません。
A いいえ、思ってました。あなたはいま、ペットのエサごときに、この人、何をそんなにあわてているのだと思ってました。
B いいえ、思ってません。思ってませんから。
A いいえ、確かに思ってました。表情にそれが表れてました。
B いゃ、ホントに……
A 世の人々の心の移ろいやすさは、こんなところにも現れているのですねぇ……嘆かわしいことだ……
B (困っている)
A ついこのあいだまでは、「被災者に救いの手を差し伸べよう」とか、「外出時にはマスクをしなくちゃ」とか、言ってたのに、今じゃ、被災者のことも、放射線のことも、慣れっこになっちまった。人の世のはかなさをしみじみ感じさせられるよ、まったく。(ため息)
B いや、そこまで落ち込まなくても。
A いえ、落ち込ませてください。とことん。奈落の底まで。(客席のほうを覗き込む)
B 「奈落の底」って、なんか、また、違うような気がするんですけど。
A いいえ、どん底っていう意味です……いいじゃないですか、そんな細かいことは。あなた、けっこう、細かいことにいちいちこだわるタイプですねぇ。
B いぇ、そうではないんですけど……その程度の段差でも、 打ち所が悪ければ死にますよ。……だんだん話が見えなくなってきた……話を元に戻しませんか。
A いいですよ。あなたがそうしたいんなら、私に異論はありません。
B ……で、何の話でしたっけ。
A ヒマワリって、セシウムをよく吸収するんじゃないかって期待されてたじゃないですか。
B はい。
A あれ、嘘だったんです。
B あぁ、そうらしいですね。
A エッ? 知ってたんですか? 結構レアな情報だと思ったんだけど。
B ほとんど吸収されなかったらしいですね。 セシウム。
A そうなんです。確かにヒマワリは、他の植物よりも有害物質をたくさん吸収するんです。セシウムも、他の植物よりは多く吸収したんです……が、 期待したほどではなかった。
B らしいですね。
A それで、福島にたくさん植えられ、見事に大輪の花を咲かせたヒマワリたちは、微量のセシウムを吸収したまま放置されたのでした。終わり。
B 放置、ですか。
A はい、そうです。扱いに困ってしまったんです。やがて地中にそのまま埋められましたけど。
B それじゃあ、何のためにわざわざあんなにあちこちでヒマワリを育てたのかわからない。まさに「あだ花」だ。
A そうです。あなたのおっしゃる通り。それにしても、震災の年の農作物はすべて、実りが豊かだった。
B 浜通りにいた時、うちでは梨を作ってたんですけど、去年の一時帰宅のときは、豊作でした……放射線を浴びたからですかね。
A そういうことでもないんでしょうが……
B 子供のようにかわいがって育てた木を、見殺しにしてきたようなものです。
A そうですね……
B ……やっぱりこれは、あなたの話題だったんじゃないですか?
A なんですか?
B だから、ヒマワリの話題ですよ。
A そうですか? そうかもしれませんね。(笑う)
B 人が悪い……。
A ……あっ、ちょっと待っててください。あそこに座って。
A、退場。
曲。
Bはベンチに座る。 Aは戻ってきて、ペットボトルを差し出す。
曲、フェードアウト。
A これ、どうぞ。(Bに渡す)
B あっ、どうも。(飲む)
A 公園はどこも空いてますね。
B そうですね。向こうのゲートボール場で、たまにお年寄りたちがゲートボールしてるくらいです。
A ところであなたは、毎日ここに座って、何をしているんですか?
B (飲もうとしてやめ)なんですか?
A いや、私がここを通りかかると、いつもあなたが座っているから……たった一人で、ぼんやりと。
B ぼんやりしてちゃ、いけませんか?
A いえ、そういうことではないんです。ぼんやり、何を考えているのか、ちょっと気になったものですから。
B 気になりましたか。(遠くを見る)
A えぇ、ちょっと気になりました……あっ、でも、いいです。
B なんですか?
A ですから、あなたがいつもここで、ぼんやりしている理由です。
B 人にものを尋ねて、途中でやめるってのは、いけませんね。気持ちが悪い。
A いや、気持ちはもちろん、よくありません。 よくはありませんが、あなたのぼんやりは……そう、何かあなたの心の深い底にある……悲しいものだとか、思い出したくないものだとか……そういうものに触れてしまうような気がしたんです……気がしたものですから、途中で方向を転換したんです。
B 方向を転換したんですか……
A そうです、方向転換です。
B 方向を転換しちゃいましたか……
A 方向を転換しちゃ、まずいですか?……また何か間違えました? 私。
B 「方針」を「転換」したんじゃないですか?
A 「方針」……あぁ、そうでした。方向を転換しちゃったら、話が迷子になっちゃいますよねぇ。(大げさに笑う)
B ……こうしてまた、何の話題かが曖昧になっていく……
A 何の話でしたっけ。
B 今は、わたしが主人公です。
A あなたが主人公なんですか?
B はい。私が世界の中心なんです!
A ……それはちょっと、大げさじゃないですか?
B いいえ、こうなったら、私を世界の中心においてください。いいですか、今、世界の中心は、私ですよ。
A はい、いいですよ。あなたが世界の中心。
B で、その中心にいる私が、ぼんやりしているのはなぜかというのが、今の話題なんです。
A あぁ、そうでした。でも、あなたがいつも、ここでぼんやりしているから、こんなしなくてもいいいさかいが起こってしまったんです。もうぼんやりしないでください!
B どうして突然、私が非難されなくちゃならないんですか!
A いいえ、さっきからずうっと、あなたが話をややこしくしている。
B それはあなたの方でしょう。言葉の意味をビミョ~に間違えて、人の気持ちをとお~っても不安にさせている。
A あなたがわたしを大きな目で見ないから、こんなことになってるんです。
B だからそれは、「大目に見る」だろう。もう、いやだ。(頭を抱える)
A わたしたち、二人とも、疲れてますね。
B 疲れているのは、私だけだ! いいか、言葉はとても大切なものだ。言葉は正確に遣わなければならない! なんだ? あの「冷温停止状態」という自己矛盾した言葉は。「冷温停止」は、原子炉が健全な状態で停止したときに使われる用語だろ。福島第一原発のように、圧力容器も格納容器も穴が開いたと予想され、熔融した燃料が環境内に溶け出してしまっているかもしれない時に、遣っていい言葉じゃない。前提条件が崩れている。それなのに、何であんな用語を平気で遣うんだ!
A (苦しがりながら)おっしゃるとおりです。
B それに、「状態」ってなんなんだ! 「冷温停止」ノヨウナモノか? ホントは冷温停止って言っちゃいけないんだけど、そうなることの期待を込めて、みんなをうまく丸め込む用語として作ったんだろう? 「冷温停止」と、ごく近い状態にあるけれど、ちょっと違う。デモデモ、そんなに心配しなくてもオッケイよ。ミンナ、神経過敏なんだから ♡ ♡ ♡ とでも言いたいのか! それからあれだ。あの、「計画的避難」ってなんなんだ? 避難しなければならないんなら、すぐに避難させるべきだろう? 言葉は正確に遣わなければならない。こんな自己矛盾した、でたらめな言葉ばかり遣っていると、人が不幸になる。人が死ぬことになる。わかるか? 言葉をちゃんと遣えないやつは、人の上に立ってはいけないんだ。わかるか?
A わかります。(とても苦しそう)
B お前は、私がここでぼんやりしているわけが聞きたくないのか? 聞きたいんだろう! どうなんだ!
A (小さな声で)聞きたいです。
B なに? 聞こえない!
A 聞きたいです。
B 「あなたの話を聞かせて下さい、お願いします」だろ!
A あなたの話を聞かせて下さい、お願いします。
B もう一度! 大きな声で!
A あなたが世界の中心です。話を聞かせてください。お願いします。助けてください。ツブレル……
B お前なんか、つぶれてしまえ!
A ハムスターが……
B ハムスター?
A リュックの中に……
B、思わず手を離す。Aは下敷きになっていたリュックから、ハムスターを大事そうに取り出す。
B 大丈夫ですか? まさかそんなところに入っているとは夢にも思わなかったもので……すみません。ケガはないですか?
A 大丈夫です。どこもケガはないようです。
B よかった……でも、ほんとに大丈夫ですか? まったく動きませんが。
A うちのは、おとなしいんです。ほら、見てください。かわいいでしょう?(差し出す)
B かじったり、しませんか?
A 大丈夫です。ほら。
B ほんとにおとなしいですね。(触る)これは……ぬいぐるみじゃないですか。
A はい、そうです。
B ……こんなもの、こうしてくれるわ! (Aからぬいぐるみを奪い、投げる)
A あぁ……何するんですか! ハム次郎! (拾いに行く。大事そうに抱えて戻ってくる)
ケガはないかい? ハム次郎。怖い目にあったねぇ 。
仁王立ちのB。
A (離れたところで立ち止まり)そんなに怒らないで下さい。悪気があったわけではないですから。
B 何なんですか。ひとをからかって。
A ほんとにすみません。
B もしかして、ハムスターを飼ってるって話は嘘ですか。
A いゃ、家では本当に飼っているんです。家にいる本物はハム三郎。この子はハム次郎って言います。なぜこの子が次郎で、本物が三郎なのかは、話が長くなるので割愛します。(ペコリ)
B そんな話、聞きたくありません。
A 太郎はどうなったのか、気になりますか?
B いや、まったくもって、これっぽっちも気になりません。
A ほんとですか? 遠慮はいりませんよ。
B 遠慮なぞ、してません!
A ホントは家では生き物が飼えないんですけどね。
B 次の話題に移ろうとしてますか? あなたも仮設住宅なんですか?
A いえ、借り上げ住宅です。いや、この子達のことを内緒にしていただけたらなって思ったんです。
B それは大丈夫ですけど……ほんとに飼っているのかが信用できない。
A いまは、この子達を世話して、エサを与えるぐらいしかやることがないんです。ですから、内密にしていただければと思って、本当に頼んでいるんです。すみません。
B まったく……人が悪い。
B、少し落ち着いてベンチに座り、飲み物を飲む。Aも座る。
B いや、失礼しました。つい、興奮してしまって、日ごろの怒りが止まらなくなりました……(もう一口飲む)さっきの「ぼんやり」のはなしですけど、 じつは、わたし、ここで時間をつぶしてるんです……ちょっと事情がありまして……
A どうかなさったんですか?
B いえ、ちょっと家にいづらくて……
A ……そうですか。……じつは、私もなんです……私も、家にいづらいんです。それでこうして、毎日、近所の線量を計ってるんです。
B そうなんですか。同じだ。
A あなたはどうして家にいづらいんですか?
B ……じつは、私、仮設住宅に入ってるんですが、夏は暑い、冬は寒い、壁は薄い、プライバシーはない、物は置けない、家内はうるさいで、家にいづらいんです。
A 奥さんがうるさいんですか?
B えぇ、それはもう大変で、地震のときの恐怖だとか、原発へのいらいらだとか、いまだに時々そういうものを私にぶちまけるんです。 ヒステリーです……
A うちもそうです。今の場所での生活に、やっと少しずつ慣れてきたかと思ったんですけど、やっぱりふとした瞬間に避難当時のことを思い出して、うちの家内も感情が高ぶるときがあります。 ずっと家内のほうが気丈にやってくれていたんですけど。
B 我々自身もそうですもんね。
A 将来への展望が、まるで描けないんです。
B まさにそれなんです。今後が見えない。将来への漠然とした不安ってやつです。ふるさとに戻れるのか、それがいったいいつなのか。無理やり連れ戻されようとしているのではないか。戻れないとしたらどこに終の棲家を置くのか。賠償がいつまで続くのか。それらがすべて明示されない不安。そうこうしているうちに、ふるさとの家はどんどん腐って荒れて行く……。私自身、ずうっと家にいると、気持ちが腐ってくるので、こうして外に出るといったわけです……
A 私も、たまに役場から送られてくる町の広報誌が、唯一の頼りです。町とのつながりが、それしかなくなってしまった。以前の隣近所の人たちは、全国にばらばらになってしまってますから。
B でもほんと、原発の賠償って、いつまで続くんでしょうか。あなた、請求はできてますか?
A 実は私、第一回目の請求のときに挫折してしまいました。 そのままになってます。
B あれは説明書が細かくて、内容を理解するのが難しすぎますよねぇ。おまけに書かなくちゃならないことが多いし、日付や項目なんか、もう覚えてないし、レシートもないし……
A そういうこともあるんですけど……わたし……わずかに残っていたレシートとか、 メモだとか、当時の新聞だとか、賠償請求するために必要なものを準備したり眺めたりしていると、 いつも気分が悪くなるんです。
B はい。
A 避難当時のことを、もう一度鮮明に思い出させられ、 詳細に記入させられることに耐えられなくて……そんな作業をしていたら、不整脈になってしまいました。医者で薬をもらって飲んでます。
B、うなずく。
A 県民健康管理調査ってあるじゃないですか。
B はい。
A あれも出してないです。いつ、どこで、なにをしていたか。それを時間単位で記入しなければならないんですよね。 それによってどれだけの放射線を浴びてしまったのかがわかるというんだけど……当時の記憶は、思い出したくないです……
B (わざと明るく)こないだ、一時帰宅したんですけど、 今回は、墓参りに行ってきました。
A それはよかったですね。私も次は、お墓の掃除をしようと思ってました。で、どうでした?
B えぇ、ずうっと墓参りしたかったので、少しは気が晴れました。 でも、やっぱりあれは、なんともいえない光景ですね。先祖代々の墓石が傾いたり、倒れたり……それが今もそのままになっているんですから。私、腰が悪いんで、倒れた墓石は直せませんでした。
A ここからだと警戒区域を避けて何時間もかけて遠回りしていかなければなりませんしね。国道288号を行けば、1時間半で着くのに、交通が規制されているから、半円を描いて行かなくちゃならない。
B 長時間運転して、やっとふるさとにたどり着いても、大きな物の片づけなんかの力仕事をやろうという気はとても起きません。帰りもまた、長時間運転が待ってますから。
A 私もそうです。だから、せっかく一時帰宅しても、簡単な片付けぐらいしかできないです。うちは、屋根は大丈夫だったので、雨漏りがないのは幸いでした。でも、戸を締め切っていると、やっぱりカビますね。人が住まない家は、死んでしまいます。
B 墓参りのあと、家の方も覗いて来たんですけど、玄関を入ったら、居間の方からカチカチ音が聞こえてくるんです。なんだろうと思って見てみたら、掛け時計の音でした。2と3のあいだで秒針が揺れてました……未来へ進むことを止められることに、一生懸命抗っているようでした。町は、あの時、すべてが止まってしまいました……避難してからもう、どれくらいたちましたっけ。なんか、時間の感覚がおかしいんです、わたし。
A あなたもそうですか。私も時間や季節の感覚が変な感じがします。
B そうそう、そうなんです。これって、私だけかと思ってました。
A 私は季節が、半年ずれてるんです。いま、 春なのか秋なのかが妙な感じなんです。
B それに、今でも小さく揺れてる感じがして。めまいで自分が揺れているのか、本当の余震なのかがわからないんです……味覚や嗅覚もおかしいし……そういえば、冷蔵庫も、その時に、思い切ってドアを開けました。
A あれ、勇気が要るんですよね。勇気を出されたんですね。
B はい。わたし、冷蔵庫は絶対に開けないと心に決めていたんですけど、お墓も掃除できたし、次は冷蔵庫だ。冷蔵庫を片付けるぞって、その時突然決意したんです……扉を開けると、そこは別世界でした。家内に、どうだったって聞かれたんですけど、真実は話してません……話せません。
A 「異界」といっても過言じゃないですね。うちの冷蔵庫の中も、異空間が広がってました。
B ちゃんとマスクもしてたんですが、この、鼻の奥に残る腐敗臭は、いつになったら消えるんでしょうか。
A においの記憶は、なかなかしつこいです。私もなかなか取れませんでした。
B やっぱりそうですか……(お茶を飲む)あなた、今、楽しみはなんですか?
A 楽しみ……
B 楽しみはありますか? なにか、趣味とか。
A 趣味……これといってありません。あっ、ハムスターにえさをやるくらいです。(にやつきながら、Bの方を見る)
B (無視して)……パチンコにもずいぶん行ってないなぁ。
A パチンコですか? ハムスターはもういいですか?
B (きっぱりと)いや、いいです。またけんかになりますから。……私、パチンコが唯一の趣味でして、最後に行ったの、いつだっけなぁ……心のオアシスを、奪われてしまいました。
A 奥さんが、うるさいんですか?
B いえ、そうじゃないんです。周りの目が気になって……賠償金をもらって生活してる身としては、世間様の視線が痛いんです。
A あぁ、そういうことですか。
B 私、酒もタバコもやらないんですけど……パチンコだけを唯一の娯楽として、今まで生きてきました……それが今では、よそ様から叩かれる趣味になってしまった。避難して義捐金や賠償金をたんまりもらってるくせに、その金で遊んでるって思われるみたいで……ふるさとから突然強制的に追い出され、将来の展望が開かれない私の唯一の趣味は、今、ごうごうたる非難の対象です……多少の娯楽や憂さ晴らしも許されないなんて……
A そうですか……うちの家内も言ってます。買い物袋を一度にたくさん抱えて帰れないって。
B あぁ……
A 袋の中身は、生活に必要なものばかりだし、うちは4人家族なので、 どうしても品数が多くなるんです。 でも、あそこは賠償金でいい生活してるんだろう。一度にあんなに買い物できてうらやましい……そんなふうに思われるって。実際に、そうはっきり言われたこともあったそうです。だから、家内、買い物は買い物袋一個分と心に決めてるそうです。
B なんか、切ないですね。わたしら、地震と津波と原発とで、もう十分に痛めつけられてるのに、そんなことにまで気を遣わなくちゃならないなんて……最近、私、なんか体に力が入らないんです……あなた、そんなことないですか?
A わたしもです。同じだ。
B なんなんでしょうねぇ、この……「虚無感」って言うんですか? 人生のむなしさっていうか。
A そうですねぇ。
B ……故郷とも、近所の人とも、過去とも、新天地の人とも、家族とも、関係が断ち切られてしまった……とても大切なものが、根こそぎ奪われてしまった……原発は罪が重いです……
ふたりはしばし、ぼーっとする。
A もしふるさとに戻れるようになったら、どうするつもりですか?
B うちは、山に近いので、果樹園も家も、もうあきらめているというのが正直なところです。空間線量が高くて、たぶん帰宅困難区域になると思いますから。でもそれを客観的に認めたくない自分もいて、悩んでも仕方がないことなのかもしれませんが、 でも割り切れないというか、やりきれない……去年、町役場だけ除染を行ったんですけど、確かに線量は下がったのですが、でもそこに戻って以前と同じように生活するためには、役場だけ線量が下がってもしょうがないんですよね。スーパーや学校や病院や職場や水道や、そういう日常が戻らないことには、生活できないです。単に空間線量が下がっただけでは、住民は戻りたくても戻れません。地域社会が破壊されてますから。
A 浪江の木場魚屋のマグロ、食べたいなぁ。
B あぁ、木場さんの刺身は、どれもうまかった。
A 木場魚屋のマグロ、食べた~い!
B ちょっと、声が大きすぎますよ。
A 小高の山川食堂のラーメン、食べた~い!
B 私は、味噌が好きでした。
A 私は、醤油です……放射線に対する不安って、心がもやもやした状態がずうっと続いているじゃないですか。放射線は見えないだけに厄介だ。
B そもそも、除染なんてほんとにできるんだろうか……山野を薄皮一枚はがすようなことが。
A うちの地区は、幸い線量が低いんですけど、原発の近くには、小さい子供を連れて戻ろうとは思いません……結局、老人しかいない町になってしまう……
二人はしばし、ぼーっとする。夕景へ。
娘 (上手そで幕の中から)おとうさーん。
A おぉ、あおい、こっちだよ。
娘 (上手から走って登場) おとうさーん。
A 危ないじゃないか。来年は、小学生になるんだから、 もうちょっとおねえさんになりなさい。
娘 だって、お母さんが、お父さんを急いで迎えに行きなさいって言うから、走ってきた。晩ご飯だよ。
A そうだね。もう家に帰る時間だね。あいさつは?
娘 こんにちは。
B こんにちは。お嬢さん、いくつ?
娘 (はにかみながら)5歳。アスナロ幼稚園の年長組。
B そう。幼稚園は楽しい?
娘 はい! 逆上がりもできる。
B すごいねぇ。練習したの?
娘 お母さんと一緒に、特訓したの。
B 「特訓」。すごいね。
娘 楓ちゃんは、逆上がり、できるから、わたし、特訓した。
A 友達ができて自分ができないと、いやみたいです。負けず嫌いなんです。
B がんばりやさんだね。えらいよ。
娘、はにかむ。
B こっちの幼稚園でも、友達はできた?
娘 うん。楓ちゃんと、あかりちゃんと、しんちゃん。ピアノ教室にも行ってる。
B そう。ピアノが好きなのかい?
娘、うなずく。
A 浪江にいた時から習ってるんです。
娘 ジャック・スパロー弾ける。
B ジャック・スパロー?
A 「カリブの海賊」っていう映画の主人公です。
娘 ラララララララララララララララ…(弾くまねをしながら口ずさむ。体を揺らしながら、小さく歌い続ける)
B 上手上手。
A エレクトーンなんですけど、好きなようで、いい気晴らしになってるみたいです。(歌い続けている娘に)あおい。今日の晩御飯は何だい?
娘 カレーだって。でも、わたし、まだからいの食べられないから甘口だけどいい? お父さん、からいの好きだけど。
A いいよ。お母さんのカレーはおいしいからね。……あおい。マスクはどうした? 今日は少し風があるから、ちゃんとしないとだめだよ。
娘 だって、苦しいんだもん。
A 苦しくっても、我慢しなさい。お母さんは持たせなかったのかい? あっ、そうだ。線量計は……(首に掛けているのを確認して)ちゃんとしてるね。えらい。(リュックからマスクを取り出し)これをしてなさい。(娘に付けさせようとする)
娘 マスクはいやだ。暑いし。(マスクを取る)
A いやでも我慢しなければならないよ。放射線が心配だから。お前もわかるだろう。
娘、うなずく。
A お父さんも、すぐ帰るから、お母さんに、そう言いなさい。
娘 ハーイ!
Aがマスクを付けてあげる。娘は「自分でできる」と言って、つける。走って上手へ去ろうとする途中で、地面の上に何か見つけてしゃがむ。それを手で拾おうとする。
A (大きな声で)あおい! だめだよ、触っちゃ!
娘、びくっとしてとまり、そーっと立ち上がる。
娘 だって、きれいな石があったの。
A 道に落ちいてるものを触っちゃだめだよ。セシウムがついてるかもしれないだろう?
娘、名残惜しそうだが、うなずき、上手へ走り去る。
A 車に気をつけて!
B ……小さな子がいると、いろいろ大変ですね。気を遣わなければならないことがたくさんあって。
A はい……息を吸うことも、飲んだり食べたりすることも、外で遊ぶことも……そんなささいな、今までまったく気にせずにしてきたことに、いちいち気を遣わなければならないんです……子供が、一番かわいそうです……
Aはベンチに座る。
B ……あの日、津波でひどくやられたらしいという情報が入って、すぐにおばあちゃんの家に行きました。息子が遊びに行っていたんです。でも、道路が封鎖されていて、警察の人がいて、浜へ行くことはできませんでした。「津波が、国道6号まで来た。余震が続き、第二波の津波の恐れがある。」そう警察の人は言ってました。海の近くに祖母の家はありました。電話がつながらない。私は、裏山から藪をかき分けて歩いて行きました。薄暗い中に広がる浜辺の景色は、私の知っているものとはまるで別のものでした。巨大なブルドーザーで、あたり一面が乱暴にならされたようでした。田んぼが一面、海になっていました。私は祖母の家があるはずの場所に向かいました。でも、ガレキと泥が積もっていて、なかなかそこにたどり着くことができません。まだあちこちからうめき声が聞こえてきました。家の下から、女の子のうめき声が聞こえてきます。でも、どうすることもできません。私は余震と津波におびえながら、一晩中、泥の中でもがくことしかできませんでした……。
気がつくと、あたりは明るくなり、私は道端で寝ていました。町の放送が何度も繰り返していました。『総理大臣から、避難命令が出されました。町民の皆さんは、至急津島へ避難してください。町民の皆さんは、至急津島へ避難してください。』 私はとにかく家に戻らなくてはならないと思いました。家内がひとりで待っています。ガソリンスタンドは全部閉まっていました。私たちは、役場が用意したバスに乗り込みました。津島までの道はずうっと長い渋滞でした。いつになったら避難所に着くのだろう。そのあいだに、放射性物質が後ろから襲ってくるのではないか……そんなことばかり考えていました。反対車線を浪江に向かう緊急車両の人たちは、特殊なマスクをし、白い服を着ていました。それは今までテレビでしか見たことのない姿でした。とても奇異な感じがしました。自分たちは、マスクもせず、防護服も与えられず、ヨウ素剤も配付されていません。津島の小さな避難所はひどく混乱していました。私たちは、自分たちが腰を下ろす場所を一生懸命探しました。寒くて狭い廊下の、できるだけ風の当たらない所にわずかなスペースを見つけて、家内とかたまって座りました。夜、冷たい小さなおにぎりが一人に一つずつ渡されました。津島の人の心が温かかった。ストーブ一つの部屋で50人が一夜を過ごしました。大きな余震が一晩中集会所の建物を揺らし、そのたびにみんなは天井を見上げました。私の耳には、ガレキの下から聞こえたうめき声が、ずっと聞こえていました。それに原発からの避難を告げる町の防災無線の声が重なります。浜からは、第一原発の煙突が見えました。私はとにかく逃げたかった。あの時はそれが精一杯だった。放射線が怖かった……助けを求めてうめいていた人たちには、本当に申し訳ない。……今でもあの声が耳から離れません。今でも、ふとした心の隙間に、あの声がよみがえるんです。
私は、大切な息子やおばあちゃんを見捨てて逃げてきたのです。薄情な人間です……卑怯者です。
……すみません、長くなってしまって。皆さん待っているでしょう。
A いえ、いいんです。話してくださってよかった。
B 聞いていただいて、ありがとうございます。今まで誰にも話してなかったんです。
A ……実は、私、この公園に来る理由の一つには、あなたの存在があるんです。あなたに会うために、毎日ここに来ると言ってもいい。
B ……
A 今日はあなたに会えるかな。あの公園のあのベンチで、今日もぼんやりしてるのかなぁ。会って、何話そうかって。あなたの笑顔や困った顔を見て……それでふるさととつながっているような気がするんです……会えばいつもけんかしてますけど。
B (微笑)
A あなたをからかうのがおもしろくて。(いたずら笑い) それはいまや、ハムスターに次ぐ、私の趣味となりつつあります。
B やっぱりあなたは、わたしとは、ちょっと笑いのツボが違うようです。(微笑)でも、今日は、話ができて、よかった……
A (飲み物を飲み)さてと。(立ち上がり、ペットボトルをゴミ箱に捨てる。 次いで)これも、もう、いいや。(線量計もゴミ箱に無造作に捨てる)
B なにするんですか。線量計はどうするんですか。
A はい? ……もういいんです。もう、不用なんです。
B 不用?
A なんせ、数値が変わりませんから。「高値安定」ってやつで……持っていても、しょうがないじゃないですか。
B ……そうですね。
A 私たちは、死ぬまで、この環境で生きていかなければならない……あなたは、もう少し、「ぼんやり」していきますか?
B (うなずき)はい。
A 好きなだけ、「ぼんやり」してください。私たちには、もう少し、「ぼんやり」する時間が必要です……それから……好きなことや楽しいことも、してもいいですよね……そう思います……そうして、ちょっと元気が出てきたら、次のことを考えたいと思います。それでは、また明日。カレーが待ってますから……それと、ハムスターにも夕食をやらなければなりませんので。
B また明日。
A (リュックをお守りのようにゆすりながら話しかける)ハム次郎、帰ろう。おなかがすいただろう? 家でハム三郎も待ってるよ……
A、退場。 やがてBも飲み物を飲み、 ゴミ箱に捨てようとする。 ゴミ箱を覗き、少しためらい、しかし捨てる。
娘、ボールを抱えて再び登場。
娘 おじさん。
B あおいちゃん? どうしたの? お父さんは、さっき、おうちに帰ったよ。
娘 おじさん、サッカーしよう。
B でももう暗くなるから、家にお帰り。おかあさんも心配するよ。
娘 おじさん、サッカー、好きなんでしょう?
B (うなずく) どうして知ってるの? お父さんに聞いた?
娘 (首を横に振り) ちょっとでいいの。
B じゃあ、少しだけ。
娘 いくよ。
互いにしばらく蹴りあう。
B 上手だ。
娘 おじさん。
B なんだい?
娘 もう、悲しまないで。
B ……
娘 もう、後悔しないで。
B ……
娘 もう、泣かないで。……僕は、お父さんの笑った顔が好きなんだ。だから、いつも、お父さんの笑った顔、絵にかいたでしょ。お父さんが梨を収穫してる絵、一時帰宅のとき持ってきた?
B、うなずく。
娘 上手にかけたって、ほめてくれたよね。僕、もう一度だけ、おとうさんとサッカー、したかった。お父さんの笑顔、見たかった。
B、かろうじて立っている。
娘 僕はさびしくないよ。おばあちゃんと一緒だから。だから、おとうさんも元気出して。おかあさんと仲良くね。……お父さん、笑って。
B、微笑む。
娘、微笑み、うなずく。ボールを持ち、手を振り、退場。
B、娘を見送る。やがて手を振る。次第に大きく振る。
幕。