あなたのことは大好きでした、けど乙女心を見くびらないでください
読後感の爽快を目指しました。
お話の最後にエピソードを追加しています。
今学年が終わる学園の最終日──。
講堂では式の終了を告げ、生徒たちがそれぞれ話を始めながら出口へと向かっていた。
「エノリア」
そう声をかけられた私が振り向くと婚約者のセオドアの隣にはベアトリスの姿。
高身長のセオドアと豊満な胸の大人びたベアトリスはまさにお似合い。
背も小さくセオドアと不釣り合いな私は青ざめた。
セオドアは何やら企んでいるような顔でこちらを見下ろしてくる。
「俺はベアトリスのことを愛している。彼女はまさに俺の理想なんだ」
その言葉に近くにいた何人かがこちらへ振り返る。
私は心臓を痛いほど鷲掴みにされたような苦しさを感じた。
私が居たかったところに別の女の人⋯⋯。
「セオドア様」
私の声はよく通る。出口近くを歩いている生徒までこちらを振り返り始めた。
「まさか⋯⋯まさか、私との婚約を破棄なさる気ですの!?」
私は悲痛な声を上げる。すると講堂に残っていたほとんどの生徒がこちらを向いた。
遠巻きにざわざわとし始め、好奇の目を向けてくる。
「ひどいわ⋯⋯こんなのってあんまりよ⋯⋯」
私は急いでシルクのハンカチを取り出すと両目に当てて、そっと瞳を閉じた。
ハンカチで隠した私の瞳の裏にはセオドアとの楽しい思い出とそれに胸を躍らせた日々。
「私はセオドア様を愛していたのに⋯⋯笑った顔が天使のように可愛いと言ってくれた日は天にも昇るようでしたわ⋯⋯」
肩を震わせながら声を振り絞った。その声は上ずっていたが気にもとめなかった。
そして私の瞳の裏に次々と浮かんでくる思い出。胸を高鳴らしたあの日も、顔が燃え上がるように熱くした日も──。
「エノリア⋯⋯」
「それにセオドア様のくるりとカーブした深みのある茶色の髪の毛も、その綺麗な灰色の瞳も大好きでしたのに⋯⋯ぅうっ⋯⋯ぅくっ」
その私の思い出の隣にはセオドアがいた。それを思い出す度に嗚咽が止まらない。
「そんなに俺のことを──」
ハンカチの端から外を覗くと、セオドアは少し傷ついたように顔を歪めて、こちらを見ていた。
私は溢れる気持ちを思わず口にする。
「大好きでしたわ!」
セオドアの瞳が揺れる。
するとベアトリスの横から一歩こちらへと近づいてくる。
周りは少し冷たい視線をセオドアへと向ける。そして私に対しては同情の目が向けられる。その周りの視線は私達2人が近づくと混ざり合う。
私は目の前には浮かぶような思い出に、込み上げる言葉を抑えられなかった。
「あなたと過ごした5年間はそれは楽しいもので、私の胸をいっぱいにしてくれました」
「エノリア、君がこんなに俺のことを想ってくれているなんて知らなかった」
セオドアは私の両肩にそっと優しく手を添えた。
全員が私たちに注目する。
「そんなに愛してくれているなら、俺たちやり直そう」
何人かの令嬢が息を呑んだ。
「え、冗談ですよね」
しん。
私の言葉に凍りついたのはセオドアとその他全員。おそらく全員が同じ気持ち。
私は思い出をセピア色にさせる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。君は俺のことを愛していたんだよね!?」
「えぇ、愛していましたわ⋯⋯今も⋯⋯こんなに胸が苦しくなるくらい⋯⋯」
私は下を向いて溢れてくる涙をぐっと堪える。
“そうだよな、こんな展開だったよな”と周りも頷く。
セオドアも小さく息を吐いて肩の力を抜く。
「エノリア、婚約破棄は止めよう」
「いえ、婚約破棄です」
また、空気がぴしりと凍りつく。
私の硬い言葉にもう一度セオドアとその他全員が固まった。
私は今までの思い出に名前を付けて鍵をかけた。
「私は優しくて私のことだけを見てくれるセオドア様が大好きだったんです。今でも好きな気持ちはありますが」
「だったら──」
「乙女心を見くびらないでください。
一度浮ついた心が元に戻ってきて、ずっと変わらないなんてどうやって信じるんですか?
また、私のガラスのように繊細な心を砕かないって約束できますか?
破ったら舌を抜くくらいの覚悟があると、胸を張って言えますか?」
涙でところどころ濡れているハンカチをぐしゃっと握りしめると、私は冷たく言い放った。
なんなら私の5年間も返して欲しいくらい。
他の素敵な方と楽しい時間を過ごせたかもしれない。そしてその人とそろそろ結婚かななんて話も出たかもしれない。
「嘘だ⋯⋯嘘だろ、エノリア。俺は君を愛して──」
「大好きだったあなたをまた見るのは嫌です。二度と私の前に現れないでください」
その言葉を皮切りに聞いていた令嬢たちがぞろぞろと集まってくる。
「エノリア様、頑張りましたわね」
「私たちがたくさん甘やかしてあげますわ。どんなスイーツが好きですの?」
「わあぁぁん⋯⋯お優しい皆さま、嬉しいですわ⋯⋯ひとしきり泣きながらのヤケ食いでも、大丈夫でしょうか?」
令嬢たちの心は一丸となった。
『エノリア様、私たちが味方よ』と。
それを見ていた貴族の子息たち。
その何人かの心の中では『あんなに愛してくれる令嬢、良いなぁ。見た目も可愛いな。落ち着いたら誰よりも早くアタックをしよう』と固い決意。
それから私はなぜだかとても優しくしてくれる令嬢たちと楽しい冬休みを過ごすことになる。
「それにしても不思議よねぇ」
「エノリア様、どうかしたのですか?」
毎日のように開催されるお茶会で私はつぶやいた。
「最近ね、学園のいろんな子息の方々から私を気遣うお手紙がたくさん来るのです」
「まぁ、それは水面下で子息の方々の戦いが始まっているのですわ」
「私だけを愛してくださる素敵な方がいると良いのですが」
私は目の前のいちごムースを口に運ぶと頬張った。
「あら、このいちごムース美味しいですわ。シェフにぜひご挨拶したいわ!」
このシェフが学園の子息たちの最大のライバルとなることを誰も予想していなかった。
(おわり)
お話はここで終わりになりますが、セオドアとベアトリスのことが気になるとのお声を聞きましたので、セオドアサイドと後日談を書きました。
よろしければお読みいただけると嬉しいです!
(セオドアside)
今学年が終わる1ヶ月前、エノリアが家族で領地視察へ行ってしまった。
これから1ヶ月戻らないエノリアの不在に早くも少し寂しさを覚える。
そんな時、転入したばかりのベアトリスと出会った。
黒い艶やかな長髪は風に揺れ、俺は心を奪われた。それはエノリアにはない大人の魅力。
彼女はまだ学園の建物が分からないようだ。だから俺は颯爽とリードしながら案内をする。
すると魅力的な目を投げかけてくる彼女。
エノリアは可愛い感じで俺によく懐いてくれていたが、彼女は違う。
なかなか隙を見せない彼女。どうやったら違う表情が見れるのかと考えるようになる。
次第に彼女のことを考えることが増えていく──。
彼女が笑った日、俺は瞳を閉じる度に彼女の笑顔を思い出して胸を焦がした。
それでも彼女の心の内は分からない。俺は躍起になっていた。アピールをしすぎても、こちらが好意があるのがバレてしまう。
押して引いて⋯⋯その駆け引きを楽しむようになった。
そしてその駆け引きにようやく勝ち、ベアトリスが俺に好意を持っていることが分かると何とも言えない達成感に満たされた。
今日、エノリアが帰って来て学園で会う。
エノリアは真正面から俺を好きだと言ってくれる。でも、それも日常となっていた。
ベアトリスといるような刺激的な日常ではない。
今日が学年最後の日。
ちょうどいい、エノリアにベアトリスのことを伝えよう。
理由の分かっていないベアトリスに『実は婚約者がいるんだ。でも今日で終わりにするから待っていて』と告げるとエノリアに声をかけた。
「エノリア⋯⋯俺はベアトリスのことを愛している。彼女はまさに俺の理想なんだ」
そう切り出すと、エノリアは誰が見ても悲しそうに泣きじゃくり、俺への愛を語ってくれた。
俺と過ごした日々がそんなにも輝いていたなんて⋯⋯俺はエノリアの言葉を聞いているうちに、後悔し始めた。
目の前にはかけがえのない愛があったじゃないか。今なら取り戻せる。
そう思ったのに、俺の『やり直そう』の言葉に『冗談ですよね』、そして『婚約破棄です』と返ってくる。
おかしい、あんなに愛してくれていたはずなのに⋯⋯なぜ、取り戻せないんだ。
「嘘だ⋯⋯嘘だろ、エノリア。俺は君を愛して──」
「セオドア様」
俺はベアトリスの声に我に返ると振り返った。
「ベアトリス」
するとペチンと頬に衝撃が──。
思わず頬を手で押さえると目を丸くして、ベアトリスを見る。
「⋯⋯」
彼女は叩いた手を大きく震わせている。その手を守るように左手で右手を覆った。
彼女の瞳からは涙が溢れそうなっている。
その彼女の姿は大人なんかじゃない、俺と同じ17歳の少女の瞳だった。
俺は一瞬にして2人を失った虚無感に膝から崩れ落ちていった──。
(おわり)
───────────────
【後日談】
「エノリア様、ご気分を悪くするかもしれませんが⋯⋯私あの日、見てしまったのです」
エノリアの隣に座るリリアンがそう話し始めた。
「ベアトリス様は身体の弱い妹の養生のために引っ越してきたそうで、まだ転入したばかりだったそうなんです。それで⋯⋯騒動があった日にエノリア様がセオドア様とお別れになった後⋯⋯」
私はリリアンが遠慮がちに話しているのを見てぐいっと、近づいた。
「リリアン様、話を続けてください」
「ベアトリス様は震える手でセオドア様の頬を叩いて、泣きそうな顔をして講堂を出ていったのです。私はあの姿が忘れられなくて⋯⋯」
それを聞いてから冬休み中ずっと、そのことが頭から離れなかった。
私は意を決して、学園に戻ったらベアトリスに声をかけることを決めた。
最終学年に上がった学園の廊下で私はベアトリスに声をかけた。
彼女は申し訳なさそうに肩を縮めて怯えるような目でこちらを見た。
「エノリアと申します。私たち何も知らないでしょう? もしベアトリス様がよろしければお茶をしませんか?」
ベアトリスは小さく頷いた。
そしてお茶会にやって来たベアトリスは小さな包みを渡してきて「貴族の方にお渡しするのも、どうかと思いますがクッキーを焼きましたの」と差し出した。
私はあの時、友だちになれると直感した。
その日のお茶会で一番話しかけていたのは私だろう。他の令嬢も目を丸くしていた。
「ベアトリス様は甘いものはお好きではないでしょうか? クールビューティな感じですものね」
ベアトリスはその言葉に下を向いて口をもごもごと動かした。
「⋯⋯私は生クリームが、大好きですの⋯⋯」
私は前のめりになってベアトリスを見つめた。周りの令嬢も大きく頷いている。
それから話は盛り上がりだんだんとベアトリスの人となりが分かってきた。
高身長にスッと通った目鼻立ちに誤解していた。
誰よりも少女らしい可愛いもの好きで素直な人柄だった。表情はあまりでないので、様子を探りながら話す。
その淡い表情が、どんな時にどう変わっていくのかが少しずつ分かってくると、その不器用さも愛らしく感じる。
お茶会が終わる頃には、セオドアとの出会いと格好つけたことばかり言っていたことをベアトリスから聞く。しかもそれは嘘ばっかりだったことが分かる。
ベアトリスの両手に私はそっと手を乗せた。
「これから私たちと良いお友だちになってくれませんか? 私、ベアトリス様ともっと一緒にいたいのです」
その言葉にベアトリスは輝くような笑顔を見せた。
「嬉しい⋯⋯セオドア様のことがあった時はもう駄目かと思いましたが、エノリア様に会えて嬉しいです。私、この学園に来てよかった」
私はベアトリスの手をしっかりと握りしめた。
「さ、食べましょう」
「私、生クリームをヤケ食いしますわ」
「まぁ、素敵!」
(おわり)
お読みいただきありがとうございました!
いつも誤字脱字報告ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。