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6. 追手

身支度を整え、部屋の外に出る。

そろそろ街を発つころだ。


宿の二階から一階の広間を見渡す。

今日は昨日と比べて人気がなかった。


グリムが急に私の前に手を伸ばして制止する。

私の頭を下げ、一階から姿が見えないように隠された。


「待て。亭主の視線がおかしい」


こっそり一階のカウンターを盗み見る。

たしかに亭主は、何かを探るように視線を巡らせていた。

それからしきりに窓の外を気にして、頷いている。


「エムザラはここで待て。俺が確認してくる」

「……お気をつけて」


グリムは平然とした様子で階段を下りていく。

しかし、社交の場で貴族を見てきた私には見抜ける。

彼の様子は平静を装った、警戒姿勢であると。


「おはようございます、亭主さん」

「ああ、お客さん。おはようございます。

 ……お連れの方はいないのですか?」

「ええ。彼女はもう街の外に出ていますよ」

「……!? そ、そうですか……」


亭主は焦燥を声ににじませた。

やはり私を探していたようだ。

……すでに王都の追手がこの街に?


相も変わらず落ち着いた声色で話すグリム。


「ところで、今日は人の姿が見えませんね。何かあったのですか?」

「い、いえ……なんだか今日は人の入りが少ないのですよ。いやあ、困ったものですな。ははは……」


愛想笑いが下手だ。

普段から嘘をつくことに慣れていない、そんな様子だった。


「さて、私は少し失礼しますよ。表に干している洗濯物を仕舞わなくては……」


気まずい雰囲気の中、亭主は立ち上がる。

入り口に向かっていく彼をグリムは眺めていた。

このまま亭主を逃すのかと思われたが――


一瞬のことだった。

グリムが動いたかと思うと、次の瞬間には亭主が押さえつけられていた。


「ここなら外から覗けない死角になる。さて、正直に答えてもらおうか。外には誰がいる?」

「ぐっ……な、何をするのですか!? おやめください!」


亭主は抵抗するも、グリムはまるで微動だにしない。

それどころか彼はより締め上げを強くしていく。

亭主の顔が赤くなり、じたばたと足を動かす。


「正直に言わないと、命はない。金と命、どちらが大事かよく考えた方がいい」


一切の同情を見せない冷徹な声。

グリムの殺気に亭主は震え上がり、正直に情報を吐いた。


「お、王国の小隊です! ゼパルグ第一王子の私兵だとか……」

「規模は」

「す、数名です! 本当ですよ?」

「そうか。少し眠っておけ」


すばやく手刀を入れ、グリムは亭主を気絶させる。

窓から宿の中が見えないように屈んで移動し、二階の私のもとへ戻ってきた。


「聞いていたか。宿の外にはゼパルグの私兵が来ている。

 この手配の早さ、よほど焦っているようだな」

「はい。どうしますか? 私はグリムに任せます」

「数名ならすぐに片づく。だが、街中というのが厄介だな。民間人にも紛れていたら面倒だ」


私たちは逃亡の身だ。

賊などとあらぬ汚名を着せられて、正規の王国軍に捕らえられる可能性もある。


王族のゼパルグ殿下の権力を使えば、理由などいくらでも後付けできるのだ。

たとえば『私がゼパルグ殿下の暗殺を企てた』とか。

立場が真逆の嘘でも、王族が押し通せば事実となる。


とにかく今は捕まらずに国境を超えることが重要になる。

グリムはそう語っていた。


「……今は無駄に争わず、逃げるのが得策だろう。裏口から出ようか」


逡巡の末、答えは出た。

フードを目深に被り、私とグリムは裏口へ向かう。


裏口には森が面している。

街の入り口を経由せず、森を横切って外に出ることも可能。

だけど、森を出た後に移動の足がない。


「…………」


扉を少し開けると、裏口の周囲を歩いている人影が二名。

普通の服を着ているけれど明らかに様子がおかしい。

おそらくゼパルグ殿下の私兵だ。


「おい、聖女はいたか?」

「いや。あの宿に泊まってるはずだが……チッ。早く出てこいよ。手間かけさせやがって」

「さっさと殺さないと王家の名誉に関わる。用済みの聖女ごときが面倒な……」


二人は愚痴をこぼしながら裏口を張っている。

そばでグリムが歯を噛みしめる音が聞こえた。


「エムザラ、少し待っていてくれ。すぐに終わるから、それまで外を見ないように」

「いえ、見ておきます。私が逃げるためにグリムが動いてくれる。そして死ぬ人がいるのでしょう?」

「……さすがは聖女様だね。慈悲深いようだ」


称賛なのか皮肉なのか、わからない言葉を残してグリムは外に出る。

彼はあえてフードを脱いで二人に近づいていく。

私は彼の動きをじっと窓から見つめていた。


「――」

「「――」」


一言二言、グリムは二人と言葉を交わしている。

窓越しで何を話しているのかわからなかったけれど。


一瞬のことだった。

あまりに鮮やかすぎて、見とれてしまうほどに。


くるりとグリムの手元で翻ったナイフが、二人を斬る。

ほぼ同時、寸分の狂いなく。

彼の白髪に舞った血飛沫が、一種の絵画のように見えた。


簡単に血を落としたグリムは急ぎ足で戻ってくる。


「終わった。行こう」

「はい」


鉄の匂いが鼻をつく。

宿の裏手にあるから、しばらく二人の死体は見つからないと思う。


無残に倒れる骸を見ても、私には同情の心が生じなかった。

だって、あの二人は……私を殺そうとしていたのだから。


じっとそちらを見つめていると、グリムに手を引かれた。


「……ほら、早く」

「はい、ごめんなさい」

「謝るな。君が謝る理由はなにもない」


やはり私には見せたくない光景なのだろう。

グリムの優しさを感じると同時に、私を守ってくれる人は彼しかいないのだと、再び認識する。


人を信じるのって、怖いことなんだ。

だから信じるべき人は選ばないといけない。

だから……私は自分の判断で、自分の心に従って手を取る人を決めよう。

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