4. 王子の焦燥
「エムザラが消えた……だと!?」
側近がもたらした報告に、ゼパルグは衝撃を受ける。
本当なら婚約者が失踪して悲しむ演技をするが、今はそれどころではない。
秘密裏に遣わした暗殺者が仕損じたのだから。
相手は聖女。
婚約者であるエムザラの暗殺を企てたことが露呈すれば、非常にマズいことになる。
国民や諸侯からも重要視されている者だ。
王国の瘴気が聖女の力によって払われ、向こう百年は地上が安定することを理由に、ゼパルグは忌まわしき聖女の暗殺に踏み切った。
しかしそれは彼の独断であり、誰にも許可は得ていない。
「わ、わが愛しき婚約者エムザラの行方が心配だ! 全力で探し、俺のもとに保護する! 俺の私兵もすべて出して探せ!」
額に玉のような汗を滲ませて、ゼパルグは命じる。
誰よりも、何よりも早くエムザラを発見しなくてはならない。
側近は慌てて部屋を飛び出し、エムザラの捜索命令を出しに行った。
「はぁ……ったく、面倒なことをしてくれる。
貴様は黙って死ねばいいんだ、エムザラ。もう聖女はお役御免なのだから。しかし、あの有能な殺し屋が仕損じるとは……」
椅子に腰を下ろし、ゼパルグは嘆息した。
この後は夜会に遊びに行く予定だったのに、エムザラのせいで台無しだ。
早々に口封じし、始末する必要がある。
***
貴族街を出て、城下町へ。
私とグリムは夜のうちにできるだけ遠くへ逃げることにした。
行商人の馬車にお金を払って乗り込み、揺られながら話し合う。
「これからどこへ逃げるのですか?」
「俺は暗殺者をしているが、実は隣国の密偵なんだ。隣の帝国から忍び込み、王子に取り入って暗殺者として活動していた。ゼパルグ王子は本当に利用しやすくて、国家機密をいくつも帝国に流させてもらったよ」
「つまり、帝国へ?」
「ああ。国境を越えれば追手も簡単に手出しできなくなる」
私は国を出たことがない。
聖女という重要な存在を、他国へ出すことなどあり得ない。
隣の帝国はすごく規模が大きいと聞くけれど……
「……怖いか?」
こくり、頷く。
不安という感情なのか断言できないけれど、たぶん怖がっている。
グリムは少し身を動かし、私の向かい側から隣に移動した。
そして……そっと身を引き寄せる。
「悪いな。俺のわがままで、君をこんな目に遭わせてしまった」
「いいえ、あのまま国に留まっていればゼパルグ殿下に殺されていました。私が望んだことです。私の部屋に来た刺客がグリムではなかったと思うと……」
……また胸が苦しくなってきた。
こんな痛み、最近はずっとご無沙汰だったのに。
幼少期に感じた悲しみというものが、また蘇ってきている。
グリムの胸に身を預ける。
婚約者でもないのに、こんな振る舞いを見られたら怒られてしまう。
彼の体はすごく暖かかった。
「……朝日が出たら、少し休もう。この先に小さな街がある。
そこの宿に泊まるよ」
「はい……ありがとうございます」
「大丈夫。心配しないで」
最初に会ったときの冷たい声色ではない。
いまは優しさの籠った、すてきな声色だった。
こんなに彼に甘えてもいいのだろうか。
でも……離れる気にはなれない。
彼だけが私を守ってくれるから。
***
朝が訪れたころ、王都から離れた街に着いた。
私とグリムはフードを目深に被って、顔がバレないように窓の部屋に転がり込んだ。
「眠いだろう。ゆっくり寝てくれ」
「……グリムはどうするのですか?」
「俺は今後の旅支度をして、すぐに部屋に戻ってくる。常に追手は警戒しているから、遠慮なく眠ってくれ」
だけど、それだとグリムが休めない。
お金まで出してもらっているし、少しは力にならなくては。
私は胸元のブローチを外して彼に手渡した。
「これを売って路銀にしてください。もう無用の長物ですから」
「たしかに、高貴な身分であることを示す装飾品は外しておいた方がいい。ただ、売りはしない。鞄にしまっておこう」
「ですが……」
「金はあるから大丈夫。密偵は暗殺や諜報が仕事で、そのぶん給料も高い。
……人の命は重いからな」
グリムは少し悲しそうな顔で呟いた。
彼も望んで暗殺や密偵をしているわけじゃないのかもしれない。
私は装飾の類をすべて外し、鞄にしまう。
それからグリムの身体に手をかざした。
淡い光が彼を包み込む。
「これは……聖女の力? 体がかなり軽くなった」
「眠らないのは無茶ですよ。せめて私の力を注がせてください」
「ああ……ありがとう。あの日を思い出す。
君がいれば、俺はどこまでも行けるよ。さて、少し出てくるが……何かあったらすぐに逃げて俺のもとまで来い」
「ええ。グリムもお気をつけて」
グリムは微笑を湛えて私の体をそっと離す。
少しでも彼が離れると寂しくて、不安になるけれど。
彼のためにも今は休息を取らなければ。
私はベッドに潜り込み、すぐに眠りに落ちた。