34. 私たちの日々
王国での騒動から月日は流れ。
いま、私は報告書に目を通していた。
サンドリア王国ではゼパルグ第一王子が継承権を剥奪され、第二王子オルランドが候補に。
聖女の暗殺を企てた責を取り、ゼパルグは王族の資格を失ったという。
本人はかなり抵抗したようだが無駄に終わり……その後の振る舞いも悪かったからだろうか。
共謀者のベリスと共に、ゼパルグは諸侯の怒りを買ったために死刑となった。
そして、私の元実家エイル家。
王家の資金援助に頼りきりだったエイル家は没落。
そして、聖女は正式にクラジュ帝国の公爵として、国際的に認知される運びとなった。
これから帝国の瘴気を浄化し、他国にも足を伸ばさなければならない。
「エムザラ様。難しそうなお顔をしてどうしたんですか?」
リアナが不思議そうに私の顔を覗き込む。
私は何事もなかったかのように書類を片づけた。
「いえ、なんでもありません。もう終わったことを考えても仕方ありませんからね……」
「もしやサンドリア王国の件ですか?」
「はい。私も一応、帝国の公爵ですので。王国の情報は耳に入れたくなくても、隣国の最低限の情勢は把握しておかなくてはなりません」
過去は振り返らない。
もう私は王国の聖女でなければ、エイル家の令嬢でもないのだから。
「ご立派ですね……」
「当然の務めですよ。ですが、リアナは王国出身ですからね。あなたを侍女長に任命しましたが……私が安定した地位に就いた今、無理に帝国に留まる必要はありません。
ロックス伯のもとに帰るつもりはありますか?」
私の問いにリアナは目を丸くした。
それからブンブンと首を横に振って、慌てて否定した。
「いえ! わたしはエムザラ様に一生ついていきます! 最初は帝国に行くことに不安もありましたけど……今となってはここが故郷のようです。エムザラ様さえ許してくださるのなら、ずっとお供させていただきたいです……!」
嬉しい。
私をここまで慕ってくれる人がいるなんて。
本当に恵まれた出会いだったと思う。
「これからもよろしくお願いしますね、リアナさん。
……ですが、故郷の家族にもたまには連絡してあげてくださいね」
「はい、ありがとうございます!」
これからも信頼できる臣下とともに。
私たちの日々を守っていこう。
***
夕刻、一台の馬車がルベルジュ公爵家に着いた。
あれはグリムの馬車だ。
私は窓越しに降りてくるグリムを見る。
彼の表情はどこか晴れ晴れとしていて、つかえが取れたかのような雰囲気を湛えていた。
一刻も早く彼に逢いたくて、早足で階下に降りる。
玄関に着いてすぐにグリムに駆け寄った。
「エムザラ、ただいま。走ると危ないよ」
「ふふ、ごめんなさい。でもいいことがあったのでしょう?」
「ど、どうしてわかった……?」
「グリムの表情を見たらすぐにわかりました」
グリムは恥ずかしそうに顔を背ける。
そんなに俺はわかりやすいのか……とぼやきながら。
「ま、そうだな。朗報が二つある」
二つも。
グリムは帝都に向かっていたはずだから、それと関係があるのだろう。
「それで、ひとつめは?」
「……エムザラが変わったのを見て、俺も変わらないといけないって思ったんだ。ずっと蓋をしていた過去を片づけようと帝都に向かって……バルトロメイと話をした」
「……! その話というのは、もしかして……」
私は常々思っていた。
グリムとバルトロメイ殿下はいがみ合うべきではないと。
バルトロメイ殿下から手を差し伸べようとしているのに、過去の傷が尾を引いてグリムは逃げてしまっていた。
言葉には出さずとも、私の意思を感じ取っていたのだろうか。
グリムは自分を変えるための第一歩に、兄との和解を選んだのだ。
「君に助けられたあの日、俺はバルトロメイの側近に殺されかけた。信じていた兄が俺を殺そうとした……そう思い込んで、それから塞いでいたんだ。そして今日までずっと疎遠にしてきた」
「バルトロメイ殿下は……そんなことを考えていませんよ」
「ああ、俺だって次第に気づいていった。俺を殺そうとしたのはバルトロメイの判断ではなく、側近の独断だったと。
それでも……また信じた人に裏切られるのが怖くて。誰も信じず、一人で生きてきた」
グリムは孤独だった。
私もまた孤独だった。
だけど、お互いに出会えて。
今はこうして……家族、というのは少し恥ずかしいけれど。
同じ場所で互いを思いながら生きている。
「でも、君という信じてくれる人がいたから。人を信じることの大切さを思い出して。俺はもう一度バルトロメイに……兄上に歩み寄ってみようと思ったんだ。
それで、まあ……和解したよ。いつまでも意地を張って、馬鹿みたいに反抗しているのも疲れるしな」
「よかった……では、またバルトロメイ殿下と仲よく過ごしてくれるのですね……!」
「君がそこまで喜んでくれると嬉しいよ」
そう、我がことのように嬉しい。
だって……あの日の話をするバルトロメイ殿下の顔はとても寂しそうで、いたたまれなかったから。
長い時をかけて蓄積したグリムの孤独。
それを私やバルトロメイ殿下と共に和らげていこう。
まあ、アトロ殿下は……仲よくなれる気はしないけれど。
「あ、それで二つ目の朗報はなんですか?」
「二つ目は……えっと。後で話すよ。
今日の夜、バルコニーに来てほしい。話したいことがある」
「え、はい……わかりました。バルコニーですね?」
「ああ。俺も少し……心の準備が必要なのでね」
いったいどんな用件なのだろう。
でも、グリムのことだから素敵な用事のはずだ。
私は期待して夜を待った。