23. 意思の証明
「はい……あの日以来、ずっと故郷に帰れないまま……」
「それはお辛かったですね……このまま屋敷で過ごしていても不安が募っていくだけでしょう」
瘴気の被害を受けた避難民から話を聞いていた。
農家、織物職、神父、医師……たくさんの人が嘆いている。
それだけルベルジュ公爵領は思い出深く、大切な土地だったのだろう。
私は彼らに伝える。
必ず故郷を取り戻すと。
「私が瘴気を払います。時間はかかりますが、必ず元の景色を取り戻してみせると約束します」
「聖女様……! どうか、お願いします!」
力強くうなずいた。
なぜだろう、自分が命じられて聖女の仕事をしているときは……こんな感情はなかったのに。
自分とグリムの未来のためなら、何だってできる気がする。
ペドロ侯と話を終えたグリムがやってきた。
彼の姿を見ると、民たちが一斉に跪く。
「ペドロ侯から話は聞かせてもらった。ルベルジュ公爵領の民たちよ。聖女が瘴気を払った暁には、第三皇子である私も復興に力を貸そう」
民たちは歓声を上げた。
ようやく故郷を取り戻せる兆しが見えてきたのだから当然だ。
聞けば、瘴気が現れてからすでに一年近い時が経っているという。
……それにしても、人前で礼儀正しく振る舞うグリムはなんだかおかしい。
自分のことを「私」なんて呼ぶのがすごく珍しくて。
「……おい、エムザラ。何を見ている」
「いえ、なんでもありません」
「はぁ……少し笑っていたな。その調子で笑顔を取り戻してほしい」
「私、そんなに笑っていましたか……?」
自覚はなかった。
いま私が笑っていたとしたら、それは本心からの感情だろう。
「それでいい。君はそのまま幸せになってくれ」
「私だけではありません。グリムも幸せにならなければ意味がないですから」
グリムは意表を突かれたようだった。
きっと自分の幸せなど、ほとんど考えたことがないのだろう。
「……そうだな。まあ、今は目先の問題だ。瘴気を払うとしよう。……とはいえ、その仕事をするのは俺じゃないがね」
「はい、私です。まずは近場の街道から浄化を進めていきましょう」
やるべきことはいつもと変わらない。
大丈夫、私ならできる。
***
ひとり廃村を歩いていた。
瘴気が立ち込める地域にも、私は平然と立ち入れる。
他に生き物の声はひとつもなく、ひっそり閑としている村。
転がった鍬や鋤、水瓶、馬の鞍。
かつての生活の残滓が見て取れた。
淀みがひどい。
空気は肉眼でも見えるほど汚れており、井戸水を覗き込んでも腐敗している。
「…………」
なんだか虚しい気持ちになった。
もしも、私がゼパルグ殿下に暗殺されていたとしたら。
この村は永遠に、数百年後に次の聖女が現れるまで元に戻らなかった。
そして、そのとき村に暮らしていた人々はとうに死んでいる。
私にできること。
それは今を生きる人たちに、瘴気に奪われた故郷を取り戻すこと。
私が死んでいた歴史では成し得なかった功績を残すことが、私を殺そうとした王国への意趣返しとなるかもしれない。
もう"人形"ではないのだ。
私は私自身の意思で、帝国の人々を救いたい。
片手を中空にかざす。
聖女の力を籠め、周辺を漂う瘴気に干渉した。
大気に含まれた紫色の靄が払われていく。
このまま……浄化を続けよう。
次々と体に負荷がかかっていくが、私は今……生を実感していた。
痛いけれど、苦しけれど。
これが私の望みであり、意思の証明だから。
「グリム……」
彼を想うともっと耐えられる気がした。
……気がしただけであって、本当にそうなのかはわからない。
だけど、私を救ってくれたのは彼だ。
何よりも彼のために私は生きたい。
「……っ! はぁ……」
頭に鈍い痛みが走る。
そこで私はようやく手を止めた。
これ以上続けたら、グリムやリアナに怒られてしまう。
がんばりすぎて怒られるなんて、王国で暮らしていたころは考えたこともなかったけれど。
周囲は少し浄化できた。
だが、一年以上にわたって蔓延った瘴気は簡単に払えないだろう。
明日も同じ仕事になる。
早めに帰って休もう。
***
「エムザラ様、お疲れさまでした」
帝都の宮殿に戻ると、リアナがお茶を淹れてくれる。
リラックス効果のある茶葉を使ったお茶を飲み、私はひと息ついた。
「ありがとうございます。……そういえば、さっきグリムが宮殿から出て行くのを見ました」
「はい。グリム殿下は、バルトロメイ殿下の宮殿に行かれましたよ。ルベルジュ公爵領の復興について話し合うそうです」
「そうですか。グリムは……きっとご兄弟と話すことを嫌がっているのですよね。それなのに、こうして動いてくれている。私も努力しないといけません」
まずは今日浄化に当たった村を。
その次は街道を浄化して、その次は隣街を……人の住んでいない場所は後回しで。
計画的に復興を進めていこう。
そうすればグリムにもスムーズに復興を手伝ってもらえる。
「……あの、エムザラ様」
「どうかしましたか?」
ふと、リアナが声を発した。
彼女の表情はどこか沈鬱で、不安を煽るものだった。
「さっきグリム様と、グリム様の配下の密偵の話を聞いたのです。なんでも帝国に聖女が現れたことが、王国にバレた……とか」
「それは……私が生きていることがバレたということですか?」
「いえ、そういうわけではないみたいです。噂では、新たな聖女が現れたということになっているみたいで。ですが、名声を高めるうちにエムザラ様の名が広がってしまうかもしれません」
時間の問題だ。
それは最初からわかっていた。
訃報を流したものの、聖女と共にエムザラ・エイルの名は広まりつつある。
仮にゼパルグ殿下に知られれば、国境を越えて刺客が来るかもしれない。
とはいえ、帝国に手出ししてくる可能性は低いが……
「わたしも可能な限りエムザラ様に危害が加えられないようにしますが……ご用心ください」
「わかりました。注意しておきます」
今ごろゼパルグ殿下や妹のベリスは何をしているのか。
考えたところで仕方ないし、思い出したくもない。
だから私は迷いを振り切り、翌日の仕事を考えた。