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2. 俺と来い

実家に戻り、父にまもなく婚姻が成立しそうだと報告した。


「おお、やっとか! この時をどれほど待ち望んでいたか……エムザラよ、お前は天が我が家に授けた祝福だ! これでエイル家は救われる……」


救われる。

すなわち金が入ってくるということだ。

私の人生は金と引き換えになる。


だけど、いいのかもしれない。

私が犠牲になることで一族が幸せになるのなら……


「おっと、こうしてはいられん! さっそく商人に話を通してこなくては……」


父は喜色満面の笑みで執務室に向かっていく。

入れ替わるようにして、妹のベリスがやってきた。

おそらく今の話を盗み聞きしていたのだろう。


「あら、お姉様。殿下と婚姻が叶いそうなんですって?

 さすが聖女様なだけはあるわ、いいご身分ね!」


私と同じ、艶のある黒髪。

紫紺の瞳。

違う点があるとすれば、感情の機微が豊かという点だろうか。

私は相も変わらず礼儀に沿った返答をした。


「今日もベリスは元気ですね。お勉強は終わったのですか?」

「はあ? なんでお姉様にそんな心配されなきゃいけないわけ?」


ベリスは肩をすくめてかぶりを振った。

そういえば、またドレスが新しくなっている。

エイル侯爵家の財政難は、ベリスの散財もひとつの要因になっているらしい。


「いいよねー、お姉様は。ゼパルグ殿下だって私から寝取るしさ。

 元々、殿下は私に恋をしていたのに……お姉様が聖女でさえなければ、今ごろ殿下は私の婚約者だったのよ?」


嫌味たらしくベリスは言う。

彼女の言うことは事実だ。

私もゼパルグ殿下も本意の婚約ではない。


常日頃からゼパルグ殿下にはこう言われている。

『本当はベリスのことが好きなのに、どうしてお前なんかと婚約しなくてはならないんだ』と。

とはいえ、私の身ではどうしようもない。

私にできることは、妹が婚約者と密会しているのを眺めることだけだ。


社交の場でもゼパルグ殿下がまともに構ってくれないせいで、周囲の貴族から白い目を向けられる日々。

しまいには私に問題があるのではと噂される始末だ。

最近では妹を虐めているという噂も流布され始めている。


ゼパルグ殿下は婚約者である私の家に行くと称して、たびたびベリスに会いにきている。

その度に困惑した。

両親は咎めようともしないし、とにかく困ったものだ。


「あ、今日は夜会に殿下と行くのだったわ! お父様に新しいドレスを用意してもらったから、着付けしないとね。それじゃ、お姉様? せいぜい聖女のお仕事がんばってね」

「ええ、行ってらっしゃい。お気をつけて」

「本当に……人形みたいで気持ち悪い」


ベリスは去り際に、一言呟いた。

私も、こうなりたくてなったわけじゃないのに。


いっそ、すべてを捨てられたらいいのに。

貴族としての責務、聖女としての責務。

煩わしい社交から逃げてしまいたい。


「…………」


 ***


夜。

私は眠れずにベッドの上で、窓から月を眺めていた。


なんだか胸のあたりが苦しくて。

医者に診てもらった方がいいかもしれない。

何かの病気の可能性がある。


「……」


ふと、ベッドが濡れていることに気づいた。

これは……なんだろう?


私の瞳から、水が垂れている?

目に塵でも入ったのかな……何度拭っても、水が渇いてくれない。

それどころか、ますます出てくる。


「――泣いているのか?」


ふと、耳慣れぬ声が鼓膜を叩いた。

おかしい、私の部屋にどうして人が。


振り向くと、そこには美しい青年が立っていた。

雪のように白い髪に、バラの花のように紅い瞳。

暗闇の中で彼はじっとこちらを見下ろしていた。


「……あなたは、誰ですか?」


なんだか既視感があった。

彼はゆっくりと歩み寄り、私に顔を近づけた。


……美しい。

まるで芸術品みたいだ。

感情に乏しい私でも感嘆を覚えた。


細やかな白い肌、すらりと長い手足。

多くの貴族を見てきたけれど、こんなに美しい人は見なかった。


彼は黒いローブをはためかせて、懐から刃を取り出した。

そして、銀の刃をゆっくりと私の首元に押し当てる。


「ゼパルグ第一王子の勅命により、聖女を殺しに来た。

 君がエムザラで間違いないか?」


暗殺者。

貴族には常にリスクが付きまとう。

彼は、そのリスクの最たる例だった。


権力争いによって生まれる死神。

人を殺すことを生業とする職業。


もちろん私にだって、暗殺者が来るリスクはあった。

こういうとき、普通の貴族ならどうするのだろう。

命乞いをするか、叫ぶか、抵抗するか。



でも、私は。


「……そう、ですか。私はここで死ぬのですね」


特に理由もなく諦めた。

元より操り人形だったのだ。

私を操っていた王族の手によって、この糸が切られるのならば。

何も異論はない。


首筋に当てられた冷ややかな刃。

暗殺者は、刃を添えたまま私の瞳を覗き込む。


真っ赤な瞳が宝石のように美しい。

死の間際で、そんな呑気なことを考えていた。


「……死にたいのか?」

「いえ、どうでしょう。自分でもよくわかりません。

 生まれてこのかた、私は国の言いなりでした。王族であるゼパルグ殿下が望まれたのなら、私は喜んで命を捧げましょう」


微笑んだ。

最後に浮かべたのはいつだろう、そつのない微笑みを。

どうか私を躊躇わずに殺してください。


私の腰に手を回し、暗殺者は至近距離で睨む。

刃を携えたまま。


「気持ち悪いな、その笑顔。笑わない方がマシだ」

「申し訳ありません。これ以外に表情の作り方を知りませんので」

「……チッ。どうして俺は……」


私の身体をそっと離し、暗殺者は刃を懐にしまった。

いったい何をしているのだろう?


彼は私の手を取り、美しい笑みを浮かべる。



「エムザラ……俺と来い。俺が君を幸せにしてやる」

「……ぇ」

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