19, 帝国の任
グリムに襲いかかったアトロ殿下の側近たち。
本来ならあっという間にグリムが制圧されていただろう。
だが、一瞬の後にひれ伏していたのは側近の方だった。
何が起こったのかよくわからないけど……とにかく、体格のいい男性二人が倒れているという事実だけが横たわっている。
「な、何が……?」
アトロ殿下は困惑した様子で立ち尽くす。
そんな兄に向けて、グリムは淡々と言い放った。
「陛下に報告しなければなりませんね。兄上が聖女様に無礼を働いた上、側近をけしかけて俺に暴力を振るったと」
「せ、聖女だと……? まさか、その女が……」
たとえ皇子であっても、他の皇子にけがを負わせようとしたことは許されない。
そんなことを黙認していれば宮廷内の抗争はますます激しくなり、秩序が乱れてしまう。
「チッ……お、覚えてろよ!」
簡単に側近が倒されたことに怯えたのか。
それとも問題にされることを怯えたのか。
アトロ殿下は側近を放置して走り去って行った。
私はグリムのもとに駆け寄り、傷がないかを確かめる。
ひとつも傷は負っていないようだ。
「見苦しいものをお見せしたな。アレは第二皇子のアトロ。ご覧のとおり、横暴な輩だよ」
「グリムがいなければ連れ去られていたところでした」
「ああ。皇城を歩くときは警戒した方がいい」
グリムは袖についた埃をはたき落とす。
それから倒れている側近二人をベンチの上に担いで乗せた。
「彼らも不憫だな。アトロの言いなりにならなければ生きていけないのだから」
「しかし、グリムを殴ろうとした時点で同情はできません。あなたは皇子なのですから」
「まあ、問題ないよ。俺が誰かに負けることなんてあり得ないから」
たしかに、彼は実力的には誰にも後れを取らないだろう。
でも……毎日、今のような騒動に巻き込まれていては心が保たない。
グリムが宮殿暮らしを嫌がるのも頷ける。
「行こう。陛下がお待ちだ」
「は、はい……」
庭園を抜け、長い廊下を渡る。
まっすぐに伸びる赤絨毯の先、とてつもなく大きい扉が聳え立っていた。
あの先に皇帝陛下が……?
グリムが衛兵に話を通し、両開きの門が開かれる。
私たちはゆっくりと歩みを進めて玉座の前に至った。
玉座に座る威厳のある老年の人物。
彼こそがヘルフリート皇帝陛下。
私とグリムは一様に跪く。
「面を上げよ」
重苦しい声を受けて顔を上げる。
まず、陛下はグリムの方を見て口を開いた。
「グリムよ、少し遅れたようだな」
「申し訳ございません。アトロ第二皇子の妨害に遭い、遅れてしまいました」
「……妨害とな」
「はっ。アトロ第二皇子は聖女に無礼を働き、その上で私に側近をけしかけて暴力に及びました。問題なく対処しましたが、そのため遅れてしまいました」
グリムの報告を受け取った陛下は、顔を歪めて頭を抱えた。
「ううむ……昔からアトロはお主に対して問題ばかり起こすようだ」
「私は構いませんが、聖女に被害が及ぶのは問題があるかと。彼女を守るためにも、アトロ第二皇子の素行は改めさせる必要があります」
「アトロには追って沙汰を下す。さて……」
陛下は気を取り直し、続いて私の方に視線を向ける。
「余がクラジュ帝国皇帝、ヘルフリートである。聖女エムザラ。サンドリアからクラジュへ至るまでの行程、耳にしておる。難儀であったな。それと、愚息アトロの行いも許してほしい」
「お初にお目にかかります。聖女エムザラ・エイルと申します。王国を追われた私に、こうして居場所を設けてくださった陛下の温情に、深く感謝いたします」
こうして形式張った挨拶をするのも慣れたものだ。
やはり陛下の前でも緊張らしい感情はない。
「バルトロメイ、グリムの両名から話を聞いた。お主は聖女として帝国を襲う脅威を払ってくれると。それは真か?」
「はい。人々の助けとなるのが聖女の役目です。ぜひとも尽力させてください」
「うむ、歓迎しよう。ならば帝国としても聖女を脅威から守らねばな。……グリムよ」
「はっ」
陛下に呼ばれたグリムは短く返事をする。
「まず、聖女にはメール放牧地の瘴気を払ってもらう。グリムには聖女の護衛を頼みたい。よいな?」
「承知しました」
二つ返事で了承して、グリムはそれきり口を閉ざす。
……冷淡なわけではない。
グリムは必要な返事をしているだけだ。
しかし、グリムは親子の情というものを陛下に感じているのだろうか。
陛下は視線を壁際に待機していた近衛に向け、片手を挙げた。
近衛は私に歩み寄ってきて、ひとつのブローチが入った箱を差し出した。
「これは?」
「わが居城に自由に出入りするための徽章がついたブローチである。皇帝の許しを得て行動する者、という身分の証明にもなるだろう。決してなくさず、盗まれぬようにな」
「ありがとうございます。心に留めておきます」
思い返すと、グリムも宮殿に来たときから同様のブローチをつけている。
これがあれば、私が本物の聖女だという証明ができるはず。
「今後とも聖女の活躍を楽しみにしておるぞ。しかし……少し話してみただけだが、さして問題のある人物には見えぬな。サンドリア王国から暗殺されかけたと聞くから、どのような問題児かと思っていたが」
「――陛下。問題があるのはエムザラではなく、王国の方かと。具体的に言えば彼女の婚約者であるゼパルグ第一王子や、周囲を取り巻く環境がおかしかった。サンドリアはクラジュや諸外国のことを考えず、聖女をないがしろにしてきたということです。その点のみ、ご承知おきください」
「ほう……グリムにしては饒舌だな。だが、普段は寡黙なお主がそこまで言うのだ。この一件、詳細に調べさせてもらうとしよう。では、頼んだぞ」
***
陛下との面会を終え、私たちは玉座の間から引き返す。
皇城を出たところでため息が隣から聞こえた。
「はぁ……陛下とお会いするのは緊張するな」
「そうなのですか? 実は仲が悪かったり?」
「いや、仲が悪いのはアトロとだけだよ。バルトロメイ、陛下とは別に関係性は悪くない。仲よくもないが」
ならば、どうしてグリムは緊張しているのだろう。
彼の態度を振り返り、思い当たることがあった。
常に警戒していたというか……周囲を見ていたように思う。
「……もしかして、私を守るためにずっと気を張っているからですか?」
「君は……そういうところだけ妙に鋭いな。それもひとつの理由だ」
「私によからぬ視線を向けている人がいるのは気づいていましたから。廊下を歩く使用人だったり、一部の近衛だったり。聖女の存在が疎ましい人もいるのでしょう。皇城の勢力も一枚岩ではないでしょうし」
「頭が回るな。自覚できているなら構わない。
さて……さっそく仕事を始めてみようか。今回の目的はメール放牧地の瘴気を払うこと。まずは近場の瘴気から払ってもらいたい」
最優先で私が示すべきこと。
それは聖女の力、その有用性。
聖女として帝国で立場を確立することで、グリムを助けることにもつながるだろう。
私は最近、グリムを救うために必要な前提がわかってきた。
だから、その一歩を踏み出すために……この仕事を完遂しよう。




