18. 不快な遭遇
翌朝。
ノックの音で目を覚ました。
よかった……悪夢は見なかった。
「エムザラ様、おはようございます」
「おはようございます……」
時間にはまだ余裕がある。
ここから身支度を整えて、朝食をとって、皇帝陛下に会いに行く。
リアナに髪を梳かれながら、何気ない会話を交わす。
「初めて皇帝陛下に会うのは緊張しますか?」
「緊張……どうでしょうか。人に会う際、あまり怯えた経験はありませんね」
「なるほど……エムザラ様は器が大きいということでしょうかね?」
元々、私は王侯貴族から厳しい目を向けられて育ってきた。
相手がどのような立場であっても、舌が回らなくなったりするようなことはなかった。
バルトロメイ殿下に対して緊張しなかったように。
とはいえ、実際に皇帝陛下と対面してみないことにはわからない。
「さあ、一階へ参りましょう。グリム様……いえ、グリム殿下もお待ちですよ」
ドレスなど一通り準備を整え、私たちは一階へ向かう。
広大な居間に入ると香ばしい匂いが漂った。
大きなテーブルには料理が所せましと並べられていて、席のひとつにグリムが座っている。
彼は私に気づくと隣の椅子を引いた。
「エムザラ、おはよう。ここに座ってくれ」
「はい」
私が座ったのは……グリムよりも上座。
皇子よりも上の席なんて大丈夫なのだろうか。
目の前のテーブルに目を向ける。
小麦から作られた白パン、若鶏のソテー、果物入りのパイなど……さすがは宮殿といったところ。
私の実家よりは数段上の料理ばかりだ。
帝国は王国よりも土地が豊かで、この食事からも差異が見えてくる。
「専属の料理人に作らせた。毒は入ってないことを確認したよ」
当然のように毒を確認しているグリムから、彼の注意深さが窺えた。
さすが王国で刺客をしていただけはある。
「料理人……そういえば、宮殿で働く使用人の方々へ挨拶を済ませていません。何名かと顔合わせはしましたが」
「……マシな人材を雇ったはずだが、第一か第二皇子の手の者が紛れているかもしれない。俺の独断で一時的に雇った者だから、あとで君の判断で入れ替えてくれよ。この宮殿は君のものなんだから」
そう言われても、私は一時的に宮殿を借りているだけだ。
本来は皇族しか使えない場所を使わせてもらっている。
勝手な真似をしていいのだろうか……
「わかりました。とりあえず、皇帝陛下との約束に遅れないように食事を始めましょう」
「ああ。しかし……こうして宮殿で食事をするのも久しぶりだな。気が休まらない……」
グリムは新たに出された紅茶にも銀のスプーンを通し、毒を確認する。
なんというか……権力争いって大変そう……グリムは帝位に興味なさそうなのに。
食事を進めながら他愛のない話をする。
「幼いころ、毒入りの蜜を飲まされて死にかけたことがあった。宮殿で食事をすると思い出す。王国で干し肉を食っていたころの方が安全だろうな」
「聖女の力を使えば解毒もできますよ」
「そうか。では、俺が倒れたら解毒を頼むよ」
「はい……いえ、そんな機会が訪れないことを祈ります」
聖女の祈りほど頼りになるものはないな、とグリムは笑った。
私……聖女なのに神に祈ったことがほとんどない。
秘密にしておこう。
***
宮殿を離れて、皇城へ向かう。
城の内部は広大で迷ってしまいそう。
城の中ほどにある庭園に差しかかり、私は綺麗な風景に気を惹かれていた。
虹の橋を作る噴水が美しい。
そんなことをぼんやりと考えていると、目の前でグリムが立ち止まるのに気づかず、彼の背中にぶつかってしまった。
しかし、彼は振り向かない。
黙って眼前から来る者を見つめていた。
燃えるような赤髪を切りそろえた男性。
高貴な服に身を包んでいて、従者と思わしき体格のよい男性を二名連れている。
彼を見た瞬間、第一皇子のバルトロメイ殿下を思い出した。
「む、その顔は……グリムではないか。なんだ、貴様ごときが皇城に来るなど……いいご身分だな?」
「……兄上。お戯れを」
兄上……ということは、第二王子のアトロ殿下だろう。
アトロ殿下は貴族にありがちな歪んだ嘲笑を浮かべている。
なんというか、ゼパルグ殿下に向けられた視線を思い出してしまう。
「後ろの女……なんだ、貴様の女か?
たしか貴様には婚約者がいなかったな。どれ……ふむ、顔は美しいな。しかし、グリムのような出来損ないに懸想するとは見る目がない」
勝手に値踏みされて、勝手に評価されていた。
少し胸の奥がムカムカする。
これはいわゆる不快感というやつだろうか?
ゼパルグ殿下に嫌味を言われたときには、覚えなかった感覚だ。
アトロ殿下はグリムを横切って、私の前に立った。
「どこの令嬢だ? 私はアトロ・レクタリア。
そこの出来損ないと違い、皇帝陛下の正妻の子だ。どうだ、私の側室になるつもりはないか? 正式な婚約者は迎えてしまっているが……」
差し伸べられたアトロ殿下の手を不意にして、私はグリムの後ろに後ずさった。
私の心情を汲み取ったのか、グリムはアトロ殿下の正面に立つ。
「彼女は賓客です。軽率に触れることはご遠慮願いたい」
「……なんだ、貴様。兄の私に意見する気か?」
アトロ殿下が不快感を発すると同時に、背後の従者がこれ見よがしに腕を鳴らす。
普段からこうして人を脅しているのだろうか。
自分が皇子であることを盾にして。
しかし、グリムは動じなかった。
それどころか前に踏み込み、私をアトロ殿下から引き離す。
「相変わらず、暴力に訴えかけるのですか?
別に構いませんが……昔と違って俺も殴られるだけではありませんよ。正当な報復をさせていただきますが」
放たれた殺気は尋常ならざるものだった。
グリムの発した殺気にアトロ殿下は後ずさる。
「な、生意気な……! おい、この無礼者に躾をしてやれ!」
アトロ殿下は叫び、逃げるように後方に下がる。
瞬間、二名の従者がグリムに殴りかかった。