10. 聖女は消えた
「まだエムザラは見つからんのか……いったいどこに行ったのだ」
エムザラの父、ロドリゴ・エイル侯爵は頭を抱えた。
娘が失踪してから一週間以上経つ。
婚約者のゼパルグに暗殺されかけたとも露知らず、ロドリゴは娘が早く帰ってこないかと期待していた。
王子の婚約者であるエムザラには、エイル侯爵家の未来がかかっているのだ。
おまけに経済難を救う希望でもある。
憂慮とは裏腹に、捜索に兵は出していない。
ゼパルグが捜索のために私兵を出してくれているそうだし、エイル侯爵家から兵を出すほどの金もなかった。
結局、ロドリゴにとってエムザラはその程度の存在だったということ。
あくまで金を稼ぐための手段のひとつだった。
「お父様ー! 今いいかしら?
次の夜会のドレスのことなんだけど」
急に執務室の扉が開き、ベリスが入ってくる。
経済難の最たる要因はベリスの浪費癖にあった。
エムザラが聖女の仕事をして得た大金も、ほとんどがベリスのドレスに消えていく。
しかし、ロドリゴは娘を止められない。
ベリスを甘やかして育てたゆえに、少しでも否定すると癇癪を起こす性格になってしまったのだ。
唯一の姉が誘拐されてもなお、ベリスは全く気にする素振りを見せない。
「あ、あぁ……もう少し待ってくれ。今はエムザラの失踪に関して、どう対応すべきか考えていたところでな……」
「はぁ? もう瘴気はほとんど消えたし、聖女の役目は終わったでしょう? そこまで心配しなくても、そのうち戻ってくるでしょ」
「そ、そうだな。しかし殿下との婚約もあることだしな」
「あ、その件なんだけど。私、ゼパルグ殿下と婚約を結べるかもしれないわ!
『エムザラが消えたから、これで君と婚約を結べる』……って、殿下から言っていただいたの!」
ベリスの言葉を聞いたロドリゴは刮目した。
まさか、エムザラに代わってベリスが王太子妃の候補になるとは。
ロドリゴとしては、王家の後ろ盾と資金援助が受けられればなんでもいい。
「おお、なんと! エムザラを失って憔悴している我が家に、そんなお言葉をかけていただけるとは……殿下はなんと寛大なお方なのだろう!」
これで邪魔に思っていたベリスも王家に嫁ぎ、余生を優雅に暮らすことができる。
ベリスがゼパルグと婚約を結ぶ腹積りだと聞くと、ロドリゴの頭から失踪した娘のことはすぐに消えた。
「あ、それで夜会のドレスのことよ!」
「おお、いいだろう! 殿下も一緒にいらっしゃるのか? ドレスなどいくらでも買ってやろう!」
***
「ううむ……いったいどこへ行ったのか……」
エムザラの祖国、サンドリア王国の国王は臣下からの報告を受けてうなった。
何者かに聖女が誘拐され、北方に消えたまま行方が掴めない。
聖女は極めて重要な存在だ。
王国内の瘴気は払われたが、不測の事態があったときはそれ以外の用途もある。
たとえば飢饉に見舞われたとき、あるいは権力者が大怪我をしたときなど。
瘴気による災害は向こう百年抑えられたが、何かの拍子にまた噴出しないとも限らない。
何より、聖女が拐われたとあっては、王家の名誉が地に落ちることになる。
「父上。相変わらずエムザラは見つかりません。こうも足取りが掴めないとなると、もう……」
隣に立つゼパルグは沈鬱な表情を浮かべた。
それが演技だとも知らず、国王は同情する。
「すまんな。婚約者を失ったお前の方がつらいだろうに」
「たしかにつらいです。しかし、後ろ向きに考えても仕方ないでしょう。前向きに捉えれば……そうですね。こう考えるのはいかがでしょうか?
『我が国は聖女によって瘴気を抑えられたが、他の国は抑えられていない。聖女が消えた今、王国が優位に立っている』……と」
他国が瘴気に苦戦する中、王国は聖女の力で領土の開拓を押し進めた。
ここで差が開いたのは明らかだ。
聖女がいなくなったことで、王国だけが豊かになったと考えることもできる。
「うーむ……まあ、そう考えることもできるな。エムザラがここで消えたことは、神の思し召しなのかもしれん。もう聖女に頼らず、国を発展させていきなさい……という啓示か」
「ええ、そう考えることにしましょう。とにかく、私は今後のことを見据えて参ります。それでは、失礼します」
恭しく一礼し、ゼパルグは退室する。
この調子で国王を惑わしていかなくては。
あるいは、本当にエムザラは死んだのではないか?
彼はそう思い始めていた。
自室に戻ると、側近が駆け寄ってくる。
「ゼパルグ殿下。使者が来ております」
「使者だと? 誰だ、めんどくさい……」
「ロックス伯からの使者です。なんでも、聖女様に関する情報だとか」
「……! すぐに通せ」
「はっ!」
ここにきて聖女の情報が舞い込んだ。
ゼパルグは不安と期待を胸に、使者を面会に通す。
使者が伝えたのは……聖女エムザラの訃報であった。