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1. 在りし日の心

「……あなたは、誰ですか?」


ずっと昔のことだった。

庭の隅で、倒れている少年を見かけた。

全身から血を流して木に背中を預けるようにして、彼はか細い息を継いでいる。


雪のように真っ白な髪と、バラの花のように紅い瞳。

今にも息絶えそうだった。


本当なら逃げるべきだったのだろう。

自分の家の庭で、血まみれの人が倒れているなんて。

貴族の令嬢にしては迂闊な行動だったと思う。


「……俺に構うな。どうせ、死ぬから……いますぐ、消えるから……」


彼は私の視線を受けると、無理やり木を支えにして立ち上がる。

だが、すぐに膝をついて倒れてしまった。

少年の口から血が飛び出る。


見ていられなかった。

こんなにたくさんの血を見たのは初めてのことで、少し怖かったけれど。

このままでは彼が死んでしまう。


「何を……してる……」


思わず彼に近寄って、体を支えた。

傷口に手を当てて魔力を籠める。


「私、聖女って呼ばれてるんです。知ってますか?」

「……知らないな。俺は……知らない……。この世界のことなんて、なにも知らないまま……死ぬんだ……」


悲哀と苦痛を滲ませた声。

幼いながらも、私は少年の言葉に息が詰まりそうになった。


「あなたは死にませんよ……だいじょうぶ。ほら、私に体を預けて」


力なく寄りかかる彼に、必死に手をかざす。

誰かの役に立てることが嬉しくて。

求められてもいないのに、助けてしまって。


彼は少し元気を取り戻したのか、目を開ける。

思わず笑顔がこぼれた。

いけない、まだ彼の命が助かったとは限らないのに。


少年は私の顔をじっと見つめている。

そして、私に尋ねた。


「君の、名前は……?」

「お名前? "エムザラ"っていいます。

侯爵令嬢(こーしゃくれいじょう)エムザラ・エイル、また聖女(せーじょ)の名を持つ者』……って、いつもお父様に言わされてるんです!」

「エムザラ、か……」


彼はそう言うと、また苦しそうに血を吐いた。


「あ、待っててください! 今お水を持ってきます。

 動いちゃ駄目ですよ……!」


私は急いで屋敷に戻り、水を入れた瓶や薬品を片端から持ち出した。


しかし、戻ったときに彼の姿はすでに消えていた。


 ***


私はエイル侯爵家の長女として生まれた。

幼少の(みぎり)より、私には不思議な力が備わっていた。


――『聖女』の力。

道を歩けば空気が清らかになり、天を仰げば嵐が止む。

右手の甲に刻まれた聖痕は、聖女たる者の証だ。


私には大変な期待がかかっていた。

常に苦しい重圧だったが、私は使命に殉じて聖女としての使命を全うしていた。

自由や交際の権利もなく、すべて実家と王家から言われるがままの人生で。


我慢続きの人生だった。

いつしか、そんな生き方が当然で……つらいと思うことも少なくなっていった。


形ばかりの婚約者の第一王子、"ゼパルグ"殿下は一度も私に構わってくれることはなく、女遊びばかりしている。

妹の"ベリス"は私とは対照的に自由を与えられ、好きに振る舞っている。

そんな自由人たちを傍目に、私はひたすら聖女の役目に縛られていた。


『お前はエイル家の救世主だ。必ず王家の血を手に入れ、次期国王のゼパルグ殿下に寄り添うのだ』


父からずっと、ずっと執拗に言われてきた言葉。

小さいころは意味がわからなかったが、十五を過ぎた今ならわかる。

エイル侯爵家には金がない。

だから、私を王家に嫁がせて安泰を得ようというのだ。


だが、元より令嬢の人生なんてそんなもの。

地位に縛られて生きるしかない。

妹や婚約者に比べたら、私の自由がなさすぎだと不安に思わないこともない。


しかし、私は人形のように使命を受け入れていた。

いつしか私は笑わなくなっていた。

罵倒されて怒りもせず、何を失っても悲しみもせず、ただ聖女の仕事を果たすだけの人形に成り果てていた。


そして、今日もまた。

私は国王の御前で礼儀正しく振る舞っていた。


「エムザラよ。お前の活躍により、わが国の瘴気はほとんど払われた。向こう百年は瘴気による心配はないだろう。まったく、聖女の力とはすばらしいものよ!」

「お褒めにあずかり光栄です。今後とも国のために尽力して参ります」


私の模範的な回答に、陛下は満足そうに頷いた。

そして玉座の隣に立つ第一王子にして、私の婚約者……ゼパルグ殿下を見る。

金髪に碧眼を持つ、見た目は(・・・・)美しい男性だ。


「ゼパルグよ、お前もよい婚約者を得たな。じきに民に婚約を発表し、式を挙げようと考えておる」

「……ほう。私も喜ばしい限りです。聖女と婚姻できるとは」


心の籠っていない声色でゼパルグは頭を下げる。

彼が私に口を利いてくれたことなど、ほとんどない。

婚約者として一緒に茶を囲んだことも一度しかない。

相変わらず陛下の前では演技の上手い人だ。


「うむ、儂も楽しみしておるぞ。早く孫の顔が見たいものだ。

 ではエムザラ、ゼパルグ。下がってよいぞ」


玉座を離れ、王城の廊下を歩く。

すると、それまで無言だったゼパルグが口を開いた。

彼と話したことなどほとんどないが、何を言うかと思えば……


「貴様のような気味の悪い人形と結婚だと? 見た目と聖女の力だけが取り柄の人形と? まったく、父上もふざけたことを言うものだ。貴様が聖女でさえなければ、他のかわいげのある女と結婚できるものを……」

「…………」


そう言われても、私にはどうしようもない。

聖女として生まれたときから、こうなることは決まっていた。


ゼパルグ殿下は私に怒りを湛えた視線を向ける。

その憎悪は、感情の乏しい私でも感じ取れるものだった。


「――覚悟しておけよ。貴様がこの世から消えれば良いだけの話だ。

 薄気味悪い人形が、私と結婚などできると思うな」


そう吐き捨て、彼は去って行った。

私だって……あんな人と結婚したくない。


できることなら、私は……


「…………」


わずかな望みを捨て、家へ戻った。

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