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オムライス  作者: 六連
8/9

「電車にはこういう席もあるんですね」

 東京発の小金井行き。そのグリーン車の二階に上がる階段で彩香が言った。

 朝の通勤時間帯を少し過ぎているお陰か社内は伽藍としていた。

 世間では夏休みだが普通の社会人は仕事をしている。昼間から暇なのは浩平のような学生ぐらいなものだ。

 浩平は適当に空いている席に行き彩香に窓際に座るように促した。その紳士的なふるまいに彩香も嬉しそうに窓際に座る。

「流石に帰りも座席で悪いけどこれなら久慈駅まで座って帰れるし朝御飯も食べれるからね」

 荷物を棚に置きながら浩平はICカードを二枚、天井に備え付けられたスキャンにかざした。

 それを見て窓際の席に座る彩香が感心しながら言う。

「ここでも使えるんですね?」

「最近はこれで全部の電車に乗れるから。だから、はい」

 そう言って二枚の内一枚を彩香に差し出した。

「え? でも……」

「いいんです。それは彩香さんの分。俺のは俺で持ってるから。電車に乗る時はそれを使って」

 迷う素振りをみせた彩香だったが最終的に素直に受けっとた。手に納まる四角いカード。 それは旅行の前に浩平から貰ったSuicaではなくPASPYと書かれたミントグリーンとグレイのカードだった。

「前に頂いたものとは違うんですか?」

「機能は同じだけどそれは広島で使えるやつで……なんというか、広島版Suicaみたいな」

 事前に確認したらSuicaと変わりなく使えるとの事で記念に浩平が買っておいたのだ。試しに今使ってみたが問題ない。

「……綺麗な色」

 カードを眺めて呟く彩香。受け取ったのを確認すると浩平は背もたれに体を預けた。

 あのあと平和資料館を後にした二人は平和記念公園を周り広島焼きを食べて街を散策した。陽の照る中だったが楽しい一日だったと浩平は思う。

 ゆっくりと疲れを吐き出すように浩平が息を漏らすと不意に彩香の視線に気づいた。

「どうしました?」

「いえ、あの……すいません。我儘(わがまま)言って広島まで連れて行ってもらってしまって」

 どうやら浩平の漏らした息をため息と思ったようで申し訳なさそうにしている。

 そんなつもりのなかった浩平は慌てて否定した。

「違います違います。一区切りって意味の呼吸なんで、ため息とじゃないです。気にしないで下さい。俺も楽しかったですから。今度はホテルでも予約してゆったり行きましょう」

「そう、ですね」

 視線を窓に向けて彩香は小さく返事をした。どこか影のある顔に浩平は心配そうにのぞき込む。

「どうしました?」

「ああ、いえ……」

「疲れたんじゃないですか? 少し寝たらどうです。 着いたら起こしますよ?」

「じゃあ……少しだけ」

 そう言って彩香は浩平の手を握った。突然の事で浩平の手が跳ねた。

「あ、すいません。嫌でした?」

「あ、ああ、いえ。大丈夫です」

 取り繕うように言いながらも浩平の顔には赤みがさしていた。その様子に彩香は小さく笑った。

「安心するんで、握ってて良いですか?」

「構いませんよ。ゆっくり寝てください」

 浩平の言葉に彩香は眼を閉じた。

「ありがとうございます」

 穏やかに笑う彩香の顔に浩平の心に温かいものが満ちるのを感じた。

 自分は目の前の女性が愛おしいと思っている。

 はじめは偽りの優しさを渡したけれど、今は本当のものを渡したいと思えるほどに。

 静かに呼吸をする彩香。すると彩香も前髪が落ちた。どうしよかと悩んだが払おうと手を伸ばすと、

「浩平さん……」

 不意に名前を呼ばれた。まるで隣にいる事を確認するような呼び方。

 浩平も優しく答える。

「なんですか?」

「また、広島に行ってくれますか?」

 彩香の言葉に浩平の中から喜びの感情が沸きあがる。彩香が未来の事を語ってくれることが嬉しい。そしてそこに自分が居る事が堪らなく嬉しい。

「ええ。また行きましょう」

「……約束ですよ」

 そう呟いて彩香は直ぐに小さな寝息を立てた。その寝姿を眺めながら浩平も穏やかに笑う。

 彩香の落ちた前髪を払ってやり、静かに外から見える風景を眺めた。 



 家に着くと一日ぶりの部屋は灼熱と化していた。防犯のためとはいえ窓を完全に閉めていたので熱は一切逃げておらず蒸している。

 荷物を置き窓を開けてエアコンを回す。

 出来ればこのまま直ぐにでも風呂に行きたいが先ずは彩香を先に入れよう。

「彩香さん、先にシャワー浴びてきてください」

「いえ、先に浩平さんが浴びてきてください」

「いや、でも――」

「浩平さん電車で寝てないから眠いんじゃないですか? 私は眠らせてもらったので」

 確かに夜行バスで寝たとはいえ疲れも溜まっている。彩香の言う通り東京駅からの電車でもずっと起きていたせいか少し頭の回転も悪くなっている気がした。

 このまま布団に入ると確かに寝てしまいそうだった。

「ですから先にスッキリしてそれから寝てください。お昼は私が作りますから」

 申し訳なく思いながらも浩平は言われるがままに風呂場へといった。シャワーでも浴びれば眠気も吹き飛ぶだろうという考えもあったからだ。

 けれどお湯を頭からかぶってもやはり眠気はなくならなかった。

 むしろ汗を流したお陰で気分が良く今なら気持ちよく眠れそうだった。

 風呂から出た浩平の顔を見て彩香も「寝ていてください」と笑った。

「……少しだけ」と答えると浩平はベッドに横になった。久々のベッドは柔らかく良い匂いがした。

 おそらくは彩香の香りだろう。同じシャンプーを使っているのにどうしてこんなにも違うのだろうか?

 ひどく安心する。

 遠くで料理をする音が聞こえた。それを最後に浩平の意識はゆっくりと沈んでいく。



 誰かが自分の頭を撫でている。

 ぼんやりと微睡む意識の中で浩平は自身の頭を優しく梳く感触を覚えた。

 撫でる手は温かくとても優しい。また途切れそうになる意識。

 すると、不意に自分の頭を撫でる手が離れた。温もりが離れ寂しさを感じる。

 遠くで何か閉まる音がする。

 なんの音だろうか?

 ゆっくりと瞼を上げると見えるのは変わらない室内。日が沈みかけているのか窓から入る光は中をオレンジ色に照らしている。

 ――もう夕方か。

 どれぐらい寝てしまったのか?

 時計を見れば時刻はもう夕方の五時。半日ほど潰してしまった。

 彩香にご飯の支度をお願いしておいて深く寝てしまった事に申し訳なく思いながら体を起こした。

 だがそこに彩香の姿はなかった。室内を見回すが何処にもない。 

 もしかしたら先ほどの音は彩香が出かけた音だろうか?

 ゆったりとおぼつかない足取りで台所に向かう。

 眠気覚ましに何か飲もうと冷蔵庫を開けるとそこにはラップで蓋をされたオムライスが入っていた。おそらく寝る前に彩香が作っていたものだろう。

 手に取り見れば綺麗に仕上がっていた。卵は焦げ付きもなく綺麗な黄色で焼き上げられている。

 彩香が帰ってくる前に食べてしまおうか?

 だが折角作ってくれたのだから本人の前で食べた方がいいだろう。ちゃんと美味しいと言ってあげたい。

 そう思いまた冷蔵庫に仕舞おうとすると先ほどまでオムライスのあった場所に何か置かれているのに気が付いた。

 四角い紙。

 こんなものあっただろうか?

 何気なく取り見てみるとそこには流れるような細い字で文章が書かれていた。



『短い間ですがお世話になりました。ありがとうございます。成すべき事を成すために戻ろうと思います。こんな形でのお礼と謝罪をお許しください。       松井 彩香』

 

 

 すぐさま浩平は家を飛び出した。靴など履いていない。靴下のままだった。

 玄関に鍵もかけずただ走っていた。

 時折道を行く人が浩平の姿に驚きながら後ずさり道をあける。

 靴を履いていないせいか、それとも浩平の絶望の顔のせいか。

 だがそんなもの浩平には気にならなかった。今は何よりも彩香の事で精一杯だった。



 気づけば彩香と初めて出会った神社に来ていた。

 なぜここに来たのかはわからない。自然と足が向いていた。

 もう日は落ちかけ黒色が徐々に橙色を犯しはじめている。

 神社には誰もおらずだブランコが不気味に揺れながら錆びた金属音を鳴らしている。

 浩平はゆっくりと社に近づいていく。

 中に人の気配なはい。心臓がうるさいぐらいに鼓動している。

 震える手で木製の扉を引くとゆっくりと開いた。前回は鍵がかけられていた筈なのに、今は何の抵抗もない。

 (はや)る気持ちを落ち着けながらゆっくりと扉を引いた。

 中にはやはり誰もおらず、正面奥に飾られた鏡とその下には無造作に、けれど丁寧に畳まれた羽織が置かれていた。

 見覚えがある。彩香が初めて会った時に被っていたものだ。最近は洋服ばかりだったので服に合わせられずタンスに仕舞っていたはずのもの。

 ゆっくりと中に入り羽織を広げればそれはやはり彩香の物だった。鶴が織られ、金と銀の刺繍もされている。

 ――間違いない。

 確かに彩香はここに居たのだ。

 なぜ帰り方がわかったのか。本当に帰れたのか。多くの疑問が浮かぶ中浩平が何よりも強く思ったのはただ一つ。 

 ――何故?

 この一点だけだ。

 帰れてたとしてもその先にあるのは地獄だ。広島に居ても居なくとも結局は戦果は免れない。

 それは図書館や広島で見たはずだ。なのに何故帰るのか?

 浩平には訳が分からなかった。聞きたくても答えてくれる相手はいない。無事に帰れたのかすらの確認のしようがない。

 嗚咽を漏らしながら浩平は彩香の残した羽織を抱きしめた。鼻に届くのはいつもの香りではない別の匂いだ。本当の彩香の匂い。

 涙が零れた。

 いつかの彩香が涙を流さない浩平に言った言葉を思い出す。

「……今なら泣いてるよ」

 浩平の言葉が空に投げかけられる。

「……今なら泣いてるから見に来てくださいよ。前に見れなくて悔しがってたでしょう?」

 浩平の目から零れる涙が彩香の羽織に染みを残していく。

「……傍に来て見てくださいよ」

 誰も答えない。

「……情けないんですから……弱いんですから」

 膝から崩れ落ちるが誰も手を伸ばしてはくれない。

「……傍に居てくださいよ」

 ただ独り、社の中で浩平は泣き続けた。

 どれほどそうしていたろうか。しゃがみ込む浩平の背後で足音がした。

「彩香さん?」

 勢いよく振り返った先には肌を茶色く焼いた一人の老婆が立っていた。老婆は浩平を(いぶか)し気に見ながら、

「お前さん、こんな所に勝手に入ったらイカンよ?」

 麦わら帽をかぶった老婆はゆっくりとおぼつかない足取りでお社へと入ってきた。

「鍵はどうしたんね? ここはずっと閉まっとるのに。お前さん泥棒か?」

「あ、いや俺は――」

 慌てて言葉を出そうとしたが何を言えば良いのか分からず詰まっていると老婆が手招きをした。

「早う出てきんさい。ここはマレ神様のお家なんやから勝手に入ったらイカンよ」

 老婆の言葉に浩平は羽織を抱えて慌ててお社から飛び出した。それを確認すると老婆は手を合わせて戸を閉じた。浩平も慌てて同じように手を合わせた。

「普段は鍵が閉まっとるはずなんけどね。組合長が風でも入れたんかね? けどお兄ちゃんも勝手に入ったらイカンよ? マレ神様に怒られてまうよ?」

 (たしな)めてくる老婆に浩平は謝りながら気になっていた事を聞いてみた。

「あの、マレ神様って何ですか?」

「なんじゃ、お兄ちゃんは知らんのかい? ほれ。あそこに奉られとるじゃろ?」

 老婆が指さしたのは社の奥にある古ぼけた鏡だった。くすみが酷くもはや鏡としての機能があるとは思えない。

「……なんの神様なんですか?」

「マレ神様かい? 何でも偉いお坊さんが海で鏡を拾ってきて大変ありがたいものだから奉ろうってなってこうしてるって話だね。それなんで遠くから来たって事で旅行とかのご利益があるとか言われてるけどどうなんだか。わしが若い頃はマレ神様に好かれるとあの世に連れて行かれる言うてお社に入ると怒られたもんだよ」

「そう、なんですか……」

 ――連れていかれる。だから彩香はこのお社に逃げ込んだのだろうか?

 だから彩香は連れてこられたのかもしれない。神様というものに。そして連れて来られて、返された。

 もし神様がいるのならば随分と勝手だと和樹は思った。救うために連れて来たのではないのか? なのに何故あの地獄に返すのか。

 彼女にとっても、自分にとっても返さない方が最善だったのではないだろうか?

「ほれ。お兄ちゃん暗くなるから帰り。マレ神様に連れていかれるよ」

 老婆の言葉に和樹は「はい」とだけ答えると彩香の残した羽織を抱きかかえて誰もいない、待ち人の消えた家へと足取り重く向かった。

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