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オムライス  作者: 六連
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 長尾浩平が恋人の浅野優子に別れを告げたのは五時間ほど前の事だ。

 浮気をされていた訳ではない。嫌いになった訳でもない。

 ただ、別れを告げたのだ。

 浩平が悪い訳ではない。恋人の優子が悪い訳ではない。誰かが悪い訳でもない。何が悪かったと強いて言うなら、浩平にその不条理を撥ねつけるだけの強さがなかった事だろう。

 浩平が優子と出会ったのは大学生一年の時だ。ベタと思われるかもしれないが曲がり角でぶつかり声をかけたのが優子だった。

 開口一番怒鳴る優子に最初は面倒な奴に捕まったと思ったがそれから会うたびにぶつかった野郎だと突っかかって来るので話をするようになった。そんな酷い出会いだったが話をするうちにそんなに悪い人間ではなく正直な人間なのだとわかった。

 それから一緒に過ごす時間が増え、気づけば彼女の真っすぐさに惹かれていた。一年の冬に告白し付き合い始め今まできた。

 浩平はこのまま順調に付き合い続けて卒業して同棲して結婚をしたいと考えていた。

 考えていたが、考えていた事はしょせん考えでしかなく、結局は別れる事になった。 



「……なんで?」

 喫茶店の角の席から上がる声。驚きと、失望と、疑問が混ざっている。

 浅野優子は対面に座る恋人の浩平を見る。

 一方の浩平は向けられた視線から逃れるように逸らす。テーブルの下に隠された手はズボンのすそをきつく握りしめていた。先ほど優子に告げた言葉のせいで微かに震えていた。

 浩平が恋人の浅野優子との最後のデートの終点に選んだのは個人経営の喫茶店だった。何度か二人で来たことのある風情のあるお店。よくチーズケーキを頼んだ思い出の場所。

 恋人の優子はその端正な顔を枯れた花のようにすぼませていた。いつもは向日葵のように明るい表情が今は萎れている。

 目を合わせられない浩平は視線を下げたまま同じ言葉を口にする。

「……だから、別れてほしい」

「……なんで?」

 優子も同じ言葉を口にする。浩平が視線を泳がせながら優子を見る。

 前に浩平が「奥二重が可愛い」と告げた目尻には涙が溜まっていた。

「白くて心配になる」と気遣った肌は感情を表現するように赤くなっている。

 申し訳なさそうに浩平は更に視線を下げた。

「……理由は?」

 優子の静かな、けれど強い口調が浩平に向けられる。けれど浩平は何も言わずに申し訳なさそうに項垂れていた。

「……ほかに好きな子ができたの?」

「……ちがう」

「私が嫌になったの?」

「……ちがう」

「余命宣告でも受けたの?」

「……それも、ちがう」

「ならなんで?」

 勢いよくテーブルを叩きながら声を荒げる優子。簪でまとめた黒髪が揺れる。店内にいた客や従業員の視線が一気に集まった。

 申し訳なさそうに浩平が横目で見ると客も従業員もばつが悪そうに視線を戻し各々が作業に戻った。

 浩平は視線を戻し大きく息を吸い、

「優子は何も悪くない」

 言いながら浩平は内心で『仕方ない』と反芻していた。

「……ごめん。俺と別れて欲しい」

 テーブルに額がつくように頭を下げた。身をかがめた時にカーディガンに入れていた手紙がひしゃげる。

 恋人の理由ない謝罪に優子の手が震えた。

「だから……っ!」

 言葉を詰まらせた優子は頭を下げ続ける浩平を睨んだかと思うとカバンを掴み席を立った。

 離れる去り際に、

「……ずっと付き合ってて理由も言えない関係だったなんて、バッカみたい!」

 吐き捨てるように叫ぶとテーブルに鍵を叩きつけ行ってしまった。簪にあしらわれた赤と青の玉細工が光を反射している。

 テーブルに置かれた鍵を見ればそれは以前優子に渡した部屋の合鍵だった。

 店内の視線が残された浩平に注がれる。

 頭を下げたまましばらくそうしていたがゆっくり起こすと、同時に店内の視線が外された。

 小さくため息を吐きながら浩平はポケットに入れていた封筒を取り出す。

 優子の出ていった扉を呆然と見ながら浩平は静かに一筋の涙を流した。

 別れても大学生では顔を合わせるだろう。どうしたものかと、何処か他人事のように考えていた。

 それから喫茶店を出た浩平はコンビニで荷造り用の紐と数種類の酒を買った。ビールをはじめ、酎ハイや日本酒、ワインやウィスキー。タバコも買った。

 レジに向かうと紐とアルコールという妙な組み合わせに店員は浩平の顔を一度見たが何も言わずにそのまま会計を終えた。

 コンビニを出ると夏の夜風が浩平の体を縮こませる。彼女を失い、心に開いた穴に風が吹き抜けるようだった。

 大量の酒瓶を鳴らしながら浩平は神社へと向かった。

 夜の神社には人の姿などない。通りから離れているせいか街頭も少ない。

 薄気味悪いこの神社も一度だけ優子と来た場所だ。

 何が祭られているのかは知らないが子供のための遊具が置いてありベンチもある。

 ベンチに座ると古いせいか嫌な軋みを立てた。

 買ってきたアルコールを手にするが冷たさに身が震えた。夏とはいえまだ夜は肌寒く感じた。

 暖めるにはウィスキーが良いのだろうか? 

 買ってきたウィスキーのふたを開けて一気に煽る。

 初めて飲んだそれは独特の臭いと強いアルコールのせいで咽てしまった。

 何とか飲み干したが喉が焼けるように痛い。

「うぇ……ウィスキーってこんな凄いのかよ」

 咳き込んだせいで流れる涙を袖で拭いながら鼻をすすった。嚥下したアルコールが胃の中で熱となって感じる。

 初めての経験に驚きながらもう一口含んだ。今度は少し量を抑えて含む。

 これぐらいなら問題ない。

 次はタバコだと手を伸ばし、フィルムを外し紙を破ると一本を口に咥えて火を点けた。

 タバコを吸うのは何年ぶりだろう。高校ぶりだろうか?

 吐き出す紫煙が宙に広がる

 瓶を隣に置きポケットから手紙を取り出した。

 広げると二枚の便せん。そこには綺麗な文字。けれど内容は文字と違い綺麗なものではなく浩平からすれば理不尽な要求だった。

 内容を突き詰めれば結局のところ、優子と別れろと言う事が書かれているだけだ。他に付随しているの言い訳や謝罪。

 そして別れて欲しい一番の理由。

 それは浩平にはどうする事も出来ないものであり、けれど仕方ないとも思えるものだった。

 自分で変えられる事なら幾らでも努力する。それだけ浩平は優子を愛していた。結婚だって考えていた。目玉が欲しければくれてやれるし肝臓が欲しければ腑分けして渡すぐらい愛していた。

 それだけ愛していた相手。彼女も自分を好きと言ってくれたのだ。何物にも代えがたい。

 どんな事でもしてやれると思っていた。

 だがまさか、その彼女と別れろというのはあまりにも辛い選択だった。

 けれどこの手紙を書いた人の気持ちもわかる。

 浩平も今日まで多くの人の手を借りて生きてきた。両親にも迷惑をかけたし大切に育てられたという自覚もある。

 だからこそこの手紙を書いた人物の気持ちもわかる。それだけ優子を愛し、幸せを願っているのだ。

 それを非難する気はない。だからこそ理由を言わずに別れを告げた。

 手紙をポケットに仕舞いスマホを取りだし見ると待ち受けは優子と撮ったツーショット写真。フォルダに保存されているのは優子と撮った写真ばかり。

 大学のサークルや旅行。クリスマスやハロウィンなど思い出が蘇ってくる。

 一枚一枚表示し見ていくと、いつのまにか涙が出てくる。

 自分で終わらせた関係。だというのに思い浮かぶのは楽しかった光景と後悔ばかり。

 気づけばウィスキーも開け終わりビールもワインも全て開けていた。

 タバコも全て吸い終わり残されたのは荷造り用の紐のみ。

 手を伸ばしビニール紐を取り出す。手に持ちながら上を見た。

 細い枝ばかりでおおよそ自分の体重を支えられるとは思えない。勢いで何となく買ってみたがやはり首を括る事はしたくない。

 天涯孤独とはいえ死ぬには勇気がいる。せっかく入れた大学もまだ二年ある。

 ただ何となく買っただけの代物だ。心の保険とも言い換えられる。

 ビニール袋にゴミと紐を詰めながら浩平は大きく息を吸った。

 酒で火照った体に夏代の涼しい外気が取り込まれ心地よく感じる。

 スマホにあるアドレス帳を開き優子の名前を開いた。

 元恋人の写真。髪を簪でまとめ上げ屈託のない笑顔。誕生日も好きなものも付き合った記念日も入っている。けれどもう不要なもの。

 指先が無感情に動き削除の項目に伸びる。

 ああ、ほんとうに終わりだ。今度からは大学ではなるべく顔を合わせないようにしないと。

 ぼんやりと考えながら画面に触れようとした時、

「くしゅんっ!」

 不意に誰かのくしゃみの音がした。

 慌てて顔を上げるが周りには誰もいない。

 訪れる静寂のなか息を潜めていると、

「くしゅんっ!」

 先ほどよりは小さいが確かにくしゃみの音が聞こえた。

 浩平は音を立てないようにゆっくりと立ち上がると音のした方を向く。

 確かこの先には小さなお社があったはず。

 跳ねる心臓を落ち着かせようと深く、静かに息を吸いそっと歩みを進めた。

 街灯は遠く辺りは薄暗い。木々のせいで余計に暗く感じる。

 それでも好奇心に負けた浩平はお社へと足を進ませた。

 見えてきたのは古臭いお社。

 昼間に見た時はそこまで恐怖を感じなかったが夜に間近で見ると恐ろしく感じてしまう。まるで何かを閉じ込める檻に見える。

 ゆっくりとお社の周りを歩きながら確認していくが人の姿など何処にもない。辺りを伺うが木々に隠れている様子もない。

 どうやら気のせいだったらしい。

 そう思い帰ろうと引き返すと、

「くしゅんっ!」

 またあのくしゃみが聞こえた。

 今度は聞き間違いではない。くしゃみはお社の中から聞こえた。

 浩平は音を立てないように静かに正面に回り込んだ。

 吹き抜けの格子の状の戸。

 ゆっくりと中を覗く。

 暗いせいでよく見えない。けれど中に何かが動いているのがわかった。

 犬だろうか?

 だんだんと目が慣れてきて凝らすと犬よりも幾分か大きい。

 それは奥の方で丸くなっており寒いのか微かに震えているのがわかった。

 視線は外さずにスマホを取り出す。

 いきなりライトを当てて襲い掛かってきても怖いので手前から徐々に当てようとライトを向けると黒い物体は悲鳴のような声を上げた。

 突然の声に浩平も驚いて後ずさるがライトは的確に声の方に向けられた。

 露になったのはひとりの人間だった。

 奥の方で艶やかな布を頭からかぶり眩しそうに手で光を遮っている。

 予想外の存在に安心感と驚きで一気に肩の力が抜けるのを感じる。

「あ、あのー……」

 相手を刺激しないように優しく声をかける。

「こんな所で何をしてるんですか?」

 努めて優しく声をかける浩平。すると相手は震える声で答えた。

「……つ、連れ戻しに来たんですか?」

 女性の声だった。

 突然の言葉に浩平も動転する。なんの話をしているのだろう? 誰かから逃げているのだろうか?

「あ、えっと、連れ戻したりとかが何の話かは知りませんが、ここはお社なんで勝手に入ると怒られますよ?」

「そ、それは困ります! バレたら確実に連れ戻されてしまいます」

 連れ戻されるという単語で浩平は少女の現状を察した。話からするに家出のようだ。このまま関わると面倒に巻き込まれる。そう思った浩平は早々に立ち去ろうとした。

「あー、夏とはいえまだ夜は寒いんで気を付けてください。それじゃあ――」

 話を切り上げて退散しようとすると女が勢いよく飛び出してきた。

「まってください! あなた家に言いに行く気でしょう!」

 勢いよく開け放たれた扉が見事に浩平の背中を打ち付けた。完全に気を抜いていた処への不意打ちで見事に前へとつんのめる。

 何とか手をつき地面にぶつかるのは防いだ。危うく顔面を打ちそうになるところだった。

「あぶなっ! いきなり何すんですか?」

 女へ抗議しようと振り返るとそこには異様な格好の女が立っていた。

 先ほど布かと思っていたものは着物の羽織で一目見ただけで高いものと分かるように金や銀の糸があしらわれていた。目を凝らせば縁起物の鶴が羽を広げている。

 加えて女の装いも異様で上は半袖の白シャツ、ズボンは祖母が穿いていた紺のもんぺに似ている。

 自身を突き飛ばした女の恰好に唖然としていると女は身を屈めて浩平の顔を覗き込む。 同時に浩平にも羽織で隠れていた女の顔が見て取れる。

 特徴的な切れ長の二重はどこか涼し気でスッと通った鼻筋は造り物のように見える。切りそろえられた前髪は横一線に揃い、長い髪は後ろで一本に編んでいるようだ。

 浩平が呆然と見ていると少女はその緻密な顔に似合わない皺を眉間に寄せた。少女の前髪がさらりと揺れる。

 眉間に寄せた皺がつい先ほど別れた恋人の姿を彷彿とさせた。

 女と視線が重なる。

「あなた……」

「……なんですか?」

「村におりました?」

「……は?」 

 言葉の意味が分からない浩平は女にゆっくりと答えた。

「……ここは村じゃなくて市、ですよ?」

「なに言ってるんですか? ここは埼玉の久慈村でしょう?」

 女の言葉に浩平は更に首を傾げる。女の言う通りここは埼玉だ。それは間違いない。それに久慈という名前も合っている。だが浩平の住んでいるこの土地は市だ。埼玉県久慈市。東京にも池袋にも上り電車一本で行ける中途半端な田舎の久慈市だ。産まれた時から浩平はこの久慈市に住んでいる。少なくとも子供の頃から市なのは確かだ。村だったことなどない。

 自分が聞き間違えているのではないかと思い浩平はもう一度訪ねてみる。

「久慈市ですよ。久しいの久に、慈愛の慈で久慈市」

「だから久慈でしょう? 悠久の慈愛の久慈村。埼玉の久慈村」

 やはり聞き間違いではないらしい。

 目の前の女はここを市ではなく村だと言っているのだ。

 いよいよやばい人間と関わってしまったと考えた浩平はいかにこの場から去るかに思考を傾けていた。

「ああー……そうですね。埼玉の久慈ですね。おっしゃる通りです。それじゃあ、もう暗いですから気を付けて帰ってくださいね」

 膝に付いた土を払いながら浩平は早々に立ち去ろうとした。だが動けない。

 見れば女が浩平の上着を握っていた。

「……なんですか?」

「あの……いきなりで申し訳ないんですが助けてもらえますか?」

 うつむきながら言う女。確実に良くない事になる。そう判断した浩平は女の手を振り払おうとするが離してくれない。

「あなた何なんですか?」

「あたしは松井彩香です。本当にあたしを知らないんですね」

 自分を有名人と勘違いしているのだろうか? 確かに美人ではあるけれど浩平は女の事など見た事も聞いた事もない。完全に初対面だ。

「で、その松井さんが俺に何か用ですか?」

「あなた私を知らないって事はまだ村に来たばかりのようですね」

 ――だから村じゃない。

 出かかった浩平の言葉を先に塞ぐように女が告げる。

「あたしを匿ってください」

「……は?」

 いきなり何を言うのだろうか? 匿う? 匿うって事は何か悪い事でもしたのか?

 もう一度彩香と名乗った女の姿を見る。

 どう見ても古臭く年に似合わない格好。顔立ちがいい分だけ余計にその古臭い感じが際立つ。

「……匿うって、なにしたんですか?」

「何も悪い事はしていません。ただ行きたくもない嫁に行けと言われて逃げているんです」

 結婚、という単語に浩平の顔に暗いものが浮かぶ。つい、優子と手紙のことを思い出してしまった。

「……今どきあるんですね、そういうの」

「よくある政略結婚です。お父様お母様の事です。どうせ嫁に行かせればあたしが落ち着くとでも思うとるんでしょう。どうしてあたしが見た事も話したこともない男の所に嫁に行かないといけないんでしょう!」

 彩香の言葉が徐々に荒くなっていく。内心で驚きながらも彩香の立場で考えれば当然だろう。

「……ほんとうに前時代的ですね」

 本当に古臭い。忌まわしい風習とも言える。先入観や思い込み。女は嫁にいくもの。男は男らしくあれ。そしてそれは、浩平が優子と別れた理由にも似ている。

 諦めたようなため息を吐き浩平は彩香に向き直る。

「ちなみにですが、松井さんおいくつですか?」

「今年で二十。満で十九です」

 妙な言い方に首をひねりつつも浩平はまあ、大丈夫かと思案していた。

「じゃあ未成年じゃないので最悪何とかなるでしょう。良いですよ松井さん。狭いですけどうちで良ければ」

「いいんですか?」

「さすがにこんな夜遅くに女の人を放っておくのはちょっと」

 浩平の言葉に気を良くしたのか、彩香は先ほどからずっと眉間に寄せていた皺をほぐし嬉しそうに笑った。年の割に低い背も相まって可愛らしく感じる。

「とりあえず羽織は目立つのでやめて下さい。寒いならこれ着てください」

 そう言って浩平は自身のカーディガンを脱ぐと彩香に渡した。羽織では人目をひいてしまう。

 浩平の行動に彩香は眼を丸くしカーディガンを受け取った。渡すときに触れた手が酷く冷えている事に気づいた。

「あなたは寒くないんですか?」

「ああ、俺は大丈夫ですよ。さっきしこたま酒飲んだんで」

「ああ、それは良いですね。夏の夜には酒を飲んで寝るのが一番です」

 どうやらいける口らしく酒と聞いて彩香の目が爛々と輝きだした。

 酒は先ほど飲みつくしてしまった。冷蔵庫には食材もほとんどない。

 帰りにコンビニに寄らなければいけないな、と考えながら浩平は先ほどのベンチまでもどりゴミを入れた袋を持つ。ついでにコンビニで捨てて行けばいいかと考えながら歩き出した。その隣を彩香も連れ添って歩く。

「そういえば松井さん――」

「彩香で良いですよ。あたしも浩平さんと呼びます」

 歯を出して笑う彩香。無邪気な笑顔。初対面の相手だと言うのに疑う事を知らないようだ。

「じゃあ、彩香さん。お腹空いてます?」

「えっと……はい。恥ずかしながらお昼から何も食べてないので」

「じゃあコンビニでごはんとお酒買って行きましょう」

「……こんび、に?」

 まるで聞いた事がないというように言葉を反芻する彩香に浩平は聞き取れなかったのかと繰り返した。

「コンビニですよ。コンビニ寄って帰ります。あ、お金は俺が出すんで気にしないで下さい」

「えっと、よくわかりませんがお願い致します」

 彩香の顔を見れば本当に知らないといった風だ。社で寝ていたのも恰好が古臭いのもどうにも変人としか思えない。

「……彩香さん」

「なんですか?」

「失礼ですが生まれた年はいつですか?」

「私は大正五年の八月二十二日生まれです」

「た、大正?」

「洋暦ですか? それなら一九一六年です。干支は辰です」

「いや、そうじゃなくて、明治大正昭和の大正ですか?」

「……そうです。明治大正昭和の大正です。」

 なにか変ですか?――そう言うよな視線で浩平を見返す彩香。

 浩平はスマホを取りだし直ぐに検索をした。

 本来の目的は干支を聞くことだったのだがそんな事はしらない彩香は干支から西暦から全て答えてくれた。

 浩平がこの質問をしたのには理由がある、

 居酒屋がよくやる手法で未成年者を判断する方法である。

 西暦や年号は覚えてくるが干支までは調べて来ないらしく実際に生まれた年と干支を比べると合っていなかったり、合っていてもすらすら答えらず未成年だと判断するらしい。

 なので彩香が嘘を言っているのか試そうとしたのだが画面に写された検索結果は彩香の言う通りで、一九一六年は大正五年で干支は辰と表示されていた。

「ずいぶん光ってますね。行灯(あんどん)ですか?」

 浩平の持つスマホを見ながら彩香は興味深げに覗き込んできた。訝し気に彩香を見る浩平。

 疑った顔の浩平に彩香は首を傾げる。直ぐに浩平は「いや、なんでもないです」と答えてスマホをポケットにしまった。 

「と、とりあえずコンビニ寄って帰りましょう」

 浩平が先導するように二人は夜道を進んだ。

 道路に人影はなく静かだ。

 大通りから逸れた脇道なので車が通る事もなければ人もいない。

 引っ越して来た時に周りに何かあるだろうかと散策して見つけたのがこの神社だ。

 住宅街の中にポツンとある神社。まるで埋もれるように存在しているこの神社に優子を一度だけ連れ来たことがある。

 住宅地という中に異質な存在。それが浩平がこの神社を気に入った理由だったのだが優子は不気味だと言ってそれ以降来ることはなかった。

 まさか傷心で訪れた神社で妙なものを拾うとは思わなかった。

 先を歩く浩平は何げなく背後を振り返った。見ればやはり彩香が足を止めていた。まるで田舎者が都会に出てきて右往左往するように辺りを見回している。

「……どうしました?」

 何かあったのかと思い駆け寄る浩平。

 だが彩香は直ぐには反応せずやはり周りを警戒しているように見ていた。

 しばらくそうして立ち尽くしていたが不意に彩香が不安そうな声で浩平に問いかけてきた。

「……ここはどこですか?」

「いや……」

 今更何をいっているのだ。そう言おうとして彩香の顔を見て言葉が引っ込んだ。

 彩香の顔には先ほどまでの威勢は消えて迷子のように不安だけが顔に貼り付いていた。

「えっと……ここは久慈村ですよね? あれ? あんな建物ありました?」

 彩香が指さしたのは住宅だった。この辺りは建売なので似たような形の色違いの家が綺麗に並んでいる。ごくごく普通の二階建ての建売。

 それらを指さして目の前の少女はこれはなんだと聞いてくる。浩平からすれば言っている意味がわからない。見て分かる通り家としか答えようがない。目の前で狼狽えている女が何を知りたくて質問しているのか分からない。

「……家ですけど」

「いえ? 神社のとなりにこんなものはなかったです! ただの原っぱでした」

 言われて立ち並ぶ家を見るが普段の風景と変わりない。浩平がこの神社を見つけてから一年も経っていないがその間に家が取り壊されたことも建て直された記憶もない。ずっとこのままだ。

 これは本格的に危ない人間か? 

 そう考えてやはり警察か病院かと考えていると突然彩香が走り出した。

「ちょっ?」

 突然の事で反応が遅れる。

 慌てて追いかけるがまるで追いつけない。

「ああ、もう!」

 悪態をつきながら走る浩平。そして直ぐに大通りを目の前にして立ち止まる彩香に追いつく。

「いきなり――」

 どうした、と続けようとした言葉が詰まる。

 見ると彩香が目を大きく開き唇を震わせていた。

 視線の先を追うように浩平も通りを見てみるが特段、いつもと変わりない。

 二車線の道路には車が走り、歩道には仕事帰りのサラリーマンやOL。制服姿の学生や親子連れと人々が行きかう。通りに面して並んだ店はいつもと同じように多彩な色を放ち夜を照らしていた。

 どこにでもある普通の光景。なにも特筆することもなく、イベントを行っている訳でもない。

 なのに目の前の少女はそれら全てに驚愕しているように見えた。信じられないものを目の当たりにした人間はこんな顔をするのだろうか、と浩平はその横顔をジッと眺めていた。

 それから浩平は一向に動く気配のない彩香にしびれを切らし仕方なくを手を引いてコンビニへと向かった。その間も彩香は一切口を開かず為すがままで浩平に連れられた。

 コンビニで何を食べるか聞いても答えず何を飲むかと聞いても答えなかった。

 仕方なく適当に酒とつまみ。お弁当を買ってコンビニを出た。

 帰りますよと言う浩平に返事をしない彩香。浩平は諦め手を引いて家路へと急いだ。


 着いたのは浩平が住むアパート。今はここが浩平の家だ。以前住んでいた家は既に取り壊し更地になっている。家族との思い出もある家だったが一人では広すぎるし大学からも遠いので引き払ってここに越してきた。

 アパートに着くと浩平は先ず窓を開け放ち、風呂場へ行って湯を沸かし始めた。自分だけならシャワーで済ましてしまうのだが流石に今日は彩香がいるのでせめて風呂に入らせてやろうという気づかいだ。

 荷物をテーブルに置きコンビニの弁当をレンジに突っ込む。

 ひとり忙しなく動いていると彩香がこちらを見ていた。

「ソファーに座ってて下さい」

 そう伝えたが動く気配がないので仕方なく手を引いてやりソファーに座らせた。

 客用の布団はないのでベッドは彩香に使わせて自分はソファーに寝ればいい。問題は着替えだが、以前優子が泊まった時に置いていった着替えを使わせてもらうことにした。

 一通りやるべきことを終えた浩平は小さく息を吐いた。

 まさか彼女と別れたその日に女を連れ込むとは思わなかった。しかも家出だという女。

 レンジの前で弁当が温まるのを待ちながら浩平はまた溜め息を吐いた。ソファーに座る彩香を横目で見る。浩平の貸したカーディガンを着たままで室内を見回している。テレビでもつければいいのに。

 温めが終わりレンジから電子音が鳴った。取り出そうと手を伸ばしたが温めすぎたらしく蓋が変形している。

「ごめん、温めすぎたから冷めるまで待って」

 そう告げてテーブルに弁当を置くと他に買いこんでいた酒やつまみなどを袋から出して広げた。

 ポテチや裂きイカ。チーズやナッツ類など。弁当は彩香の分しか買わなかった。つまみもとりあえず彩香のために買ったようなもので浩平は食べる気などなかった。彼女と別れて食欲などある訳もなく、入るのは自棄酒ぐらいなものだ。

 冷めた酔いを戻そうと浩平はテーブルにある缶を開けた。一口飲もうとして視線に気づいた。

 彩香が浩平の顔を値踏みするように見ている。

「……なに?」

 浩平の言葉に彩香は一言も発せず尚も見てくる。神社からここまで彩香は一言も発していない。

 まさか今更ながらに怖くなったのだろうか? 自分も酒の勢いもあったとはいえ見知らぬ女を連れ込んでいるのだ。冷静に考えれば善い事ではない。

 澄んだ目が揺れずに浩平を見据える。沈黙と視線に耐えられず浩平はどうしたものかと考えながら言葉を探した。

「あー……襲ったりとかしないから」

 我ながら何とも馬鹿正直な言葉だと思った。けれどそれ以外に言う事が見つからなかった。

「……彼女と別れたその日にそういう事をする気も起きないから」

 するとビールを口に運ぼうとした時に彩香が口を開いた。

「……そうですか」

 感情のない平坦な言葉。

 浩平は特に答えずビールに口をつけた。飲みながら彩香を見ると弁当を手に取り下を覗いたり包装を引っ張ったりと何やらしている。

 まさか開け方が分からないのか?

 先ほどもそうだが目の前の少女は産まれを大正と言った。大正という言葉など病院の問診票ぐらいでしか見ない。

 記載されているということはまだ世間には存命中の人もいるのだろうが浩平はそういった人と会ったことも話したこともない。ましてやこんなに若い女のはずがない。きっと適当を言っているだけだ。泊めてもらうために気を引こうとしたのかもしれない。

 考えながら浩平は目の前で弁当を弄る彩香を見つめ手から弁当を奪い取る。

 ビニールを外し、蓋を取り彩香の前に置いてやった。割り箸もお茶も開けてやった。

 弁当から湯気と共に匂いが立つ。

 彩香は鼻を引くつかせながら弁当と、ペットボトルのお茶の匂いを嗅いだ。まるで犬が食べて大丈夫なものか確認しているようだ。

 一度浩平を横目で見たかと思うと割箸をもって行儀よく手を合わせた。そうして弁当を食べ始めた。それを見ながら浩平もゆっくりとビールに口をつける。

 沈黙しかなかったがテレビを付けようとは思わなかった。彩香の食事をする姿を何故か見ていたかった。

 弁当が残り半分ぐらいになった頃、不意に彩香が口を開いた。  

「……なんで別れたんですか?」

 視線は弁当に向いたまま問いかけられた。少し間をあけて浩平は答える。

「……別れろって言われたから」

「親御さんですか?」

「向こうのね」

「相手の事は好きだったんですよね?」

「凄く好きだった」

「なのに別れた?」

「理由が理由だからね。どうしようもない」

「どんな理由ですか?」

「……言いたくない」

 ぶっきらぼうに告げた。

 彼女にすら言えなかった事を昨日今日会った人間に言えるわけがない。言ってどうにかなるものでもない。誰も悪くない事だし、誰にもどうしようもない事だ。それ分かっているから浩平は別れたのだ。

「無理には聞きません。すいません。お邪魔させてもらっている身なのに」

「……いや」

「わたしは結婚したくなくて家を飛び出して、浩平さんは結婚したいのに許しを貰えなくて別れて、難儀な人生です」

 彩香の言葉に浩平は何も答えずに静かに酒を飲み続けた。

 しばらくすると彩香も弁当を食べ終え次はテーブルの上のビンや缶に興味を持ったのか手に取りしげしげとみている。

「なんか飲む?」

「……珍しいものばかりです。書いてある文字も珍しい。左から右なんて」 

 妙な事を言うなと思いながら浩平はレモンの酎ハイを開けてやり彩香に差し出した。不思議そうにまた匂いを嗅ぐと子供のような顔つきに変わる。

「レモネみたいな匂いです」

 レモネという聞きなれない言葉に浩平は首を傾げる。

 見ていると彩香はゆっくり口をつけた。が、気管に入ったのか咳き込みながら酎ハイを吐き出してしまった。

 慌ててティッシュを取り顔や濡れた服を拭いてやる。

「ああ、もういきなり飲むから」

 このままでは服がべた付くと思った浩平は直ぐに風呂場に彩香を案内した。

「使って。脱いだのは後で洗濯するからこのカゴに入れておいて」

 先ほど用意していた着替えを指さしながら言うと咳き込みながら彩香は頷いた。 

「じゃあゆっくり入っていいから」

 そう言って出ていこうとしたがもしやと思い踵を返した。

 どうかとは思ったが先ほどの弁当の事もある。

 浩平は風呂場に戻ると彩香にシャワーの使い方やボディソープ。シャンプーとリンスの使い方も伝えた。

 分かっているのかいないのか彩香は不思議そうに頷いたりシャワーに驚いたかと思うと直ぐに弄り始めた。

「あんまりお湯無駄にしないで下さい」

 そう伝えると浩平は早々に風呂場から退散した。

 台所から布巾をもって先ほどこぼされた酎ハイを拭いていると風呂場からはしゃぐ声が聞こえてきた。

 掃除を終えた浩平はソファーに座り酒の続きを再開した。

 変に同情して連れて来なければ良かったと思うがもう遅い。未成年でないことがせめてもの救いだ。これで未成年ならばヤバい。最悪未成年者略取で逮捕されてしまう。

 そこで浩平はたと気が付いた。

 彩香は本当に十九歳なのか? 何も見せられていないので本当かどうかも怪しい。というかそのために誕生日を聞いたのに生まれは大正と答えられたのだ。

 いくら彼女と別れて酒を飲んでい自棄になっていたとはいえ自身の軽率な行動が今更ながらに嫌になる。彼女に別れを切り出したのもほとんど勢いだ。もし彼女とちゃんと話していれば何か変わったのかもしれない。

 自分で終わらせておいて早々に後悔をしている。

 ビールに口をつけながら目尻に涙が溜まりそうなる。

 すると風呂場から音がした。どうやら彩香が風呂を終えたらしい。

 慌てて袖で顔を拭うとまた一気にビールを飲み干した。

「ありがとうございました」

 声に振り返ると浩平は一瞬息を呑んだ

 髪をおろした彩香が一瞬、彼女の優子に見えたのだ。拭い去った涙がまた出そうになる。

 風呂上がりの彩香は濡れた髪をそのままに首からタオルをかけていた。優子のパジャマはサイズも問題なく着れている。

 彩香の姿に優子が重なる。

 だが彩香の言葉で浩平の涙は引っ込んだ。

「珍しい寝間着です。しかも乳パッドも珍しい形してますし腰巻もない」

 彩香は自身の着こなしを確認するようにその場で回り始めた。振るわれる髪から雫がまき散らされる

「代わりなんでしょうが薄い穿き物があったから穿いてみましたけど心もとないですね」

「……乳パッドって」

 ――まさかそんな単語を聞くとは思わなかった。

 浩平は先ずは何から突っ込めばいいのか分からず言葉を失っている。

 そんな事など気にせずに彩香は浩平の隣に座った。

「お風呂も珍しい形でした。あれは何処で火を焚いてるんですか?」

 もはや何から答えれば良いのか、何から聞けば良いのかわからない。  

 そんな浩平を他所に彩香は先ほど途中で止めた酎ハイをまた飲み始めた。今度は吐き出さずに飲めたようで彩香の白い喉が動くのが見てとれる。

「はー。先ほどは驚きましたが飲むと甘くて美味いしい。それにさっきのお弁当も美味しかったです」

「なら良かったですけど……というか、髪乾かさなかったんですか?」

 彩香の髪から雫が滴り落ちていた。

 けれど本人はそんなこと意に介していないようで、

「こうして手拭いをかけてますが?」

 首元のタオルをヒラつかせながら答える彩香に浩平は顔をしかめた。

 先ほどまさかとは思いシャワーの使い方も洗剤も教えたがドライヤーの場所は伝えてなかった。勝手に使うだろうと思っていたのだがどうやらその考えは甘かったらしい。

 しかも言い方的に遠慮したのではなくそもそもドライヤーの存在を知らないと言った口調だ。

 演技だとしたら凄い。それに下着を指して乳パッドなどと言うとは思わなかった。

 記憶喪失……ではないのだろう。名前や家出の理由も覚えている。住所に関しては不確かだが誕生日も淀みなく伝えてきた。

 演技という方が信憑性がある。あともう一つの可能性もあるが、それこそ一番あり得ない。

 濡れた髪のまま酒を舐める彩香に浩平は立ち上がると風呂場へと向かった。

 戻ってきた浩平の手にはドライヤー。以前優子が髪に良いのが良いと言われ買わされた品だ。

 男の浩平としてはドライヤーなど千円ぐらいの安いやつで構わなかったのだが仕方なく買ったもの。

 コンセントを入れソファーの背後に回るとこれまた興味深そうに彩香が目を光らせた。

「なんですその綺麗なものは?」

 興味深そうに尋ねる彩香に浩平は「ドライヤーでしょうが」と呆れながら言うとスイッチを入れ彩香の頭に向けた。

「なんですか?」

 ドライヤーの音に掻き消されながらも叫ぶ彩香に浩平は「静かにしてください。近所迷惑です!」と聞こえるように叫んだ。

 その一言で黙った彩香はそのまま浩平にされるがままで髪を乾かしてもらった。長い髪は絹のように柔らかく浩平の手に絡みつく。

 優子の髪もよく乾かしたのを思い出す。その時はソファーに座った浩平の足の間に優子が収まる形だった。恋人らしい思い出の一つ。

 もうすることはないと思っていた作業。誰かの髪を乾かす事などないと思っていた。優子を最後に自分はもう誰とも付き合わず生きていこうと考えていた。別れた理由を考えれば当然だ。問題なのは優子ではなく浩平の方なのだから。それも正確に言えば浩平にも問題はない。浩平の祖父が問題だったのだから。

 髪を乾かし終え彩香を見ると気持ちが良かったのか目を微睡ませていた。

「寝るんならベッドで寝てください。使って良いですから」

 浩平の言葉に首を揺らしながら「んー……」と曖昧な返事をする彩香。これは寝てしまうなと思いながら風呂へと向かった。

 ドライヤーを置き自分も風呂に入ろうと脱衣かごを確認する。どうやらちゃんと入れてくれたらしい。風呂の中も問題なく使えたようで変わりなかった。

 浩平も風呂に入りやっと一息ついた。普段はシャワーで済ましていたので湯船に浸かるのは数ヶ月ぶりだ。

 浴槽のお湯で顔を洗いながら浩平はこれからどうしようかと考える。

 いくら泊めるとはいえ、いつまでもいられても困る。彼女がいないのでそちらは困らないが浩平も学生の身である。金銭的に余裕がない訳ではないが、それを見ず知らずの人間のために使いたい訳でもない。今は夏休み中なので相手をしてやれるがいつまでもは出来ない。

 一番良いのは彩香に家に戻ってもらい、更に言うならその両親に結婚を止めてもらうことなのだが、流石にそこまでは他人の自分が口をはさめない。せいぜい親元に返すぐらいだろう。

 というか、文字通り嫁入り前の娘を預かってしまったのは不味かったと猛省する。

 未成年じゃないとはいえ彩香の親が警察に行ったりしたら不味い。最悪逮捕されてしまう。

 ぐるぐると考え始めそうになるのをもう一度顔を洗って流す。

 今更追い出すわけにもいかない。とりあえず今日はもう色々疲れたので酒飲んで寝てしまおう。

 そう考えて風呂から上がるとソファーで彩香が涎を垂らしていた。

「……美人が台無しだな」

 浩平はこぼす様に言うとベッドの布団をめくり彩香を抱き上げた。

 見た目通り軽く、むしろちゃんと食べているのかと心配になる。

 以前優子を運んだ時は――、と考えて直ぐに止めた。もう終わった事なのだから。

 ベッドに彩香を寝かせて布団をかけてやり電気を消した。普段は窓から入る街灯を避けるようにカーテンを引いているが今はそれが丁度良くベッドスタンドのように暗さと明るさを両立させていた。

 幸せそうに涎を垂らす彩香を見ながら浩平は枕にタオルを敷けば良かったと考えながらテーブルの上の酎ハイに手をかけた。彩香の飲みかけだがもうどうせ飲まないだろう。

 飲んだそれは炭酸が抜けておりもはやただのジュースとかしていた。

 ひとのベッドを占領している眠り姫を見れば大きく口を開けて寝ている。

「……大正生まれ、か」

 浩平は先ほど考えていた可能性の一つについて思い出していた。彩香は本当に大正生まれの人間なのかもしれないというくだらない可能性を。

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