陽葵の家
「じゃあ、出発しようか」
そう丞が切り出したのは朝ごはんを終え、皆で寛いでいたときだった。
「そうですね、そろそろ良い頃合いかと」
麻緒が携帯を片手に部屋から出ていく。おそらく父に連絡を取るのだろう。
そして、凌久と蒼依が陽葵を車へと案内する。
「はい。陽葵はここな」
凌久に八人乗りの一番後ろの席を指定される。陽葵が素直に座ると、隣に凌久が乗ってきた。
普段知り合いが運転する車に乗ることがあまりない陽葵はキラキラとした目で車を観察していた。
「この車おっきいね!」
「だろ? これだったらみんな乗れるから。今日は俺が無理言って人数増やしたからさ、レンタルしてきたんだ」
「誰が運転するの?」
「蒼依だ」
「蒼依、さん?」
「あいつ、ああ見えてトラックの免許だって持ってるんだぞ?」
「えっ!? かっこいい!」
「あいつは昔からかっこよかったぞ」
「昔から知ってるの?」
「……蒼依とは中学のときからの仲だ」
「長いんだね」
「そうだ。あの頃は言うてしゃべったことはほぼなかったけどな。最近は良く話すな。……中学の知り合いなんて俺の幼馴染みと蒼依ぐらいだ」
「凌久くんの幼馴染み?」
「そうだ」
手土産を持った丞と電話を終えた麻緒が中央の列に、運転席には当たり前の顔をした蒼依が座る。
「はい、皆さん。シートベルトは締めましたか? そしたら、動きますよー」
蒼依の声がかかり、音楽がかかる。
それぞれ立場の違う人の集まりだ。会話はあまりない。隣の人に何かをそっと囁き、それで会話が終了する。音楽だけが軽快に流れ続けていた。
「はい、陽葵起きて!!」
丞の声に陽葵が飛び起きたときにはもう見慣れた景色に入っていた。
陽葵は目を一度擦ると、車から降りた。
「「お帰りなさいませ、陽葵お坊っちゃま」」
車から降り立つと同時にズラリと整列した巫女たちに声をかけられる。陽葵は寝起きだと悟られぬよう、一度軽く息を吸った。
「ただいま戻りました」
はっきりとした声で陽葵は答える。陽葵の挨拶の間にもトランクから荷物が次々と運び出されていく。
「それでは皆様のことは私の弟、剛志がご案内させていただきます」
「こちらへどうぞ」
「お坊っちゃまは私とどうぞ」
「はい」
麻緒に連れられ、陽葵は裏口から帰宅する。
弓道場の脇に柚子の木に隠れるように小さな扉がある。そこにあると分かっていても本当に気を付けてみなければ見つけることが難しい。そこから階段を下りる。麻緒とはここでお別れだ。
麻緒が階段を上り見えなくなると陽葵は細長く続く廊下を駆け抜け、秘密基地の入り口に到着する。
紫苑が弓を引いていたとき、弓道場にファンが押しかけてきたことがあった。紫苑の噂は未だ根強いし結婚もしているが、変わらずファンも多いのだ。紫苑がこっそり弓道場から抜け出したとき柚子の木のそばの扉に吸い込まれ、そのまま道なりに進んでいると秘密基地にたどり着いたのだった。
紫苑はこの扉の存在を家族と須野原一家に伝えた。その代わり、自身の能力で須野原一家の脳内から社務所裏の入り口の存在を消し去った。
それは陽葵の知らないところで行われていた話であり、陽葵はもちろん社務所裏の扉の存在は知っている。
「おかえり、陽葵」
そこには父が一人で立っていた。
「ただいま!」
ここでは礼儀は無礼講である。常日頃、他の模範となるような行動を取るよう言われている陽葵だが、この部屋にいる間だけは父に自由に甘えられる。
陽葵は「ていっ!」と掛け声つきで父の腕に飛び込んだ。
「おぉ! 陽葵、飛び込んでくるなって」
「ただいま! お父さん!!」
「お前、人の話聞いてるか?」
「聞いてないよ」
「だと思った。はぁ……そういえば陽葵、また伸長伸びたね」
「そうかな?」
「大きくなった」
「やったぁー」
「それで……話したいことはたくさんあるんだけど、まずはお客様をお出迎えするか」
「うん!」
陽葵は手早く袴に着替えた。二人は廊下を並んで歩く。途中で巫女と合流し、部屋に向かう。居間では一緒に来た面々が寛いでいるようだ。時折楽しそうな会話が漏れている。
「旦那様とお坊っちゃまの到着でございます」
障子が開かれる。父が入室したので、陽葵も後に続く。
「ようこそおいでくださいました」
「お久しぶりです。紫苑くん」
「丞くん……いや、丞コーチ。いつも愚息がご迷惑お掛けしております」
「いや、陽葵のお陰で退屈とは程遠い楽しい生活を送ってるよ」
丞が苦笑いする。
「これからもよろしく頼みます」
母の言葉に丞は真剣な顔つきで答える。
「もちろん。必ず世界一にするから」
「楽しみにしてますね」
「期待してて」
そして、父は凌久の方を向く。
「凌久、何年ぶりだろうね」
「葬儀のときが最後だから……」
「十年だね」
「……そうだな」
「医者はどう? 忙しいんじゃない?」
「ああ。だけど俺が治せる病気はすべて完治させることが目標だからな。弱音吐く暇があるなら仕事するさ」
「あのときは大変すぎて言えなかったけど……京大医学部合格おめでとう。あと、卒業おめでとう。六年間終わった後の入学祝いになっちゃったけど」
「ありがとな。そっちこそ、神主育成校首席卒業とか聞いたぞ」
「どこから聞いたんだ? そんなこと」
「さぁ。風の便りだ」
「おい、濁すな。教えろって」
「いやだね」
「凌久は変わらないなぁ」
「紫苑こそだぞ」
「僕は子どももできてだいぶ変わったけどなぁ」
「あのな、変わったかどうかは自分じゃなくて、人が判断するんだ」
「……名言だね」
「だろ? 俺、名言多いから」
「前言撤回」
「なんでだよ」
「あはははは」
父と凌久の会話はまるで子どものようだった。キャッチボールのように軽く交わされる言葉だが、そこには紛れない友情と絆が見え隠れしていた。
「あなた、そろそろ」
母の言葉に父は口を紡ぐ。そして蒼依を見つめる。
「大変失礼ですが…………あなたは……?」
「初めまして。大和蒼依と申します」
「あっ!」
突然父が声をあげた。
「吹奏楽部時代の柚希のお友だちですね。柚希の話に度々登場されていましたよ」
「え……? そうなのですか?」
「まさか。柚希のパラリンピックの直後にお電話くださったでしょう? 柚希が大層喜んでいました」
「そうだったのですか……。また会いたいですね」
最後の言葉はそこにいた陽葵以外のすべての人の心に深く刺さった。
「あの……」
「あの、は無しですよ」
皆を遮った陽葵の声を栞奈が叱る。陽葵は口を少し尖らす。母がそれを咎めるように鋭い目で自分を見る。陽葵は小さく答えた。
「……はい」
「陽葵、どうした」
家主である紫苑が許可したことで陽葵は発言する。
「あの……柚希ちゃんって誰?」
その瞬間、空気が凍った。
小学生だとは思えない実家への帰省数。
それでも紫苑と栞奈は息子を優しく見守っています。
夢を追いかける大切さをよく知っている二人だからこそ……




