仲間
「ゆき?」
呆然と自分を見つめるその女性を見ながら陽葵は首をかしげる。彼女の口から出たゆきとは「ゆきちゃん」のことなのだろうか。この人はなぜその名を知っているのだろう。
「柚希じゃない。陽葵だ」
記憶より余程大人の色気に溢れている男性が女性に話しかける。
「そうよね、そうだったわよね。あまりに似ていたものだから……ごめんなさいね。私は大和蒼依って言います。あなたの叔母さんのお友達よ」
「咲来伯母さん?」
「違うわよ」
「え?」
凌久が慌てて蒼依を止める。
「ちょっと待て。蒼依、まずは一旦家主に挨拶しないと」
「……そうね」
その女性は丞に向きを変えた。
「失礼しました。大和蒼依と申します。お久しぶりです。丞くん、麻緒さん」
「蒼依ちゃん?」
「はい。覚えていてくださりましたか」
「当たり前だよ。柚希ちゃんのお友だちさんだよね。よく話も聞いてたし」
「嬉しいです」
蒼依の顔は喜びに満ちていた。
「それで……なんで二人で来たの?」
「僕が誘ったんだ」
「違います。私がお願いしたんです」
凌久の言葉を否定した蒼依が丞の顔を真っ直ぐに見つめた。
「丞くん、お願いです。丞くんは毎年柚希ちゃんの命日に新潟を訪れているそうですね」
「……そうだけど?」
「今年は都合があったから凌久くんも行くと聞いたのでお願いしたんです。私も連れていって欲しいと。咲来ちゃんがいない今、羽澄神社で私のことを知っているのは智恵おばさんだけだから。きっと私が一人で行っても分かってもらえない。だけど、凌久くんが一緒なら分かってもらえるかなぁ……と」
「じゃあ、三人で行くか」
「いいんですか?」
「もちろん。柚希ちゃんだって蒼依ちゃんに来てもらえたら喜ぶはずだから」
微笑んだ蒼依の顔は少し寂しそうだった。
「やっぱり何年経っても、新しい生命が誕生していても悔しいです。なんで私は柚希ちゃんを救えなかったんだろうって。コンクールのとき、足を失った柚希ちゃんと全国に出れなかったのがあれ程悔しかったのに、もっと辛いときに私は遠くから見守るしかなかった。もっと近くにいたら……って思うとね、なんか」
「僕も悔しい。だけど、紫苑くんに言われたんだ。『一番悔しかったのはきっと柚希だからって。だから、僕たちは前を向かなくちゃ』って。その言葉がなかったら……あのとき僕も後を追ってたかもしれない」
「それはダメですよ!! 何考えてんですか!」
「今はね、何をバカなことしようとしてたんだろうって思ってるよ? あの時生きることを選択したからコーチとしてオリンピックの舞台に帰れたし、陽葵のコーチにもなれた。だけど、あの時の僕には柚希ちゃんがいない人生なんて考えられなかったんだ」
二人の会話を陽葵と凌久は静かに見つめていた。
「……陽葵、ちょっといいか?」
「うん」
突然、凌久が陽葵を呼んだ。そして、「兄ちゃん、少し陽葵を借りるぞ」と言うと陽葵を外に連れ出した。
「どうしたの? 凌久くん?」
「俺はくん付けなのか」
凌久が笑いながら言う。
「なんか、コーチが凌久くんって呼んでるから……」
「まぁいいや」
「どうしたの? 凌久くんに話さなきゃいけないことあったっけ?」
「ん? なんでもないぞ? だけど、あそこにいても分かんないことだらけでつまらないだろ? 少し俺と遊ばね?」
「何して?」
「ゲーセンでも行くか」
そう言うと、凌久は陽葵の手を取った。
誰かと手を繋ぐことに慣れていない神社の御曹司は少し躊躇う様子を見せながらも凌久の手をそっと掴んだ。
凌久は駅の近くにあるゲームセンターへと入る。
「初めてか?」
「……うん」
「信じらんねえな。俺が今の陽葵くらいだった頃はゲーセンが遊び場だったぞ」
凌久は顔はいいのに本当に口が悪い。その言葉の底には優しさが溢れていることは分かっているが、よくこれで医者ができるものだと陽葵は感心してしまった。
凌久は陽葵に百円玉を十枚渡してきた。
「陽葵。これは俺からのお小遣いだ。この千円であれば何をやってもいい。だけど、クレーンゲームで取れなくてもそれ以上はあげないから、よく考えろよ?」
「うん」
陽葵は周りを見渡す。目に写るすべての機械がキラキラと輝いていた。
その中で何故か惹かれたクレーンゲームがあった。
黄色の果物がたくさん入っている。何故か顔がついている。可愛いその果物を陽葵は見つめる。少なくとも陽葵が知っているキャラクターではない。
「……柚子か」
「え?」
「いや、この果物の名前だ」
「柚子?」
「うん。確かお前の家にもあったと思うぞ」
「神社の弓道場の横にあった木は柚子だったはずだ。帰ったらお父さんに聞いてみろ?」
「うん!」
帰宅したら父に尋ねることがまた増えた。
陽葵はお金を払うと、レバーをそっと握った。ひとつの柚子と目があった。陽葵は微かに笑う。
「お前にした」
一回目。クレーンは予想よりも右に降りてしまい掠りもしなかった。
二回目、三回目。掴めたが上げはじめたところで落下。
四回目。持ち上げ、落下。それでも柚子は少しだけ横にずれた。
少しずつ、少しずつ、柚子は動く。
なかなかうまく行かず、遂に手に握っている百円玉は一枚だけになった。
「陽葵?」
「ううん、なんでもないよ」
陽葵は祈りながらお金を投入する。
クレーンは狙いどおり、柚子を持ち上げ、動き出す。
「やったー!! って、え!?」
喜んだのもつかの間。柚子は何故か突然クレーンから手を離してしまった。
陽葵が呆然と見つめるなかクレーンは動きを止める。
仲間たちの上に再び降り立った柚子は陽葵を見ながら笑っていた。
「陽葵、もう一回やるか?」
動き出さない陽葵を見ていた凌久が一枚の百円玉を渡してきた。
陽葵は一度受け取ったもののそれを返却する。
「いいのか? 惜しかったのに」
「約束だったもん」
「そっか……陽葵は偉いな」
「それにね、あの子もみんなといる方が嬉しそうだったし」
陽葵の頭に凌久の大きな手が乗っかる。そのままワシャワシャとかき混ぜられる。
「……凌久くん?」
「お前はそのままでいろな。兄ちゃんから逃げんなよ」
「逃げる?」
「兄ちゃんは大切にすればするほど、何故か失っちゃうからさ」
「……?」
「分かんないだろ? 例えば……兄ちゃんは翔哉くんのことをめちゃくちゃ可愛がってた。会うたびに、翔哉くんのこと話してきてたからな。だけど、結局翔哉くんは外国に行っちゃっただろ? 陽葵はずっと兄ちゃんのところにいてやれよ」
「うん!」
陽葵は頷く。丞と約束したのだ。二人でオリンピックで金メダルを取ると。
「その目をしてれば大丈夫だ。あいつとそっくりだからな」
「誰?」
「帰ったら分かるさ。お父さんに聞くんだろ? 紫苑くんならきっと教えてくれる」
「……わかった」
家が見えてきたところで「先に帰ってろ」と言うと凌久はもとの道を歩きだした。
「どうしたんだろ?」
そう思いながら陽葵は一人で家に向かう。
「あれ? 陽葵?」
「ふうか。誰かと思ったよ」
小学校で一年生から同じクラスの早乙女颯真が声をかけてくる。お父さんとお母さんとお姉さんだろうか。家族一家で出掛けるようだ。
「ふう、こんなとこでどうしたの?」
「今日は遊園地に行くんだ!」
「そっか……」
「陽葵も一緒に遊びたいけど、練習あるもんな。暇なとき、教えてね。出かけよ!」
「うん! 楽しみ!!」
「そしたら、行ってくるね!」
「じゃあね!」
笑顔で手を振ったあと陽葵は思う。
自分に友達があまりいないのはスケートがあるからだ、と。陽葵は小学生になってから放課後友達と遊んだことは一度もない。学校が終わると毎日リンクへと一目散である。それが自分の成長のために必要なことであるということはよく分かっている。
颯真は陽葵がスケートを習っていて遊べないことを理解してくれてるし、逆に応援してくれている。試合に友達と応援に駆けつけてくれるほどだ。
「だけどなぁ……僕も遊びに行きたいなぁ……」
陽葵は静かに呟いた。
家にたどり着く。美味しそうな朝ご飯の香りが外まで漂ってくる。お腹がなりそうな陽葵は家に飛び込んだ。
「ただいま!!」
「お帰り」
「お坊っちゃま、お帰りなさいませ」
「あれ? 凌久くんは?」
蒼依からの質問に陽葵が答えようとしたとき、扉が開いた。
「帰ったぞ」
「あら、凌久くん。遅かったわね」
「ごめんね。おい、陽葵」
凌久が陽葵を手招く。凌久のそばに向かった陽葵は凌久の手にあるものを見て目を見開いた。
「凌久くん? それは……?」
「俺戻ってやってきたから。ほら」
何気なく手渡されたのは、陽葵が取れなかった柚子だった。
「なんで連れてきたの?」
「え?」
「せっかく友達と一緒にいられたのに」
「あはは。陽葵はほんとにいいやつだな。だけど、俺の方が一枚上手なんだな。ほら、やるよ」
そして、ポンと渡されたのはウインクをしてる柚子だった。
「これは?」
「陽葵が頑張ってたやつの隣にあったやつだ。親友なんだろ? だから、一緒に連れてきた」
「ありがとう」
「気にすんな」
凌久は少し目をそらせながら答えた。
(これはふうにあげようっと)
陽葵は二つの柚子を机に置いた。二人は仲良く寄り添っていた。
陽葵の優しさと凌久の優しさ。
凌久が陽葵の年だった頃……まだ母もいて楽しかった日々です。それでも、いろいろな苦労を乗り越えて、凌久は優しい青年へと成長しました。
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