丞コーチの周りの人
丞が誰かと電話している。
「じゃあ、明後日そっちに行くね」
『……』
「そうそう。三人で行くつもり。……あっ、もしかしたら少し人数増えるかもしれない」
『……』
「うん。そう。いつもを考えれば戻ってくる可能性もあるから」
『……』
「まだ分からないんだよねーーー。だからあいつから連絡来たら僕から伝えるね」
『……』
「おっけー! じゃあまた明後日にね」
電話を終えた丞が部屋の入り口から覗き込んでいる陽葵を見つけた。
「お、陽葵。いいとこに来た。明後日、家に帰るよ」
「えっ!?」
「夏休みだしちょうどいいだろ」
「急だね」
「まぁ、そうね。僕はもともと行くつもりではいたんだけど……。陽葵も一緒においでって紫苑くんが言ってくれたから」
父と丞は仲が良いらしい。
そのことに陽葵が気がついたのは結構最近のことだ。
以前から丞のところに父と母が遊びに行くのに連れられたことはあるが、単なる仲良しとは何かが違うのだ。
「丞コーチ……」
質問しかけところに再び電話がかかってきた。
「ちょっとごめんね」
丞が画面を見て目を丸くする。
「お、凌久。どうしたんだ?」
『……』
「そうか……って明日!? 言うと思ったけど」
『……』
「うーーーん。知ってると思うけど明後日は空けるからさ」
『……』
「そうだよ。だから、後日にしてくれないか? 明後日は何があっても羽澄神社にいたいから」
突然出てきた羽澄神社というワードに陽葵は驚く。表情に出ないように気を付けながらも、若干控え目に話す丞の言葉に耳を傾ける。
「じゃあ、お前も一緒に行くか? 一応紫苑くんにはいくかもとは言ってるけど? あ、だけど誰か一緒にいるんだっけ? つか、うちじゃなくてまずは叔父さんのとこに行きなよ」
『……』
「そっか……。まぁいいや。待ってるから。なるべく早く来てよ」
『……』
「余計なお世話だとは思うけど病院は大丈夫なんだよな?」
『……』
「あぁ、それなら待ってるよ」
『……』
「おう、また明日」
丞が電話を切る。
「陽葵。明日お客さんが来るぞ」
「えっ!? 明後日帰るのに?」
「大丈夫だ。凌久だから」
「凌久くん?」
「そうだ。あれ? 陽葵、凌久のこと覚えてるか」
「うん。受付のお兄さんでしょ?」
「あはは。そんなレアな凌久を覚えてたか。僕の方がそんなこと忘れてたよ」
「……かっこよかったから」
「あいつはかっこいいよなぁ。顔だけはほんと良い」
「コーチもかっこいいけどね?」
「ほんと? 嬉しいこと言ってくれるじゃん。……てか今日は早く寝なね? あいつ、来るって言ったからにはきっとめっちゃ早く来るから」
「どのくらい?」
「まぁ、大阪からだから少しは時間かかるけど、朝ご飯はたぶん一緒に食べるくらいの時間にはここにいると思うよ」
「朝ご飯!?」
「うん。そうだ、明日の朝はデリバリーしちゃおっか」
「やったぁ!」
「丞さん、私が注文しておきますね。凌久さんとはある程度面識がありますから好みも分かりますので。何年も前の記憶でよろしければ」
「大丈夫だと思います。お願いしてもいいですか?」
「もちろんでございます。お任せください」
麻緒が頼もしい笑顔で請け負ってくれる。
「陽葵は早く寝とけよ?」
「さっき聞いたよ」
「大事なことは何度も言うんだよ」
「分かってるって。……そしたら丞コーチ、麻緒さん、おやすみなさい」
「お休み。また明日」
「お休みなさいませ、お坊っちゃま」
陽葵は若干不服ではあるものの言われた通りにベッドへと向かった。
「丞さん……」
どのくらいの時間が経ったのだろう。目が覚めた陽葵は話し声が聞こえてきてそっと階段まで歩いていった。階段に座り込む。
どうやら話しているのは丞と麻緒のようだ。暗いはずの下階からはほんのりと暖かい光が漏れている。
「やっぱあの日が近づくのは何年経っても辛いよね」
「……そうですね」
「柚希ちゃんは今何してるんだろうなぁ」
「スキーをなさっているのかもしれませんし、フルートを奏でていらっしゃるかもしれません。はたまたあのお嬢様のことです。私どもの想像の及ばないことをされているかもしれませんね」
「僕としてはスキーをしてて欲しいけど」
「ふふっ。……それでも柚希お嬢様のフルートの音色は世界一ですよ。きっと一度聞けば忘れられない。凌久さんのお墨付きです」
「今となってはネットでしか聞けないのが口惜しいね。僕は結局聞かせてもらえなかったから」
「本当に……本当にそうでございますね。お嬢様も丞さんにお聞かせできなかったことを悔しがっておりますよ。でもね、忘れないで。お嬢様がフルートを諦めたからこそ貴方たちは出会うことができたのです。今なら柚希お嬢様のあの時の決断は決して間違えていなかったと思えます」
「それでも……」
「昔お嬢様はよく言っていました。こういう運命だったって。あのお嬢様は理不尽な事故にあってもそう思える強い心をお持ちでした。でもその根底にはあなたの存在があったことは決して忘れないでくださいね」
「明後日は羽澄神社で柚希ちゃんに会えるといいけど……」
「ぜひお越しください。きっと柚希お嬢様も丞さんのことを待っていらっしゃりますよ」
「……そうだといいけど」
「きっとそうですよ」
体育座りをしながら陽葵は二人の会話を聞いていた。
今までの会話にも時々出てきていた“柚希ちゃん”が再び出てきた。翔哉も知っていた。
「柚希ちゃんって、誰?」
小さくポツリと陽葵は呟いた。
聞いてはいけない話を耳にしてしまったような気がした。陽葵は音を立てないように注意しながら部屋に戻り、ベッドに潜り込んだ。
次の日の朝は早かった。丞に少々手荒く起こされた陽葵は何故自分が早くにベッドへ押し込まれたかを理解した。夜中起きてしまった陽葵には少々辛い早起きだった。
「おーーい陽葵、そろそろ到着するけど準備は大丈夫か?」
「うん。だけど……凌久くんってコーチの従兄弟だよね? なんで、こんな豪華なご飯が用意されてるの?」
「今日はね、あいつが友達を連れてくるんだって。恋仲かもしれないし、そうじゃないかもしれない。そこは分からないけど、僕なりの精いっぱいのおもてなしだよ」
「凌久くん、お医者さんなんだよね?」
「そうだよ。自慢の弟」
「弟?」
「もどき、だね」
陽葵の目には丞が心なしか浮かれているように映った。
「凌久くんはなんでお医者さんになったの?」
「大切な人を守れなかったから……かな」
「大切な人……」
「だけどその人はすごく苦しんでたくさん泣いて、それでも立ち上がったんだ。僕のことも何度も助けてくれた。それでも僕たちは最後その人を守れなかった。その人を守れなかった悔しさから凌久は医者になることを決めたんだよ」
少し遠くを見つめると丞は寂しそうに笑った。丞がこの目をするときは大抵が「ゆきちゃん」について話しているときだ。そうと分かっていても陽葵はその人の名前を口にすることはできなかった。
「僕はその人を知ってる?」
オブラートに包んで尋ねてみた。やはり丞はこの話題は避けたいのだろう。陽葵を見ているようで見ていない視線は、逃げ道を探しているようだった。
「知ってる……かもしれないし、知らないかもしれない」
「何その微妙な感じ」
「僕はどこまで紫苑くんが伝えたのか分かんないから」
「ふーん」
「紫苑くんが話していいって言ってくれたら僕もちゃんと話す。だから、まずは陽葵から紫苑くんに聞いてみな」
「……う、ん」
陽葵は決めた。帰宅したら父に聞いてみることを。
そのとき陽葵は気が付いていなかった。神奈川と新潟という離れた土地ではなくて、もっと身近に陽葵の疑問に答えてくれそうな人がいることに。
暫し考え、その人の存在を思い出す。
その人は静かに微笑んでこちらを見つめていた。
突然、声が聞こえた。誰も話してはいないのに……
『私はお教えしませんよ。あなたに教えて良い立場ではありません』
間違いなく麻緒の声だった。
麻緒の顔を見つめる。その目にもはっきりと書いてある。『教えない』と。
(父さんに聞いてみよう。柚希ちゃんが誰なのか)
そのとき、インターフォンが鳴った。麻緒が音を立てず玄関へ向かう。
戸を開けるとそこには凌久と凌久に寄り添う女性が立っていた。
「おっ、凌久。いらっしゃい」
「お邪魔します」
「……お邪魔します」
凌久と女性が入ってくる。その女性が顔を上げたとき陽葵と目があった。
「……!? ゆ、き?」
その人は呆然と呟いた。
ゆきちゃんって、だれ?
陽葵の疑問がもうすぐ解かれます。




