第二期 プロローグ 我が息子と運命の出会い
羽澄陽葵は紫苑と栞奈の一人息子だ。
柚希が亡くなった次の年に生まれた。
紫苑が葵の〖大望〗という花言葉に惹かれて命名した。
やんちゃな子どもではあるが、多くの者の愛情を受けながらすくすくと成長している。紫苑の幼いうちはやりたいことをさせてやりたいという考えのもと、神社の後継ぎとして最低限のことは学びつつ陽葵はのびのびと過ごしている。
陽葵が五歳になったある日、紫苑と栞奈は久方ぶりに神奈川へと向かった。
「丞くん!」
「おー、久しぶり」
リンクの中心で少々難しい顔をしながら腕を組んでいる丞に、紫苑がリンクサイドから声をかけると丞はこちらを向き表情を緩めると軽く手を振ってきた。
あれからも何度か会う機会はあったが、柚希の死から六年が経過するという最近になり、ようやく丞はあの頃に近い笑顔を見せてくれるようになった。
「もうちょっと待っててね」
そう言われて丞に勧められたリンクサイドのベンチに栞奈と二人で腰かけて紫苑はリンクを眺めた。
陽葵はリンクサイドにへばりついて中の様子を見つめている。
一人の男性―――二十歳くらいだろうか。何人かが滑っているこのリンクの一番端で優雅に滑っているスケーターのところへ丞がまっすぐに向かった。
「もう一回曲かけやっておくか」
「はい」
紫苑は思考を巡らせる。
あの人が……目黒翔哉選手だ。丞の愛弟子でオリンピック銀メダリスト。金メダルに最も近いとされていたが、金メダルに届かず銀メダルに終わったことに号泣する姿を鮮明に覚えている。テレビ越しに見ていたあの時、彼の隣にいた丞は柚希の死から進むことができずにもがいていた。
丞はもともと柚希が引退したらコーチ業から身を引き、羽澄神社に移り住む予定だった。しかし、肝心の柚希が亡くなったことで、その必要のなくなった丞は今でも武井麗奈コーチの元でコーチを続けている。
当時、丞がコーチ業を続けるつもりであることを知らされておらず、オリンピックが二人でタッグを組む最後の試合だと思い、金メダルが取れなかったことに号泣していた目黒選手は、結局今でも丞と共に二人三脚で練習に励んでいる。
「お待たせ~」
三十分程して丞が翔哉のレッスンを終え、やってきた。
「いやいや。私たちこそ予定より早く押し掛けてごめんなさいね。受付の方にちょっと無理言って中入らせてもらっちゃったので」
「大丈夫だよ。二人が来ることは伝えてあったし。それより栞奈ちゃんすごい巫女さんっぽくなったね」
「……丞くん、私のことずっと知ってるからってほんと容赦ないですよね」
「そりゃ、あの勝ち気な栞奈ちゃんがこんなにおしとやかになるとは人生って何があるか分からないよね」
「いや……そうじゃなくて、ただ時間が経っただけです」
「そうかなぁ。僕にとったら神社っていう空間にいるからだと思うけど?」
「母になったのが一番大きいと思います。……まぁ陽葵もこんな大きくなりましたからね。丞くんが最後に会ったのはだいぶ前じゃないですか? 陽葵も柚希ちゃんとか丞くんみたいに夢に向かって全力で挑める子に育ってほしいです」
「そっか、もう六年か……」
丞の呟きは三人の思いだった。六年間、いろいろなことがあった。三人には多くの変化があった。それでも三人が柚希のことを忘れたことはない。柚希のあの天真爛漫な、心からの笑顔を、柚希とともに刻んだそれぞれの大切な思い出を胸に、そして己の無力を悔やみながらもそれぞれ懸命に生きてきたのだ。
「それにしてもほんとに陽葵もでかくなったなぁ。何歳だ?」
「……ごさい」
陽葵の柚希のことを知らない。そのため、丞には少し遠慮がある。
「陽葵も羽澄神社の跡取りなんだからお勉強も頑張れよ」
陽葵の頭を微笑みを浮かべながら撫でている丞は何を思っているのだろう。
紫苑はぼんやりとそんなことを考えていた。
…………悔しかったはずだ。ずっと想い続けていた、やっと想いを伝え合えた大切な彼女を、一瞬で奪われたのだ。会う機会は少なくともこの人がどれほど柚希のことを大切に想ってくれていたか、お互いがお互いの存在をどれほど心の支えとしていたのかを紫苑は知っている。
再会を心待ちにしていたはずだ。そもそも雪崩があと何日か遅かったら、共に結婚の挨拶をするために羽澄神社を訪ねていたはずだったのだから。
相手が悪かった。自然が相手である。誰のせいにもできない。怒りも悔しさもぶつけることができる場所も人もなく、丞は抱え込むしかなかった。もちろんそれは紫苑も同じである。紫苑にはその気持ちを共有する人が寄り添ってくれていたことが唯一の違いである。
「……陽葵は目元が柚希に似てるんですよ」
思わず紫苑はそんなことを話していた。栞奈と丞が静かに紫苑の目を見つめてくる。
「柚希の生まれ変わりなのかな……ってずっと思ってたけどやっぱり違う。陽葵は陽葵。だけど、やっぱり柚希とも似てる。それが少し嬉しいんです」
「わかるよ。陽葵は柚希ちゃんにどこか雰囲気が似てるよね」
「笑うとそっくり」
栞奈の言葉に思わず笑みがこぼれる。そうなのだ。陽葵の笑い方は柚希と瓜二つだ。少し目元をくしゃりと寄せる笑い方は柚希によく似ている。
しかし、羽澄家の血筋を色濃く受け継いでいるもののやはり結城家の血も引いている。
顔全体を見ると栞奈にも良く似ているのだ。
「あら、陽葵! 戻ってきなさい!!」
栞奈の声に目を向けると陽葵が一丁前に氷へ降りていこうとしていた。
武井コーチが氷に降りさせまいと止めている。
「やぁだ! 僕もつぅーってやるの!!!」
「陽葵!! 駄々をこねないのですよ」
陽葵の願いを栞奈が一蹴する。
陽葵の目が見開かれ、大粒の涙が一滴滴る。
「……そんなにやりたいなら、ほら」
不意に声がする。目を向けると目黒選手が陽葵のすぐ前まで来て、腕を伸ばしていた。
「翔哉、何する気?」
「麗奈コーチ、大丈夫。僕に任せて」
にこりと微笑んだ目黒選手は陽葵を軽く抱き上げると軽やかに滑り始めた。
リンクで練習している選手たちを次々と追い抜かしながら陽葵を抱えた目黒選手は一周した。
「はい、到着」
「もう一回やって!」
陽葵の無邪気な笑顔を栞奈が練習の邪魔にならないよう静かだが有無をいわせない声で言う。
「陽葵。無茶言わないの」
「いいんですよ。もともと僕は小さい子大好きなんで」
そう言って目黒選手はもう一度滑り始める。今度は速くしたり遅くしたりを繰り返しながら……。彼の腕の中にいる陽葵は柚希によく似た笑顔で笑っていた。
滑り終わった陽葵は目黒選手に向き合う。
「ねぇ、何でこんなつぅーってできるの?」
「いっぱい練習したからだよ」
「僕もいっぱい練習したらできるの?」
「いっぱいいっぱい練習したらね」
そう言われた陽葵は「ありがとう!」と翔哉にお礼を言い、紫苑と栞奈と丞が待つリンクサイドへと歩いてきた。
まっすぐに紫苑の前まで進んできた陽葵は五歳とは思えないほどハッキリと話した。
「お父さん、お母さん。僕、いっぱい練習する。それで、このお兄ちゃんみたいになりたい! 僕もやりたい!!」
丞がガタッと音を立ててベンチから立ち上がる。彼の目は大きく見開かれ、その顔は呆然としていた。
紫苑と栞奈は一度見つめ合った。栞奈が静かに問う。
「陽葵、絶対にやめない?」
「うん!」
幼いながらその目はキラキラと輝いていた。
栞奈が頷く。そして紫苑も。
いずれこうなる予感はしていた。ただでさえ周囲は大人ばかりの神社で育っている。好きなことをさせてやりたいといくら紫苑が思っていたとしても、やりたいことを見つけることは簡単なことではない。世界一のスケート選手である丞のもとへ通っているうちに陽葵が惹かれるのではないかと紫苑と栞奈は思っていた。そして、それはそれで良いのではないか、とも。
「丞くん、いや九条コーチ。今、息子を入会させることは可能ですか?」
「まずは体験教室に通ってもらって、そこから順番に選手コースに通うようになるから……」
「もちろん一足飛びに行こうとは思っていません。ただ……私たちは新潟の者です」
丞は紫苑の言いたいことを察してくれた。
「……練習のある日には僕の家に泊まっていいよ」
「ほんとですか?」
「僕だって羽澄家との繋がりが切れてなくて嬉しいし。それに君たちの大切な陽葵がスケートを選んでくれたことが嬉しいよ」
「そしたら……スケート体験教室に入会させてもらいなさい」
紫苑に告げられた陽葵は明るく笑った。
「はい!!」
こうして、陽葵はスケートという競技に出会い新たな道へ進んでいくことになった。
「結婚のときもだけどさ、君たちほんとに決断が速すぎるよ……」
丞のぼやきはリンクサイドに捨て置かれたままだ。
第二期を始めました!
皆さまに楽しんでいただけるような作品に仕上げて参ります。
ご指摘もお待ちしております。
第二期も最後までお付き合いくださいませ
※上記の文章は第一期と第二期を分割投稿していた当時のままです




