自慢のお嬢様 (たゑ視点)
どなたからかの電話がかかってきた後、薄っすらと青ざめた表情で電話の横を片時も離れなかった紫苑お坊ちゃまは、待っていたと思われる電話が鳴った途端受話器を取りました。普段であれば叱るところですがその必死さ―――縋っているようながお坊ちゃまらしくなく私は見逃しました。
二言三言話すと電話を切られた紫苑お坊っちゃまは、凍り付いた表情のまま部屋に籠られてしまいました。
私は何が起こったのか分からないままです。そのうち分かるだろうと思い、私は通常業務に専念していました。お坊っちゃまは最終的には話してくださるお方なのです。
私が玄関を掃いていたときです。ふと人影が後ろに現れました。
「たゑさん、少しよいですか?」
この声は、栞奈さんの声ですね。何かあったのでしょうか。若干震えていらっしゃいます。
「ええ、もちろん。何かございましたか?」
振り返って驚きました。栞奈さんは泣き腫らしたことがよく分かる真っ赤に充血した目をしていたのですから。
「栞奈さん?」
「……柚希が…………亡くなり、ました」
「!?」
柚希お嬢様が亡くなった。確かに栞奈さんはそう告げました。しかし、脳が追い付きません。
「とりあえずお茶でも飲みましょうか」
自分が動揺していることを悟られたくなく、私はお茶を提案しました。栞奈さんが後ろを着いてきます。
お茶をいれようとしたとき、お茶葉のポットを倒してしまいました。
「まぁ、私としたことが。不確定情報に動揺してどうするのですか」
自分を叱咤してみます。それでも、お坊っちゃまの姿を見れば分かります。
あれ程取り乱したお坊っちゃまは初めて見ましたから。
柚希お嬢様の笑顔を二度と見ることができないなど、オーストラリアに送り出した時には想像もできませんでした。
九条丞さんとのご結婚も決まっていらっしゃり、幸せな未来が約束されていたはずですのに。そもそも結婚すると聞いたのはたかが一週間ほど前の話です。
使用人の身でありながら誰にも何もして差し上げられないことが悔しくてなりません。
「お待たせ致しました」
お茶を持っていくと、スマートフォンを片手に握りしめた栞奈さんが椅子に座っていました。
「……今から丞くんが来るみたいです」
「承知致しました」
「……」
「……」
「…………自然相手のスポーツですから、仕方ないんです。誰も悪くない。だけど……悔しい。まだ柚希に言いたいことたくさんあったんです。……………………丞くんとの結婚式、見た、かった」
泣き崩れる栞奈さんを後ろから抱き締めます。
静かな声で栞奈さんが問いかけてきます。
「……たゑさんは、柚希のこと、どのくらい、知ってるんですか」
「離れていた十五年は残念ながらよく存じてはおりません。しかし、共にいた期間であれば少しは話せます。栞奈さんの方がよく知っているかも知れませんが」
「聞かせてください。たゑさんのことも」
私は思いを巡らせます。遥か遠くへと去ってしまった過去へと。
私は旦那様がお生まれになった頃より羽澄神社にご奉仕させていただいています。
厳しくも温かく皆様をお支えできていると自負しております。
それまで羽澄神社の中でしか生きたことのなかった私を外の世界に導くきっかけとなったのは奥さまでした。
新聞社の若手記者として羽澄神社をお訪ねくださったとき、旦那様は奥さまに一目惚れなさいました。
それまでのお見合いでの結婚という慣習をぶち破り、旦那様は心から想われるお相手と一緒になられました。今まで自分が知っていた家庭よりも明るく、楽しいことに驚いたことを覚えております。
お二人の間に咲来お嬢様が生まれます。彼女は本当にさっぱりとした性格で、それでもいつも明るい太陽のようなお子さまでした。そして、咲来お嬢様は離れている間に大切な方と出会いカナダで生活されていました。私も麻緒からの知らせがなければ知らなかったことでしょう。
柚希お嬢様と紫苑お坊っちゃまがお生まれになり、跡継ぎの誕生に神社全体が沸き立ちました。引き離されていた期間が長かったけれど、お二人とも強い方に成長なさいましたね。
紫苑お坊っちゃまは周りからの偏見と憶測に苦しみながらもまっすぐに成長してくださいました。苦しかったとは思います。
柚希お嬢様も離れて暮らしていたあの十五年の間にどれ程苦しいことを経験されたのでしょうか。
それでもその悔しさから素晴らしい成績を残されました。
私とは血の繋がりはございませんし、恐れ多いことではありますが心の中ではお三方とも私の自慢の孫のように感じております。
そして、栞奈さん。柚希お嬢様の最大のライバルであったあなたがやってきてくれた。最初は柚希お嬢様が嫌がるのではないかと思っておりました。
ところがそのようなことはなく、柚希お嬢様は心から祝福しておられた。その姿を見て思ったのです。
柚希お嬢様と栞奈さんはライバルだけど、友達なのだな、と。
そんな柚希お嬢様ならきっと仰るでしょう。『笑っていてほしい』と。
お嬢様は家族以外の人前で泣くことはほとんどございませんでした。少なくとも私は再開したとき以来、柚希お嬢様の泣いているところを見たことがございません。
ですから、残された私たちは柚希お嬢様が生きたかった分生きて、より温かくて幸せな家庭を築いていきましょう。
これからお迎えする羽澄家の新しい子と共に。
それがきっと何よりも、誰よりも柚希お嬢様が喜ぶことだと思います。
私が微笑むと栞奈さんは少しだけ微笑みました。
「……たゑさんは強いですね」
私は微笑みます。
「強いのではありません。強いのは柚希お嬢様です。ただの強がりです」
そのとき、そっと障子が開きました。巫女が顔を覗かせます。
「お話し中失礼します。九条丞様がご到着されましたが、こちらにご案内してよろしいですか」
「そうしてください」
「畏まりました」
栞奈さんの言葉に頷くと巫女は去っていく。
「それでは、私はお坊っちゃまに一声かけてまいりますね」
「お願いします」
私はお坊っちゃまの部屋へと向かいます。
「お坊っちゃま、たゑでございます」
「…………何か用か」
冷たい声が聞こえます、お坊っちゃまがこのような声をされるとは思いませんでした。
「いつまでグズグズなさっているのですか!」
私の怒鳴り声に扉が開きます。
「大切な姉が、やっと一緒に過ごせるようになった姉を、一瞬で奪われたのだぞ!?」
あの優しく明るいお坊っちゃまだとは思えない威勢で話しかけてくる姿は助けを求めながら溺れている犬のようでした。
私はお坊っちゃまをそっと抱き締めました。私の知っていたお坊っちゃまより大きく、固くなっていらっしゃいましたが。
「皆、悔しいのです。辛いのです。しかし、だからこそ考えているのです。今すべきことは何かと。お坊っちゃまのするべきことはお客様をお出迎えすることではございませんか?」
「誰か、来たのか?」
「はい。九条丞様のご到着です」
「……今行く」
紫苑お坊っちゃまは一言そう言うと部屋に戻り、着替えて出ていらっしゃいました。
「それでは、居間でお待ちいただいているので」
そう言いながら私は障子を開けます。
紫苑お坊っちゃまと丞さんが、何を語り合ったのかは分かりません。それでも、お二人が柚希お嬢様の帰りを待とうと決めたことは分かりました。
私も帰ってきたお嬢様に、伝えたいことがあります。
『今までお疲れさまでした。ありがとう』
空はきれいな青空でした。きっとこの空はオーストラリアへと繋がっているのでしょう。
萎びていて出ることのないと思っていた私の目から一筋の雫が流れ落ちました。
第一期これにて完結しました!
ここまでご覧くださった方々、ありがとうございました。
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第二期は八月中には連載スタートできるように頑張ります。
引き続きTwitterには出没するので、よろしくお願いします(^^)
それではまた第二期でお会いしましょう!




