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出着点 ~しゅっちゃくてん~  作者: 東雲綾乃
第1期 第4章 必要なのは愛と夢
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絶望の始まり (麗奈視点)

 今朝私は夢を見た。

 丞がまだ中学生だった、私の本当の意味での生徒だったときの。


 今思えばあの頃は幸せな日々だった。

 夜明け前起きて、リンクに向かって、製氷して、寝ぼけた子どもたちを迎えて、練習を始める。

 小さい子たちの朝練習が終わる頃にあくびをしながら丞がやって来る。


「ふわぁー。おはよう」

「おはよう、丞」

「丞くん、おはよう!」

「なんで、いつも丞くんだけ遅いのー?」

「僕は一日中練習できるからさ」

「ずる~い」

「お前らは友だちと遊んでろ」

「丞くん、意地悪~」

「ほら、学校行く時間だぞ」

「あっ、いけない!! 行ってきま~す」

「言ってらっしゃい」


 中学からあんたは通信だったものね。友だちなんてほとんどいないのを知っていて私は練習漬けにさせていた。スケートの合間に仲間たちと話す姿を見て私はすごく反省したのよ。やっぱり中学までは友だちと過ごす時間が大切だ、って。

 高校は通信じゃなくてもいいって言ったけど丞は自分の意思で通信にした。

 カナダに行って、世界一になって……あんたは本当にすごい子だわ。

 それでも、丞はこんな私のところに帰ってきてくれた。嬉しかった。









 そんな丞が結婚すると報告してきた。

 少し照れながらも青年らしい凛とした表情だった。


 少し寂しく思うが背中を押すのがコーチである私の仕事よね。


(丞、世界一幸せになりなさいね。まだ二十四なんだから)


 丞に逃げられたあと、そんなことを思いながら子どもたちに教えをしている丞の姿を見ていたとき、翔哉が滑ってきた。


「ねぇ、麗奈コーチ。丞コーチと何の話してたんですか?」

「気にしなくて大丈夫よ」

「良い話と悪い話どっちですか?」

「……良い話よ」


 じとっとした目で見られる。『教えろ』とその顔に分かりやすく書いてある。


 そこで私は丞の話を要約して伝えた。

 翔哉の目がキラキラと輝いている。いつものように悪巧みを考える少年の顔で翔哉が耳打ちしてくる。


「やってみなさい」


 面白いアイデアだと思ったから私はそれに賛成した。





 次の日、リンクに入った私は思わず目を見張った。


「あ、おはようございます。麗奈コーチ」


 このリンクの事務員であり、製氷スタッフでもある、管理人が声をかけてくる。


「おはようございます」

「これ?」

「良いんですか? こんなところに」

「もちろんですよ。丞のことは私も好きだし、このリンクの英雄だから多少のことは気にしませんよ。それにね、」

「それに?」

「翔哉がこんなの作って持ってきたらかけるしかないでしょう? もちろん一般開放のときには外しますから安心するよう丞には伝えておいてください」


 そう言って笑うと管理人は事務室へ去っていく。入れ替りのように丞がやって来た。

 垂れ幕を見て呆然としている。

 私も改めて見直す。


「……こんなに立派に作らなくても良かったのに」


 思わずぼやいた私を丞が睨んでくる。

 それを適当にあしらい、丞からの話を聞いた。


(これは翔哉には言わない方が良いわね……)


 翔哉のことだ。早く世界一になろうと、きっと無駄に頑張るだろう。疲労の蓄積は怪我の原因である。

 翔哉は丞と似ている。主に、頑張りすぎるところが。

 そこが才能でもあるが怪我をしたら元も子もない。


 いつも通り練習させよう。私は自分にそう誓った。









 丞と話してから二日後のことだった。練習中に突然受付スタッフが駆け込んできた。


 凌久くんでないことに驚いたが今日は休みだったことを思い出す。

 というより、凌久くんは単なる小遣い稼ぎ、アルバイトなのだ。あまりにこのリンクに馴染みすぎていて受付は凌久くんの仕事だと思ってしまっている。


 スタッフは真っ直ぐに丞の元に向かった。

 話を聞いた丞は顔色を変えてリンクから足早に去っていく。

 詳しいことは分からないが、何かが起きたことは分かった。


「翔哉。丞コーチが帰ってくるまで私と練習しましょう」

「はい」


 さすがの翔哉も中学二年生だ。異常事態が発生したことは分かっているのだろう。素直に頷いた。


 しばらく練習していたとき、丞が戻ってきた。

 今度は私のところへ歩いてくる。

 その姿にいささかの疑問を覚える。丞は選手時代から練習を途中で放り投げるようなことは決してしなかったからだ。その丞がスケート靴を脱いでいた。


「……麗奈コーチ」


 明らかに顔色が悪い。青白いを通り越して真っ白だった。

 その様子を生徒たちに見せたくなくて、指導を他のコーチに押しつけ丞を事務室に引っ張って行く。


 ソファに座らせ、私も向かいに腰かける。


「それで? 顔見る限り、あまり良いことではないようだけど」

「……柚希ちゃんが、柚希ちゃんが……!!」


 ふだん冷静な丞の慌てように私も少々動揺する。


「丞、落ち着きなさい」


 私の言葉に丞は一度大きく深呼吸した。


「何があったのかしら」

「…………柚希ちゃんが……雪崩に、巻き込まれたって」

「!?」


 丞は今度は静かに震えている。


「早く新潟行きなさい!」

「でも、柚希ちゃんはオーストラリア……」

「いいから行きなさい。ご家族と一緒にいれば最初に情報が入るでしょ」

「……翔哉を頼んでも良いですか」

「当たり前じゃないの。こっちは私が何とかするから。行ってきなさい」


 出ていこうとする丞に思わず声をかける。


「まだ見つかってないんでしょう?」

「……うん」

「なら大丈夫。だって丞の彼女よ? 羽澄選手は丞をおいていなくなるような人じゃないでしょ」

「……」

「丞が信じてる間は大丈夫」

「分かった」


 分かっていない顔でそう言うと丞はお辞儀をすると走って帰っていった。









 その日の夜、麗奈は丞の祈りが通じなかったことを知った。

 今日は早く練習が終わる日だったので、麗奈は早めに家に帰った。テレビをつけるとちょうどニュース番組が始まるところだった。冒頭で速報が入る。


『初めに速報です。パラアルペンスキーでパラリンピック女王、世界ランキング一位の羽澄柚希選手がオーストラリアで練習中に大規模な雪崩に巻き込まれて死亡されました。中継が繋がっています。現場の本藤アナウンサー?』

 《はい。こちら現場となったオーストラリア、ボドレススキー場の側にありますスーザンスキークラブのロビーです。只今午後五時を過ぎ、暗くなってきました。雪崩の発生現場、また羽澄選手の発見現場はこちらからは状況を確認することはできません》


 カメラがスーザンスキークラブのロビーを写す。


 《こちらは臨時に設置された献花場です。羽澄選手の若すぎる突然の死を悼み、スキークラブの仲間、スキー連盟の関係者、地元の方々など大勢の人々が詰めかけています。先ほど、亡くなったという情報が入ってくると、ともにスーザンスキークラブで練習しオリンピックにも出場された日本の小鳥遊紬選手が泣き崩れるようにスーザンコーチに抱きつく姿が見られました。今はお二人は寮にいるため、お話を伺うことはできません》


 テレビの画面にはパラリンピックのときの羽澄選手の映像が流れ始める。

 本藤の中継はまだ続く。


 《私もたまたま別件でオーストラリアに取材に訪れていたときの突然すぎる出来事でした。不思議なご縁もあり、単独インタビューさせていただいたことも何度もあります。羽澄選手は技術は言うまでもなくいつも笑顔で誰にでも優しく、日本のパラースポーツ界、スポーツ界全体を牽引されているスターのような選手でした。このような形で……突然もう二度とお会いすることが叶わなくなってしまったことが口惜しい限りです》

『今現在、そちらはどのような状況でしょうか?』

 《はい。選手や連盟関係者はすでに寮内に戻り、現在はご覧のように大勢の市民が詰めかけています。献花が多すぎて、すでに花の山が三つ出来上がっています。人の列が途絶える様子がありません。二十歳の現世界女王の突然の死に世界中が悲しみと祈りに包まれています》


 私も何度もインタビューされたことのあるスポーツに関わっている者であれば誰もが知るほどの、普段は温厚でまじめと評判の本藤が泣きそうな表情で、いやすでに泣いたことが分かる表情で伝えてくる。

 丞も全幅の信頼を置いている本藤のことだ。不思議なご縁というのも、おそらく丞の存在だろう。羽澄選手のことも何度も取材していた。

 丞と羽澄選手にインタビューするのが一番大変で楽しいと以前どこかで話していた気がする。二人は言葉遣いが巧みで、インタビュアーの予想以上の答えを返してくるからだ。


 丞に電話しようと思い、スマホを手に取ったところで手を止める。


(今は私がでしゃばるときじゃない。必要なら丞がかけてくるから、それまで待ってよう)


 スキーが自然相手のスポーツだということが身に染みた。

次回は『柚希との思い出 (紬視点)』、明後日の更新予定です。

お楽しみに♪

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