運命の示した方向
柚希はゲレンデの頂上付近にいた。
豪雪地帯の冬だとは思えないほど暖かい日が続いている。
今日で今シーズンのオーストラリアでの練習は打ちきりだ。
暖冬による雪崩が南半球のスキー場ではあちらこちらで発生しており、柚希が練習しているボドレススキー場もあと二日で今シーズンの営業を終了するという。
柚希たちは早めに新潟へ赴き、そこで筋力トレーニングなどをすることになっている。
オーストラリアの寮の方が機材は整っているのだが、山のすぐ脇に寮があるため、万が一大規模な雪崩が発生してしまうと発生場所によっては寮まるごと飲み込まれてしまう場合がある。
そのため、安全を最優先に考え、寮とスキー場が離れている新潟へ移動することになった。
雲一つない青空だ。
気温とは関係ない冬らしい空を柚希は眩しそうに見つめた。
柚希はかがんでパラリンピックのときに丞からもらったミサンガに一度触れた。
天然石が手に触れた感触がした。
『迷いを取り去って幸運を呼び込む石なんだ』
アマゾナイトについてそう語っていた丞の声を思い出す。この石に触れると『きっと大丈夫』と思える。
石が、というよりはこれをくれた丞がそう言っているように感じるのだ。
柚希は仲間たちが滑り降りていくのをしばらく見つめながら考えに耽っていた。
今シーズンのオーストラリアでの生活もいろいろなことがあった。
紫苑と栞奈が結婚した。
祖母について知った。
そして……丞からプロポーズされた。
家族に伝えたいことがたくさんある。柚希は日本に帰れるときを心待ちにしているのだ。
何より、愛する丞に早く再会したい。彼の胸に飛び込んで温かくて強い腕に抱かれたい。
柚希は昨夜丞と電話したことを思い返していた。
柚希が就寝準備をしていたとき、スマホが震えだした。
「柚希、電話鳴ってる」
紬がスマホをポンと投げて寄越す。キャッチして画面を見ると『九条丞』と写し出されていた。
柚希は部屋を出て屋上まで行く。
スマホは未だに震えている。
丞は分かっているのだ。待たせているこの時間に柚希が人気のないところへ向かって歩いているのを。
屋上までたどり着くと柚希は電話を取って、耳に当てた。
「柚希ちゃん?」
「丞くん、お待たせしました」
「夜遅くに大丈夫?」
「大丈夫です」
「まぁ、時差もそんなにないからね。忙しくない?」
「はい。もうゆっくりまったりしてたんで」
丞も世界中を飛び回っていたスターである。オーストラリアと日本のたかが一時間の時差など気にもしていない。
「……そろそろ帰国だっけ?」
「はい。明日の練習で雪上はおしまいでそこから荷物まとめて、帰ります」
「会えるのはいつになりそう?」
「まだはっきりとは言えないけど、来週の今ごろには一緒に羽澄神社にいられると思います」
「僕もいつでも行けるように来週は休みにしてるから気にせず連絡してね」
「直前まで連絡できなくてごめんなさい」
「気にしないで。会えるだけで嬉しいから」
「ありがとうございます」
丞が「そういえば」と言ってくる。
「今、うちに凌久が来てるけど会う?」
「えっ!? 凌久が丞くんの家に居候してるんですか?」
「居候って……」
丞が笑う。
「ただのアルバイトだよ。大学が夏休みの間だけ、うちのスケートリンクで受付のアルバイト。顔がいいからお客さん受けもいいし。愛想も昔より良くなったし」
「凌久の愛想が良くなるなんて……信じられないこともあるもんですね」
「今はにこやかに受付やってくれてるから……集客力も向上してるよ」
「売上貢献みたいな感じですね……。まぁ、昔から顔だけはいいやつだったから、中身もいいやつになっちゃったら完璧じゃないですか」
「うん。ついこの間は受付で小学生に告白されてたよ」
「うふふふふっ。信じられない。凌久なんて言ってました?」
「ごめんな。俺には大切な人がいるんだ、って」
「はいっ!?」
「僕も誰か聞いたんだけどね……兄ちゃんに言うのだけは嫌だとかなんとかで教えてくれなかったよ」
「まぁ、凌久も二十歳ですもんね。きっと会ってない間にいろいろ変わってるんだろうなぁ」
「あんま変わってないよ。だけど、新しい家族ができて、その家族から自分の意思で抜け出したことによって、いろいろ考えが変わったみたい」
「今は一人暮らしでしたっけ?」
「そう。京都の学生マンションで一人暮らししてる」
「丞くんは行ったことあるんですか?」
「まさか。ないよ。そもそも友だちにも僕のこと伝えてないって言ってたから」
「そういえば……わたしも事故に遭う頃までは知らなかったです」
「凌久、というよりアランのおかげで出会えたからね。最終的な決め手は凌久だったけど、そのときは凌久はまだ僕との関係を伝えてないって言ってたから」
「アランさんに感謝です」
「凌久も柚希ちゃんに会いたいと思うし、柚希ちゃんの家族に挨拶した後にうちにおいでよ。両親も読んでおくから僕の家族への挨拶も一緒にそこでしちゃって」
「それでいいんですか? 何か……ちゃんとご実家にお邪魔した方が……」
「あ、あの人たちあんまそういうの気にしないから大丈夫だよ。堅苦しいの嫌いな人たちだし」
「ふふっ。羽澄神社とは真逆だ。それなら……丞くんの家にお邪魔させてもらいますね」
「うん。大丈夫」
「……帰国した三日後が一番早く予定ない日なんでその日に会いませんか?」
「おっけー。凌久にも伝えとくね」
「楽しみにしてます」
「もちろん、僕もね」
「そしたら、また」
「早く会いたいね」
「うふふ……お休みなさい」
「お休み。良い夢を」
時間的には五分ほどの電話だったが柚希は丞が電話をしてきてくれたことが嬉しかった。
柚希はもう一度空を見上げる。そして、勢い良く滑降し始めた。
昼休憩を挟み、午後の練習が開始される。
雲行きが少しずつ怪しくなってきた。
徐々にともに練習捨ていた仲間たちが練習を切り上げ始める。直前の自分の滑りに満足していなかった柚希はもう一本滑りたいとスーザンに頼み込む。
「ユキ、あと一本で終わりよ」
「分かった」
スーザンの言葉に軽く頷くと柚希はリフトに乗って頂上へ向かった。
暗くなってきた空に一筋の光が差し込む。
柚希はもう一度ミサンガに手を置く。
「丞くん、待っててね」
柚希が滑り始めたときだった。
後ろから何か爆音が鳴り響いた気がした。
それに続く轟音。
柚希が音に気が付いたときにはもうそれは柚希の背後まで迫ってきていた。
何が起こったのか分からぬまま柚希はそれに押し潰されていた。
柚希の意識はそこで途切れた。
コロコロとアマゾナイトが転がった。
これにて第一期は終了します。
しばらくこの後の話を投稿していきます
誰視点のこの場面の話が読みたい! と言うリクエストがもしあれば活動報告のコメント欄にお願いします。
次回は『栞奈の病名 (紫苑視点)』、明日の更新予定です。
お楽しみに♪




