俺の想い (凌久視点)
夏になり長い夏休みが始まった。俺は京都から帰ってきていた。
話がなる。紫苑からの電話だったことに気付いた俺は電話を取った。
「紫苑?」
『凌久、久しぶりだね』
「久しぶり。どした?」
『今帰ってきてるんだって?』
「そうだけど」
『僕たち今から丞くんと会う約束してるんだけど』
「どこで?」
『丞くんのスケート教室』
「おぉ、じゃあ俺んとこにも寄ってってくれ」
『俺んとこって……あはははは』
「おい、笑うなよ」
『いや、笑うでしょ』
俺の言葉に紫苑が笑ったのも無理がない。
『俺んとこ』とは兄ちゃんの家のことだからだ。俺はこの夏スケートリンクで受付アルバイトをしながら兄ちゃんと二人で暮らしている。
スケートリンクは見ているだけで面白い。夏休みだから選手も初心者も年齢層も様々な人たちが思い思いに滑っている。
俺は受付にどっかり座って発券とスケート靴の貸し出しをしている。あとは時々滑りに来るちびたちの相手もしている。最初は面倒だったが幼子たちの相手も意外とかわいいもんだ。
意外と動くこともないとは言えないわけではない。
「何時ごろになりそうだ?」
『今から家でるよ』
「あと何時間かってことだな」
『そうだね。道路の空き具合にもよるけどそんなにかからないんじゃないかな?』
「待ってるぞ」
『ありがと』
「そしたら、また後で」
『うん』
俺は軽い気持ちで電話を切る。
そして、階段を下りていった。兄ちゃんは下の階でコーヒー片手に優雅に読書をしている……と思いきやソファに寝転んで音楽を聞いていた。
眠そうだ。
普段人前では王子様も顔負けの兄ちゃんも俺の前では素を隠すことはない。まぁ従兄弟だからだろうが。
こんな風にソファでだらけている兄ちゃん、ファンが知ったら大変なことになりそうだな。
昔からこういう兄ちゃんの一面は俺と叔父さん叔母さん以外知らないだろうなって思うと嬉しくなるんだよな。別にマウントとる気はないんだが……いや、とっちまうな。悪い。
「兄ちゃん、今日紫苑来るんだって?」
「あ、そうだよ? あれ、言ってなかったっけ?」
「ああ」
「お、わりーな」
「つか兄ちゃん仕事じゃないの?」
「そうだけど」
「あのな、武井コーチのご厚意でリンクのすぐとなりのアパートを借りれたといってもこの時間まで家にいていいとは思わんけど?」
「だって今日は朝ゆっくりなんだよ」
「……カレンダーには十時半からって書いてあるけど」
「そうだよ?」
「……今十時十八分」
「ふぇい!?」
何処から出たのか分からない声をあげながら兄ちゃんが暴走機関車のように着替え始める。
それでも五分でいつも通り完璧な兄ちゃんに変身すると、「じゃ行ってくる」と片手を振りながら家を出ていった。
「はああああああ」
思わず大袈裟なため息が出た。それでも同時に笑いが込み上げてくる。
どうすればあんな余裕たっぷりで寝転んでいられるのだろう。焦る兄ちゃんの姿を思い出して俺はしばらく笑っていた。
あれ? そういえば今日なんで紫苑が兄ちゃんに会いに来るんだ? 柚希いないのに。
唐突にそんな考えが頭をめぐる。まぁいいか、そんなの来てみれば分かるか。
俺は答えの出ない問いを考えるのを早々にやめ、少し掃除をする。さすがに客、それも神社の御曹司を家に迎えるにしては汚すぎた。家がある程度こざっぱりしたところで机に向かいレポートを書き始めた。
ここだけの話、レポートを一本書くのを忘れていた。このレポートを出さねば大切な単位を一つ失ってしまう。俺は内心焦りながらもパソコンの前で文字を打ち込み始めた。
「たっだいまぁ」
騒々しい声で言いながら兄ちゃんが帰宅してきた。
「……おかえり」
「なんだよ凌久。冷た」
「もともとだろ」
「昔はもっと可愛かったぞ?」
「いつの話だよ」
「小学生の凌久」
「まぁ、俺は中学からは特に愛想なかったからな」
「俺にとってはいつでも可愛いけどな」
「やめてくれ。俺はもう子供じゃない」
「そうだよな。凌久がもう大学生だもんなぁ。俺も年取るわけだ」
「何歳だよ」
「三歳差って大きいよ?」
「そうか?」
そんな他愛無い話をしながらも俺は無事に締め切り間近のレポートを終わらす。
二人でくつろいでいると不意にインターフォンがなる。
カメラには紫苑の顔が写っていた。
「はい」
「羽澄紫苑です」
「お待ちしておりました」
ここまでは兄ちゃんもお客様対応だ。
俺が扉を開けるとそこには紫苑と栞奈がたっていた。
「久しぶりだな」
「ね! 柚希もいないからなかなか会えなかったから」
「俺も普段は京都だしな」
「会えて嬉しいよ」
「凌久くん、久しぶり」
「栞奈ちゃん、ようこそ」
「ふふふ。ここ、丞くんの家だよね? なんか凌久くんの家みたい」
「半分俺の家」
「……全て僕の家ですが?」
兄ちゃんがそういいながらお茶を持ってくる。
「丞くん、お邪魔します」
「久しぶりです」
「ようこそいらっしゃい」
全員が椅子に座ったところで紫苑が話し始める。
「それで? 今日はなんの話ですか?」
「いや……二人には先に知っておいてほしくて」
ん? 紫苑は何の話をするのか知らずに呼び出されたのか?
さすが兄ちゃんだな。
「あのね……僕九条丞と、羽澄柚希ちゃんは結婚することになりました!」
「おめでとうございます」
「私は柚希から少しだけ聞いていたんで知ってますけど」
「知ってんの!?」
「なんか……すごい花が送られてきたとか、電話で……」
「はい! そこまで! だめ!!」
「僕も知らないんだけど」
「だって伝えてないもの」
ここの夫婦は仲良さそうだ。
俺は兄ちゃんに気づかれないようなところで軽くため息をつく。
「……少し凌久くんと二人で話したいのだけれど」
突然、栞奈がそう言い出す。
「俺?」
「ええ」
「じゃあ、こっちに」
俺は自分の部屋へと栞奈を案内する。
「意外と殺風景な部屋ね」
「まぁ、この夏しか暮らさないからさ」
「あ、そういえばここは凌久くんの家じゃないんだよね」
「……それで?」
俺が尋ねるとやや重い空気が流れ始めた。口にして良いのか困ったような顔で栞奈が俺を伺っている。
「……凌久くん、いいの?」
「は?」
「このままだと丞くん、柚希ちゃんと結婚するよ? 凌久くんは見てるだけでいいの?」
「いい。俺は柚希を見てるだけで幸せだから」
「そうは見えないけど」
「俺は柚希に憧れてんだから」
俺の断固とした声に栞奈が押し黙る。
だって俺は柚希の気持ちに気づいたときから、己の気持ちは押し隠してきた。いまさら柚希のことを困らせる必要はない。
「……柚希ちゃんってほんとすごいよね」
「ああ」
「みんなに愛される。最初のころは悔しくって堪らなかったわ。それにスキーの方も実力もあるから憎みようがないもの」
「栞奈ちゃんもすごいけどね」
「私?」
「あの柚希があんなに話しかけてるの始めてみたから」
「え?」
「柚希ってさ、あんま自分から人に話しかけないんだよ。自分から行かなくても人が来るから。だけど栞奈ちゃんには何回も話しかけに行ってて俺の方が驚いた」
「……」
「だからさ、柚希のことこれからもよろしくな」
「もちろんだよ」
栞奈がふっと笑う。
「今日はね、丞くんから話があるって誘われたんだけど……さっきも言ったけど私は柚希から聞いてたから分かってたし、たぶん紫苑も察してるんだよね。だから、私は凌久くんの本当の気持ちを知りたかったんだよね」
「本当の気持ち……?」
「柚希ちゃんのこと本当にいいの?」
「まだその話するか?」
「うん」
「だから……柚希は兄ちゃんと一緒にいるのが一番楽しそうだし、柚希ほど兄ちゃんに似合う人も兄ちゃんに柚希ほど似合う人もいないから」
「……」
栞奈はただじっとこちらを見つめてくるだけだ。
俺は軽く息をつく。ばれてるんだろうな。きっと栞奈は俺の気持ちなど分かっていて聞いてきてるのだろう。
俺は腹をくくった。
「栞奈ちゃんの言うとおり、俺は十五年くらい柚希に片想いしてる。小さい頃からずっと一緒にいて、お互いなんでも知ってた。柚希の隣は俺のものだって疑ってなかった。だけどな……柚希は俺より何十倍も早く進んでたんだよな」
「……」
「俺が柚希のことを事故に会わせてしまったって後悔している間に、柚希はもう前に向かってた。あんなに上手かったのに、おばあさんからの大切なフルートと持っていた才能をあっさり捨て去ってた。潔かったな……」
「始めて聞いたことばっかり……」
「だろうな」
「……それで?」
「分かっちゃったんだよな。俺の柚希はもういないっていうことにね。泣いたり、怒ったりしながら二人で歩いてきたあの日々はもう帰ってこない。大胆で社交性に溢れ、みんなから好かれてた、でも実は心配性で怖がりだったあの頃の柚希じゃない。自分の力で新たな世界で新しい人たちに囲まれて羽ばたいてるんだ。もう俺の助けなんか要らないし、それに……」
「何?」
「俺が好きな柚希は兄ちゃんと一緒にいる柚希なんだよな。そう考えたらいいかなって」
「ほんとに?」
「ん?」
「自分の想い、伝えないの?」
「ああ」
今度はハッキリと言いきれた。
次回は『新潟に帰りたい柚希と日々の練習』、明日の更新予定です。
お楽しみに♪




