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出着点 ~しゅっちゃくてん~  作者: 東雲綾乃
第1期 第4章 必要なのは愛と夢
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オーストラリア、冬のはじまり

 紫苑と栞奈の結婚式が無事終わり、栞奈が引退会見を行うこととなった。

 いよいよ明日、という日に栞奈から柚希に電話が掛かってきた。


「栞奈ちゃん、どうした?」

「柚希ちゃんに相談があるんだけど……」

「紫苑くんのこと言ってもいい?」

「……」

「柚希ちゃんとの関係も」

「うーん」

「嫌なのは分かるけど結局いつかはばれるよ?」

「それは分かってるんだけどね……」


 栞奈がため息をつく。あらかた居間に足を投げ出して座り、座卓に肘をつきながら電話をかけているのだろう。


「別に誰が誰と結婚しようがその人たちの勝手じゃんね。なんで、知らない人たちにいろいろ言われなくちゃいけないんだろ」

「注目されてるからね」

「応援してもらえるのは嬉しいけどこれはちょっと違くない?」

「わかるよ」

「だけど、私は引退するからまだいいけど影響あるのは現役の柚希ちゃんの方だから」

「……紫苑は何て言ってる?」

「柚希ちゃんに任せるって」

「そっか…………そしたらいいよ。全部言っちゃって。週刊誌に報道されてバレるより栞奈ちゃんに言ってもらった方が気持ちいい」

「分かった。もちろん丞くんとのことは言わないから安心してね」





 そんな話をした栞奈が大勢の報道陣の前で座っている。

 柚希は栞奈の晴れ晴れとした表情をオーストラリアからタブレット越しに見つめていた。


『それでは、これより結城栞奈選手の引退会見を始めさせていただきます。まずは結城選手からのお話です。お願いします』


 栞奈がマイクの電源をオンにする。一息はいて栞奈は話し出した。


「まずはこのような場を用意してくださり、ありがとうございます。私、結城栞奈改めまして羽澄栞奈はこの度、競技生活に終止符を打つことを決意しました。競技人生は長くはなかったけれど、メダルや結果だけに関わらずたくさんの幸せをいただきました。家族、コーチ、友達、ライバル、ファンの皆様、支えてくださった皆様、今日お越しくださったメディア関係の皆様、本当にありがとうございました」


 栞奈は一度頭を下げる。


「引退を決意した理由は皆さんご存じの通り、結婚したことが大きいですが、これからは選手をサポートする側に回りたいと思ったからです。姉と同じように今後はスキー競技の発展に貢献していきたいなと思っています。これからも報道陣の皆様にお会いする機会は多々あると思うので今後もどうぞよろしくお願いします」


 栞奈の話が終わり、質問の時間となる。


『今までの試合で一番印象に残っている試合はいつの試合ですか? やはりパラリンピックになるのでしょうか』

「……始めて金メダルを獲得した地元の大会ですかね。今考えると大きい試合ではなかったんですけど、初めての金メダルというのはやはり大切ですね。つらいときに頑張るきっかけになっていました。もちろん、パラリンピック含め、どの大会もいろいろな想いが詰まっているので語り始めたら長くなりますよ?」


 栞奈の笑いに合わせて、報道陣も笑った。

 週刊紙のレポーターがマイクを握る。


(そろそろ結婚の話来るかな……)


 柚希がタブレットの向こうで背を伸ばしたとき、栞奈も背筋を伸ばしていた。


『ご結婚おめでとうございます。このタイミングで結婚を決断した理由は?』

「うーん、今だ!って思ったっていうのが一番なんですけど……それでも行き当たりばったりの結婚ではなく、かつてからお付き合いさせていただいていた相手ですし、彼は本当に誠実で私のことを大切に想ってくれる方なので、二人で寄り添いながら幸せな家庭を作っていきたいと思っています。それと……この場で正式に公表させていただきますが、私の結婚相手は名字から見ても一目瞭然ですけれども、羽澄柚希選手の双子の弟である羽澄紫苑さんです。新潟県にございます羽澄神社の跡取りです。ただ、羽澄神社は氏子の皆様や地元の方々にとって大切な神社でありますため、神社への過度な取材などはお控えいただき、私たちを温かく見守ってくださいますよう深くお願い申し上げます」


 報道陣がざわめく。


 その中を一人のマイクの声が遮った。


『良いご家庭を作ってくださいね。それでは、私からも質問させてください。長年栞奈選手を応援していたファンの方々へ一言お願いします』


 追求されそうな空気から栞奈を救ってくれた人を見つめる。どこかで見た記憶があった。違和感を与えない程度に目を凝らし、彼が首から下げているパスを見つめるとそこには『本藤直政』と書かれていた。


(あぁ、柚希ちゃんと仲良いインタビュアーさんか。確か……丞くんの実況もされていたかな?)


「本当にありがとうございました以外の言葉が出てきません。姉の存在があったからこそ私のこともここまで応援していただけたのかもしれませんが、本当につらいときに皆様からの励ましが立ち上がる原動力になっていました。こんなに応援していただけた私はとても幸せ者です。感謝の気持ちでいっぱいです」


 女性がマイクを握る。


『今までお疲れさまでした。共にチームジャパンとして戦ってきた羽澄柚希選手……これからは義姉になられると思うのですが、どのような言葉をかけたいですか?』

「ありがとうと、これからもよろしくですかね。……ちょっと待ってください。ひとつ伝えたいことがありました。アルペンスキーを選んでくれてありがとうって伝えたいです。柚希がこの競技を選んでくれて、私を越えてくれたから私はこの競技をより好きになれたんです。だから、ありがとうって」

『確かにお二人の絆は深かったですよね』

「最初はライバルとだとしか思ってなかったですけど。今は良い友達で、良いライバルです。共に頂点を目指してきた大切な仲間で、私のお義姉さん」


 栞奈がうふふんと笑ったとき、柚希は静かに泣いていた。

 紬がそっと背を撫でてくれる。


(栞奈ちゃん……わたしもあなたと会えて良かった。仲良くなれて良かった。これからも一緒にいれて良かった)


 出会った頃からの思い出が蘇ってくる。初めての試合で最下位で、悔しかったとき表彰台の頂点で輝いていた栞奈。

 必死に追い付きたいと練習してついに追い抜いた二年目。きつい言葉をたくさんかけられた。

 共に日の丸を背負って戦った三年目。パラリンピックのシーズンだった。始めてライバルと認めてもらえた嬉しさは忘れられない。

 そして、ここしばらくは柚希の方が常に一歩前にいた……かのように見えてやはり栞奈は追い上げてきた。結局、最後の世界選手権は二人で金メダルを取りまくった。ひとつだけ逃したけど。

 栞奈は常に前を見つめ、走っていた。より高みへと。


 泣いている柚希を置いてきぼりに会見は続いていた。

 最後の挨拶のため、栞奈がマイクをもって立ち上がった。その表情には一点の曇りも迷いも入る余地がなく、栞奈は満面の笑みだった。


「皆様、本当に今までありがとうございました。これからはスキー連盟の一員として、羽澄神社の巫女として、自分らしく生きていきます。また皆様にお会いしたいです。最後に、皆さんに私の心からの愛を伝えたい。大好きです」


 そして栞奈は一呼吸置くと再び口を開いた。


「家族のみんな、支え続けてくれてありがとう。コーチ、ここまでつれてきてくれてありがとう。ウラディミール、我が儘を聞いて最後にコーチやってくれてありがとう。ファンのみんな、応援をいつもありがとう。ライバルのみんな、みんながいたから頑張れました。ありがとう、本当にありがとう」


 そう言って栞奈は深々と一礼すると、退室した。


 一度も寂しそうな表情を見せず、一度もその頬に涙がつたることはなかった。それは女王としての栞奈のプライドであり、選手人生に本当に心の底から満足していたからこそでもあった。





「柚希……」

「わたし、スキー選んで本当に良かった」

「私も柚希と出会えて良かった」


 紬の言葉に柚希はまた泣いた。









 どれくらいの時が経過していたのだろう。


「柚希、雪が降ってる」

「え? わたし? 降ってるって何?」

「違う、雪。スノーの方」


 笑っている紬の目線を追うと、雪が降り始めていた。


「南半球に冬が来たね」


 柚希が呟く。


「柚希、これからは柚希だけがみんなを引っ張る、上に君臨する存在だよ」

「……」

「だから、おまじない。柚希なら絶対大丈夫っていうおまじないかけてあげる」

「おまじない?」

「うん。柚希、私がずっとそばにいる。栞奈ちゃんもそばにいる。そして、九条選手もそばにいる。だから大丈夫」

「……丞くんはもう選手じゃない」

「間違えたわ。九条コーチね」


 紬に両手を捕まれる。暖かい手だった。


「……紬、ありがとう」

「柚希、また世界一になるもんね」

「次は紬も一緒だよ」

「私もあんな悔しい思いはもうしたくないもん。次のオリンピックは金メダル取ってくる」

「紬なら大丈夫だよ」

「うん、任せて。二人で金メダル取って写真撮ろ」

「そうだね」


 紬が笑う。

 オリンピックで普段の滑りができなかった悔しさを乗り越えた紬だから浮かべることのできる逞しい笑顔だった。

次回は『雑貨屋なう』、明後日の更新予定です。

お楽しみに♪

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