若旦那様と若奥方様
朝、支度を終えた二人に柚希は深く頭を下げた。
「若旦那様、若奥方様、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
実際は血を引いている柚希の方が栞奈よりも立場は上だが、柚希は栞奈を上位の存在として接している。
紫苑が軽く頷き、栞奈は軽く礼をする。
羽澄家に代々伝わる着物を纏った二人は一枚の絵のようにお似合いだった。
紫苑と栞奈が多くの参拝客の視線を集めながら境内をゆっくり歩く。柚希は親族として二人の後ろについていた。
栞奈が堂々としているのに対し、紫苑はどこか不安げだった。
「ちゃんとしなさい、あんたの晴れ舞台よ」
朝、母にそう言われ「大丈夫」と返していたのに、やはり紫苑は緊張していた。
どうしてなのだろう。神社の禰宜として人前に立つことは幾度となくしてきたし、流鏑馬なんて他とは比べられぬほどの緊張感に包まれる。
しかし、この日のそういった緊張とはまた違うものだった。
柚希は【声】を通じて紫苑の感情を読んでいた。
〖どうしよ……転けそう〗
唐突な紫苑の【声】に柚希も思わず答えた。
〖転けんじゃねーぞ〗
〖……! あ、柚希か。びっくりした〗
〖紫苑、栞奈の顔みてごらん。幸せそうだよ〗
〖……〗
〖だから大丈夫。栞奈は紫苑を支えてくれる。自信もって〗
スーザンに先日言われた言葉をそのまま紫苑に伝えてみた。
〖ありがと、柚希〗
紫苑がそう言ったとき、低い【声】が聞こえてきた。
〖挙式中に呑気に話すの止めてもらえないか?〗
梗平の【声】だった。
〖〖……父さん!?〗〗
〖はい、話すのはここまで。あとは式の後で直接どうぞ〗
梗平の【声】を始めて聞いたような気がする。柚希が前をみると、紫苑はいつもとおなじ表情で歩いていた。
神前結婚を終え、披露宴はホテルで行われる。
無事に式が始まり、柚希も純粋に楽しんでいたとき、突然美郷が歩いてきた。
「柚希ちゃん、ちょっといい?」
「……! もちろんです」
美郷はまっすぐに外に向かって歩いていく。
「美郷さん?」
「いいから」
「……」
外に設置されているベンチに美郷は腰かけた。
「ほら、柚希ちゃんも」
「……失礼します」
「気にしないで」
柚希が座ると笑顔だった美郷はすっと表情を消した。もともと美しい顔立ちだが、無表情だととても怖い。
「ねぇ、柚希ちゃん」
「はいっ!」
「丞くんとお付き合いしてるの?」
「…………はい」
「いいのよ、私が背を押したんだから」
「美郷さんが?」
いいのよ、といいながらも美郷の表情は彫刻のように固い。
「そうよ。いつまでもグダグダ告白しない丞くんを見て、思わず」
「……」
「なぜって聞きたい?」
的確に柚希の疑問を導きだした美郷に柚希は内心拍手を贈る。
「はい」
「私がすっきりしたかったから」
「え……」
「私、ずっと丞くんが好きだった」
「……!」
「柚希ちゃんはすごいわね。丞くんの秘密知らないのにあんなに軽々と丞くんと私にはあった壁を乗り越えた。正直言えば悔しかったわ」
「美郷さんとの壁?」
「やっぱり聞いてなさそうね。丞くんはね、本当はスケート選手じゃなくて、音楽家になりたかったのよ」
「ええっ!?」
「丞くんはね、昔ピアノとバレエとスケートを習ってたの。絶対音感持ってるし本人はピアノを続けたがってた。実際プロとしてもやって行けたかもしれないわ。何回かコンクールで優勝していたし。きれいな音色だったことくらいしかもう覚えてないけど」
「何故やめっちゃったんですか?」
「武井コーチがね、丞くんのスケートの才能に気づいちゃったのよ」
「……」
「あの人は丞くんとご両親を説得した。それで、ご両親が武井コーチの言うことを信じたの。丞くんは拒否権なしに自分の本当の夢を諦めた」
「……」
「丞くんはそれから楽器やってる人を見ると隠してるようでも分かるくらいには羨ましそうな顔をしてたわ。きっと丞くんのやりたかったことはリンクではなくてステージにあったのよね」
「初めて知りました……」
「今ではもう誰も信じないでしょうけどね……。私はというとその頃スキーと和太鼓習ってたの。夏場だけ和太鼓をやってた。高校生のとき……たしか高校一年の時にね、丞くんに言われたの。『みさちゃんはやりたいこと全部やれてズルい』って。衝撃だったわ。中学一年で将来有望って言われてる子が言う言葉じゃないでしょ」
「丞くんが……?」
「そうよ。私も結局スキー一本にしたけど、丞くんはあまり私に近づいてこなくなった。私だけじゃない。楽器をやってる人を避けるようになったの。一度聞いたことがある。そしたら『いつ自分が本当にやりたかったことを思い出すか分からないから怖い』って言ってた。それなのに……」
「わたしには……」
「そうよ。なんで柚希ちゃんは良かったのかしら?そう思ってた。だけど、分かったのよね。柚希ちゃんは本当につらいことを経験した。丞くんは親近感を覚えたんじゃないのかしら」
美郷は微笑んだ。その笑みはそこか吹っ切れたような明るいものだった。
「柚希ちゃん、丞くんと幸せになってね」
「え……」
「私も話せてすっきりしたわ。だって義妹だもの。疚しい気持ちは持ちたくないじゃない」
「美郷さん……ありがとうございます」
「戻りましょう」
柚希は立ち上がり手を差し出した。
美郷が手を握る。
「柚希ちゃん、こんな私でもこれからも仲良くしてもらえる?」
「当たり前じゃないですか。お義姉さん」
「……!」
「行きましょ、栞奈ちゃんと紫苑が待ってる」
二人は照れくさそうに笑うと戻っていく。
*****
丞は車から降りる。
柚希からのメールを一度確認する。会場は正しいようだ。しかし、神社の直接の血を引くものが洋風の建物で披露宴を行うというのは……
(まぁ、いいと判断したんだろうな)
丞は披露宴が行われているホテルのロビーに入った。
「ようこそいらっしゃいました」
丞を待っていたかのように一人の女性が歩いてくる。
「羽澄様の披露宴はこちらになります」
その人は一番奥の少し暗い廊下に案内する。結婚式場には似合わない暗さである。
「変な感じがしますか?」
女性が尋ねてくる。
「えぇ……まぁ。なんか、結婚式場ってもっとキラキラした印象をもっていたので」
「そうですね。私も始めて見たときには驚きました。しかし、上をご覧くださいませ」
言われるがまま丞は上を見上げる。そこには紺色の空に満天の星空が広がっていた。
「これは……素敵ですね」
「この式場のコンセプトは『夜明け』ですので」
「……夜明け?」
「ええ。申し訳ありませんが後ろをご覧いただけますか?」
丞は振り返って気が付く。遠くの方が暗いことに。
「お気づきになられましたね。その通りです。この廊下は夜から日の出へと向かう夜明け空をイメージして設計されております」
正面の大きな扉が音もなく開く。明るい光が突然目の前に開けた。
「さぁ、夜明けのお時間にございます」
女性は一礼して去っていく。
丞は部屋に足を踏み入れる。
「丞くん……!」
柚希が歩いてきた。今日の柚希は着物姿だ。
「柚希ちゃん、かわいい!」
「うふふ。嬉しいです」
柚希がはにかむ。
「ちょうどお色直しの間なんで、バイキング取っちゃってください」
柚希に案内されて柚希の隣に荷物を置くと、丞はバイキングへ向かう。
「柚希ちゃん、僕あんなに親族席に座らせてもらっていいのかな」
「何言ってるんですか。親族じゃないですか」
「……!」
「丞くんはもうわたしの旦那さんですよ」
「柚希ちゃん……」
「はい?」
「好きだよ。世界一」
「ふぇ!?」
「だから……僕と結婚しない?」
「ちょっと待って……今日は紫苑と栞奈ちゃんの結婚式だから」
「柚希ちゃん、僕はどれだけ長くても待ってる。だから、柚希ちゃんの隣を予約しておいていい?」
「……」
柚希の顔が真っ赤になる。
「柚希ちゃん?」
「……もちろんですよ。だから、丞くんも隣はわたしの場所ですからね」
「約束ね」
柚希が拳を差し出した。丞も拳を握る。コツンと二人の拳がぶつかる。
「今度こそ、守るから」
「もちろん、わたしも守ります」
そう柚希がそう言ったとき、放送が入る。
「それではお二人の入場です!!」
一度丞たちも席に戻る。
「何も取れなかったですね」
「ね」
扉が開く。そこには紫苑と栞奈が立っていた。
紫苑はベージュのスーツ、栞奈はミントグリーンのカラードレスだ。
栞奈の服は自然とお疲れさま会のドレスを思い出させた。
拍手の中、入ってきた二人はまっすぐ歩いていく。途中で柚希をちらりと見た紫苑が丞の存在に気付き、軽く目を見張った。
丞が微笑むと紫苑は微かに会釈した。
「丞くん、紫苑たちに挨拶行きます?」
バイキングで食事を獲得し食べ終わった頃、柚希が話しかけてくる。
「行こっかな」
柚希に案内され、二人の元に向かう。周囲の人たちがそこでようやく丞の存在に気が付いたようだ。驚きの声があちこちで上がる。
「紫苑くん、栞奈ちゃん、おめでとう。ご招待ありがとう」
「こちらこそお越しくださりありがとうございます」
「僕も柚希も本当にお世話になってるんで。神社にもお越しくださいね。両親も喜ぶので」
「私もお待ちしております」
「栞奈ちゃん、敬語じゃなくていいんだよ? 古い付き合いじゃん」
「今、神社を継ぐために、巫女として跡取りの妻として、修行中なんです。本来神社の世界とは縁遠いところにいた私が認められるにはやっぱり努力しかないので」
「頑張ってるんだね」
栞奈がはにかむ。
「やはりお義母さんにはいろいろ教えていただいてます。それに、柚希もいるから……」
「柚希ちゃんも?」
「やっぱりわたしも神社の娘としてしっかりしなくちゃなって」
「私は引退を決めたんで、現役の柚希とは違うんですけど」
「引退!?」
「はい。私は丞くんのように引退のときに誰かに惜しまれる選手にはなれなかったけれど、大切なライバルと大切な人と出会えたので。これからは一人の巫女として羽澄神社を支えていきます。それに、」
「それに?」
「私の目標は柚希が叶えてくれるんで」
「夢?」
「もちろん柚希とおなじですよ。全ての試合で勝つこと」
「栞奈ちゃん、当たり前でしょ?言われなくてもそうするけど」
胸を張る柚希の目にも微かに光るものがある。
「なんで、言ってくれなかったの?」
柚希が聞く。
「だって、二人一緒のときにいいたかったから」
そう言うと栞奈は丞を見つめる。
「丞くん、柚希ちゃんのことお願いします」
「お願いします」
「……はい」
新郎新婦に頭を下げられ、丞はたじろぎながら返事をした。
嬉しそうな顔で柚希が笑っていた。
次回は『オーストラリア、冬のはじまり』、明日の更新予定です。
お楽しみに♪




