凌久の家族 (凌久視点)
若干、R18な描写があります
露骨ではありませんがご了承の上お読みください。
俺は廣瀨凌久。
親は共働きでそもそも会う日が少ない。たいてい俺が起きている時間は仕事に出ていて、寝ている時間に帰ってきてまた出発する。
そんな日々が小学生の頃から続いている。はじめは父の借金返済が目的だったが返済した今でもその時のことが両親の間に大きな溝を作っている。
幼い頃から一人で過ごすことが多かった俺をよく預かってくれる家族がいた。俺と同い年の子と四歳年上のお姉さん。お母さんとお手伝いさんと四人で暮らしていたが俺のことを実の息子のように可愛がってくれた。その頃から人と接するのが苦手だった俺はあまり喋らないし、基本的に無表情だし、愛想も悪かった。それでもその家にいると自然と笑える、そんな雰囲気が漂っていて居心地が良かった。
その家族は羽澄一家。父親は柚希が幼い頃に他界している。一度柚希にお父さんについて聞いてみると「わたしにはお父さんとの記憶がほぼないの」と寂しそうに笑っていた。
それからはあまり家族の話はしていない。
俺の家族に話を戻そう。
この家に二度と修復できない決定的な傷を作ったのは父だった。
俺が中学入学直後のある日、珍しく父が夜ではあるが父にしては早い時間に帰宅した。
俺はそれが嬉しくて車の音が聞こえた時に思わず玄関に飛び出して迎えた。
「お父さん、お帰り!」
そう言った凌久にクスクスと笑いながら話しかけてきたのは見知らぬ一人の綺麗な女性だった。
会社帰りというには華やかすぎる服に身を包んだ女性は品の良い色合いの唇を笑みの形にゆがめる。
「あら、この子が凌久くんかしら? 廣瀨さんに似てイケメンなのね」
俺の目には父の姿しか写っていなかったが、その隣には当たり前のように一人の女性が寄り添っていた。そしてその人は言い放った。
「私とも仲良くして頂戴ね。だってもう私の息子のようなものですから」
綺麗で欠点など感じられないその人のことが突然恐ろしくなった。
「お父さん、その人って……」
「邪魔だ、凌久。どけ」
そう言った父の目は今までにないほど冷たかった。
思わず凌久が道を開けると父とその女性は二人で玄関に入ってきた。
「廣瀨さん、お邪魔してほんとにいいの?」
「ああ、構わない。あいつは今日会社泊りだからな」
「まぁ。それじゃあゆっくり過ごせるわね。嬉しい」
二人で寄り添い居間へ入っていく。
俺はその扉をしばらく呆然と見つめていた。父が不倫なんてするわけないと思いながらも、実際に不倫している現場を見てしまったら信じるしかない。
そしてあの人は当たり前のように寄り添っていた。二人の関係が決して短くないと分かる空気感が漂っていた。
俺は自室に引きこもる。
どのくらい時が経ったのか分からない。何かの物音というか誰かの声がしたような気がして耳を澄ます。
俺は階段を下りる。居間にいると思っていたが電気は付いていなかった。
その代わり父の部屋から何かの軋むような音とともに誰かの呻くような声が小さく聞こえる。
(まさか…………嘘だろ…………)
俺は父の部屋にそっと忍び寄る。音をたてないように注意してドアを薄く開くと荒い呼吸の交わる音が充満していた。目を凝らせば奥にあるベッドに窓辺の月明かりに照らされた二人のシルエットが見えた気がした。
俺は信じられずドアを閉め部屋に戻る。信じられなかった。俺も伊達に男子中学生をやっているわけではない。ちょうど思春期だ。興味がないといえば嘘だろう。
しかしその行為の意味は理解している。既婚者が悪ふざけでもしてはいけないことだと。
ふいに女性の声が大きくなった。
その声が聞こえた瞬間、全てを理解してしまった俺は家を飛び出して柚希の家に向かった。
「凌久?」
柚希の家の前でしゃがんでいると、声が降ってきた。顔をあげるとそこには買い物袋を下げ、心配そうにこちらを見る柚希がいた。
「どした? そんなとこにうずくまって」
「柚希……」
柚希は俺のことを家に招いてくれた。
「あら凌久くん。いらっしゃい」
居間に入ると咲来がいた。柚希は俺と咲来を見比べると、無言で自分の部屋を指差した。
(あっちで聞こうか?)
俺が頷くと柚希は自分の部屋へと歩きだす。
部屋に入って俺がいつものように柚希のベッドに腰かけると柚希は自分の学習机の椅子に座ってこちらを見た。
「何かあった? ……って聞いていい?」
まだ心の整理がついていない。そう思って首を振った。
「…………そっか」
柚希は呟くと俺の横に座る。何をされるのかと思わず身構えると頭の上にそっと優しく手が乗った。懐かしい感覚だった。ひとりでいた俺を柚希はよくそうやって撫でてくれた。親がいなくて泣いていた俺を柚希はそうやって慰めてくれた。あの頃より大きな手が頭をゆっくりと撫でてくれる。
いったいどれほど柚希は俺を撫でてくれていたのだろう。気が付くと俺は柚希に今日の出来事を話していた。
柚希は最後まで何も言わずに聞いてくれた。
「……そんなことがあったんだ」
柚希はそうポツリと言う。それに合わせ俺の目からもポタリと雫が落ちた。
「凌久?」
「なんで俺んちは柚希たちみたいに仲良くできないんだろうな……。なんでお父さん、あんな人つれてきたんだろう」
柚希は俺をぎゅっと抱きしめてくれた。
「ねぇ、凌久。あんたが今日みたいに辛いときはわたしが支える。凌久は人に助け求めるの下手なんだからわたしにくらいは寄りかかっていいんだよ?」
中一にも関わらず、俺は柚希の腕のなかで不覚にも泣き崩れてしまった。
「……柚希。もう大丈夫だから」
「無理しないでね」
柚希は心配そうな目で見送ってくれた。
父は母にバレていないと思っていたようだったが母は全て知っていた。しばらくは二人とも仕事が忙しく、家に戻って来なかった。それが言い訳なのか、本当なのかは分からないが。
二人が揃う日がまれにある。するとお互い口も利かず張り詰めた空気が流れる。俺はそれが嫌ですぐに柚希のところへ行く。これは逃げなのかもしれない。嫌な現実から目を背けているだけかもしれない。それでも柚希の家に来るとどこかほっと一息つけるのであった。
そんなこんなで何とか二年間が経過した。
そして今日。ついに母は帰ってこなかった。最初は仕事が忙しいのかと思っていたが、自分の机においてあった母からの手紙を見て悟った。母は自分を捨てたのだと。そっと手紙を開く。
凌久へ
今までたくさん迷惑をかけてごめんなさい。凌久には寂しい思いをずっとさせてしまっていました。だからこれからは新しい凌久になってほしい。私のことはもう忘れてくれて構わないです。
でも、これだけは伝えておきたい。何か夢ができたら、全力で掴みに行きなさい。凌久ならできる。凌久は私の自慢の一人息子です。
今までありがとう。ごめんなさい。
一生、凌久のことを愛してる。
母
涙を止めることができなかった。思わずあの日みたいに柚希のところへ行こうとして気付く。明日は柚希のコンクールだ。きっと今は全力で最後の練習をしているだろう。そんな柚希に自分の家族のことを話すのは気が引ける。
俺はふうと息を吐いて、窓から外を眺めた。
次回は『コンクールと転換点』です。
ブックマーク、ありがとうございます。ブクマはこれからも読んでくださる証なので本当に背筋が伸びます。
これからも頑張りますのでどうか応援よろしくお願いします。




