疑いの目
「なぜ……ここに……」と言って硬直した母の顔は何を察したのか徐々に解れていった。
「……あなた……本当に紫苑なのね」
小さく呟いた母の目からはほたりほたりと滴がこぼれ落ちた。
紫苑が頷く。
「母さん、久しぶりです」
母は躊躇いがちに紫苑に近づく。手を伸ばしかけておろした母の【声】が流れてくる。
〖紫苑はもう私の子どもじゃないのよ。羽澄神社の跡取りよ。私とは身分も立場も違う〗
紫苑が母の近くまで歩いていく。母の目の前に立った紫苑は母の背に手を回した。
「紫苑……?」
「母さん、ずっと迷惑かけて、心配かけてすみません。帰ってくるのこんなに遅くてごめんなさい」
「いいの。そんなことはどうでもいいの。あなたが帰ってきてくれた。あなたとまた会えた。それだけでいいのよ」
母は首を横に振り続けながら言った。
「母さん、僕もまた会えて嬉しいです」
その言葉に母は紫苑から離れた。一歩退くと紫苑の顔に手を伸ばした。
「紫苑……こんなに大きくなって。私より身長も高いじゃないの。立派に成長してくれたわね」
「ふふふ」
紫苑がそっと笑う。柚希には分かる。今の母と紫苑の間には【声】が聞こえない。この【声】は人を幸せにするものだ。自分の幸せのためには使えない、お互いがお互いのことを思い合っていれば、聞こえないのだ。
「紫苑、母さん。わたしお腹空いた」
柚希の言葉にその場が和んでいく。
「もう昼頃だものね。分かった。ランチにしましょう」
母が作ってくれている間に柚希は紫苑に自宅の案内をしていた。
まずは柚希の自室。
「なんかここからの景色見覚えある」
紫苑が窓際に立ってそう言った。
「確証は持てないけどさ、どことなく羽澄神社の雰囲気と似てない?」
「あ……そうかも」
「わたしもね、昔からずっとここを見る度に懐かしさを覚えてたんだけど、何処か分からなかったの。でも羽澄神社に行ったとき思った。ここなんだって」
「母さんはここ嫌ってるの?」
「んな訳ないでしょ。母さんが一番この庭を美しく保とうと頑張ってくれてるよ」
「……」
「それに紫苑じゃん。わたしが父さんと母さんの出会いのこと知ったときに、二人はまだ愛し合っているって言ってたのは」
「それでもやっぱ不安だよ」
「そうだけど……」
そんな話をしたあと、柚希はふと思い立ってひとつの部屋まで案内した。
「ここは……?」
「幼馴染みと昔一緒に遊んで、その子が家庭の事情で一回うちに泊まってたときに過ごしてた部屋」
「僕の部屋……」
紫苑が呟いた。
「紫苑の……部屋?」
「ここの家具、羽澄神社の僕の部屋とよく似てる。僕のはたいてい木製でここはプラスチックだけど、雰囲気というか、色合いというか……僕の部屋に似てる」
「……母さんも紫苑以外に男の子いなかったから、凌久のために部屋を作ろうとしたとき、つい紫苑の部屋を思い返して作ったのかもね」
「あの部屋の家具は受け継がれてるものだから変わらないから。そうかもしれない」
「じゃあ、ここに泊まる? 客間じゃなくて」
「え? 僕泊まんないよ?」
「え? 泊まんないの?」
柚希は驚いた。
「だって柚希が帰宅する一日を僕に欲しいって言ったんだよ? 一日もらってるもん」
「泊まればいいのに。もう母さんもそのつもりだけどな。祭礼とかはないんでしょ?」
「……僕がいなくても大丈夫なのだけ」
「なら、なおさら泊まっていきなよ」
紫苑の持っているバッグを「取り敢えずこんなの持ってて昼ごはん食べれないでしょ」と言いながら無理やり置かせると、二人は居間へと向かった。
席に付くと、母が作ったご飯が並んでいた。
「あれ? いつもより少なめ?」
「今日の夜はお客さんがたくさんいらっしゃるから豪華になるわよ。少しお腹空かせておきなさい」
母のいたずらっぽい笑い方でなんとなく察した。
「ちなみに、パインステーキはある?」
柚希の問いに母は片方の眉を上げただけだった。
「さぁ」
「母さん?」
「咲来とアランくんがもう少しで来るから」
昼ごはんを食べ終えて少し話していたとき、玄関に車が停まる音がした。
柚希たちの食事していた部屋に控えていた麻緒が静かに玄関へと向かう。
「お帰りなさいませ、咲来さん」
「ただいま戻りました」
「そして、いらっしゃいませ、アラン様」
「お邪魔します」
そんな会話が風に乗って居間まで運ばれてくる。
「最初のお客さんの到着ね」
母がそう言って立ち上がった。
三人は真っ直ぐこちらへ向かってきているのだろう。柚希たちは扉が開くと同時に立ち上がった。
「お帰りなさい。咲来、アランくん」
「母さん、ただいま」
「お邪魔します」
「姉ちゃんお帰り」
「柚希……ただいま。早かったね」
柚希が咲来と会話していると紫苑がそっと進み出てきた。
「羽澄紫苑と申します」
「……!」
「……?」
咲来の顔には驚愕が、アランの顔には疑問がそれぞれ浮かんでいた。
「そうよね、紫苑も柚希と同い年だもんね。そりゃ見違えるっか」
咲来が疑問も戸惑いも不安もすべて無理やり飲み込んだような顔をしているのが柚希の目に入った。
「姉ちゃん……?」
「ん?」
「紫苑だって信じるの?」
「だって母さんが信じてるんでしょ?」
「そうだけど……」
「なら信じるしかないでしょ」
咲来の目には未だに受け入れがたそうな雰囲気が漂っていた。
それでも咲来も羽澄家の血を引いている。無意識のうちに【声】は隠しているらしい。
少し気まずい雰囲気になったところでもう一度車の音がした。
麻緒が迎えに出ている。
気まずい雰囲気を救ってくれた救世主が扉から顔を出した。
柚希の隣で紫苑が軽く息を飲む。どことなく緊張している紫苑の表情を見て、そうか紫苑は初めて会うのか、と柚希は思う。それでも大好きな人の登場に柚希は思わず笑顔になる。
「お邪魔します」
「いらっしゃい」
トップスターのはずなのに妙に我が家の今になじんでいるその人は、母の出迎えの言葉に軽く会釈して答えると、柚希を見て軽くウインクした。
「柚希ちゃん、久しぶり」
柚希はその人に向けて駆け出す。そして、その人の美しく筋肉が張られた胸に飛び込んだ。
「…………丞くん!!」
次回こそ『全員集合』、明日の更新予定です。
お楽しみに♪




