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出着点 ~しゅっちゃくてん~  作者: 東雲綾乃
第1期 第3章 家族になりたい
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柚希の出発前

 最近は羽澄神社に柚希の姿がよく見られる。父と再会して「お帰り」と迎えてもらえたことで訪ねやすくなったのか、柚希はしょっちゅう遊びに来る。

 もちろん練習が終わったあとだから夜のことが多いが、オフの日は一日入り浸っていることも少なくない。


 秘密基地と紫苑が呼んでいるこの神社の地下の部屋にいることが多いが、時々は乗馬場にいることもある。いつの間にか須野原さん夫婦とも仲良くなっていて、カナエとも仲が深まっているようだ。この前は人参を食べさせていた。

 須野原さん夫婦は柚希のことを知っている。だからこそ柚希も気兼ねせずに遊びに行けるのかもしれない。





 今日もやはり柚希は練習後にやってきた。柚希からの連絡を受けた紫苑が秘密基地に向かうとソファに座って携帯をいじっている柚希が振り返った。


「あ、紫苑来たんだ」

「柚希あのさ、いつも言ってるけどちゃんと連絡してから来てくんない?」

「だから、来たら連絡してるじゃん」

「いや、連絡してから来てくんない?」

「連絡してるじゃん」

「来る前に」

「そんな小さなことに拘んないの。おんなじじゃん」

「柚希はもっと小さなことに拘るようになってください」

「もぅ……だるいって」

「僕が柚希に迎えられるんじゃなくて、僕が柚希のことを迎えたいの」


 しぶしぶと柚希が頷く。






 しばらく取り留めもなく話していたとき、唐突に満面の笑みの柚希が話しかけてきた。


「ねぇ、紫苑。わたしフィンランド行ってくるね」

「はいっ!?」


 驚いて聞き返す紫苑に柚希は笑みをより深めて言ってくる。


「だから、フィンランドに行ってくる」

「ん? どういうこと?」


 もう一度聞き返すと、柚希はようやく噛み締めて話してくれた。


「丞くんを見に行きたくて」

「せっかく見れる機会だから、見たいなって思って……姉ちゃんと申し込んで」

「それで……?」

「エキシビションだけは落選しちゃったけど、あと二日は最前列に近い席が当選した」

「めっちゃ倍率高くなかった?」

「そりゃね。ただでさえ人気なのに、丞くんが出るってなれば倍率高すぎるよ」

「運強いね」

「でしょ」


 柚希は何かを隠してる気がした。柚希の【声】は聞こえない。紫苑は柚希の顔をじっと見つめる。


「ねぇ、柚希。今までだって九条選手の試合はたくさんあったし、国内大会だってたくさんあったよね? でも自分の試合に集中したいって言って申し込んだことはなかったはず。……何で今回に限って申し込んだの?」

「内緒」

「なんで?」

「なんでもいいから。言いいたくないというか、まだ言えない」


 柚希はいつものように軽く微笑んではいるものの、その笑みには少し陰りがあった。

 紫苑は軽く嘆息すると聞き出すのを諦めて話題提供をする。


「そういや、柚希はいつオーストラリアに戻るの?」

「なんで?」

「いや、何となくなんだけとさ」

「まだ決まってないんだけど、あと一ヶ月はこっちにいるかな……」

「もしよかったら、一緒に行ってほしいとこがあるんだ」

「どこ?」

「内緒」


 先ほど柚希に教えてもらえなかったことが意外と悔しかった紫苑は同じ言葉で仕返しをしてやった。


「もう、紫苑ったら」


 柚希はそう言って笑う。知りたそうな顔をしているが、尋ねたら自分も答えなくてはならなくことを予想しているようで聞いてこない。

 頑なに何故申し込んだのかを紫苑に教えるつもりはないようだ。


「まぁ、たいした場所じゃないんだけどさ。柚希がいた方が安心だからさ」

「……遠い?」

「いや、国内だけど」

「近いの基準間違ってるよ」

「それはそうかもね」


 何をしようとしているのかばれたかもしれない。

 紫苑は思わず息を飲む。紫苑の心配をよそに柚希は何事もなかったかのように考え込む。


「う~ん、明日出発して、一週間弱向こうにいるでしょ? そのあと、美郷さんのインタビューと増村さんのインタビュー受けて、……オフの日はあんまないなぁ」

「空いてる日ない?」

「うーん……ギリギリにならないと分かんないなぁ」

「じゃあ、また言うわ」

「どこ行きたいの?」

「だから、内緒。プランは僕に任せて」

「……分かった」


 始めは少し膨れっ面をしていた柚希だがやがて納得したかのように呟いた。


「ちなみに、わたしが今回行くことを決めたのは丞くんの最後の試合だからだよ」

「最後の……試合……?」

「うん。ずっと思ってた。いつか丞くんの滑りを見たいって。だけどね、わたし知っちゃったんだよ。わたしが好きなのは試合の丞くんだって。練習のときの丞くんも、アイスショーのときの丞くんも、わたしと話してるときの丞くんも、みんな好きだけどやっぱりわたしは試合のときの丞くんが一番好きなんだって」


 こういうタイミングにおいて、あの能力――【声】を聞き取る能力は使えない。

 自分の悪口は鮮明に聞こえるのだが。神様はなんて理不尽なのだろう。

 父の言葉を思い出す。





『人の笑顔のために使いなさい』





 己の私利私欲の田めには使えないのだ。









 紫苑の頭にひとつの考えが浮かび上がってきた。


「……九条選手、引退するの?」


 紫苑が聞くと、柚希は静かに頷いた。


「紫苑のこと信じてるから言うんだよ? まだ誰にも言わないでね。公表するのは試合の直前になるっぽいから」

「なんで? 早めに言った方がいいと思うけど」

「丞くんとシンシアコーチの考えだから、わたしはそれが一番いいんだと思う」

「柚希の考えはどうなんだ?」

「わたしとしては早めに知れた方が嬉しい。チケット取る関係もあるから」

「それを伝えたら?」

「ううん。いいの。わたしはただのファンだから。丞くんを一番近くで見つめてきたシンシアコーチと、なにより、丞くん本人が決めたのならそれが一番いい」


 柚希は笑った。いつでも柚希は笑っている。だが、紫苑は知っている。その笑顔の裏にはいつも様々な感情が隠れていることを。


「寂しくなるね……」

「えっ?」

「柚希が九条選手のこと話してくれなくなるじゃん」

「……ん、もう! 話せばいいんでしょ? 話しますよ」


 唇を尖らせながら柚希は言う。









「柚希」

「なに?」

「行ってらっしゃい」

「……?」

「行ってきな、フィンランドに。それで九条選手に今の想いも、今までの感謝も全部伝えてきたらいい。僕にはお土産と、柚希の心からの笑顔があればいいから」

「……紫苑。ありがと」

「ときにはいいこと言うでしょ」

「お土産は絶対なのが紫苑っぽい」

「そりゃそうでしょ」

「まぁ、買ってくるけど」


 そう言った柚希は少しは柔らかい笑顔になっていた。

次回は『土産話とドライブに行こうぜ』、明日の更新予定です。

お楽しみに♪

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