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出着点 ~しゅっちゃくてん~  作者: 東雲綾乃
第1期 第3章 家族になりたい
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丞のラストラン 走り出せ

 エマニュエルの演技が終わった。オリンピック王者としての重圧を感じたのか、それともどこか痛めているのか、エマニュエルの演技は少し粗が目立つものとなってしまった。


 エマニュエルが引き上げると同時に丞はリンクへ降りた。メディアのカメラが一斉に丞へと向けられる。


 丞がリンクを滑っているうちにエマニュエルの得点が発表された。自己ベストよりは低いが、現時点で首位である。


『The Next Skater's Tasuku KUJO From Japan!!!』


 会場アナウンスが聞こえると共に観客のボルテージもぐんと上がった。


 丞は少し微笑みを浮かべながら両腕を大きく広げた。

 観客席から大きな拍手が降り注ぐ。


 丞はリンクの中央でうずくまる。曲が始まると同時に丞は羽に見立てた腕を大きく振った。









 シンシアは思わず丞を二度見した。ぶわっと音を立てながら羽を広げる鳥が見えたのだ。


 普段から何度も見ているはずの丞の演技だが、オリンピックのときと同じように、本物の鳥が飛んでいるように感じた。


(あなたは本当に試合になるとオーラを纏うわね。信じられないような演技をしてくれる)


 最初のジャンプはオリンピックの四回転フリップから変更し、丞が一番拘りを持っている四回転ループにした。そのジャンプを軽々と飛ぶ。


 シンシアは感嘆のため息をつく。


 だいたいのコーチは祈るように選手を見つめているが、シンシアは丞に関しては全く心配などしていない。

 なぜなら丞は試合になるとシンシアの予想を軽く越える演技をしてくれるからだ。それが良いこともあれば悪いことももちろんある。

 どんな演技を丞がしたとしてもリンクサイドのシンシアには助けることはできない。


 だからこそ、シンシアは演技中は観客として丞の演技を見つめている。

 観客が歓声を上げるときには共に拍手をするし、ミスをして観客が落胆したときには共に声援を送る。


 そのシンシアの態度が試合中にはほっておいてほしい丞の性格に適していた。それがこれほど長くタッグを組めていた理由である。










 歓声が止まらない。シンシアが我に返ったときには丞は連続ジャンプ、単独のトリプルアクセルを完璧に決め、最後のコンビネーションスピンへと向かっていた。

 女子並みに足を高く上げて回る丞は本当に性別を越えた生命の神秘を体現していた。


 その歓声が続いている間に丞はそっと横たわる。





 今までの演技はそれで終わっていた。しかし、今回の白鳥は倒れたあとで曲が少し伸ばされている。たかが一秒と少しのその間に腕を一度振る。

 この一秒が丞の演技により深みを増してくれるとシンシアは信じていた。


 そしてその通りだった。この腕の一振りが最期の最期まで生きようとする白鳥の姿を見事に表現していた。










 丞がリンク上で動かなくなって三秒ほど物音ひとつしなかった。


 そして、突然会場が地響きを立てる。スタンディングオーベーションの嵐が巻き起こっていた。


(あぁ……選手の間にこの風景をまた見れて良かった)


 丞は少しほっとする。リンクサイドのシンシアの元に戻ろうとしてもう一度だけプレゼントに溢れるリンクを振り返ったとき、もうひとつの入り口にヴォルフガングの姿が見えた。彼もこの世界選手権で引退する一人だ。

 不意に目が合う。ヴォルフガングは親指を立ててきた。丞は小さく会釈する。


 リンクサイドのシンシアと大きくハグをする。


「ただいま、シンシア」

「お帰りなさい」

「楽しかった」

「オリンピックの百倍良かったわ」


 二人はキス&クライに移動して得点を待つ。

 全てのジャンプ、スピン、ステップを完璧に決め切ったのだ。首位に立つのは間違いないだろう。


 そして、得点が出る。115.72点。世界最高得点の誕生だった。歓声が上がる。拍手が鳴り響く。

 シンシアと抱き合った丞は肩に水気を感じた。


 シンシアが泣いていた。


「タスク、ありがとう。最後にこんなビッグプレゼントなくていいのに」

「僕らしいでしょ?」

「そうね。すごく丞らしいわ」

「それに、シンシア。まだ最後じゃないよ。フリーがある」

「ふふ。期待していて良いのかしら」

「当たり前でしょ」


 丞は興奮覚めやまぬリンクから去った。なるべく早く自分が出ることによって、ヴォルフガングが演技しやすくなるだろうという配慮である。


 呼吸を整える間も無く生中継のテレビ局のインタビューである。丞がシニアデビューした年からずっとインタビューを担当してくれている、来栖(くるす)がマイクを持っている。


「九条丞選手です! 世界最高得点の更新、おめでとうございます!!」

「ありがとうございます」

「得点が発表されたときにほっとしたような表情が見えました。どのようなことを感じていらっしゃいましたか?」

「そうですね。ラストの演出を少し変えたりとか、ジャンプの変更だったりもしていたため、どうなるか少々不安もあったので、しっかりとひとつの物語を作れて、まぁ良い結果も付いてきて安心しました」


 丞はまだ肩で息をしている。


「最後に新たに羽を広げる振りが加わっていました。どのような思いからですか?」

「今までは最期までもがきながらも息絶える白鳥を演じていたのですが、今回は本当に最期までもがくっていう姿を演じたかったので、加えました。」


 丞は一息つく。


「うーん、なんだろな。オリンピックまでは最期諦めて羽を閉じる白鳥しか思えなかったんですけど、オリンピックの後に考えて気がついたんですよ。僕がこの白鳥なら生きるために足掻くんじゃないかなって。それがこの最期の試合に挑む自分自身とすごくマッチして。引退するまであと一回演技できるんだから決して負けないぞ、みたいな。」

「その気持ちが九条選手の演技にしっかりと表れていました」

「皆さんにそう感じていたならば嬉しいです」

「フィニッシュポーズのあと会場が揺れたかと思うほどの大歓声でした。どんなことを感じていらっしゃいましたか?」

「まずはスタンディングオーベーションをいただける演技ができたことにほっとしていました。やはり、あの景色を見られるとスケートをやっていて良かったなと思えますね」


 来栖が微笑んだ。暖かい母のような眼差しだった。丞はふと思う。


 来栖のことはインタビュアーだとしか思ってこなかったけれど、考えてみればこの人も何年も自分を支えてくれているのだと。来栖はどの選手に対しても態度が変わらない。もちろん勝った選手の前では喜びを露にするし、負けた選手の前では優しく話しかける。

 それでも選手第一にしてくれる来栖は全員の、この大会に関わる全ての人の母のような存在だった。

 勝ったときも負けたときも常に丞の奥底に眠っている感情、言葉を引き出してくれた。


「九条選手、フリーも応援しています。九条選手らしい演技をしてくれることを期待しています」

「応援よろしくお願いします!!」


 インタビューが終わり、カメラがオフになると来栖が話しかけてきた。


「すごく良かったわ」

「見てないでしょ」

「入り口のカーテンの陰から見てたわよ」

「ほんとに?」

「ほんとよ」


 来栖と丞は仲が良いのだ。来栖は職業上全ての選手に公平な立場ではあるが、そのおかげで丞のこともスターではなく一人の選手として接してくれる。


「丞、最後までスターでいなさいよ」

「うん」


 その来栖が丞を初めてスターと呼んでくれた。そのこともまた丞は嬉しかった。


 来栖に頷くと丞はまっすぐ歩きだした。





 来栖は思う。


(丞もすっかり大人になったわね……)


 子供の成長を実感した親の気持ちだった。

次回は『丞のラストラン 一時休憩』、明日の更新予定です。

お楽しみに♪

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