表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
出着点 ~しゅっちゃくてん~  作者: 東雲綾乃
第1期 第3章 家族になりたい
55/143

丞のラストラン 準備

 丞の最後の戦いが幕を開けた。

 世界中のカメラが丞を追っている。


 丞が引退を表明したのは世界選手権が始まるわずか二日前のこと。電撃引退発表だった。

 公表時にそのことを既に知っていた人物は丞本人、家族、シンシアコーチ、そして柚希だけだった。

 本当にぎりぎりまで極秘にされていた丞のその決断を世界は驚きをもって受け止めた。

 世界中のニュースに取り上げられ、日本の各テレビ局も特番の企画が進んでいる。


 そのように世界の視線を一身に集めながらも丞は普段通り淡々と練習に励んでいた。


 練習を終えた丞が囲み取材に向かうとあっという間に人だかりが周りに完成する。


「九条選手。今回の目標を!!」


 インタビュアーが問う。


「いつもと同じです。自分にできる最高の演技をするだけです」

「なぜ今大会で引退なのですか?」

「……うーん。優勝したらお答えします、でいいですか?」

「それでは日本のファンの皆さまに一言お願いします」

「オリンピックのショートプログラムと同じような完璧な『瀕死の白鳥』をお届けできるように練習に励みます。応援よろしくお願いします!!!」





 二度の公式練習、今朝のラストの公式練習を終え、丞はショートプログラム本番を迎える。


「タスク、おはよう」

「おはよう、シンシア」

「体調は万全ね? 睡眠は十分とったわね?」


 オリンピックのときとは違い今回はどこにも怪我を抱えていない。丞は素直に頷いた。


「これを言えるもあと二回だわね」

「公式練習とフリーだけだね」


 公式練習では丞の他にも五人が滑っているのに、それもオリンピックチャンピオンのエマニュエル・オステルメイヤーと銅メダリストのクロード・カスティーユもいるのに、カメラは丞の姿を永遠に撮っていた。


 丞はそれを嬉しいことだと思う。自分の引退をこれ程注目してもらえる選手になれたのだから。その注目と期待に最後まで応えられる選手でありたい。


 練習が終わりウォームアップエリアで柔軟体操をする。

 不意にシンシアが近づいてくる。


「タスク」

「ん?」

「試合前に言うことじゃないかもしれないけど……」

「……?」

「あなたとここまでこれて幸せだったわ。あと三日間、楽しませてちょうだい」

「任せて」

「あんたは世界最高のスケーターよ。私は胸を張ってあんたをそう言いきれる」


 シンシアの表情はいつもと何ら変わらない。それでも丞の鼻の奥の方はツンとした。


 丞は一つ頷く。何か話したら感情が崩壊しそうだった。二人は見つめあった。丞はシンシアに一歩近づいた。シンシアの頭に自分の頭をコツンとぶつける。

 丞がシンシアの門下生になってすぐの頃、試合前に行っていたルーティンだ。


「……タスク」

「ずっとシンシアから何か言ってくれてたよね。頭こっつんした後」

「そうね……」

「だから、今日は僕から言う。シンシア、楽しみにしててね」


 シンシアは一瞬目に涙を溜め、それをぐいっと拭くと丞の頭から自分の頭をどけた。

 今度はシンシアが一歩下がる。


「タスク、楽しみにしてるわ。世界に見せつけてやりなさい。王者の滑りを」


 その口元に浮かんでいた挑戦的な笑みは間違いなくシンシアが元世界女王だったと言わしめるものだった。


「行きましょう」

「うん」


 丞とシンシアは二人で歩きだした。









 *****









 その一部始終を見ていた一つの影があった。

 二人が並んで歩いていくのをその影はじっと見つめていた。表情は読みにくい。


 それはヴォルフガング・フシュケだった。

 スイスの英雄もまたこの大会で引退を発表している。


 カメラは丞ばかり追っていたが、ヴォルフガングにとってはどうでもよいことだった。

 彼のモットーは観客を自分の世界観に引き込ませることだ。たとえ、カメラが丞しか見ていなかったとしても、自分の演技のときには嫌でも自分だけを見てくれる。

 その間に誰かを感動させられるのであれば幸せだ。


 それに彼は丞のことを尊敬している。彼は丞に憧れている。

 そして、ヴォルフガングが一番嬉しいこと、それは自分が尊敬してやまない丞が彼のことを尊敬してくれていることである。

 最後の戦いが同じ大会になったことを正直嬉しく思う。


(タスクはきっと美しく舞って散っていく白鳥を優雅に演じて見せるんだろうな……)


 ヴォルフガングはぼんやりとそんなことを考えた。自分の出番も迫ってきているのに。










 そして、そういうことを考える度に頭に浮かぶのはシンシアの声だった。





 あれは今から十年以上前のこと。ヴォルフガングはシンシアにコーチになって欲しいと申し込んだ。

 そのときは臨時コーチとして半年、コーチとなってくれたが、二人はあまり気が合わなかった。


 けっして仲が悪かったわけではない。ただ練習に向かう姿勢や、試合に挑むときの姿勢に常に何らかの隔たりがあった。


 そして、ついにシンシアから言われてしまった。


「ごめんなさい。私はあなたの相棒にはなれない。きっと私にはあなたより気の合う相手が見つかる。そして、あなたには私より相応しいコーチが見つかる。きっと私たちはバラバラの方が輝けるの」


 コーチになることを断られたあの時は受け入れられなかったが、今となってはシンシアの言葉は的を射ていたと思う。

 シンシアと丞が出会ったのは運命だったと感じるし、ヴォルフガングが叔父にコーチを改めて打診できたのもあのときにシンシアが断ったおかげだ。


 有名なコーチだからといって誰にでも合うわけではないのだとシンシアが教えてくれた。

 それでもシンシアに教わりたかったという気持ちは捨てきれていないが……






 叔父に声をかけられる。


「ヴォルフガング、行くぞ」

「オーケー」


 ウォームアップはもちろん大切だが、ヴォルフガングは丞の演技を見たかった。選手の丞の滑りを生で見られるのもあと少しだ。それにヴォルフガングが大好きな丞の『白鳥』を見ることができるのは今日が最後だ。丞の芸術と技術が融合した滑りを目に焼き付けた上で滑りたい。


 リンクからは歓声が上がった。きっと二つ目の連続ジャンプが成功したのだろう。

 ヴォルフガングの表情に少しの笑みが浮かぶ。


(別に引退って年取ってからじゃなくてもいいんだよな。きっと君がいなくなってしばらく寂しいけど、特にエマニュエル、あいつが丞のようにフィギュア界を盛り上げてくれるはず。丞、君の最後のショートだ。みんなを酔わせておけよ。僕がそれを倍増させてみせる)


 リンクへと向かうヴォルフガングの足取りは自然と少し速くなっていった。

次回は『丞のラストラン 走り出せ』、明日の更新予定です。

お楽しみに♪

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ