紫苑からのサプライズ
新潟に戻ってきた。柚希はお礼参りも兼ねて羽澄神社を訪ねた。
紫苑から電話がかかってくる。
「柚希、そろそろ着く?」
「うん。もうすぐ鳥居まで来るよ」
「じゃあ、外にいるから」
紫苑が社務所の門で立って待ってくれていた。今日も羽澄神社は多くの参拝客で賑わっている。
神社の跡取りでもある紫苑は例の噂はあれど、いや、あの噂があるからこそとでも言うべきか、注目の的だ。高校生や大学生の参拝客が遠巻きに眺めている。もちろん噂の有無に関わらず日本人離れした栗毛色の髪と整った美貌は目を引く。
紫苑がこちらに向かって歩いてくる。その姿を追っていた、参拝客が柚希に気づき驚いた表情になる。
「お越しくださいましてありがとうございます」
紫苑がきっちりとお辞儀をする。紫苑の公私をしっかり区別して接してくれるところは本当にありがたい。柚希も丁寧に返した。
「こちらこそ、お招きありがとうございます」
「それではこちらへ」と言いながら紫苑は柚希のことを先導する。
柚希は拝殿でお参りをすると社務所でお守りをいただく。祖母から柚希、柚希から丞、丞から柚希へと巡っていたあのお守りと同じ青のお守りだ。
「こちらへどうぞ」
紫苑はさりげなく柚希のことを玄関へと招く。柚希もお客様を装って家に入る。他人の目にはこの大きい建物が家だとは映らないだろう。
実際のところ、柚希とこの神社には何らかの関わりがあるのではないかと言われてはいたが、ファンの間では名字とたまたま同じ神社に参拝しているのだろうということになっているため、この神社は柚希のファンにとって聖地となっている。
紫苑は奥の扉へと向かう。そして、あのときと同じように暗い階段を下り、お香の香りを身体に纏わせながら進むと、地下室の入り口を開き、階段を下りライトを付けた。
「……ただいま、紫苑」
「おかえり。あとおめでとう」
柚希は紫苑に勧められたソファに座る。
「そういえば紫苑っていつも袴だよね」
「そりゃ神社の跡取りだからね」
「わたしも血は引いてるけど」
「まぁ、柚希たちはね。少し遠いから」
「まぁね」
紫苑と話していると安心する。負の感情が全て浄化されていく気がするのだ。
「柚希さ、ファンに隠してていいのか?」
「神社とのこと?」
「うん」
「……まぁ、引退の時には公表するかもしれないけど、今はまだいいんじゃないかな」
「柚希の考えに従うけど」
「……何かあった?」
「いや……取材依頼が増えてて、結構柚希との関わりも聞かれるんだよね」
「そうなの?」
「毎回、勝負の神を奉っている神社ということもあって参拝くださっている、としか答えてないけど。だけどね、ちょっと心配」
「う~ん……もうしばらくはそれで行こう」
「分かった」
柚希が今日来たのは元旦に聞けなかったことを聞くためだ。
「紫苑、話がある」
「いいよ、何?」
「噂が本当か、教えて。それとこの神社の歴史も」
「帰ってきたら教える約束だったもんな」
「いい?」
「もちろん」
そう言いながら紫苑は2列並んでいる本棚の奥の列へと歩いていく。柚希が気になって立ち上がり付いていく紫苑は一番端の下段の本を出し始めた。柚希はそこを見つめて思わず驚きの声を漏らす。そこは本棚の底面はなく、床が見えていた。紫苑はその床のタイルを大切なものを扱う手で三枚はがした。
ここは神社の地下であるはずだが、まだ下があるようだ。
柚希は中から板を一枚持ち上げる。何の変哲もないただの板だ。紫苑は神聖なものに触れるかのようにその板を大切に持ち上げ、自信は跪くと一度板を高く持ち上げ深々と礼をした。
「ここにサインを」
「何これ」
柚希は板を見る。そこにはそれまでにサインをした大勢の人の署名がされていた。
板には文が刻まれている。誰かの手によって彫り込まれ、その溝に住みが塗られているようだ。墨の掠れ具合と署名の数はこの札が秘されてきた年月を示しているようだった。
〖この署名板の存在はこの世のすべての人物・物事・権力から秘匿するように。署名を許される者は、羽澄家の直系の者に限る。故に配偶者・養子は含まれない。子へは彼らが親及び兄姉の才能に勘づくまでは秘匿するように。この文言を一つでも破ったものには天罰が下される。またこの署名判に傷ひとつつけることを禁じる〗
「これに名前を書いてくれたら教えられる」
よく見ると最後の署名は紫苑だった。その上には父の署名もある。
柚希は一つ頷く。
紫苑が再び本棚まで歩いていき、床下から箱を持ってくる。柚希のいるテーブルの上でその箱を開き、中から墨と硯と筆を取り出した。墨を擦る心地よい音が暫しこだまする。その音に柚希は耳を傾ける。
墨をすり終わった紫苑が「ほい」と何事もなさそうに筆を渡してくる。先ほど札に向かってあれほど深々と礼をしていたとは思えない。
柚希はその筆を手に取る。背筋が伸びる。一瞬の躊躇いを捨てさり、紫苑に指定された場所に柚希はさらさらと一息に署名した。
何が起こるのかと内心ヒヤヒヤしていた柚希は呆気に取られた。……何も起こらなかったのだ。
「はい、柚希も大丈夫。資格有り」
「え?」
「何が起こるかは分からないけど、この能力を違うこととかに使ってやろうとか画策してる人は署名すると何らかの罰がくだるらしいよ」
「この能力はどう使えばいいの?」
「僕が父さんに言われたのは『人の笑顔のために使え』だったよ」
「人の笑顔のため……」
「柚希なら大丈夫だよ。だってもう既にたくさんの人笑顔にさせてるもんね」
「……ありがとう」
「じゃあ、話すね」
この神社は創建されてからすでに千五百年以上経っているんだけど、もともとは狩猟の成功を祈るために建立されたんだ。だから神社とは言えないかもしれないね。なんというか……古墳時代の小さな村の祭儀場というべきかな。
それから二百年ほど経ったとき、この地に魔物が住み着いた。その魔物は他人の意思を読み取る力があってこの町の人々を決別させていったんだ。
そのときに立ち上がったのが僕らの祖先、羽澄武左衛門であった。
彼はその魔物を退治した。そして、祟りを恐れた民の声を受けて、彼が管理していたこの神社に奉ったんだ。
その後神話が誕生する。そこにはその魔物を退治するときにこの神社の神様のご加護があったと書かれていた。そのためにこの神社は勝負の神を奉っていると言われているんだ。
実際のところは、退治した相手を奉っているんだけどね。
退治したはずだが、なぜかその意思を読み取る能力は武左衛門に乗り移ってしまった。またその息子の与助にも。
僕たちはその意思を読み取ることを【声】を聞くと呼んでいるんだよ。
そこで出てきたのがこの署名板だ。羽澄家の血を引く者に能力が引き継がれてしまうことに気がついた武左衛門と与吉は左衛門は特別な力を用いてこの署名板を作り上げたんだ。
その作られ方は僕たちですら秘匿されている。これが無くなれば代わりはないんだ。
作った板は羽澄神社の拝殿の地下深くに埋められた。
だからこそ、この板は地中へと隠された。そしてこの部屋の存在も秘匿された。
それに、ここに来るまでにお香が立ち込めているでしょ? あれは清めるだけではなくて、害がないか判断しているらしいよ。たとえ、お互いが愛し合った相手を連れてこようとしてもこの家に邪推をもって来た人は弾かれるらしい。
今まで話した事実をすべて知って良くて、ここに署名できる資格があるのは羽澄家の直系をの人だけなんだ。だからおばあちゃんも母さんもここには署名はできないし、【声】の存在に気付くこともない。
しばらく二人は黙っていた。
「ちょっと今から出掛けない?」
「どこに?」
「乗馬場」
「え?」
「見たことないでしょ」
そう言った紫苑に連れられ裏口から徒歩でその乗馬場へ向かう。人気のない裏道を二人で歩き、辿り着いたそこは羽澄神社から十分ほどしたところにあった。
「こんなとこ来るの初めてだよ」
「だろうね」
紫苑は慣れた様子でポケットから鍵を取り出し、中に入る。
柚希のことを待合室のような場所で待たせて紫苑は更衣室へと向かった。
やがて部屋から出てきた紫苑は武家風の仮装束姿だった。
「紫苑!?」
「柚希は夏はオーストラリア行っちゃうじゃん? だからこっちにいる間に見せたいなって思って。僕からの金メダルおめでとうのサプライズだよ」
「神事をこんなところでいいの?」
「もちろん。だってここが僕とカナエの演習場所だから。今日も演習」
「カナエ?」
「カナエは僕の相棒だよ。会わせてあげるね」
そう言うと紫苑は厩舎に入っていく。柚希も続く。そこには五頭の馬がむしゃむしゃと藁を食べていた。
「……かわいい」
柚希が呟くと紫苑は自慢げに言った。
「でしょ。管理人の須野原さんご夫婦……たゑの息子さんとその奥さんが、愛情たっぷりに育ててくれてるから、すごく元気なんだぜ」
「へぇ、そうなんだ」
「ちなみにこいつがカナエ」
そう言った紫苑に一頭の馬が顔を寄せる。その姿は紫苑のことを信頼している証のように柚希には思えた。
紫苑の髪と同じ栗毛色の活発そうな馬だった。
「よし、カナエ行くか」
そう言うと紫苑はカナエとともに歩きだした。
第三章スタートです!
次回は『紫苑と流鏑馬、紫苑の流鏑馬』、明日の更新予定です。
お楽しみに♪




