決着
屋上でのびのびとフルートを奏でていた柚希は通しで三度吹き終わったあと楽器を持ったままフェンスに寄りかかる。
頭にふと休み時間の大和の声が蘇った。
『あと言っとくけど今日来るかは勝手だけど何かあって動揺して明後日落ちるのだけは許さないからね』
ふふっと笑いが込み上げてくる。
(確かにあのときはそんな簡単に動揺するかって思ったけど、実際いろいろ言われると少しは動揺してるのかもな)
それでも絶対に選考会では失敗できない。明後日のたった五分のためにこれまで練習に励んで来たのだ。ここで失敗すれば……いや、失敗のことは考えるなって凌久に言われたんだっけ。
突然、屋上の扉が音を立てた。振り向くとそこには先ほどまで音楽室にいたはずの先輩たちが入って来た。皆笑顔である。
音楽室のときとは比べ物にならないくらい嫌な予感がする。助けも呼べない。相手は六人。明らかに多勢に無勢である。
ふうっと息を吐く。仕方ない。
「先輩方、こんなところにまでお越しくださったんですか」
「柚希ちゃん、やっぱり上手いね」
「え?」
「私たちちょっとだけ柚希ちゃんの演奏聞きたくてここに来たの」
「それは嬉しいですけど…」
「ふふふ、何かされると思った?」
「そんなことは思いませんよ」
ふいに花楓の顔が真剣になる。今までみたことがない表情だな、と柚希は思う。この人はこんな顔もできるんだ、とも。
「柚希ちゃん、今までごめんね」
「どういう意味ですか?」
「私たち柚希ちゃんに辛く当たっちゃってたなって…反省してる。さっき柚希ちゃんに言われて実感した。もうみんなの方がよっぽどうまいよね。ただあの時は後輩の方が上手いのが許せなかった……それだけで柚希ちゃんにはひどいことしちゃって……ごめんね」
「花楓先輩…」
「これからは柚希ちゃんのこと全力で応援するから、私たちのこと許してもらえるかな?」
花楓が泣きそうな顔で言ってくる。
「もちろんです!」
想像以上に早く決着がついてしまったようだ。
少しばかり拍子抜けした柚希のもとに笑顔の蔵橋が近づいてくる。
目の前に花楓が立っ……………………頬に激痛が走った。
花楓が自分を殴ったのだと気づいたのは何秒か経ってからだった。
「……か、花楓先輩?」
「あんたみたいなクズは床に這いつくばってるのがお似合いだわ」
蔵橋は「楽器壊れたって文句言われるのは面倒よね」と呟くと柚希の手から楽器を奪った。
「返して!!!」
思わず痛みも忘れて叫んだ途端に花楓の横に立っていた先輩に髪を捕まれ、ひっぱられた。その間に花楓にまた思い切り殴られた。
痛い。
六人からの一斉攻撃である。防ぎようがない。自分の口が切れて血が出てくるのが分かる。男子の先輩に足を蹴られた。すでにその人が誰かなんて考える余裕はなかった。
足が折れるような痛みに耐えられず柚希は床に崩れ落ちる。
「お前さ、俺たちの夢壊してくれてよくあんな平然としてられるよな」
「先輩、たち、の、ゆ……め…………?」
息も絶え絶えの柚希のことを誰かがまた蹴り飛ばす。
「全員でコンクールでて、金賞とって全国行く。それが俺たちの目標だった」
「わ、たしは、せん、こう、で、えらば、れた」
「まだ言うか? 選考なんてどうでもいいんだよ。三年にとって最後の大会がどれだけ大切なのかお前には分かってない。花楓が出れなかった悔しさは花楓だけの悔しさじゃない。俺たちの代全員の悔しさだ。それを分からずに選ばれてちやほやされてるお前に、俺たちが分からせてやるよ。出れない悔しさをな」
柚希の上にまたがる男の拳が頬に当たる。もう何も考えられない。意識が朦朧としてくる。
「おい、これ以上やると死ぬかもよ」
誰かの声が聞こえた気もする。突然上にのし掛かっていた人がいなくなった。体がふっと軽くなる。
「バレたらやべーな。さっさと帰ろうぜ」
足音が遠ざかる。
(もう痛いことはされない)
柚希はそう思うと暗闇へと落ちていった。
「…………き、……き!」
誰かの声がする。身体中に激痛が走る。柚希はそおっと目を開けた。
暗闇に包まれている。すでに夜になっているようだ。何度か瞬きをするとぼんやりとしていた意識と視界が次第に明るくなっていった。
柚希の顔を必死の形相で覗き込んでいるのは思いがけない人だった。
「柚希!」
「……凌久?」
小さな声で問いかけた柚希に凌久が頷く。
「なんで……ここに、」
「お前さ、なんでこんなことになってるんだよ」
静かな口調でいつも通り冷静に問いかけているようだが、だれが見ても明らかに凌久の目には怒りが籠っていた。
「柚希をこんな目にあわせた奴ら、ぜってー許さねーからな」
「私だって許さないわよ」
声がした方を向く。
「……大和さん?」
口が切れているせいか掠れた声しか出ない。
「だから言ったじゃん。来ない方がいいって」
冷たい表情だが、その目には昼と同じように心配の色が浮かんでいる。
「羽澄さん、絶対にあんな人たちに負けないで」
「……うん、」
「それと、ごめん。まさか手をだしてるとは思わなくて……。閉じ込められてたら助けに行こうとしか思ってなくて……。こんな目に合わせたのは私のせいだから……」
大和の目から耐えきれなかったような涙が溢れる。
「…………大和さん……」
沈黙が広がる。
「とりま、帰るか。こんな時間だし」
静寂を破ったのは凌久の声だった。
「今、なん、じ……?」
「十時だよ、夜の」
「……え、」
「お前の母さんから帰って来ないって連絡あって副部長なら知ってるかと思って大和さんに尋ねて」
「私、先輩が羽澄さん帰ったって言うの鵜呑みにして……仲直りしたっていうから良かったねとか思って、そのまま帰宅してたの」
「それで大和さんが学校にいるなら屋上だっていうから忍び込んだんだ」
「よし、帰るぞ」
そう言うと凌久は柚希のことを抱き上げた。
「凌久、自分で、歩く」
「どう考えても無理だろ」
「…………」
「今は大人しく俺の言うこと聞いとけ」
「り、、く」
凌久は柚希のことを軽々と抱えると歩き出す。
「わたし、の、フルー、ト」
「フルートなら無事だよ。私がしまった。勝手に触っちゃってごめんね」
「ありが、と」
凌久は柚希のことをそのまま家まで連れ帰ってくれた。その後ろを暗い顔をしながら大和も荷物を持って一緒に来てくれた。
「おばさん、柚希見つけた」
「おかえりなさい、遅かったわね……って、柚希!?」
「何があったの」と尋ねる母に凌久は告げた。
「今はまだ俺も、大和さんも、それに柚希も整理できてないから……しばらくそっとしておいてください」
その言葉から母は何を感じ取ったのか。
「…………分かったわ。それじゃあ悪いけど凌久君、柚希のこと部屋に連れていってもらえる?」
「分かった」
柚希のことをベッドに運ぶと凌久はそっと頭を撫でた。
「柚希、絶対選ばれろよ」
慰めるような優しい口調ではなく、いつも通りのぶっきらぼうで愛想の悪い凌久らしい励まし方に思わず柚希は少し笑った。
凌久と大和が帰ろうと扉を開ける。
「……待って」
「どうしたの、羽澄さん?」
「、、、ありがとう」
「ゆっくり休めよ」
蒼依の頷きと凌久からの一言が胸に染み渡った。
決着というサブタイトルながら、決着は付いたのか、付いていないのか、微妙な結果に終わりました。
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ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします(^∧^)
次回は『選考会』、明日の更新予定です。
お楽しみに♪




