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出着点 ~しゅっちゃくてん~  作者: 東雲綾乃
第1期 第2章 世界一へ
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目映い光 (丞視点)

 僕が柚希ちゃんの滑りを見に行こうと決めたのは、オリンピックが終わって飛行機に乗っている途中のことだった。


『いつか怪我を乗り越えた柚希ちゃんの強い姿見せてくれる?』


 そう言った僕自身の声が銀メダルを見つめていた僕の頭に降ってきた。


(現地で見たい)


 素直にそう思った。幸い、パラリンピックの開会式はオリンピックの閉会式の二週間ほど後だったのでパラアルペンスキーの日程までは時間がある。僕は日本に帰国して最低限やるべきことを終えると、地元に帰る振りをして自分で予約した国際線で単身でスイスへと引き返したのだった。





「タスク、こっち!!!」


 スイスの片田舎の町にやってくるとこじんまりとした駅の前に大きく手を振っている男性がいた。


「ヴォルフガング!! 急な頼みですみません」

「タスクならいつでも大歓迎さ」

「ありがたいです」


 人前に出ると騒がれてしまうと思い、僕が頼ったのはあの英雄だった。三度目のオリンピックを六位で終えたヴォルフガングは僕のお願いを快く聞いてくれた。

 ヴォルフガングは幼い頃から僕のスターだった。英雄という称号に相応しい戦績を残してきている。


 そして、スーザンの携帯に連絡を入れる。


『僕、スイスに帰ってきてるのでもし柚希ちゃんが会いたいと言ってくれたらお越しくださいませんか?』


 スーザンからはスタンプが一つ返ってきた。


『気が向いたら』


 思わず笑った。まぁ、柚希ちゃんが会いたがってくれてるなら嬉しいけど、柚希ちゃんは試合前だし、もし良ければだからさ。それにしてもこんな冷たいスタンプ、どこで手に入れたんだろう。









 柚希ちゃんとスーザンは来なかった。次の日も。その次の日も。


 僕はとりあえずメディア関係者として会場入りしている懇意の知り合いと連絡をとった。

 試合後の柚希ちゃんに会わせてもらいたいと頼んだところ、たまたま体調不良者が出て一枠空いているとのことで想定外だが裏口入場で会場に入る目途がついた。

 相手方からの条件は単独のロングインタビューに応じることだったが、もともとしなくてはならないと思っていたので喜んでその条件をのんだ。





 僕はバッグから小さな封筒を取り出す。そこにはスイスに来る途中の飛行機の機内でゆっくり丁寧に編み上げた一本のミサンガが入っている。


 一度袋から出してみる。

 赤とオレンジの糸に囲まれ、小さなエメラルドグリーンの天然石がついている。この天然石はアマゾナイトといい、僕が大切にしているパワーストーンの一つだ。

 柚希ちゃんに似合いそうな色を探していたとき、この天然石が柚希ちゃんの儚げな笑みによく合いそうだと思って、持ってきていた。明るく情熱的な赤やオレンジの糸をアマゾナイトが優しく纏めあげている。


 ちなみにこのミサンガだが、まだ他に三本あることは丞だけが知っている。初めて作ったミサンガは想像よりも難しく、失敗した。


 これはあまり知らない人が多いけど、僕は結構不器用人間なんです。柚希ちゃんに渡しても恥じない程度の出来のものが完成したのはスイスに到着する結構ギリギリのタイミングだった。


 僕が来てから四日目。スーザンからメールが届く。


『クジョウ選手。来てくれてありがとう。私からお礼を言います。だけど、会うのはやめてちょうだい。ユキは結構不安定になってるので心を揺らしたくはないの。会った方がいいのかもしれないけど、できればやめておきたい。分かってください。ごめんね』


 思わずため息が出る。分かっていた。きっとオリンピックで試合前に普段と違う行動をとったことも僕がフリースケーティングで崩れた原因の一つである。









「スーザン、柚希ちゃんの様子は?」


 スーザンに電話をする。スーザンのため息が聞こえる。


「はぁぁぁ。なんか何回も電話してこないでよ。もう、勝手にしなさい。だけど、ユキが本当にあなたの助けが必要となったとき以外は会わせないから」


 柚希ちゃんには会えず、スーザンからは厳しい言葉を投げられ、手作りミサンガがまた一つ増え、今日が終わった。








 その翌日のことだ。今日が試合当日だ。ここまで来れば試合後にしか会えないと僕は腹をくくった。ミサンガをぎゅっと握りしめる。スマホの電源を入れると、スーザンからメールが届いていた。

 一文。





『今から行きます』





「来るの!?」


 思わず声が出た。試合前に普段と違うことはしない方がいいのではないのか。何か理由があるのか。


 ドアが軽くノックされる。


「タスク? 起きてる?」


 ヴォルフガングの声だった。


「起きてます」


 僕は部屋から廊下へ出る。ドアの外ではヴォルフガングが穏やかな笑みを湛えて立っていた。


「スーザンたち来るみたいだね」

「ですね」

「ちょっと、僕は外出てるね」


 スーザンと何かあったのだろうか。

 まぁ、別にいいか。柚希ちゃんにこのタイミングで会えることが分かり僕は正直困惑とともに内心の興奮を抑えきれなかった。


「タスク、全部顔に出てるぞ」


 ヴォルフガングにからかわれる。


「分かりました」

「あとは僕の伯父に任せて」


 ヴォルフガングの伯父さんも有名なフィギュアスケーターだった。代々この家系はスケーターを輩出している。


「タスク、オリンピックお疲れ様だったね」


 暖かい眼差しで見つめてくれたのは現在僕の英雄のコーチも務めているヴォルフガングの伯父さんだった。僕はリンクサイドで少し見かけるくらいだったからあまり親しくはない。ただ彼が日本で大活躍した日本人スケーターと彼女のコーチの間に生まれたハーフであることは知っている。


「素敵だったよ。特に、ショート。あの最後の死にゆく白鳥の表現が見事だったね」

「ありがとうございます」

「フリーももちろん素晴らしかったよ。特に『火の鳥』は僕もかつて滑った思い入れのある曲だったしね。それに、ヴォルフが初めてシニアに上がった年のフリーも『火の鳥』だったから」

「僕の鳥はどうでした?」

「裏でヴォルフと観てたんだけどね、本当にすごくて感動したよ」

「ありがとうございます」

「世界選手権も楽しみにしてるよ。……じゃあ、あの人たち来る前にご飯食べておこうか」


 ヴォルフガングの伯父さんと朝食を食べ、のんびりと話をしているうちに外に車が停まった。


「着いたようだね」


 伯父さんが迎えに出たので僕はそのまま部屋で待機だ。









 久しぶりに見た柚希ちゃんはとても大人びて見えた。その目に何かにすがるような色が見えた気がして思わず僕は腕を広げた。


 柚希ちゃんは素直に腕の中に収まってくれた。泣いてる柚希ちゃんと、スーザンに軽く叱られる僕。


 頑張って作ったミサンガを手渡す。柚希ちゃんが手首に着けようとしたがスーザンに訂正されたので、僕が受け取る。柚希ちゃんの細くも薄い筋肉の張った綺麗な足首に明るい色が華を添えた。


「柚希ちゃん、行ってらっしゃい」

「行ってきます」

「また後で」

「はい」


 そんな些細な会話をできることが楽しい。


 柚希ちゃんが出ていったすぐあとに僕も出発する。そして知り合いと合流する。

 おそらく僕の姿に気づいた人はいるだろう。それでも一様に気がついていない振りをしてくれたことがありがたかった。

 テレビ局も新聞も一歩見方を変えてみれば週刊誌と同じであることは今まで身を持って知っている。それでも、今回見逃してもらえているのはこれまで僕が丁寧に築いてきた信頼と実績があったからだろう。


「遅かったね」


 顔馴染みのクルーの本藤が話しかけてくる。


「ちょっと用があって」

「そっか。羽澄選手も来たの遅かったし」


 本藤は何かを感じ取っている予感がする。それでもそれに気づかないことにしてくれた。それだけではない。今、他にも大勢いる記者たちの誰もがが見ないふりをしてくれているのは豊富な経験量と神実況と称され、スポーツ実況界で高く評価されている本藤が何らかの口添えをしてくれているのだろう。


「じゃあ、僕はもう行くからね。試合の後に裏でまた」

「ありがとうございます」


 本藤は僕のお礼の言葉の裏側にある感謝にも気付いたうえで「じゃね」と軽く手を挙げると歩いて行った。









 試合が始まる。初めて生で見たアルペンスキーは思っていた何倍も迫力があった。この人たちは本当に何処か身体の一部が不自由なのかと思うほどに。


 終盤に近づいた頃柚希が登場する。高くて遠い、スタート地点で柚希は一度屈んだ。そして、足元に軽くタッチする。


(もしかして……!?)


 そこには僕があげたミサンガが着いているはずだ。


 スタートの合図が出る。柚希ちゃんが勢い良く滑ってきた。

 とても早い。まるで一本の閃光が雪の上を走っているかのように。


 これは行ける、そう僕が思ったとき、柚希ちゃんはものすごいスピードでゴールして右手の拳を握りしめて突き上げた。


 これが世界女王と言うべき圧巻の滑りだった。

次回は『台の上』、明日の更新予定です。

お楽しみに♪

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