邪魔者侵入
「「こんにちはぁ」」
音楽室の扉が開き高校の制服を着た先輩たちが入ってくる。柚希たちが一年だった時の三年生たちだ。とにかく女子は全員スカートが短すぎる。化粧も濃い。
「「先輩こんにちは」」
そう挨拶する柚希たちの目には分かりやすく怒りの感情が浮かんでいる。
『選考会直前に邪魔しに来るな』
おそらく全員がそう感じていた。
しかし、先輩たちは全く気にしていない様子で後輩に声をかけている。
「あれぇ? 柚希ちゃん、まだフルート頑張ってたの?」
明らかにバカにした口調で一人の先輩が話しかけてきた。
蔵橋花楓。
柚希が一年生のときのフルートパートのパートリーダーだった。三年生ということでコンクールには出場できるだろうと高を括っていたそうだが、入学してきたばかりの柚希との実力差は歴然としたものでコンクールの最後の一枠には柚希が選ばれた。学校として金賞を狙いに行くのだから、実力のある方を選ぶのは当たり前のことである。
もともと柚希は小学生のときには世界大会で賞を取るくらいの才能と実力の持ち主である。中学校も私立の吹奏楽強豪校からも声がかかっていながら公立に入学した。それは祖母の力で入学したわけではないと知らしめたかったのも理由としてあった。
花楓はパートリーダーでありながらコンクールへの出場が叶わず、その恨みから柚希へのいじめを始めた張本人だ。そしておそらく柚希に最も激しいいじめを行ったであろう人物。物を隠される、捨てられるというのは日常茶飯事だった。それどころかコンクール当日手伝い要員としてついてきて本番直前に舞台袖で柚希の楽譜をビリビリに破いてきた。
最終的には吹奏楽への興味を失い、部活には顔を出さなくなった。定期演奏会にも蔵橋の姿はなかった。学校にも通わなくなり、志望校に合格できず、この近辺で最も学力が低い高校へ進学するしかなかったと聞いている。
「花楓先輩、お久しぶりです」
周りがハラハラと見守る中、柚希は何事もなさそうな顔で挨拶した。
「ちょっとぉ、先輩に向かってその態度何よぉ~」
普通に挨拶しただけなのに、無駄に絡んでくる。鬱陶しい。
「すみません。だけど先輩、わたしたち明後日選考会なんです。練習させてください」
「はぁ? わざわざ来てあげた私たちに向かってそんなこと言うのね」
「すみません。それでも結構です」
「ほんと柚希ちゃんって変わらないねぇ。自分が一番だと思ってて、何でも自分の思い通りになるって思ってるでしょ? 柚希ちゃんなんて所詮お金持ちで何でも思い通りで困ったこともないし、おばあさんの名前出せば誰でもお世辞ばかり言ってくれるもんね?」
「そうですか?」
そう言ったのは大和だった。その蒼依のことを花楓は鼻で笑う。
「あら、蒼依ちゃん。蒼依ちゃんは上達しているの? 去年もコンクール出れなかったんでしょ? 蒼依ちゃんも大変でしょ。こんな自信の塊みたいな人側にいたら。私の二の舞になるわよ。残念ね。三年間コンクールに行けないなんて」
「柚希ちゃんは誰よりも頑張ってるし誰よりも上手なのは事実じゃないですか。先輩方も柚希ちゃんの実力は知ってますよね? 私が選ばれなかったのは……ただの私の実力不足です」
「むかつくわね」
蔵橋がそう呟く。空気がピンと張り詰める。その緊張感の中で柚希は優雅に立ち上がった。
「それでは先輩。わたしはここで失礼します」
「は? 何言ってんの」
「先生に用があるから来てほしいといわれているんです。すみません」
柚希はフルートと楽譜を手にすると音楽室から颯爽と出て行こうとする。ドアが閉まる直前に花楓がイラついたように声をかける。
「何偉そうなこと言ってんの! たまには先輩にアドバイスもらいなさいよ」
その声が聞こえたのだろう。柚希がしまったドアを開き答える。
「花楓先輩の手を煩わせる必要はありませんので」
「ほんっと、何様のつもり? あぁ、聞く必要もなかったね。あの羽澄柚希さまだもんね」
「いえ。私はただの羽澄柚希です。フルートが大好きな羽澄柚希です」
「あんたと一緒に練習しているみんながかわいそうだわ。こんな自信の塊が側にいたら」
「ここのみんなは大切な仲間たちです」
「だからそんなことを言えるのは、あんたはみんなのことライバルにすら思ってないからでしょ? あんたはそこに座ってるだけで何でも手に入るもんね」
柚希の顔に一瞬の怒気が走った。普段温厚な柚希には珍しい感情の揺らぎだった。
そして柚希は耐えることができなかった。
「言わないつもりでしたけど、そこまで言われるならはっきり伝えます。わたしの方が上手いのにどこを教えてくれるんですか? わたしだけじゃない。そうやってチャラチャラした格好してるあなた方より、ここで毎日必死に練習してるみんなのほうが今はよっぽど上手いですよ」
大和が「羽澄さん」と言う。「やめな」とも「ありがとう」ともとれる声だった。
「花楓先輩、後輩に負けるはずなんてないって調子にのってた先輩より、今の後輩たちはよっぽど上手いです。わたしに勝てるくらいじゃないと選考勝てないって分かってるから。だから、こんな直前に来て教えてもらわなくて結構です。あなたに教えてもらうことはもうありませんので」
蔵橋が悔しそうに唇を嚙む。
柚希は自分にできる最上の笑みを浮かべ、ゆっくりと外へ出ていった。
少し煽りすぎてしまったかなとは思ったものの過ぎてしまったことは仕方ない。
柚希は周囲に人がいないことを確認してそっと屋上へ続く階段を上っていった。
屋上に出た柚希は春の残り香が漂う空気を胸いっぱい吸い込んだ。そして大きく息を吐いた。校庭からは野球部の掛け声とバットにボールが当たる高い音が聞こえてくる。柚希は一度その光景を眺めるとフルートを構える。
――――
その頃、音楽室では蔵橋を始めとする先輩たちが後輩に向かって教えという名の邪魔をしていた。
「蒼依ちゃん、ここはもっとクレッシェンドをかけるべきよ」
「花楓先輩、ここは皆で話し合ってクレッシェンドは弱めにかけることになってるんです。ほら、ここにメモ書いてありますよね?」
自分たちだけでなく、後輩たちにまで先輩がちょっかいを出し始めたのを見て蒼依は部長の顔を見た。
二人で目を合わせると同時にこっそりため息をつく。
蒼依は部長のところに行き、尋ねた。
「これさ、どうする? みんな選考会影響ありまくりだよね」
「でも、選考会はこれ以上先延ばしにはできないし……」
「先輩に帰ってもらうしかないよね」
「気は向かないけど僕が言うか……」
「お願い」
部長が一つため息をつくとスネアドラムを二度叩いた。これはこの部活では全員注目の合図として用いられている。それもこれも部長は歴代パーカッションから選ばれているからである。
「みんな注目」
先程まで嫌がっていたとは思えないほど堂々とした態度で部長が話し始める。
「みんな練習お疲れ様でした。今日はこれで練習を終わりです。ごめんなさい。僕が連絡するの忘れてました」
突然のメニュー変更だったが周りからは安堵したような声が聞こえる。
「これでよかったんだ」と蒼依が思ったとき花楓がこちらへ歩いてきた。
「ねぇ蒼依ちゃん、私たちそんなに邪魔かしら?」
「……そんなことはありませんけど」
「うん、めっちゃ邪魔」とは流石に言えず、蒼依はそう答えた。
「私たちが来なかったらちゃんと最後まで部活やったわよね~? だって選考会直前だもんねぇ?」
選考会をことさら強調して花楓が話しかけてくる。
顔に感情が出てしまうタイプの蒼依は唇を薄く嚙み、俯く。その様子を見た花楓がフフッと笑う。
「練習やめなくて別にいいわよ、私たちが帰るから」
「え?」
思ってもみなかった言葉が降ってきた。
「その代わり、柚希ちゃんともう少し話したいのだけれど……」
「羽澄に何か用ですか」
「嫌ねぇ、部長君。私、今蒼依ちゃんに話してるのよぉ」
花楓が笑顔で聞いてくる。
(何かあってもあのときのように助けに行けばいい。羽澄さんは大丈夫だって言っていた。羽澄さんのことだから何か対策があるに違いない)
蒼依は心を決めた。
「羽澄さんがどこにいるのかは分からないですけど」
「大丈夫。屋上に決まってるじゃない。それに先生に用があるってのも嘘だよね。さっきからフルート聞こえるし」
蔵橋はにこりと笑う。
「蒼依ちゃん選考会前にお邪魔したわ。でもよくわかった。この部活にはもう私たちは必要ないんだって。最後にみんなの演奏聞けて良かった。もう会うこともないでしょうね」
突然性格が変わったように花楓は優しい目をしている。
「「それじゃあ、皆さんさようなら~」」
先輩たちはにこやかに帰っていった。
しかし、蒼依は花楓の最後の笑みがどこかに引っ掛かっていた。
次回ちゃんと決着がつけばいいですが……なんとか終わらせたいです、、
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