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出着点 ~しゅっちゃくてん~  作者: 東雲綾乃
第1期 第2章 世界一へ
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テレビ越しのスター

『九条丞選手にとって二度目のオリンピック、連覇という偉業がかかります。古河(ふるかわ)さん、今朝の公式練習を見て九条選手の状態いかがですか?』

『非常に良いと思います。オリンピック独特の空気にも飲まれずにいつも通り淡々と練習していますね』

『連覇に向け、視界は良好ということですか?』

『まぁ、実際に演技してみないと分かりませんが、ここ数日の公式練習をみる限り、調子も良さそうですし、ジャンプも確実に降りています。この状態を維持して本番も演技できれば首位発進はほぼ確実ですし、世界最高得点の更新ですらあるかもしれません』

『ますます期待が上がりますね。日本中、世界中が固唾を飲んで見守る九条丞の二度目のオリンピック。勝負のショートプログラムがまもなく始まります!!!』


 アナウンサーがなにやら勢いよく話している。

 同じくオリンピックに出場するために紬もスイスへと飛び立った後であるため、少し広く感じる自室でベットの上に足を抱えながら座って、柚希はカメラが追っている人をぼんやりと眺めていた。


 そして、携帯へ視線を落とす。開かれている画面には一通のメールが写し出されていた。

 それは丞からのメールだった。試合を翌日に控えた昨夜――今回のオリンピックはスイスなので時差があるため、現地では試合当日の朝である――に届いたメールには丞らしくあっさりと事実のみが端的に書かれていた。






『柚希ちゃん、久しぶり。怪我しちゃった。ごめんね。約束守りたいたいけど、ダメかもしれない』






 何処を怪我したのかも、その程度も、ジャンプを完璧に跳びまくっている朝の公式練習の丞を写すテレビ、そして丞からのメールからは伝わらない。

 丞らしいなと柚希は思う。他人の前では弱さを隠すのが丞だ。

 応援されるのは嬉しいが、心配されるのは好きではないのだ。それを知っていたとしても、いや、知っているからこそやはり心配になる。


 試合時間は刻一刻と迫っている。今、丞は何処で何を思っているのだろう。















 そのとき、柚希は知らなかった。丞が誰にも見られない場所で、必死に激痛に耐えていたことを。













『さぁ、いよいよ九条選手の登場です。四年前はショートプログラムもフリースケーティングも完璧な演技で圧巻の優勝を飾りました。「今回も必ず金メダルを持って日本に帰ります」と頼もしい言葉を発した日本の二十一歳のエースはこのオリンピックのリンクにどのような軌跡を刻むのでしょうか』


 本番直前の六分間練習が始まる。柚希はテレビにかじりつくようにして丞の姿を追っていた。丞の動きには痛そうな様子は微塵も感じられない。

 変化したのはジャンプを今までのように跳んでいないことだけだ。


 練習開始から四分間。他の選手がジャンプを次々と決めていくなか丞だけはずっとスケーティングの確認しかしていない。


『どうしたのでしょうか。九条選手が一度もジャンプを確認していません』

『良いイメージを残したままリンクを降りたいのでしょうが少し異常ですね』

『異常とは?』

『九条選手は基本、二分ほど経つとジャンプの確認に入るのですが、もう四分半に近づいてますからね………。自分の意思で跳んでいないのならば良いのですが……』

『古河さんの見立てでは、怪我をしている可能性もないとは言えないような感じですか?』

『痛そうな素振りは全く見せていませんが、九条選手はあまり公表されないので、不明ですね』

『何ともないと良いですが…………っとおおっ!? 九条選手がトリプルアクセルを完璧に決めてきましたね!!』

『はい、これは大変素晴らしいアクセルです。流石の一言に尽きますね。このアクセルが本番できれば大幅加点は間違いないでしょう』



 柚希は画面の端に表示されているタイマーを見た。


 残り四十秒。


 丞はもう一度同じフォームでトリプルアクセルを軽々と跳んだ。

 そして、そのあとはステップを少し刻むと、最初と同じようにスケーティングを確認し始めた。


 テレビからも再び心配する声が聞こえてくる。



『もう跳ばなそうですね………』

『そうですね、時間的にもそろそろ跳びにいかなければ……うーん、跳ばなさそうですね。先程のトリプルアクセルを跳んだ直後、小さく二度ほど頷いていたので納得したのだと思います』

『古河さんは九条の調子は大丈夫だと思いますか』

『はい。先程までは少し心配でしたがあれほど軽く、あの精度でトリプルアクセルを決められるのであれば、心配しなくて大丈夫だと思います』

『あぁ、そして今六分間練習が終わりました。選手たちが引き上げていきます。九条選手はこの第三グループの三番滑走です。いつも通り、シンシア・アトキンコーチとグータッチをするとリンクから去ります』


 柚希はシンシアとは直接の面識はない。しかし、丞にとって第二の母親的存在であることは知っている。たとえ、丞が怪我をしていたとしてもシンシアがゴーサインを出したのだ。だから、丞は先ほどまでリンクにいた。

 シンシアがOKをくれた上に丞が滑りたいと希望したに違いない。

 それなら、今の柚希にできることは戦いの場に立つ丞のことを信じて応援することだけだ。






 時間はどんどん過ぎていく。二人目の選手の演技がクライマックスへ向かっていくなか、リンクサイドに穏やかな顔の丞とシンシアコーチが立っているのが遠目に写った。

 二人目の演技が終わる。


 そして、カメラは丞を写し始める。丞はリンクに下りてグルグルと周回を始める。そして軽くステップを刻んだり、ジャンプ祖跳んだりといつも通りのルーティンに沿って動きを確認する。





 二番目に滑った選手の得点が発表される。その発表からカメラが丞に切り替わると同時に地響きのような歓声が巻き起こる。


 丞がシンシアの前に立ち、向かい合った。


 シンシアに何か言われた丞は小さく笑うと拳を握った。丞とシンシアコーチの拳がぶつかったときには丞はリンクの中央へと滑り出していた。





『『タスク・クジョウ。From JAPAN!!』』





 名前がコールされる。丞は真っ白の衣装に真っ黒のズボンをはいている。白い衣装には小さな羽がたくさん付いている。


 滑る勢いで羽をはためかせながら丞はリンクの中央まで進むとそっとうずくまる。


 曲が流れ出す。丞の今シーズンのショートプログラムは『サン・サーンス 動物の謝肉祭より白鳥』だ。静かな曲調に合わせ、丞は腕を一度大きく動かしながら滑り出す。

 柚希は息を飲んだ。柚希には見えたのだ。リンクが大きな湖へと変わり、真っ白な一羽の優美な白鳥が空へと飛び立つ姿が。


 そこからは丞の劇場だった。ジャンプもスピンもステップも曲に溶け込んでいた。


 白鳥は空にいる間は自由だった。思い切り跳び、踊った。幸せそうに踊っていた。


 最後、足を身体の上まで持ち上げるビールマンスピンを回り始めた丞は徐々にスピードを落とし、最後はそっと氷に横たわった。

 それはまさしく最後まで飛ぼうともがき苦しみながら息絶えた一羽の白鳥の姿だった。



 最後のシーンにロシアのバレリーナアンナ・パヴロワが踊った『瀕死の白鳥』の白鳥が息絶えるラストシーンを採り入れたのは丞の強い希望によるものだったと聞いている。その選択が正しかったことが証明された。



 テレビからはしばらく何も聞こえなかった。

 柚希の目からは涙が溢れた。完璧だった。言葉がいらなかった。




 突然、会場が大きな音を立てた。スタンディングオーベーションだ。それと同時に実況の人が我に返ったように話し始める。



『圧巻の演技!! オリンピックの舞台でまたもや世界の度肝を抜いてきました、九条丞! これぞ、日本が世界に誇る圧倒的エース九条丞のスケートです!!!!』

『いやぁ、素晴らしかったですね。六分間練習ではジャンプをあまり跳んでいなかったので心配してましたが、そんな心配は必要なかったですね。完璧でした』

『古河さん、トリプルアクセルが!!!』

『ええ。出来映え点で満点が付いていますね』


 丞の得点が出た。自信が持つ世界最高点を三点近く更新した。笑顔で丞はテレビカメラに向かって手を振る。


「ありがとうございました~。明後日も応援お願いします~」





 そして、一度大きく頷くと観客席に軽く手を振りリンクサイドから歩いていった。その背中は怪我の様子など微塵も感じさせなく、自信に満ち溢れていた。

次回は『明日が決戦の日』、明日の更新予定です。

お楽しみに♪

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