眠っていたモノ 後編
「そういえばいつか柚希に見せたいって思ってたものがあるんだよ」
そう言って紫苑は席を立ち本棚まで歩いていく。
そして、棚から一冊の本を迷うことなく取り出した。
「はい。これ」
紫苑が差し出してきたのは本ではなかった。それは一冊のアルバムだった。
少し年期が入ったものだ。それでも大切に保管されていたのだろう。埃ひとつ被っていなく、地下にあったことで日の光が当たらなかったからなのか、日に焼けてもいない。柔らかい紺色の布地表紙のアルバムを開くと、そこには誰かの筆跡で『思い出』と書かれていた。
次のページにはあの写真が貼られていた。あの日、祖母の部屋の壁に掛かっていたあの写真が。
「この写真……」
「僕たちが生まれた日の羽澄神社の様子だと父さんに聞いたことがあるよ。社務所の二階部分から見た景色だよ」
だから向かって左側に鳥居が写っていたのだ。見たことのない風景だと思っていたがそれは見ていた角度が違っていたからだったのかもしれない。
「ねぇ、紫苑。このアルバム、わたしが見ていいの?」
「ああ。なんか今が柚希に見せる時だと思ったから」
紫苑の言葉に柚希は表紙を閉じるともう一度アルバムと向き合った。ふぅと息を吐く。
ページをめくるうちにだんだん他のことは気にならなくなった。アルバムは咲来が生まれたときからの子供たちの成長記録になっていた。愛に満ちた幸せな家族だったことがよく分かる写真の数々。神社の写真ばかりだ。それでも今まで見ることがなかった三歳までの自分の姿を目にした。咲来と紫苑と遊んでいる写真。柚希と紫苑の七五三で着物を着ている咲来も含めた子ども三人。この時咲来は七歳だろうか。紫苑も袴姿だ。この時から既に袴が似合っている。
他にも日常の写真が大半だった。柚希はその時々を懐かしく思い返しながらページをめくり続けた。
最後のページまで見終えて閉じようとした柚希は妙な感じに襲われた。まだページがある気がしたのだ。裏表紙だけにしては分厚い。
裏表紙をじっくり見ていた柚希は最後のページと裏表紙が縫い付けられていることに気が付く。よく見てみると表紙の布地も後から縫い付けられていた。
「紫苑、ハサミある?」
「なにする気だ」
本棚の前に立っていた紫苑に声をかけると紫苑は笑いながら近づいてきた。
柚希が差し出したアルバムを興味深そうに眺めると紫苑はひとつ頷いた。
「これは何かトリックがありそうだね」
「ちょっと待ってて」の声とともに紫苑は静かに、それでも素早く外へと出ていく。
しばらくソファにもたれ掛かって待っていると紫苑がハサミを持って帰ってきた………はずだったのだが苦り切った顔の紫苑の両手にはお盆が乗っていた。そこには大量の菓子と緑茶、それに加えてチーズタルトと苺のタルトが行儀良く並んでいた。
「どしたの?」
「はぁぁぁ……帰りにたゑに捕まったんだよ」
「それで……こんなに?」
「二人でお茶でもしなさいって、お菓子とお茶持たされたんだよ。想像以上の重さに途中で会った巫女に押し付けようかと思った」
「うふふ。たゑさんのご厚意でしょ? ありがたくいただきましょう」
二人でしばらくお茶タイムとする。懐かしい味がする。たゑのいれた緑茶からは優しい味がじんわりと染み渡る。この味は懐かしいと思わないな、感じたところでこの家を出たのは三歳のときだったと思い出す。十五年は長すぎた。
お盆の影から小さなハサミが出てきた。たゑはその存在に気付いていたのだろうか。もしかしたら、紫苑がハサミを持っていることを誤解されないよう、お盆を運ばせたのかも知れない。
「はい。これね」
(考えすぎか…………)
柚希は苦笑する。
「ありがとう」
柚希は受け取るとなるべく布を切らないように糸をぷつっと切った。
「えっ!?」
「ん?」
柚希と紫苑の声が重なった。なかには薄い一枚の神が三つ折りされて入っていた。
長いこと……少なくとも二・三年前のものではない。十年ほど経っているだろうか。その間、人目も日光もない所でじっと過ごしていたのだろう。
裏表紙を動かす度に擦れていたのだろうか。少しシワが寄っていた。
柚希はそっとその紙を摘まむとテーブルの上に置いた。
紫苑がそれを開く。
カサリと音を立ててテーブルに広げられた手紙には美しい筆跡で何かが書かれていた。
「これは……手紙かしら?」
「これは……手紙だな」
二人で顔を寄せる。その手紙は『愛する君へ』という文から始まっていた。
愛する君へ
今までありがとう。本当にありがとう。もう会えないなんて信じられない。ごめんな。
君が初めてここに来たとき、はにかんだ笑みを見て私は恋に落ちた。取材を受ける側だったはずなのに私は気が付けば君の気を引くことばかり考えていたんだ。仕事放り出して口説いていたなんて、今思えば恥ずかしい限りだけど、あの頃は必死だった。
まさかプロポーズを受けてもらえるとは思わなかったし、子どもを三人も授かるとは思っていなかった。君と子どもたちと過ごせた日々はかけがえのない宝物だ。
私が神社の宮司だったばかりにあまり外出や旅行ができず申し訳ない。それどころか音楽一家の娘だった君に全く異なる慣習を強制させてしまったことをすまなく思っている。
これから二度と合うことはないと思う。だが、知っていてほしい。私は今でも君のことが大好きだ。君と共にありたいと思っている。だから、もし良かったら気が向いたときにはいつでも戻ってきてくれ。
私たちの大好きな桜と柚子と紫苑、君が美しいと言ってくれた桔梗は羽澄神社の境内でいつまでも美しく咲き誇っているからね。
いつまでも君のことを愛してる
羽澄梗平
しばらく二人とも何も言わなかった。
「…………僕たちみんな花の名前だったんだね」
ぽつりと紫苑が呟いた。
柚希は携帯を取り出して検索してみた。
〖桜→精神の美、優美な女性、私をわすれないで〗
〖柚子→健康美、恋のため息、汚れなき人〗
〖紫苑→追憶、君を忘れない、遠方にある人を思う〗
〖桔梗→永遠の愛、変わらぬ愛、気品、誠実〗
「なんか、みんな花言葉に合ってるね」
「そうかもね。姉ちゃんは芯の強い素敵な人だし、一度話したら印象に残るから忘れられない人だし、紫苑は遠くにいたわたしのこと忘れないでくれたし、父さんはこの手紙からも愛の塊だって分かるもんね」
「生まれた時につけられたはずなのにこんな当てはまるんだね」
「姉ちゃんが『忘れないで』で、紫苑が『忘れない』なのすごい素敵」
「ふふっ。ありがとう。でも柚希だって合ってるでしょ?」
「うーーーん」
「何言ってるんだよ。柚希は恋煩いだし、汚れなき人っていうのもぴったりだよ」
紫苑は笑う。しかし、柚希は納得がいかない。
「いや、恋煩いって何よ」
「え、違うの? 柚希と話してるとある人の話題ばかりなんだけど」
いったい誰のことだろう。
「誰?」
「ふふふ」
「誰?」
「内緒」
「なんで?」
「そのうち柚希にも分かるよ」
結局その日は恋煩いの相手が誰なのか、分からないままだった。
パラリンピックイヤーの元旦は紫苑との再会を果たし、地下に案内されて、そこで過ごしているうちに終わりを迎えた。
次回は『丞の二度目の夢舞台』、明日の更新予定です。丞のコーチのシンシア・アトキン視点(和訳番)です。
お楽しみに♪




