神社の下
柚希は紫苑と時間の許す限りいろいろなことを語り合った。それぞれの現在の暮らしについて、柚希の事故とリハビリについて、それから紫苑の噂についても……。
「あのさ、紫苑? あの噂って本当なの?」
「噂?」
「ここの神社には魔物が住んでて、紫苑にもその魔物が取りついていて人の記憶を読めるとか、死んだ後に戻ってこれるとか……いう噂」
「あぁ、あの噂……柚希に前話した気がするな」
「そう、あのときそのせいで友達が少ないって言ってなかった?」
「言ったよ。だって、ほんとのことだから。友達って呼べる人はいないもん」
「じゃあ、あの噂も本当なの? それともただの噂?」
紫苑はしばらく黙る。
「…………半分はあってるけど半分は違う」
「えっ!?」
「別に魔物が取り憑いてるわけではないんだ。だけど、内容的には間違ってないから強く否定もできない」
そう言った紫苑はハッとしたような表情になり、立ち上がった。
「ごめん、ここではこの先は話せない。もし知りたいならうちまで来てほしい」
柚希も頷くと立ち上がる。
紫苑が的を片していたので、「ちょっとそこで待ってて」と言われた柚希はなんとなくほうきを手にとって床を掃いた。
「ごめん、ありがとう」
手際よく的の片付けを終えた紫苑がやってくる。鍵をしっかりと閉め、二人は外に出た。賽銭箱には未だに長蛇の列ができているが、神社の最奥にひっそりと建っている弓道場の周辺には人の影はなかった。まるで、あちらの人々には見えていないかのように。
柚希が頭の中でそのようなことを考えているうちに紫苑の自宅までたどり着く。社務所の脇にある戸を紫苑がカラカラと開くと、玄関にはひとりの白髪の上品な女性が立っていた。
「こっちだよ……と、うっ」
紫苑の笑顔が固まる。同時に女性の笑みも深まる。威圧感のある怖い笑みだ。
紫苑が戸を完全に締め切るより先に特大の雷が落とされた。
「お坊っちゃま! 戸を開く際には巫女もしくは使用人の誰かを呼べといつも申しているのをお忘れですか!?」
「忘れてはないが、お客様の前でいうことではないだろう……」
「あら、お客様? 申し訳ありません。わたくし、目が劣ってきてしまい……」
紫苑に怒鳴っていた人物と同じ人だとは思えない声で、カラカラと朗らかに笑いながらその人は外へ出てきて柚希の方を見た。
そして、フリーズした。
「…………お嬢様?」
その人に『お嬢様』と呼ばれた途端、一人の女性の記憶が蘇ってきた。幼い頃、柚希と紫苑と咲来の世話を一手に引き受けてくれていた厳しいおばあさんがいた。怖いけど優しい人だった。
しょっちゅう先ほどの紫苑と同じように怒られていたのを思い出す。確か、名前は…………
「…………たゑさん?」
長い沈黙のあとに柚希が呟くとたゑは心の底からの笑顔で近づいてきた。そして柚希のことを力強く抱き締めてきた。
「お嬢様にこのようなことをするというのは使用人としては失格でございます。しかし、お許しください。なにせ十五年ぶりなのでございます。さすがのたゑも抱きしめざるを得ないのです。…………お帰りなさいませ、お嬢様」
「たゑさん……長らく留守にしました」
たゑの背に柚希もそっと手を回した。あの頃は背が高い大きな人だと思っていたのに、今では柚希の方が高くなっていた。
しばらくするとたゑは柚希からそっと離れ、一歩下がって柚希のことを上から下まで見つめた。
たとえ年を取っていたとしても、たゑの背筋は十五年前と同じくピシッと伸びていた。そこだけは何度見ても変化を感じなかった。
「足も失って辛いことの多き日々だったでしょうに……よくここまで生きてくださいましたね」
たゑの目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
(たゑさん……)
声が詰まって出なかった。何を口にすればよいのかもわからず、ただ柚希はたゑを見つめていた。
「…………再会のとこ悪いけど、そろそろ部屋に向かってもいいかな?」
ふいに紫苑の声が聞こえた。
たゑが慌てて端に寄り、中へと招き入れてくれる。
「あらまぁ、わたくしとしたことが失礼しました。お許しくださいませ」
たゑは使用人がお客様へ接する際の態度へと一瞬で戻った。疑問に思った柚希は紫苑の目線の先を見て納得した。一人の巫女が歩いてきていた。客である柚希が玄関で跡取りと使用人と親しく話していれば疑問を持たないはずがない。
たゑが深く礼をする。
「羽澄神社にようこそおいでくださいました」
「お邪魔いたします」
柚希は靴を脱ぐとそっと玄関に足を踏み入れた。
(帰ってきたな…………)
見慣れた景色を疑問を抱かれない程度に見回していると、遥か昔の記憶が次々と舞い戻ってくる。三歳の記憶というものはこれ程覚えているものなのだろうか……
柚希が記憶の渦に思考を飛ばしている間に紫苑とたゑは会話を進めていた。
「そしたら一時間はあそこにいるから」
「客間でなくてよろしいのです?」
「柚希はあそこにいる方が似合うと思う」
「かしこまりました」
そう言ったたゑは紫苑の耳元に顔を寄せるとささやいた。
「優しくもおてんばだったお嬢様がこれ程ご立派になって戻ってこられたのです。話題は尽きないことでしょう。存分に語り合ってくださいませ。お嬢様の寮の方にもわたくしから連絡させていただきますから。もちろん誰も寄せませんからご安心を」
「助かる」
「柚希?」
突然の紫苑の声にかつての記憶の波にのまれていた柚希は現実世界に戻ってきた。
「はい?」
「こっち来て」
紫苑は真っ直ぐに長い廊下を歩きだす。その後ろを柚希は緊張しながら歩いていた。
歩いているうちに不安になる。紫苑と再会したということを知ったら母はどう思うだろうか。新潟に来る前のあの雨の日に見つけた祖母の日記を思い出す。
『二度とあの顔を見たくない。二度と新潟なんて訪ねるもんですか』
あの字の乱れ具合からは祖母の怒りが伝わってきた。おそらく母も同じ気持ちなのだろう。
「あのっ、紫苑!」
「ん?」
「やっぱりわたし、ここにいたらいけない気がする」
「大丈夫」
紫苑は何も心配していないような顔をしている。
「なんで?」
「たゑがいるから」
「たゑさんが……?」
「たゑは秘密を守ってくれる人だから。話が終わるまでは誰も近づけないって約束してくれたんだ。だから、大丈夫。誰も近づけないってことは今日のことはなかったことになるって意味だから」
「でも……寮に外出届出してないから、そろそろ帰らなきゃなんだよ」
「大丈夫だって。たゑが連絡してくれてるよ。それもたぶん適当に理由付けてね」
「え……」
「あのたゑがそんなことをするなんて、たゑも柚希と会えたのがよほど嬉しかったんだろうな…………」
「だから、心配しないで付いてきて。もう少し歩くよ」と言うと紫苑はまた歩き始めた。
社務所の裏を通っていると思われる廊下を通り抜け、紫苑が突き当りにある押し戸を開ける。
そこから階段を下る。少々暗いその空間には適度にライトが灯っていた。お香が焚かれているようだ。嫌な香りではないが、独特の香りが広がっていた。
「ここは?」
紫苑に尋ねた柚希の声は妙に湿っていた。
「地下だよ」
紫苑は端的に答えるとまた廊下を歩きだす。
先ほど歩いてきた道から直角に曲がったことを考えれば羽澄神社の境内を横切っているはずなのだが、この長い廊下はいつまで続くのだろうか。
身体中にお香の香りがしみ込んだ気がしてきたころ、ようやく廊下の突き当たりが見えてきた。その手前には小さな扉があった。
紫苑はその扉に手を掛けた。そしてぐっと引いた。
暗闇が広がっている。
どうやら階段があるらしい。紫苑がそこを下っていく。降りきったのか少しの反響を伴って紫苑の声が聞こえてきた。
「柚希、来て。足元に気をつけてゆっくりね」
柚希も若干恐々と足を踏み出した。一段ずつの幅が広い階段はそれほど長くは続いていない。八段ほどの段を降りると地面に足が付いた。先ほどの廊下では灯っていたライトもない暗闇の中、柚希は紫苑の声がする方へと歩いていった。
「…………ここは?」
「地下室」
「えっ!?」
「この上は羽澄神社の境内だよ?」
「どういうこと!?」
驚く柚希の声に紫苑が楽しげな笑い声を上げる。
「ここは僕たちしか入れないからね。というか、びっくりするのはこれからだよ」
パチリと電気が灯る。
「わぁぁぁ」
思わず口から声が出た。
そこには柚希が想像もしていなかった見渡す限りの、そして居心地の良さそうな巨大な空間が広がっていたのだから。
追記したところ家の構造を大きく変えたため文量も想像以上に伸びてしまいました、、
紫苑と再会しただけではなく、再会はまだ続いていますよ!
次回は『眠っていたモノ』、明日の更新予定です。
お宝発掘します! お楽しみに♪




