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出着点 ~しゅっちゃくてん~  作者: 東雲綾乃
第1期 第2章 世界一へ
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手紙

 柚希は思わず封筒を何度か見直してしまった。それでも、何度見ても、間違いなく差出人は結城栞奈になっている。


 柚希はそっと封筒を開けた。









 羽澄選手へ

 お久しぶりです。練習はいかがでしょうか。

 私は毎日羽澄選手に負けたくないというライバル心と、向上心で練習に励んでいます。


 羽澄選手の心を深く傷つけてしまった私をどうか許してください。


 姉がインタビューにお伺いすると聞きました。その機会に私も謝ろうと決意しました。


 羽澄選手は私にとってはライバルだけど、今は素直に尊敬してます。私が同じ時期に事故に遭ったあととしたら、これ程強くはなれていなかったでしょう。


 次にお会いするのはおそらく全日本選手権ですね。金メダルは絶対私が取ります。待ってるので一緒に全力で戦い抜きましょう。


 一緒にパラリンピックに行きましょう。


 結城栞奈









『一緒にパラリンピックに行きましょう』


 その言葉を目にしたとき、頭に蘇ってきたのはあの日の蒼依の言葉だった。


『一昨年も去年も私は落ちた。今年こそは絶対に受かる。そのときは、羽澄さん。羽澄さんも一緒だからね』


 自分はいつも人を誤解してしまう。蒼依のこともそうだった。そして、栞奈の思いが詰まった文を読み返しているうちに栞奈のことも誤解していたように感じた。


 それでも成長したところもある。柚希は人を疑わなくなった。三年前の花楓に殴られたときから柚希は人を疑うようになっていた。怖かったからだ。自分がひと時でも信じた人に裏切られることが。

 頑な柚希の心を優しく溶かしてくれたのが丞だった。病室に会いに来てくれたときから柚希のことを度々気にかけ、メールをくれ、電話で励ましてくれた。たとえ会えなかったとしても丞はいつも柚希の味方でいてくれた。早かったようで長かった、自信の環境も周囲の人々も大きく変化した三年を経て、柚希は再び人を信じれるようになった。


 栞奈のこともお互い知り合えばきっと大丈夫だろう。そう思えた。


 柚希にとって丞はスポーツ界に柚希を招いてくれた人であるだけでなく、元の自分を取り戻す手助けをしてくれた人でもある。


(丞くん……。オリンピックまであと少しですね……)


 丞は年末の全日本選手権で圧倒的な強さで優勝し、無事にオリンピックの切符を三選手の中で最速で手に入れていた。

 オリンピックでもこのまま優勝してくれる、柚希はそう信じている。


『次会うときには、オリンピアンとパラリンピアンってお互いに日の丸を背負った状況だったら嬉しいな。二人で金メダル取れたら最高だね!』


 丞の言葉はここまで柚希を強くしてくれた力の源だった。あの言葉があったからこそ頑張ることができたのだ。そして柚希もその言葉通り、日の丸を背負って世界の舞台で戦う選手になることができた。


『壁が高ければ高いほど、乗り越えたときの景色は最高だよ。そして、辛い想いをすればするほど人は強くなれる』


 確か丞はそう言っていた。柚希は今、自分史上最も高い壁を登っている真っ最中だ。


(この壁を乗り越えたとき、パラリンピックで表彰台の頂に立ったとき、わたしはどんな景色をみているんだろう……)


 きっと素晴らしい景色が待っている、そんな予感に包まれた。柚希は外を見つめる。吹雪の中で丞の屈託のないまぶしい笑顔が輝いている気がした。






 ――――






 フローラやナターシャたちの壮行会の日がやってきた。

 柚希は綺麗に飾り付けられた談話室のテーブルに座っていた。机の下にはフルートのケースが置かれている。

 置いていたとしても、柚希はまだ人前で吹くことを決断できずにいた。


 柚希が考え込んでいるうちに壮行会はどんどん進んでいく。

 コーチからの言葉、紬の応援の言葉、フローラからのお礼の言葉…………誰かの視線を感じる。柚希が顔を上げると少し離れた席からナターシャが静かにこちらを見つめていた。

 目が合うと少し微笑んだ。その笑みからは感情は読み取れない。「吹いてよ」なのか、「どっちでもいいよ」なのか、どうなのだろう……。


 柚希が悩んでいるうちに柚希の名前が呼ばれる。


「最後に柚希から少し……」


 英語でそう言った紬はそっと柚希の方を伺った。話したことはないが、紬はおそらく知っている。柚希がここで吹くことにためらいがあることを。注目を浴びた柚希はただ席に座ったままケースを見つめている。


「やっぱり…………」

「おっけい」


「やっぱり無しで」と言いかけた紬を柚希が止めた。そして立ち上がった。


「柚希? 本気なの……」


 紬の言葉に柚希は微笑んで、楽器を組み立てはじめる。既に日中にも軽く自室で吹いていたため、基礎練習などは終えている。

 そして、座っている皆の前に出ると、その銀色に輝く約束と苦しさの証をそっと構える。





 柚希のフルートから流れて出た音色が耳に届いたとき、部屋にいた全員が一瞬呆然とした。この世のものとは思えないような、美しい音だった。儚げでありながら芯がある、優しいけど強い音だった。


「これで、本当に三年ぶりなの…………」




 隣で呟く紬の声を聞きながら柚希は音を奏で続けた。

 あのとき……静寂の中で吹いていたとき、届いてほしかった人は出てくることはなかった。柚希は一人で吹いていた。誰もいない夜の静かな空間で虚空に向かって音楽を奉納していた。そう感じていた。


 最後の音が消えたとき、部屋は静寂に包まれていた。何秒が経っただろう。突然、ガタガタと音を立てながら皆が立ち上がった。


 柚希だけに向けられた大好きな、大切な仲間たちからのスタンディングオーベーションだった。



「柚希? 泣いてるの?」


 ナターシャの言葉で柚希ははっと気がつく。柚希の頬には涙が流れていた。それをさらりと拭うと柚希は笑って話し始めた。


「ありがとう。みんなのお陰でわたし、またフルート吹けました」


 英語でうまく話せない自分がもどかしい。

 それでも、自分の気持ちを伝えたかった。たとえ、拙い英語だったとしても。


「あの日からフルートを吹くのが怖かった。あの頃の自分をまだ思い出したくなかったの。だからわたしはゴールを決めた。パラリンピックで金メダルを取るまでは吹かないって。だけど、今日わかった気がする。わたしはフルートを吹きたかったのかもしれない。自分の音を聞いたとき、これがわたしだって思えた。そう思わせてくれた、わたしにもう一度フルートを吹く決断をさせてくれたナターシャ、ありがとう。試合頑張ってね」


 やっと誰かの前でフルートを吹くことができた。あの人に自分の音を聞かせられるときは来るのだろうか……。そして、丞に聞いてもらえる日は来るのだろうか……。


(まずはパラリンピックで金メダルを取ろう)




 フローラとナターシャが二人揃って五輪への出場の切符を手に入れて帰ってくるのは大晦日のことだった。

次回は『丞の不調』、土曜日の更新予定です。

お楽しみに♪

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